9
とっさに両腕で顔を庇う。倭刀の記憶や若菜としての思い出が脳裏を過ぎった。
これが走馬灯というやつなのかな。
あの炎は一体なんだったのか。ここで本当に燃えて死んでしまうのか。どうして千郷先輩は私をここへ連れてきたのか。刹那の内に駆け巡った疑問は消え、残ったのは死にたくないという声だけだった。
走り去ろうとして足を下げた、そのとき。
「わかちゃん、大丈夫だから信じて!」
千里の声に、身体が震える。全身に電気が走ったかのように、震えと共に鳥肌が立つ。
大丈夫ってどうして、だって炎が私に向かってきてたのに!
「わかちゃん!」
「若菜、大丈夫だよ。それは君を傷つけるものじゃないから」
千里と、春日の声。宥めるような落ちついた声音に、ざわついていた胸の内が静かになる。ふと、力が抜けた。
どうしていつまで経っても熱くないんだろうか……?
恐る恐る、腕を下げる。広がった視界の中で、未だ私を包み込む炎があった。心臓が凍りつきそうなのを感じたけれど、肌の上を火が舐めていっても熱くはないし、火傷を負う様子は伺えない。頭の先から足のつま先まで、炎がゆっくりと撫でていく。現実とは思えない光景だ。でも倭刀の記憶だって、不可思議なことは多かった。昔に存在した魔物や魔法が、現代に存在しないとは限らない。ただ若菜としての私が、今まで不可思議な現象に出会っていなかっただけだとしたら……。
戸惑いはあった。
けれど私を害するわけじゃない炎と、ここへ連れてきた千里たち。そして会長と一緒にいた春日たちを信じて、逃げることを止めてその場に立ち尽くす。胸いっぱい、深く息を吸い込んだ。
「……この炎は、何なんですか?」
私の言葉に、会長が唇の端を吊りあげた。
「へぇ、耐性があるだけじゃなく逃げもしないか」
「耐性?」
「見られちゃ困るからな。術使うときは眠らせてやんだよ。呪文聞いたろ? 普通は眠ってる間に呪文のことも忘れてる筈なんだがな、眠らなかったってことは術に対して耐性があるってこった」
「…………教えてくれるんですか」
聞いたはいいものの、てっきり誤魔化されるとばかり思っていたから、簡単に教えてくれた会長に拍子抜けする。眠らせるっていうのは、さっきの声を聞いている内に夢うつつになっていったあのことだろう。倭刀がいなかったら知らずに眠っていただろうから、耐性があるのは私ではなく、倭刀ということになる。
全身を包んでいた炎が掻き消える。同時に、会長の腕が下ろされた。
「ここに千郷が連れてきたってことは何かあったんだろ。妹探しに行くっつってたしな」
「……食堂でお昼を食べていたの。ちーちゃんが来た時に皆の悲鳴でわかちゃんが咳き込んじゃって……」
「成程な。それで死にかけたってことか」
「え?」
死にかけた……?
思わず耳を疑った。近づいてくる足音がして、いきなり腕を引っ張られる。倒れこまないように体勢を整えると、そこにいたのは蒼井くんだった。
「説明すんなら、長くなるから座れ」
今にも舌うちしそうな、嫌そうな表情。その言葉も、腕を引っ張る強さも乱暴なのに、ソファーへと歩き出す速さはゆっくりしている。身体と神経が繋がっていないかのように、足がなかなか前へと進まなかったから、その速度は今の私には丁度良かった。
「八雲、雪菜起こして」
「……嫌だって言ったら?」
「次の週末、買い物に付いてくるよう頼まれてたの、断らずに引き受けていいのか?」
ソファーを占領していた二人の生徒に、蒼井くんが声をかける。男子生徒の左肩の赤いラインが二本なところを見ると、どう見ても年上だ。昔から一緒に居るからこんな態度でも許されるんだろうか。蒼井くんの喋り方が上から過ぎて、聞いてるこっちが不安になってくるんだけども!
八雲と呼ばれた二年生が、部屋中に響きそうなほど高らかに舌を打ち鳴らす。さらさらと流れる茶髪は地毛を強調するかのように艶やかで、すっとした切れ長の瞳は一見きつそうに見えるところをくっきりとした二重が抑えている。端正な顔立ちは、今は見る影もないほどに歪められていた。
「貴様が雪菜の兄じゃなきゃとっとと排除してるものを……」
ぼそりと呟かれた言葉が、風に乗って鼓膜を震わす。……怖い! 蒼井くん、この人絶対怖い人だよ! 排除とか言っちゃってるよ! っていうか、もうこの人を退かしてまでソファーに座りたくないんですけどっ!?
八雲先輩が膝上で眠る雪菜さんの顔を覗き込む。腰の辺りまで伸ばされた真っ直ぐな黒髪と、雪のように白い肌。寝息さえ聞こえないほど静かに眠っている姿は、胸が定期的に上下して呼吸していることを知らせていないと、まるで生きてはいない人のようだ。
「雪菜。雪菜、起きて……早く起きてくれないと、君の可愛い唇を奪ってしまいたくなるよ」
「おい……兄の前でそういうことするのは止めろ」
八雲先輩が、雪菜さんの黒髪を一房手に取って口づける。恍惚とした表情で囁く姿は、容姿端麗だからこそ何かの物語のようで許せるものの、寝ている間にしてほしいことではない。恋人なら許せるんだろうか?
「ん……ん?」
「おはよう、雪菜」
「ひ…………っ!」
皆が見守る中、目を覚ました雪菜さん。当然最初に目に入るのは覗きこんでいる八雲先輩で、ぼうっと寝ぼけている彼女に声をかけたところ、彼女は声にならない悲鳴を上げていた。……なんで悲鳴? 心に引っかかるものを感じていると、雪菜さんは八雲先輩の膝の上から飛び上がるようにソファーを降りる。八雲先輩に視線を釘付けにしたまま後ろ足で遠ざかる様子を見ていると、どうも恋人という甘い雰囲気があるようには到底思えない。むしろ天敵に出会ってしまい、毛を逆立てている猫のようだ。
「……ねぇ、彼女、妹さんなのよね?」
「ああ、双子のな」
「八雲先輩と恋人じゃないの?」
「見ての通り、八雲の片思いだ」
近くに居る蒼井くんに声を潜めて問いかけると、彼も空気を読んで小さく返してくれた。――あんな態度を取っておきながら片思い!?
「み、瑞樹っ」
ようやく八雲先輩以外の存在に気付いたのか、雪菜さんが蒼井くんに近づいてくる。私の腕を持っている反対側の手だけが居場所だとでもいうかのように、蒼井くんの腕に抱きついた雪菜さんは、並べてみると確かに蒼井くんとよく似た美少女だった。身長は私と同じくらいだけど、華奢な肩や腰付きと裏腹のふっくらと豊かな胸が、蒼井くんの腕を挟んでいる。
「…………貴様」
「兄妹だから無視しろ」
地面を這うような、罅割れた低い声。慣れたように肩を竦めた蒼井くんが、雪菜さんを自分の座っていた一人がけのソファーへ座らせる。自分は八雲先輩の隣に座ると、八雲先輩とは反対側に私を手招いた。私たちが座ると、立っていた千里と千郷先輩もソファーの空いた場所に座る。会長はそのままの場所で仕事を再開しながらも、ちゃんと会話を聞いているようだった。
「楠木も、説明するんだろ。つーか耐性持ちってことは説明しないわけにもいかねぇしな」
「……蒼井くんは今までの全部、意味わかってるの?」
「ああ」
春日にも視線を向けると、困ったような微笑が返ってきたから、彼もきっと分かっているのだろう。
――分かっていないのは、私だけか。
評価、お気に入り登録ありがとうございます!
ようやく問題児さんが登場しました(笑)
今回で半分は説明出来るかなーと思っていましたが、八雲さんが絶好調すぎて次回に回ることになりました。




