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死にかけるのは怖い。
一度死んだことがあるだけに、もう一度死んでしまうのは嫌だと思う。だってようやく、探し続けていた姫の手がかりに出会えた。春日が姫ではなかったとしても、彼にもう二度と会えなくなってしまうのは、考えただけで恐ろしい。
でも千里と友達を止めたいなんて、思わない。
死を覚悟していた、倭刀の記憶が蘇る。夢を見ることを嫌だと思ったことはなかったけれど、春日に出会って、倭刀の影響が今まで以上に強くなってきて、少しずつ困惑することが増えていた。春日にときめくこれは倭刀なのか、若菜としての私なのかが分からなくて、春日に近づきたいけど近づきたくない矛盾した思いが胸のどこかに存在していた。
――初めて、倭刀の記憶に感謝する。
魔物や術の記憶が無かったら、この話を信じられたか自信はない。死を覚悟した記憶が無かったら、死にかけるかもしれない千里の隣を迷わず選べた自信もない。若菜としての私は、本当に弱いんだって思うよ。姫のためならいくらでも力を発揮できたし、どんな場所にだって恐れず突っ込んでいけた倭刀。たとえ彼が私の前世でも、真似なんか出来ない。
私に出来るのは、私のために離れていこうとする友達を引き留めるために縋ることだけだ。
礼を言われて戸惑っている千里に無意識に手が伸びた。
硬直している小さな身体を、力いっぱい抱きしめる。
「遠くに行こうとしないでよ、千里。私から千里って友達を取り上げないで」
「わか、ちゃん」
「死にかけるのは怖いね。今は死んじゃった人がいないだけで、いつか本当に死んじゃうかもしれない」
その第一号が私じゃないとは言い切れない。
「でも殺されてやるほど素直じゃないから、私だって必死に逃げるよ。千里が今まで護ろうとした人の分だけ考えられた対策でも何でも使って、千里の隣で笑ってられるように頑張る。……千里も、頑張ったね。怖かったよね。誰かを殺しちゃうかもしれないって、きっとずっと怖かったんだよね」
千里の瞳を覗きこむ。至近距離だから鏡のように私の姿が映って見える。そこに宿っていた絶望は、ただ友達を失うことへの恐怖だけではなかったんだろう。繰り返し、親しい人を失う。毎回命は助かっていても、今度もそうとは限らない。
ゆらゆらと揺れ動く期待と諦め。ぴくりとも動かずに抱きしめ返さない千里の姿が今までを物語っている。
「明るくて、沢山食べて、優しくて、臆病だけど頑張り屋さんな千里が今でも大好きだよ!」
千里の喉がひくついた。涙腺が決壊したかのように涙を溢れさせて、千里の腕が背中へと回される。
「黙ってて、ごめんなさい……っ」
「うん」
「怖かったのっ……最初から私が友達にさえならなければって、でも友達になりたくて! 全部話して自分でも身を護れるようになれればもっと安全で、分かってて、けど信じてもらえなかったらどうしようって……っ信じて、嫌われたらどうしようって……っ!」
「うん」
「このまま私が護っていたら教えなくてもいいんじゃないかって、安心するほど上手くいってて……っ、そのせいで、こんなことになって、もうダメだって思ったの……っ!!」
泣きじゃくる千里から、肌を突き刺すほどの恐怖が伝わってくる。
「もう、誤魔化したくなかった……っそれで、友達になれないって言われても、仕方ないって……ううん、それでわかちゃんが助かるならもういいやって! だって結局護れなかったからっ……!」
「そんなことない。護ってくれたよ、必死に」
「でも、でも私は……っ!!」
泣きすぎて真っ赤な目も、鼻も、頬も。可愛い顔を台無しにしているのに、全身で好きだと叫んでくる小さな子どものようで、可愛くて仕方が無い。次から次へと流れ出る涙を拭い、体温の上昇している背をぽんぽんと軽く叩く。悲壮感すら漂う表情で私を見上げている千里。私としては友達は止めない宣言をしたし、千里の気持ちも理解できたからもう気にしないでほしいんだが、千里はまるで罰を受けるのを待っているかのようだ。
……少し意地悪かもしれないが、仕方ない。
「ただね、千里、聞いても良い?」
「っうん」
空気を読まずに、告げた。
「友達だったら私じゃなくてもいいの?」
「え……?」
理解できなかったようで、千里がしぱしぱと何度か真っ赤な目を瞬いている。周囲からも空気がざわりと歪んだ気がした。暫し無言のまま答えを待っていると、今にも首が吹っ飛んでしまうんじゃないかと思うほどに、千里が勢いよく否定の意をこめて首を振った。
「そそそそそんなことないっ!」
「でも友達なら誰でもいいみたいなこと……」
「わかちゃんがいい! わかちゃんが友達じゃなきゃやだよっ!」
意地悪のつもりだったけど、少しだけ安心したから、自分でも気付かない内に気にしていたのかな。
「ならよかった」
「ふえ?」
「私も千里がいいよ。同じようにそう思ってるから友達なんだね」
「あ……」
「だからもう気にしないで。黙ってたのも、もう分かったから。それとね、これからは一人で護ろうとして頑張らないでね。私だって千里と友達でいるために頑張りたいよ」
「……うん、ありがとう、わかちゃん」
はにかんだ微笑みには、もう絶望の色なんてどこにも無かった。最後にもう一度お互いにぎゅっと抱きしめて離れる。
……今更ながら、周囲の目が気になり始めた。
そっと見渡すと会長は仕事に戻り、春日と雪菜さんは安堵したように胸を撫で下ろしている。八雲先輩は雪菜さんしか見ていないようだし、千郷先輩は微かに目尻を濡らしながら千里の頭を撫でた。蒼井くんは抱えた膝に顎を乗せながら、ずっと私たちを見ていたようだ。表情が見えないその顔は何を考えているのかが分からなくて少し不安になる。
「宮守」
「な、なに?」
「ちょっと来い」
「へ?」
小さな声で私を誘った蒼井くんが、皆に何も言わずに部屋から出ていく。千里と千郷先輩は雪菜さんと話しこんでいて、私たちに気付いているのは春日だけのようだった。
「行っておいで」
「でも……」
無表情が怖すぎて、ついていくのが躊躇われるんですが!
「大丈夫。瑞樹はずっと楠木さんを心配していたから、感謝したいんだと思う。もちろん僕も若菜が受け入れてくれて嬉しいけど、瑞樹は素直じゃないから人前は恥ずかしいんじゃないかな」
「蒼井くんが?」
「うん。……若菜はもう、気づいてるよね。僕たちは皆、変なんだって」
「変なんて!」
「ごめん、少し間違えたけど……でも僕たちが普通とは違うってことは分かるでしょう?」
頷きたくはない。でも春日は平然としているように見えたから、話を促すためにも頷くしかなかった。
「……念が見えたり、会長の術のことだよね」
「そう。会長だけじゃなくて、僕たちは全員が似たような力を持っているんだ。楠木さんを受け入れたなら若菜は巻き込まれてしまうかもしれない」
「どういうこと?」
「今はまだ話せない。僕だけじゃなくて、皆の都合もあるから……。でも機会があって、若菜が知りたいと思ってくれるなら、ちゃんと話すよ」
そう言って、春日は私の背を押した。




