第四期 赤き柱 中
上がる煙。
それは何なのか、そう、燃やしている――。
×××××
結局、私とシグレは出発を遅らせることにした。
外の天候の、予想以上の悪さに、進む足を戻さざるを得なくなった。
何より、私の腕の傷が悪化し、熱を出して私が倒れたこともあった。
「う……」
頬を撫で上げる風が冷たく、吐き出す吐息が白い。
寒い。寒い、寒い――。
気付けば右腕はなかなか良い具合に冷えて、熱も収まったようだった。それが嫌だ。寒さが更に主張されている。気持ち悪い。
天井は、見知らぬものではなく、私一人のために宛がわれた部屋のものだった。劣化した壁は、所々が崩れかけているが、元の状態が判るほどには状態維持が出来ていた。
寝台の隣には、明らかに朽ち果て、壊れる寸前の椅子に座ったシグレがいた。声をかける前に三連成で寒さを遮断した。
「シグレ」
「んん? あ……起きたんや、熱は、どう?」
「大分よくなったみたいだ。心配をかけたか?」
シグレの目の下に住み着いた隈が見えたので、気遣って聞けば、寝ていたのか、少ししゃがれた声で返してきた。
「ええんよ、何かうちも大分心配させたみたいやし……」
「どのくらい寝ていた?」
「丸一日くらい。今は青い柱が光っとるよ」
そうだろう。命を削る柱たちは、不規則に中にある命を削りながら入れ替わり入れ替わりそこにあるのだから。
冷気が部屋を無駄なほどに冷やしている。
シグレは、何度も体をさすりながら立っていた。
「だん、暖、だん……暖めろ」
「ありがと。うちが水属区やったらよかったんやけどね」
「外が暑いときの、為か?」
「そりゃ……そうや、偏ってたらどうにもならんからな」
だが、もし属区が違っていれば、今の状況は作り出せずに、むしろ悪化させるくらいしかできないだろう。シグレも、そのことに気が付いているはずだ。曖昧に、誤魔化すかのように苦い顔をしている。
「もし、なんて今さら、だな……」
シグレの返事は「うん」との一言だけだった。どこか上の空だ。
「行くぞ」
「体は?」
「もう大分良い」
歩き出す。するとふと目に留まったのは、音の出る小箱。
螺子を巻けばまた動くのだろうか。私はそれを手に持った。懐に入れようとして、そこで急に思い出した。
「確か、服があったな」
×××
体力を奪う霧雨は止まず、視界ばかりを悪化させていた。
始めは雨避けにと蒸発させていたが、今度は霧雨と霧に襲われた。そうなると水を蒸発させることは得策ではない。今は、シグレ共々着替えたはずの服を、その重さに引きずりながら時折光る柱の位置を確認しながら進む。
自分たちと向かう位置から正反対の、塔の向こう側を映し出すために水鏡を作った。光の柱の中が見えないように鮮明さはわざと欠いた。
日の存在は確認されていない。厚い雲のさらに上だ。
「ちょお、休憩」
シグレが水を吸って焦茶色をさらに深くしている大木の上に腰をかけた。
自身に疲れはあったが、座る気は起きなかった。座ったら、おそらく次に歩くときが辛くなる。
「座ったらどう?」
こう座り込んでしまっては、待っているほうも苦痛だろうとシグレが言ってきた。
「いい。少し、見てくる」
何を、とは言わず、シグレは気になったようだが、少し浮かせた腰を倒れた大木に戻すと、足の疲れが解れていくようで、顔が緩んだ。
霧が濃密な水の属素を循環させている。水鏡を作るとしたら、今が絶好の機会だろう。
シグレから離れていき、幻のように影でしか確認できなくなるまで歩いた。
「映、結、像、風」
漢字で属素を形として成す漢成は、一文字余計な字を混ぜなければいけない。それも、これから作るものと関係の無いものでなければそれは成立しない。これは体ではなく精神に負担を掛ける。そのため属区の者に使用は推奨されていないし、許されてもいない。
形を成すためには、まずそのものの構造を詳細に想わなければならない。
想像した鏡は手鏡で、昔戦利品として所持していたもの。だが同じく昔に壊してしまったので現存していない。
作り出した鏡は、記憶のものとはしかし異なっていて、その物自体の経てきた時間というものが感じられなかった。
「時間はつくれない……か…」
触れることも見ることも出来ない“時”という大きな存在。言葉の枠に当てはめられてはいるが、それはそんな枠に収まるほど小さくは無い。いや、それはどんな物でもそうだろう。枠は、勝手に作られている。
鏡を凝視して、映したい場所にあるであろう属素で“目”をつくる。
属区の民は“目”をつくる事などしない。宗主、以下その血を真に受け継ぐ者のみの苦労。思わず溜息が出た。
徐々に明瞭になる鏡の中に集中はせず、シグレの影が動きを見せないか見張る。動いてはいないようだが、足踏みをしているように見えた。
目を離していた内に、鏡の中は乾きかけの血液のような色を映し出していた。
安らか、とは言い難い表情ではあるが、苦痛と言う表情でもない顔がたくさん浮いている。傷つきも病みもしない彼らは、ただ目覚めない。
「これが全て炎属区の者だとは、な……」
赤い柱の中で、果たして目覚めない眠りにつき死ぬことが無いか、苦痛はあるが意識ある中死ぬのがいいか、聞こうにも相手がいない。右腕が熱を持ち始めた。遮断していた痛みが蘇る。言霊の力が薄れたのか。
再び言葉を紡いだ時、鏡が消えた。効力を失ったそれは、緩やかに属素となり空気中へと漂い始めた。属区の人間には見えない光景に、薄く息を吐いた。
「……何か、あったか」
シグレの影が動く、頭が霞む。首を振ったのだろうか。
「私はここだぞ、シグ」
レ。と伝えようとした口は急いで自分の手が覆った。
新しく影が増えた。小柄で、その影の長さで推測するところ12,3歳くらいだろう。
他の属区か? 敵か? 攻撃の意思は? 途端に回りだす頭が、ともかく音を出さずに動こうとそろそろと動きだす。
現れた影は足取りおぼつかなく、今にも倒れそうであり、属素が急激に減少しているのだろうと思わせた。
近づくごとに、シグレの声が大きく聞こえてくる。
「どうしたん? その液体は……セーちゃんと同じっ!?」
「シン姉ちゃ……は…?」
この、声は――。
聞き覚えがある。――液体? 同じ、だと……?
「スーシンか!」
離れたところから聞こえた声に、スーシンは慌てて左右を見る。何かに怯えている。しかし、何に……。
「ご、ごめっ……なさっ…ごめんなさいっ! ノズミお姉ちゃん、お願い! シン姉を助けてっ!!」
姿の見えてきた私に向かって叫んだ。傷を負っている。鮮血が見えた。
彼女もそうなのか。
「何があったか教えてくれない? 話はそっから」
目覚めたばかりのときのような言葉遣いに戻せば、シグレは一瞬奇妙な表情をして、何かを読み取ったのかあえて私に何か言ってくることはなかった。
頷いたスーシンは怯えを隠せずに、震えた声で自分の見たものを、たどたどしく私とシグレに説明した。
×××
「なるほど、で、シンスウを探してるわけか」
「うん……あの…ごめんなさい」
「さっきも聞いたよ?」
「うん。でもね、何回言っても足りないよ……」
自分がどれだけのことを言ったか理解しているスーシンは、子供にしては賢いほうなのだろう。そういった子供のほうが思考がおかしな方向へ曲がってしまう。
「気にしてないからいいよ。それに、今は、どうなのさ?」
「今は……ノズミお姉ちゃんなら…大丈夫」
「あたしはどうなんの?」
「え」
あなたもなの、と言いたがっている。表情が正直に語っていた。
「元は雷属区なんよ、あたし。あんたは?」
「わ、私は風属区です」
「ふうん……そう」
会話を続けることの困難な言葉を返す。
シグレから見たスーシンの第一印象は少々悪いようだ。
「あんた、名前は? 名乗りいよ」
「名乗り……いよ?」
シグレの独特な言葉遣いに困惑しているようで、私はスーシンに「名乗るんだよ」と助言した。
「私はスーシン・ユウメイ……です」
「あたしはマクモ・シグレって言うんや、よろしゅう」
「え、あ、はい。よろしくお願いします」
頭を下げると髪を濡らした雫が重力に従い落ちていく。
顔を上げたスーシンに、シグレはようやく気になっていたらしい疑問を口にした。
「その液体って何?」
×××××
血液についてどう説明したらいいのか知らないスーシンと、知っているが説明することのできないセイルを質問攻めにしたシグレだったが、雨が強くなると気力も減り、炎属区の人々のすむ村へと早く向かいたいと言い出し、歩き出した。
元より休む気の無かったセイルと、彼女に手当てされたスーシンはもっと早くに移動したかったのだが、本音はあえて言うことはせず、最終的にはセイルが先頭になり先を急いだ。
スーシンの提案で、周囲に風を発生させて人工的に追い風を作り出してくれた。せっつかれるように先を進むと、何十年も経ったように思わせる朽ち果てた建物たちが群れを成していた。
「誰もいない。いるはずもないかなあ……」
分かっていたはずでも、やはり衝撃を受けている。セイルは、おぼつかない足取りで、そこで一番大きな建物へと入っていった。その後ろを、スーシンとシグレが追い駆けたが、建物の前でシグレは立ち止まり、スーシンは建物に入ることを戸惑ったが、セイルの尋常ではない様子を心配し、ついていった。
「お姉ちゃん、ここ……は?」
「知っているはずだろう?」
スーシンに背を向けたまま、セイルの冷めた声が返し、知らぬ間にスーシンは震えていた。
「ここが、どういった場所か……」
「知らないよ、わ、私風属区の外に出たこと……ない…から」
「嘘だな」
属素を集めて周囲に灯かりを散らしたセイルが振り向く。灯りに照らされた瞳は、属区にいる人間なら有り得る筈の無い黒。
小女は、驚愕のまま、引き寄せられるようにその瞳へと手を伸ばしていた。スーシンの瞳は風属区の緑。セイルの瞳の色は、炎属区の赤。しかし、今双方の瞳は属区に当てはまることの無い黒が主張されていた。
「お姉ちゃん、も……なの?」
「ああ」
「私とシン姉だけじゃなかったんだ」
安心したのか、微笑んだ小女の手に触れた。セイルは一つの確信を持って聞いた。
「宗主の血筋か」
「うん。シン姉ちゃんと同じ、宗主候補だよ」
「属区へ出たことが無いと言うのも、嘘だな」
小女のついた嘘は、小女の口により話された。
「そう、だよ。でもね、お姉ちゃんがそうだって言ってくれなかったら、目覚めた時にもう別の属区にいたよ、て言うつもりだったの」
とんだ策士だ。セイルは小さく笑う。
「互いのためにも宗主候補であることは秘密にしておこう。いいか?」
「いいよ」
「あと、私のことをいちいちお姉ちゃんなんて呼ぶな、気恥ずかしい」
少しの照れをもって言ったセイルに、スーシンは次からどう呼べばいいのか尋ねた。
「そう言われると……そうだな、せめてさん付けでいいから呼んでもらえればいい」
うん、と頷くと、スーシンは人差し指を口の前に立てて、シグレと待っていると告げて引き返していった。
時を見計らったかのように雨が屋根を叩く音が強くなった。スーシンの背中にどこかの建物で雨宿りをするように言ってから、セイルは建物の中を歩き始めた。
雨に遮られた声は届いたのか、届かなかったのだろうか、考えもしないのだろう――。