喧嘩
竜と私が喧嘩した次の日。
私と竜はお互いに距離をとっていた。
主に怒っていたのは私だが、竜も長年の経験から距離をとっているのだろうと思う。
だからといって、本番が迫った今、全てを避けたりなんかしていられなかった。
「はい、五分休憩ね!」
暑い舞台は役者達の熱気もプラスされ、サウナにでもいるようだった。体育着が汗で引っ付き、気持ち悪い。
制汗スプレーを探すため、カバンを漁っていると、男子生徒が駆け込んできた。
「あのっ、早苗先輩。ちょっといいですか?」
「どうしたの?優壱くん」
私に声をかけてきたのは、二年部員……鳴宮優壱くんだった。
優壱くんは竜に勝るとも劣らない演技力の持ち主で、今回もヒーローを希望したのだが、経験の違いで惜しくも落選した。
でも、みんなをまとめる力も強く、役者をやるならヒーロー以外に入る気はないです、という本人の希望から彼は裏方にまわってもらったはずだった。
「どうしたの?何かあった?
裏方組は今日、背景制作だったはずだよね?」
「そうなんですけど……あの子がサボってばかりで……その……」
恐らく、優李ちゃん辺りが姫菓の名前を出すなとでも言っておいたのだろう。
ごにょごにょと誤魔化しているが、姫菓の所為だということがよく分かった。
「……現状、どの位ヤバい?」
怒りを飲み込んで訊ねると
「かなりです」
という、最悪の答えが返ってきた。
優壱くんが言うには、今の裏方人数・進行状況・人選からして、本番に間に合わないという。
「どうして、もっと早く言ってこなかったの?」
「すいません。あの子が居たはずの一年生グループが、何も言ってこなくて……」
今回、殆どの二、三年が役についてしまったため、一年生だけに背景制作を任せてしまっていたのだと言う。
「どうやら、怒られるのが怖かったらしいです」
優壱くんの言葉に、眉をひそめた。
確かに、『先輩』という存在に自分から話しかけろと言うのは、酷だったかもしれない。
でも、【フレンドリーといえば演劇部】【演劇部は仲良し部活】というキャッチコピーを先輩から継いだ身としては、悲しくも悔しくもあった。
「その子達を責めたりしてないよね?」
「オレだって、あいつらに罪がないことぐらい、分かってます。
責めるわけ、無いじゃないですか」
優壱くんが不本意だと眉を寄せた。
そして、表情を正すと躊躇なく頭を下げた。
「それに、もとをたどればオレの監督不行き届き。オレの責任です。
自分から名乗り出ておきながら、すみませんでした」
謝る様子を見ていて、年齢よりも随分と大人だと感じた。
それもそうか。優壱くんはある意味、竜よりもリーダーシップがあるし、責任感も人一倍高いし、ね。
「ごめん、君が人のせいにするわけがないものね。余計な心配だったわ」
「いえ。それで……早苗先輩、申し訳ないんですが」
「分かってる。優壱くんの所為でもないから、ね」
「……はい」
彼がしっかりと頷いたのを確認してから、私は休憩中の役者達に叫んだ。
「休憩終了ー!悪いけど、全員総出で裏方手伝い!今日中に仕上げること前提で動いて!
分かってると思うけど、背景制作は特別活動室だから!」
役者達は心得たもので、理由を訪ねることも無く、はい!と歯切れの良い返事をしてから、舞台から出て行った。
最後には、話し合っていた私と優壱くん、台本の読み合わせをしていた優李ちゃんと竜、竜にくっついていた姫菓が残った。
当然手伝いに行くだろうと姫菓を見ていると、突然、姫菓は竜の腕を取った。
「じゃあ、竜せんぱいは、私と台本読みしましょー!」
姫菓の特徴的なアニメ声が、舞台に響いた。
「あんた、何言ってるの……?全員総出でって言われたでしょう?」
優李ちゃんが呆れたように呟くと、姫菓は目を見開き、わざとらしく言った。
「えー?だって、竜せんぱいは主役じゃないですかー!」
「でも、あんたには関係ないことでしょう?
練習の相手役なら、それこそ優李ちゃんがやるわよ」
私も呆れた。どうやったらそういう思考になるのか、全く分からなかった。
「えー、他の一年生が無能だったから、終わらなかったんですよね?私には関係ないじゃないですかー」
あっけらかんと言い放った。自己中心的過ぎる言い分に、優壱くんがキレた。
「お前が仕事しなかったからこうなったんだろ!?」
「優壱」
「でもっ……!」
感情が高ぶり、怒鳴りつけた優壱くんを窘めたのは竜だった。
……竜は、姫菓の味方をするの?
「私、裏方だったらやらないって言いましたよね?」
冷ややかに言い放つ彼女に、私の怒りのリミッターが外れた。
「裏方があるから、役者が演技に集中できるの。裏方を、貶すな」
「………でもっ」
「こうなったのは、全部あんたの所為でしょ?人の所為にするなんて、最低」
「早苗」
竜の咎める声が聞こえたが、止まらなかった。こんな子が居るのに、みんな仲良く……なんて、できるはずがない!
「だって、そうでしょ?迷惑なの!」
「早苗!」
「邪魔なの!帰ってよ!」
「早苗!」
「お願いだから……演劇部から出て行ってよっ!!」
パシンと私の右頬から乾いた音がした。じんわりと痛かった。
「早苗、言い過ぎ」
竜だった。
「姫菓ちゃん、ここは小学校じゃない。中学の部活動だ。
君の所為でたくさんの人に迷惑が掛かったのは事実だ。
みんなに悪いと思うなら、今すぐ謝りに行きなさい」
竜は、姫菓に向き直ると、冷静に……けれど、誰よりも辛辣な言葉を浴びせた。
「……っ!」
姫菓は何も言わず、けれども、ひっぱたかれたような顔をして、走って出て行った。
視界の隅で、優李ちゃん達二人が追いかけていくのが見えた。
そして、竜が振り返ったのが見えたのを最後に、私の視界は白く染まった。
後頭部に竜の手のひらの感覚があり、ぐっと引き寄せられた。
汗のにおいと、制汗スプレーのにおいがした。
そこが竜の胸の中だと気が付くのに、そう掛からなかった。
「……早苗。叩いて、ごめん」
耳元をくすぐるように、竜の声がした。さっき叩かれたにも関わらず、耳が赤く染まってしまうのがわかった。
「痛かったよな、ごめん」
「……うん。痛かった」
謝られると困る。苛立ちを竜にぶつけられないじゃないか。
「うん、ごめん」
「………っ!」
涙が溢れて、竜の体育着に染み込んだ。
「もう……っ、いいからっ謝んないで……!」
だから、お願い。私が泣き止むまで、抱き締めていて。
今だけでいいから。
私は、竜にしがみつき、声を押し殺して泣いた。
竜は、私の頭を撫で続けてくれた。