第三期 塔の終
あれに光るは、摩訶不思議なものごとの一端なり。
貴様はどうするのだ?
×××××
「あ……」
漏らした言葉は、何を言いたかったのか。セイルが聞こうとしたときには、シグレは顔を両手で覆って、膝をついていた。
セイルは短く言葉を紡ぎ、遠方を近くで見るための鏡を作り出した。水を介した鏡は、時折水中のような歪みを見せるが、ほとんどが綺麗に写った。
映し出したのは炎属区の領地に現れた光の柱の中。
誰も彼も、セイルには見覚えがあった。
「アズナ、ナギエ、メイコ、マサヨ、カズミ、ヤスオ、アキラ、アガツキ、ナクラ……」
セイルは次々と炎属区の人間の名前を口にしていく。
中には、セイルの覚えている限り、成人していないはずの顔もあった。
すべてに、自分の記憶の中の面影を重ね、セイルは一つ、ふうと息を吐いた。
「全員知っている顔だ……いない、属区の人間もいたが…」
「他の、他の属区……あたしらの属区の柱は、ない…?」
見知った顔でもあれば安心できるのか、シグレは縋りつくようにセイルへと問いかけた。
しかし、セイルは正直に首を振り、水鏡で、光の柱を一つ一つ見せていった。
「あ、ああ、ああぁ」
声になっていない。ただのうめき声。
髪をかきむしって、シグレは絶叫した。
セイルは、それを見苦しいとも、醜いとも思わず、側にいて、シグレが落ち着くまで待った。
(……士…!!)
建物の中であまりにも大きな声で叫ばれた何かに、セイルはわずかに肩を揺らして反応をし、シグレが落ち着いていることに気がついた。結構な時間が経った。
辺りはすでに暗幕をたらし、静寂によってその場を穏やかに見せた。いや、静寂が、逆に不穏だともセイルは思う。
「一雨、来るな」
ぽつりと言った。
それと同時か、一つの大粒の水が建物を濡らした。
あとは、もうなし崩しに、空から大量の、大粒の水が降ってきた。
光の柱は、ほとんどが光を失い、その巨影のみを見せている。
一つだけ。光を放ったままの柱があった。
それは青く、海を思わせる、水属区の柱だった。
「シグレ」
呼ぶ。
「シグレ!」
胸倉を掴む。
「見ろ! あの柱を、一度たりとも目を離すな!!」
再び出現させた水鏡は、雨のせいか、無駄に大きくなっていた。
その目の前に立たされたシグレは、ぼんやりとした意識で、青い柱の中を覗き見た。
わずかな変化だが、中にいる人物が透けていく。その際にこぼれ出てゆくのは、柱と同じ色の、砂とも見えるもの。
「ひっ!」
心が弱っているシグレは、すぐさま顔を離し、水鏡から目をそらした。慌てふためき逃げ出そうとするシグレの首根っこを掴んだ。セイルは、そんなことを許していないと、再びシグレを水鏡の前に立たせた。
「やめ、やめぇ!! あんた、あれを見てどうも思わんの?! 本当に忘れたの!?」
泣きながら、怒りながら、シグレは全然違うことを責めている。
何を? セイルは混乱した。
「忘れた? 何を……?」
シグレが、酷く怯えた顔を見せた。その直後に、彼女の周りが光りだした。
力が暴れ始めているのだろう。感情の制御が出来ていない。触れようとした手は、静電気よりも強い電撃を流され、反射的に引かれた。こうなると、セイルにはどうしようもない。
土属区の人間だったのならば、触れることは簡単だろうが、炎では電撃を防ぐことは出来ない。
「あんたは……っ!! 最低やっ! 人を殺しといて何言って…」
「だからっ!!」
セイルが声を被せた。
「何のことだ?!」
記憶が混濁している人間を相手に、詰問するかのような口調になっていることに、セイル自身は気付いていない。
“殺す”といった類の、人の死を願う言葉は、凶悪な力が宿る。幼い頃より言い聞かされるはずの言葉を言うなどと、天属区になったからといって、許されることではない。
胸倉を掴み、怒鳴る。
セイルの体へ電撃が伝っていくが、頭に上った血がその感覚を遠ざけていた。
「いや、いやぁ、いやあっ!!」
子供のように駄々をこね、首を振り、精一杯の拒絶。
シグレの拒絶に呼応するように、電撃は、セイルの肌を焼いた。
焦げた、人間の臭い。それが自分から漂っていることに、嫌な表情をする。
手を離せば、臭いと共に煙が立ち昇った。
雨が傷口へと入り込み、激痛に変える。
「う……はっ…あぐ!!」
焦げた右腕を押さえ込み、地面へ両膝を突くセイルを、シグレは見下ろす。
「返してよ! あたしの、返して!」
痛みに声も出ないセイルは答えられず、シグレはセイルの怪我をして、灰色の地面へとついていた手を踏みつけた。
未だ暴走は止まらない。
溜まり始めた水が、電気を通し、セイルの体を、シグレ自身すらも苛んだ。
「返して、返してよお!! あんたが奪っていったんだ!!」
何度も、容赦なく踏みつけられた手が、本人ですら目をそらしたくなるほどに傷ついていく。
癒えるのに、どのくらいの時間が掛かるのだろうか――セイルは、すでに痛みを感じなくなってしまった手を、どこか空ろな瞳で見つめ、急速に冷える頭が囁く。
――壊せ。
動かない右手が、微かに動いたように見えた。右腕が跳ね、炎を従えた腕が人体を貫通。血を吐いて倒れ伏し、水によって流血は止まらず、やがて動かなくなる。
やめろ――。
弱弱しく頭を振り、それは妄想なのだと言い聞かせる。
荒い息を吐き、電気を垂れ流す存在を止めるには、どうしたらいいのか。セイルは、痺れておかしな風に歪む口から、聞こえづらい声を出した。
三連成。セイルは、自らの体力を考慮し、基礎中の基礎の術を発動させた。
「泣け、啼き、鳴かれよ。雷撃の鳥」
ぢちっと何かの泣き声がシグレの目の前を通り過ぎた。
瞬間的に発生した光が通り過ぎると、シグレは前へ倒れた。
左腕でその全体重を支えるには骨が折れたが、セイルは彼女をどこにもぶつけさせることなく、横たえさせることに成功した。
×××
痛覚遮断の言を習っていればよかった。そうすれば、自らに警告ばかりをしてくる痛みをどうにかできたものの。
私は、苦悶の表情を浮かべ眠るシグレの頬へと左手で触れた。
成人前の、若々しい肌だった。
自分が眠りにつくよりも遅く、彼女は、彼女たちは眠りに着いたのだろうか。
腕が痛い。痛覚が私の頭を支配していく。
目を閉じ、ゆらりと寄せる眠りの波に身を任せてしまいたい。
しかしそれは叶わない。せめて止血と、この体力を奪う雨から逃げなければ、いくら私が宗主並みの力を所有していても、さすがに無理がある。
他人の目はない。その事実こそが私を安心させた。
「ちり、塵、散り……道を…」
灰色に水が染み、黒くなった場所へと手をつける。
自分の手を中心に広がった波紋は、ある一定の距離まで伸びると反射し、大きく波打った。
人が通れるほどの大きさに広がった場所は、その囲い自体が揺れ動く波なので、長くはもたない。
フレイではなく、雀螢で名前を呼び、シグレを運ばせる。
「加害者すらも助ける貴様の優しさとやらは理解できぬ」
人らしき感情を持ち合わせているものの、そういった繊細な感情というものを察知するには雀螢はまだ幼い。とにかく、雀螢の助力を得ることは出来た。
意識はもう途切れ途切れで、雀螢に意識が途切れた後のことを頼み、私は眠りの波が寄せるに任せた。
×××××
豪雨を避けるために立ち入った森で、クーウェイは途方にくれていた。
双子の片割れを助けたはいいが、霧の立ち込める森で、下手に動くことが出来なくなっていた。
「シンスウ、大丈夫か!」
「お兄ちゃんは?」
「俺は大丈夫だ!!」
にかりと笑う笑顔に、シンスウは緊張していた体を、緩やかに休めていく。
スーシンはまだ見付かっていない。
探そうとした矢先の雨に、シンスウは落ち着きなく、雨を防ぐための場所を探しながらも、妹の姿を探した。しかし、人間らしい姿を見ることも出来ずに、森の中へ入った。
「あの」
「ん? どうかしたか?!」
「どうして……助けてくれたの?」
「何を言うか!」
突然の大声に、雨音が数秒ほど遠のいた。
「属区は別であれ、助けねばならん!! そうではないか? 風の子供よ!!」
「はえっ、え、え?」
耳に響く声に、即座に対応できずに首をせわしなく動かすシンスウに、クーウェイは自分が大声を出しすぎたとは思わず、同じ音量で心配をした。
「で、でも、セイルお姉ちゃ……」
「あんな奴のことを気にかける必要はないっ!! 天の属区は悪しきもの! 倒さねばいけないものだ!!」
興奮と、怒りで上気した顔を見たシンスウは、何故か哀しくなり、何も言えなくなった。
「スーシン、大丈夫かな……泣いていないと…いいな…」
クーウェイから目をそらして、涙を堪えながら、妹の心配をすれば、早くも冷静になったクーウェイが慰めた。
幼くても、属区に住まう人間なのだから、きっとどうにかなる――。
慰め方を知らないような言葉でも、今のシンスウにとっては嬉しかった。誰かが一緒にてくれるだけでも、心に大きな余裕の差ができる。
「この霧が晴れたら探すぞ! あの水属区の女、危険だ――」
後に続いた言葉は、大声ではなく、普通の声として――しかし恐ろしいほどに真剣に――発せられた。頷くシンスウも、実は同じ事を考えていた。
平然と死へと繋がる言葉を吐き出すのは異状。自分よりも幼い子供に、死への導き手にさせようとすることはさらに異常。
キューノの、彼女の中で何かが崩壊している。
「スーシン……無事でいて!」
お願いだから、あの人に見付からないように――。
シンスウは風属区の加護の言を胸中で紡いだ。
変わり行くことは、時に駆け足に、時に鈍足に進む――。