12
蒼井くんはドアを出てすぐの場所にいた。
壁に寄りかかり、長い脚を組んで、窓の外を眺めている。風に揺れる木の葉の漣の音と共に、遠くの方で微かに人の気配からなるざわめきがする。雲間から洩れる光が短い黒髪に反射して、まどろむ様な昼下がりの温かさを感じさせた。
……なんだか、声がかけられない。まるで完成された一枚の絵のようで、そこに私が入り込むと途端に崩れてしまいそう。
出来るだけ音がしないようにドアを閉じて、並ぶように壁へと背を預ける。あ、意外と睫毛長い。眼鏡をかけているから分からなかった。こうして見ると、やっぱり雪菜さんに似てる。同じ顔を男女に振り分けたら蒼井くんたちのようになるのかな。
「……お前が、受け入れるとは思わなかった」
つらつらとそんなことを考えていたものだから、蒼井くんが話しだしたときも、あまり意識に入ってこなくて、途中からしか聞こえなかった。
「え?」
「楠木の問題は大きいからな。本人は術で忘れさせても周りはそいつが死にかけたことを知っている。だから、結局そいつは楠木から離れていく。数回繰り返した時には楠木から離れるようになって、今じゃあいつから話しかけようともしていない」
私と出会う前の、千里の話だ。一人で行動する小さな背が目に見えるようで、憤りを抑えるように手を握り締める。
「俺たちは昔から知ってるだけに話すことも多いけどな、あいつにとって俺たちは友達じゃない。せいぜいよく話すクラスメイトか昔馴染み程度だ。……けど千郷先輩の妹だからな、見てることも多かっただけに、楠木がお前を連れて来てまたかと思った」
「私が千里を傷つけるって?」
「……先に、お前が死にかけるだろ」
それって……。
「心配して、くれてた、の?」
眉を寄せた蒼井くんが顔を逸らす。でも、そうだよね。これって心配してくれてたんだよね!? 口元がだらしなく緩みだすのを手で隠すけど、顔全体の綻びまでは防げない。
「ありがとね、蒼井くん」
「……俺には念がうっすらとしか見えなかったからな。春日のようにはっきり見えてれば念なんてないって気付けたんだが」
「そういえば言ってたね。春日には聞かなかったの?」
「春日に言えば、あいつはお前を気にかける。楠木の問題に春日を巻き込むつもりはない」
「うーん……それは、無理じゃないかなぁ」
「は?」
さっきの話を思い出すと、千里を受け入れた時点で私は何かに巻き込まれるらしいし。それが春日たちの秘密に繋がっていて、もっと皆と近づけるなら、私も立ち向かっていきたい。
「春日に少しだけ聞いたよ。会長だけじゃなくて、皆にも力があるし、もちろん春日も力があるんだって。春日はそれを変なんだって言ってたけど、私を助けてくれたのは千里や千郷先輩、それから会長の力だし、春日が念を確認してくれてたからきっと千里はこんなことが起こるまで一緒にいてくれたんだと思う」
あの子は私に念が憑いていないことを知っていたから、安心していた。護れていると。もしそれが分からなかったら、どんなに護っているつもりでも、今までのことを考えて不安を覚えていただろう。やっぱりダメだと友達を、私を諦めて離れていくこともあったかもしれない。
それが分からない春日じゃない。蒼井くんが春日を遠ざけようとしていた以上、千里に協力していたのは春日の意思だ。
「だから、春日の方に巻き込まれる覚悟がある以上、遠ざけるのは難しいと思うな」
「…………ほんっと、お人よし」
う、わぁ……! 目を見張った。顔はまだ逸らされたままだけど、囁くような呟きにありったけの愛しさが込められているようで。声が届いてしまった耳がぞわぞわとする。艶めいた声ってこんなときに言うのかもしれない。
「なら、やっぱりお前が楠木を受け入れたことは、感謝しなくちゃいけないんだろうな」
「え?」
ごめん! 今まだ耳が震えててよく聞こえないや!
「楠木はもうお前から離れようとはしないだろ。何が何でも護ろうとするだろうし、あいつが望むなら千郷先輩も協力する。……春日も協力するつもりなら、俺も手伝ってやるよ」
「それって」
「護ってやるって言ってんだ。礼代わりに受け取っとけ! ただし春日が怪我でもしそうなら、そのときはお前から遠ざける。いいな」
問いかけでも無いよね、それ! 決定事項を述べてるだけだよね!
「むしろ聞かなくてもいいよ、そんなの! 春日だけじゃなくて蒼井くんも怪我しそうなら離れてよね」
「それでも護ってくれって言わねぇんだ?」
私をどんな人だと思ってんだ!? どうしてそこで不思議そうな顔されなくちゃいけないんですかねぇ!
「言わないよ! 私と千里の問題なんだし、私が傷つくのは良いよ。覚悟出来たし。でも傷ついてまで関係ない人に護ってほしいとは思わない」
「関係ない、か……そうだな」
蒼井くんが振り返る。傾げた頭を壁にこつんと預けると、私の目をじっと見つめる。なぜか、照れくささは感じなかった。ここで目を逸らせば、思っていることが全て嘘だと思われそうで、睨んでいるかのように目に力を込めて見つめ返す。
ふっと空気が抜ける音がした。
「変な奴」
「っ」
「護れって強制してきた奴はいっぱいいたが、護るなって言って来たのは、お前で二人目だ」
空気が抜けたのは、蒼井くんだった。無表情が柔らかく綻んでいる。春日に対しては何度か見たことがある微笑みだったけど、春日のいないところで、私に対して向けられたのは初めてだった。
――嬉しい。
蒼井くんの内側に入れたような気がする。いつも堅い壁でぐるりと囲われていた場所に、知らぬ間に扉が出来ていて、その扉の場所を教えてもらえたようで、心が躍った。
でも扉の前で立ち止まる。
扉には、鍵がかかっているかもしれない。仮に鍵が開いていたとしても、招きいれられていないのに踏み込んだら、途端に締め出されるだろう。
怖いなぁ、と思った。蒼井くんの外と内は明確に別たれていて、内に入れられた瞬間、今までと違いすぎていて錯覚しそうになる。けどその内側だって、何層にも別れていて、私はその一番外に入れてもらえただけだ。
ここで立ち位置を間違ったら、蒼井くんは春日と共に遠ざかる。
緩んだ瞳の中に未だ残る警戒の色が、私にそれを伝えていた。ううん、倭刀がそれに気付き、私に忠告してくれていた。
どこまでなら近づけるのか、踏み込んでも構わないのか。
「一人目は、春日?」
蒼井くんの警戒には触れないように問いかけると、何度か瞬いたあとに頷いた。――良かった、間違えなかったみたい。蒼井くんの地雷が多すぎて、なんだか心臓も煩くなってきた。
「正確には今の春日じゃないけどな」
「どういうこと?」
「ずっと昔のことだ。あいつに初めて出会って、護ると決めた時に言われた」
"護ることが出来るなら、どうかその力を皆のために"
「自分は護らなくてもいいってな。そんなこと言われたことなかったから、本心なのか確かめるためにひとまず傍にいることにした」
「春日らしいね」
誇らしげに笑った蒼井くんに、なぜだか私も嬉しくなった。




