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「あ、わかちゃん、ここにいたんだね」

「千里」

「……ごめん、お話中だった?」


 ドアから顔を覗かせた千里。目も目尻も赤いままだ。私と蒼井くんが並んでいるのを見て縮こまろうとする。ちらりと蒼井くんを見ると、彼は軽く首を振って、話が終わったことを示した。


「ううん、もう終わったよ。どうかしたの?」

「あのね、ちーちゃんが今日はもう早退しなさいって言うの。わかちゃんも大事を取って休んだ方がいいようなんだけど……」

「そうなの?」

「ゆうちゃんに(はら)ってもらったけど体力は削られてる筈だからって。一応、ゆうちゃんが生徒会から公休手続きはしてくれるみたいだよ」


 全然自覚症状はない。元気いっぱい過ぎて、今からマラソンだと言われても走る余裕があるくらいだ。私が空元気ではないことは分かっているんだろう、千里も首を傾げている。千里が早退するっていうのは、誰が見ても泣きましたという顔をして授業に出ると、また噂が出るからだっていうのは分かるんだけど。ここですんなりお言葉に甘えて休んだら、私の場合授業に付いていけなくなるかもしれない。


「うーん……」


 唸り声を上げていると、存在を忘れかけていた蒼井くんがため息を吐いた。


「今日くらいは休んでおけ。ノートなら貸してやる」

「いいの?」

「明日からは更に激しくなるだろうしな」

「へ?」


 私には意味が分からなかったけど、千里はその一言で何かを思い出したみたいだった。ぽんっと手を打ち鳴らして、ざっと顔から血の気を引かせる。頭を抱えたかと思えば、突然私の手を両手で包んだ。


「わかちゃん、今日はゆっくり休んで明日に備えよう!?」

「ど、どういうこと?」

「緊急事態だったとはいえ、ちーちゃんに抱っこされてるのは皆が見てるの。今まで直接手を出してこなかったのはどうせ問題が起きるって日和見(ひよりみ)してたからだよ。でも今のところ目に見えた問題は起きてない上に、ちーちゃんとわかちゃんが出会っちゃった。……その意味、分かる?」


 言い含めるような口調と、真剣な千里の眼差し。……それはつまり、念のことを知らない人たちが、熱を上げて嫌がらせを開始する可能性大ってことですか。両方警戒しなくちゃいけないってことですか。分かってはいたけど、本当に千郷先輩の人気って怖い!

 ――待てよ? 今日ここで千里を残して一人で教室に戻ったら、千郷先輩に抱っこされたって情報が温かい内に嫌がらせされるんじゃなかろうか? 準備万端で千里っていう味方がいる状況と、味方がいない準備不足で立ち向かうっていう状況とでは、大きな差がある。ここは素直に甘えておいた方が絶対に良い!


「蒼井くん、ノートよろしく! 詳細に書いてね! 先生の言葉全部載せるくらいにっ」

「無茶言うな」

「出来る限りお願い!」


 自分でまとめるならともかく、人がまとめたノートってなかなか頭に入ってこないんだもん! そうなったらノートを写す意味が無い。

 公式だけ見て理解出来る春日や蒼井くんと違って、親切丁寧に説明されないと理解出来ない頭脳なんです。暗記力だけはあって、一度覚えたらなかなか忘れないから成績も平均以上はあるんだけど、新しいこと覚えるのに時間かかるのだけはどうしようもないのだ。応用力も無いのでどのパターンが出てきてもいいように全てを覚えることでしか点数が取れない残念仕様。ここに入学するときだって数十年分の入試問題を全部覚えたくらいだ。それでも新しい問題に引っかかり、A組には入れなかったんだから、自分のことながら残念な頭……ほろり。

 拝む勢いで頭を下げていると、蒼井くんは若干引いた様子で頷いた。


「よし、なら帰ろうか」


 もう一度生徒会室に入室する。どうやら会長を抜いた全員でお茶にしていたようだ。……ここにいる人たちって春日と蒼井くん以外は全員生徒会役員で良いんだよね? 会長しか仕事してないんだけど、大丈夫なんだよね?


「宮守だっけ」

「はい」

「どうすんだ? 帰るなら手続きするが」

「お言葉に甘えて今日は休ませていただきます」


 一枚の書類をひらひらと振りながら、会長が問いかけてくる。私の言葉を聞くと彼は長方形の大きな判子(ハンコ)を押した。手招きされたから傍に寄る。右下のところに≪生徒会役員会長 葛城優一(かつらぎゆういち)≫と印があり、上部には私と千里の名前、そして公休届けの文字が書かれている。細筆で書かれた自分の字が見慣れなくて、思わずしげしげと眺めてしまった。綺麗な字だ。


「これって会長が書かれたんですか?」

「俺以外に誰がいる」

「……いませんね」


 だって誰も役員席に座らずにソファーに座ってるし。昼休みだから千郷先輩たちがサボってる訳じゃなさそうだけど、私が見ていない間にぱっと仕事してましたと言われても信じられない。


「字はそれで合っているか?」

「はい、大丈夫です。……会長の名前、初めて知りました」

「ああ?」


 低い声が語尾を上げてから、自分が無意識に口走っていたことに気付いた。し、しまった! 入学式で会長が挨拶してるって聞いてたのに!


「お前、いい度胸だな。面と向かってサボりを公言するとは」

「いやあのそれには訳があってですね」

「サボり常習犯なら公休にしなくても良かったな。この書類破り捨てるか……」


 いやあああああー! 一瞬の油断が命取りってこのことなの!? 蒼井くんたちも巻き込んで説明して、何とか許しを貰う。それでもまだ不貞腐(ふてくさ)れたように目を伏せた葛城会長。頬杖(ほおづえ)をついた彼は、公休届けで自分の顔を(あお)いだ。


「ったく、俺が面倒くさいのを我慢して有り難い言葉をかけてやってるってのに、その外部生が聞いてねぇってのはどういうことだよ」


 小さな愚痴が聞こえてくる。

 葛城会長にどう言葉をかけようか迷っていると、千里が小さな声で耳打ちしてきた。


「ゆうちゃんは挨拶のために毎年二時間前に登校してるの」

「二時間!?」

「ちーちゃんたちは準備で一時間前に登校するんだけど、ゆうちゃんだけは一年生の入学式だけじゃなくて、二・三年生用の始業式のリハーサルもあるから仕方ないんだ」


 入学式が九時スタートの、八時半集合。千郷先輩たちが七時半に準備を開始するとして、葛城会長はそれよりも更に早い六時半登校。

 元々リハーサルは必要なくて、初等部の五年で児童会長になった完璧主義者の葛城会長が始めたのがきっかけらしい。まだ子供だった会長が一人舞台に立って話をするのは不安だっただろうし、リハーサルをしたいと思うのは分かる。けど、会長はそれからずっと会長職にいるようで、今ではリハーサルも必要ないほど舞台度胸がついたっていうのに、いつしか先生方がリハーサルすることを当たり前にしてしまったんだとか。新しくこの学校に赴任(ふにん)してきた先生には、特殊な<学園規則(ルール)>に慣れるためにも、このリハーサルが結構好評なんだって。

 ……する必要を感じなくなったリハーサルのために二時間も早く起きなくちゃいけない上に、それをサボってる生徒が目の前にいるっていうのは、腹が立つだろうな。ごめんね、会長……。




 でもって、やっぱり会長が一番働いているんだね。なんか千郷先輩たちの印象が変わっちゃいそうだよ……。

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