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記憶を失った男


 記憶を失った若い男が村の海岸で発見されたのは、二年前だった。

 この特徴のない男に、ひとびとは一時期特別な関心を抱いたが、そのうちただの村人として徐々に受け入れていった。

 恋人もできた。

「古いことなどどうでもいいの。いまのあなたを愛してるの」

「でも、ぼくの過去が、いつか君とぼくを引き裂くことになるかもしれない。それが怖い」

 思い出せない以前の人生が、彼に重くのしかかっていた。

「いいの、どんなにひどい人だったとしても。わたしには、目の前のあなたしかいない」

 うるむひとみに、彼のこころは動かされた。


 結婚式は、村の教会で行われた。

 式は順調に進んだ。そして指輪の交換にさしかかったとき、入り口の扉が荒々しく開いた。

 侵入してきたのは、年がいもなく花嫁によこしまな思いを抱いていた村の中年男だった。

「この結婚は無効だ!」

 彼は大声で叫んだ。

「そいつは、男じゃない。性転換した女だ」

 続いて出たこの言葉に教会内は凍りついた。

「この国では、まだ同性婚が認められていないだろ」

 皮肉たっぷりな言い方で彼は付け加た。

 過去のない彼は、というより彼女と呼ぶべきかもしれない、遠くの町の女で、何年か前に手術を受け男性になったのだという。

 そして、ある日、ボートで海に出たまま行方不明になった。

 たぶん遭難し、記憶を失ったのだろう。

 これを聞いた花嫁は意識を失い、バージンロードに倒れ込んだ。

 花婿、いや女も初めて自分の過去を知り、ぼうぜんと立ちつくした。

「おい、ヤブ医者、おまえがそれを知らなかったはずはあるまい」

 村に現れて以来、若い男の主治医を務めてきた老医師に向かって彼はののしった。

 親代わりとしてかたわらに付き添っていた医師はしばらく考えていたが、おもむろに口を開いた。

「性転換のことはわかっていた」

 中年男は、してやったりとばかり、いやらしい薄笑いを口もとに浮かべた。

「では、なぜ黙っていたんだ」

 医師は答えた。

「言う必要がなかったからだ」

「なんだと」

 男の目が怒りで燃えた。

 だが、続いて明らかになった事実に、彼も言葉を失った。

「確かに、彼が女から男になったのに間違いはない。だが、その前にもすでに一度、彼は手術ををうけている。つまり男から女にだ。もともと彼は男だったのだ」

 思い直して再手術したのかもしれない。記憶喪失が、そのことに何かかかわっているのかもしれない。しかし、それは問題ではなかった。

 式場に張りつめていた緊張感が一気に吹き飛んだ。

 祝福の拍手がわき起こり、ウェディングベルは、再び高らかに鳴り響いた。

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