いつまで
嶋田早苗。
肩ぐらいのショートボブ。
かわいいかと訊かれれば、普通かなと答えるような顔。
平均的な身長と体重。
全く無い運動神経。
姉御肌だと言われる性格。
これが私。
町野竜。
平均より少し低い背。
結構かっこいい顔。
それなりの運動神経。
優しいけど、どこか子供っぽい可愛さも持つ。
これが私の幼なじみ。
お母さん達の病院のベッドが隣。
私達が入れられていたケージも隣。
住んでる家も隣。
小学校で初めて座る席も隣だった。
私の初めては、大抵が竜のものだった。
勿論、恋も。
恋。
異性を好きになれば、それは恋だという。
恋は理屈では割り切れないのだから、仕方がないという。
でも、恋は……終わってしまうものだ。
どんな恋でも、終わりがきてしまう。
だから私は、恋をしない。
嶋田早苗、中学生。私が掴める幸せは、まだ少ない。
朝、友達の栞といつもどおり登校した私は、竜に泣きつかれていた。
「宿題やってねー! 早苗、見せて、お願い!」
竜は、いつもどおり宿題を忘れてきたようだ。
うん、予想通り。
「あのねー、あんた自分の年忘れたワケ?」
「そんなん分かってるよ! 中三、だろ?しょうがねーじゃん! 忘れてたんだから」
すっかり開き直っている竜。
どうせ、これ以上言っても無駄だと分かっているので、いっそ利用することにした。
「……いいけど、帰りに何かおごってよ?」
「分かったから、早く!」
まんまと約束を取り付けた私はほくそ笑んだ。
タダ働きは性に合わないしね。
「早苗ちゃんは竜ちゃんを使うのが上手だね」
前の席に座っていた栞が椅子を後ろに向けて、ニコニコとこちらを見てくる。
あ、因みに彼女は他に好きな人がいるから、三角関係は起こらない。
私の唯一無二の親友だ。
「全く。竜はいつまで経っても子供なんだから」
友達以上、幼なじみ以上、恋人未満。
これが私達の今の関係だ。
心地良くて、少し切ない。
「そういえば、今日は体育館の舞台使えるんだっけ」
私がそう言うと、二人揃ってビクッとした。
「……今日も強化練習?」
栞が恐る恐る聞いてきたので、極上スマイルを返してやった。
「勿論、舞台稽古もね」
「私、早退けしようかな……」
「監督……お手柔らかに」
二人してうなだれたのは、見ないでおこう。
そうそう、大事なことを言い忘れていた。
私達三人は演劇部。
私は演劇部部長だ。
放課後。
体育館の緞帳が降りた舞台。
緞帳の向こう側で絶賛練習試合中のバスケ部の声を遮るよう、部員達の声が響きわたっていた。私の好きな空間だ。
そんな中、少し媚びを売るような少女の声が耳に障った。
「竜せんぱぁい、スポーツドリンク飲みませんか?」
そう言いながら竜の腕に絡みついたのは、一年部員……白魚姫菓だ。
「いや、いいから。姫菓ちゃんも練習した方がいいと思うよ?」
自分は今、練習がしたいのだと暗に知らせる竜。
「そぉですね、早苗先輩に怒られたらヤですし」
竜が言いたかったのはそう言うことでは無いのだが……
脳内ピンクな彼女の頭では、隠された本心は分からないようだった。
一年生が、自由に過ごしたいのはわかる。でも、他人の邪魔はしないでほしい。
役にもついていないのに、裏方の仕事もせず、竜に構いっぱなし。
幾ら心の広い私でも、いい加減、姫菓には嫌気がさしていた。
「あの……早苗先輩?」
「あぁ、ごめんね、優李ちゃん。何だったっけ?」
私は慌てて、しっかり者の二年部員……佐藤優李ちゃんの顔を見直した。
「もう、ちゃんと聞いておいて下さいよ」
ため息をついてから姫菓と竜先輩が気になるのは分かりますけど……、と呟いた優李ちゃんは視線を彼らに移した。
察しのいい優李ちゃんは、私の気持ちに、とっくに気がついていた。
何というか、彼女は気配りもいい。
将来、部長に指名しようかと思っている。
あ、これ、部活動秘密情報ね。
「あの子、いつまでああしているつもりなんでしょう?」
優李ちゃんは、姫菓のことを呆れた顔で見ていた。
「さぁねぇ、飽きるまで、じゃない?
あの子の考えてることは、分からんわー」
「分かりたくもないですね。
それより……」
サラリと答えた優李ちゃんは、私に視線を移し直した。
「早苗先輩は、いつまでそうしているつもりですか?」
優李ちゃんが何を言いたいのかは分かっていた。
それでも、私が答えずに……否、答えられずにいると、優李ちゃんはもう一つため息をついて、話題を相談内容に戻した。
「さっきのシーン、もう一つのパターンと初めのと、どっちがいいと思いますか?」
「……、前の時の方がよかったと思うな。優李ちゃんらしさが出てる演技だから」
「分かりました。そうします」
今回のヒロインの座を勝ち取った優李ちゃんは、素直に頷いた。
「あの、早苗先輩。六ページ目のシーンなんですけど……」
優李ちゃんの言おうとしていることは予想できていた。
「……キスシーンの、ことだよね」
今回の台本には、ヒロインとヒーローのキスシーンがあるのだ。
そして、今回のヒーローは竜だ。
「ヒーローが竜先輩になるって、早苗先輩は薄々気がついていましたよね?
だって、三年生にとっては、最後の舞台ですもん。
どうして、キスシーンなんて入れたんですか?」
優李ちゃんの瞳は
「姫菓がヒロインになっていたら、どうするつもりだったんですか?」
と語っていた。
そう、うちの部活の脚本・監督・演出は全て私だ。
つまり、私は役者には入らない。
ヒロインを演じることは、絶対に無いのだ。
だから、キスシーンなんて、そもそも作らなければよかっただけの話だ。
でも……。
「ないとダメ……だったんだよね。」
そう、このシーンには、絶対に必要だ。
そう思ったら、無くす事なんてできなかったのだ。
「……まぁ、気持ちは分かりますけどね。
キス、フリでいいですか?いいですよね?」
「勿論。頑張ってね」
「はい!」
私は、優李ちゃんが練習中の役者陣の下へ戻るのを見届けてから
「いつまでそうしているつもりですか……、ねぇ。
いつまでこうしていればいいのかな……竜」
と呟いた。
いつもは気にならない蝉の音が、やたらと鬱陶しく感じられた。