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「わかちゃん、お昼どこに行く?」
待ちに待ったお昼休み。
宮之原学園は生徒数が多いことから、食堂が二つある。洋食専門食堂と和食専門食堂を選べる上に、購買やカフェもあるので、飽きることなく楽しめる。
千里は小柄な身体に不釣り合いな、痩せの大食いタイプでした。
寮生活初日、三人前はある特盛りカツカレーを一人でぺろりと平らげてしまったのを見た時は、人は見かけで判断しちゃいけないと心から思ったものだ。
「今日は和食が食べたいかなぁ」
「あ、なら桶入りうどん定食が食べたいな」
「…………そっか、美味しそうだね」
好き嫌いがないことは素晴らしいが、慣れるまでは見てると食欲が失せて大変だった! 基本的にお昼は私に選ばせてくれる千里は、昔から非常に食欲旺盛だったようで、半ば千里専用ともいえる大盛りメニューが両方の食堂にいくつもあるんだとか。内部生は既に見慣れてるようだけど、千里が有名なのってこれも原因なんじゃないだろうか……。
春日たちは身の安全を考えて、別の場所でいつも食べているらしい。
いつか一緒に食べられたら楽しそうなんだけどね。
宮之原学園は校舎が四つに分かれている。空から見て長方形になっていて、真ん中は中庭になっている所謂ドーナツ型。体育館や部室棟などは校舎から少し離れた位置にあって、私たちがいる南校舎――通称、南館。そして全学年のA組が集められた北館は、平行して置かれている。その両端を結びようにそれぞれ西館に洋食堂、東館に和食堂があり、地下はその四つの校舎と同じ範囲を部屋に区切っている。地下一階は全校舎、体育館、部室棟、寮へと続く道があるようで、その中心に購買とカフェが設置され、端のほうに資料室がある。
つくづく、規格外だ。
まぁ普段は地下と寮を繋ぐ道は閉ざされているようなので、ここから登校することは出来ない。
和食堂のある東館に向かうと、そこは既に人でいっぱいだった。
食券の発売機に並ぶ人の波についていきながら、天井近くに掲げられたメニュー表を見上げる。
「わかちゃんは何食べるのー?」
「んー、どうしようかな。どれも美味しそうなんだよね」
焼き魚だけでも、魚の種類が色々あるし。しょうが焼き、カツ丼、お刺身、蕎麦、天ぷら……。ぐぅぅと腹の虫が鳴るのを無視しながら写真を眺め、今日のお昼をようやく決める。
「鯖の味噌焼き定食?」
「うん、久しぶりに魚を食べたくなった」
食券を購入して席に座る。購入した時点でキッチンにメニューが届いているから、後はマイクで番号を呼ばれるのを待つだけ。お茶を入れて待ってる間に呼ばれたので、千里には席を取っておいてもらい、二人分の食券を手にカウンターに向かう。
自分の分を受け取ると、コック服を着たお兄さんが二人がかりで桶を持ち、私の後ろについてきた。千里のメニュー、『桶入りうどん定食』の定食部分は、更にその後ろにいるお姉さんが持っている。……慣れたものだな、本当に。
「わぁ! 美味しそう! ありがとうございます」
幸せそうな笑みを浮かべる千里の前に置かれる、桶。ただでさえ大きな桶に、山になるほど乗せられたうどん。お姉さんが持ってきた定食部分にはうどん用の薬味、漬物、大根と油揚げの煮物、味噌汁、たまご焼き、丼に盛られたご飯――――。
流石につっこませてくれっ!
定食部分だけでお腹いっぱいになるのは私だけなのかなぁ!?
「せ、千里……本当に食べきれる?」
「え? これくらい余裕だよ?」
誰かこの子の胃を調べて!
平然と割り箸を二つに裂き、まずは出汁そのままの味を楽しむように薬味を入れずに、うどんをすする千里。小さな口に含む量は可愛らしいほど少ないのに、気づけば全て食べきっているのだから、千里の身体はどうなっているのだろうか。
あまり見ているとまた食欲を無くしそうで、私は自分のご飯に集中することにした。
メインとなる鯖の味噌焼き、たまご焼き、漬物、ホウレン草のごま和え、茶碗蒸し、冷ややっこ、そして白米。一粒一粒ふっくらと炊きあがったお米の、甘く感じる匂いを胸いっぱいに感じながら、お茶碗を左手に持ち、まずはごま和えから手をつける。
ごまの風味と出汁醤油がホウレン草のえぐみを感じさせない。しっとりとしてるのにしゃきっと歯ごたえのいいホウレン草を噛みしめ、ご飯を頬張る。
美味しい。
次は漬物に箸を伸ばし、酸っぱさの混じる独特の味を楽しむ。冷ややっこは大豆の味が濃厚で、茶碗蒸しはぷりっと身が引き締まった大きなエビがごろっと入っていた。たまご焼きは少し甘くて、塩気の強い今日のメニューの中で舌を休ませてくれる。
「あー……幸せ」
「美味しいよねぇ」
ちらりと見えた千里の桶は既にうどんが見えなくなりつつある。……早すぎる。
見なかったことにして、メインの味噌焼きにようやく手をつける。
焦げ付きやすい味噌焼きなのに、綺麗な焼き目がついている。ふっくらとした身は箸で少し動かすだけで、ほろりと骨から剥がれおちる。一口分をつまみ、口に放り込んだ。
脂がのっていて噛みしめるたびに口の中に旨味が広がる。味噌と生姜がアクセントとなっていて、鯖の風味を損なうことなく融合している。
思わず身悶えるほど美味しいっ!
ついついご飯が進んでしまう。
夢中で食べ、ご飯粒一つ残すことなく完食して箸を置いた頃には、既に食べ終わっていた千里が新しいお茶を淹れてくれていた。
「あ、もう食べ終わってたんだ?」
「あれくらいなら軽いよー。もうちょっと何か食べたいから、後でカフェでも行かない?」
あれ、この子、本当に大丈夫か?
「私はちょっと休憩しないとこれ以上入らないかなぁ」
千里の食欲に冷や汗を流しながらお茶を飲む。
――キャァァァァァァアアアアアアアアアッ!
と同時に鼓膜が破れそうなほど甲高い(かんだかい)女生徒の嬌声が響き、ごほっと吹き出してしまった際に変な場所に水が入ってしまったようで、咳が止まらなくなった。
「わ、わかちゃんっ!?」
「ぇほっ、ぐ、げほ……っ」
止まらん! やばい、本気で止まらん!
なんとかコップをテーブルに置けた後は前のめりになって呼吸を整えようとするけど、息を吸うたびに咳がこみあげてくる始末。女生徒の嬌声はもう悲鳴といってもいいほどになっている。
「いやーっ! わかちゃん、死んだら嫌っ!」
テーブルを回って背を撫でてくれる千里の瞳が滲みだしたのを視界の隅に入れる。状況がまったく読めない。一体全体何が起こってるんだ。変質者でも出たのか? それとも虫でも出たのか? そんなことより今にも泣き出しそうな千里を宥めたいのに、私は私で生死の境を彷徨いそうな域に来ている。
このまま死ぬんだろうか、と弱気になった瞬間だった。
「千里? ……え、ちょっと君大丈夫か!?」
さわやかな低い声が耳に届く。
「ちーちゃん! わかちゃんが死んじゃうーっ」
「いやいやお友達を勝手に殺すな! どうしたんだ、病気か?」
生まれてこの方、病気一つしたことないような健康体です。
返事をする余裕がないから、脳の片隅で言葉を返す。千里が途切れ途切れに状況を説明してくれているのが救いだ。というか、千里が半泣きを通り越して、しゃくりあげてるように聞こえるのは気のせいだろうか。
「成程ね……」
ぼそりと小さく聞こえた声は頭のすぐ後ろで聞こえた気がした。千里とは違う大きな手が背に触れると、不思議と呼吸が落ち着く。急激な咳のしすぎで痛めた腹筋を抑えながら深呼吸を繰り返す。
「わかちゃん、もう大丈夫……?」
覗きこんできた顔は涙がこぼれていて、驚かせちゃったなぁと後悔。ちーちゃんと聞こえたから、後ろにいるのは千里の噂のお兄さんだろうと思い、振りかえりかけた身体が固まる。いや、誰かの腕に動きを制御されたのだ。
「まだすぐに動かない方が良い。ちょっと別の場所で休憩しようか」
耳元で囁かれる。
……どうして、足が浮いているんでしょうか。どうして、俯いてもいないのに、浮いた足を見ることが出来るんでしょうか。
「千里もおいで」
「うんっ」
――いやぁぁあぁあ!
――千郷さま、そんな子に触れないでくださいっ!
――羨ましいーっ!
遠くから女生徒の悲鳴が聞こえる。
私の荷物を持ってくれた千里が傍に来て、安心したように微笑んだ。そして私を素通りして少し高い場所を見上げる。
「ちーちゃん、良い時に来てくれてありがとうね。ご飯食べに来たの?」
「いいや、千里を探しに来ただけ。昼はもう食べたから平気だよ」
私の頭の上から低い声がする。
茫然としていた意識が少しだけすっきりして、恐る恐る顔を上げれば、そこには千里と同じ栗色の髪を短く刈りあげた垂れ目がちの男の人がいた。すぐ近くにある顔に、無意識に身体が逃げようとする。すると私を支える腕の力が強まり、彼との距離が縮まった。
「ごめん、落ちちゃうといけないから少し我慢してね」
「え……?」
きっと、気づかないように逃避していたんだろう。
私は、楠木千郷先輩に、お姫様だっこされて食堂を後にした。