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迷鏡堂の閑人さん  作者: 大山
第一話 ご主人サマと下僕
6/22

依頼人・百歳早苗

 情報として必要だから近況を話せという閑人に頷いた百歳。

 どこから話そうか迷う素振りで視線を彷徨わせた彼女は、意を決すると静かに語り始めた。

「始まりは、たぶん、私が失恋した時からだと思います――」



**********



「え、失恋!? 百歳先輩が!?」

(それってやっぱり女の人!? それとも男の人!?)

 場所を一階に移し、気分一新、来客用の茶を淹れてきた悠凪は、丁度耳にした百歳の告白へ、不躾ながらもそんな反応をしてしまった。

 百歳の百合疑惑に振り回された結果と言える。

 しかして百歳は言わずもがな、閑人にまで驚いた目を向けられれば慌てて口を閉ざし、土間が臨める居間のちゃぶ台へ、茶を注いだ湯飲みを静かに置いていく。

 そうして何事もなかったかのように閑人の後ろに控えては、私は関係ないですと言わんばかりの姿勢で、膝小僧に視線を落とした。


(なんとか一番不味い部分は飲み込めたけど……それにしたって、何であんな声上げたのよ、私。うああ、失恋相手の性別がどっちでも、すっごく居心地悪いんですけど)

 迂闊過ぎる口に悠凪の気持ちがどんどん下がっていけば、これを見越したていで百歳から苦笑が為された。

「気にしないで、悠凪さん。私が失恋したって言うと、皆大体同じ反応だったから」

「み、皆って」

「友達とか……大杉先生とか?」

「大杉先生って、確か――」

「そう。”あの”大杉先生よ」

「あ。す、すみません」

 百歳の言葉で「大杉先生」を浮かべかけた悠凪は、くすくす笑う佳人のニュアンスに、今度こそ謝罪を伸べて頭を下げた。


 「大杉先生」とは、新任の若い男の教師であり、ある噂で一時騒がれた人物でもあった。

 その噂とは、目の前の佳人とこの教師は出来ている、という何とも下衆な代物。

 早い段階での当人たちの否定により、そこまで根付く事のなかった噂だが、一瞬でも浮かんでしまった悠凪はそこからある事に気づいて、ぱっと顔を上げた。

「あ、もしかしてあの噂の出所ってつまり」

「そう。そうなの。大杉先生には悪い事してしまったわ。私がいつまでも失恋を引き摺って落ち込んでいたせいで。ただ心配して下さっただけなのに、変な噂を立てられてしまって。人気のある先生って大変よね」

(いや、確かに大杉先生は人気ありますけど……)


 今度こそ悠凪の脳裏にはっきりと浮かぶ、「大杉先生」の姿。

 サラサラした黒髪に吊り気味の薄茶の瞳、細い楕円の眼鏡の下には酷薄そうな唇。

 整った顔立ちに均整の取れた長身も合わされば、冷淡な印象を与えるところだが、「大杉先生」の人気の秘密はそこにはない。

 そういう容姿にも関わらず、陽だまりのように穏やかな人当たりが生徒、いや、教員・保護者含めた女たちの母性本能を擽るという。

 ちなみに悠凪はこの女たちの中に含まれない少数派であるため、客観的に冷静に、その人気度合いを計る事が出来た。

(女性限定の人気だもんね、あの先生。同性だと態度が豹変するって訳じゃないけど、頼りない感じが男子には不人気だし。その点、百歳先輩は老若男女問わずだもん。本人自覚ないみたいだけど)


 他人事のように「大杉先生」の人気を語る百歳へ、「どちらかというとあの噂は、相手が百歳先輩ってところが大きいような」と言いたくなる口をぐっと堪えた悠凪は、ちらりと閑人の後頭部を見やった。

 いつもならばここで「さっさと本題に入れ」ぐらい言うのだが、今回に限ってはやけに大人しい。

 ちゃぶ台に頬杖をついたまま、百歳の方だけを見続けている。

(もしかして閑人さん……百歳先輩に見惚れている?)

 百歳の老若男女問わない人気を思えば、会ったばかりでも可笑しな話ではないが、何やら腑に落ちない気分に悠凪の眉が軽く寄った。

 もやもやする晴れない胸の前で無意識に軽く拳を握った悠凪は、気を取り直すと百歳へ頭を下げた。


「えっと、すみません。話の腰を折っちゃって」

「ううん。少し緊張が解れたわ。ありがとう、悠凪さん」

「そんな……」

 にっこり微笑まれたなら、もやもやするばかりだった胸が大きく跳ねた。

 自然と熱くなる頬に恥ずかしくなり、悠凪の視線が徐々に下がっていけば、「でも」と百歳の声が続く。

 やはり何か不備が? と悠凪が急いで顔を上げたなら、迎えた佳人の顔は困ったように笑っていた。

「このまま話しても良いのかしら? その……先程から眠っていらっしゃるようなのだけれど」

「……へ?」

 指摘を受けて膝立ちのまま閑人に近づいた悠凪は、横から彼の顔を覗き込んで絶句する。

 百歳に見惚れていると疑ったばかりの閑人は、まるで考え事でもしている様に目を閉じながら、不安定な頬杖姿勢で船も漕がずに確かに眠っていた。


「……すみません、百歳先輩。今、起こしますから」

 ぐっと拳を握り締めた悠凪が、剣呑な目つきで閑人を睨む。

 ここまで百歳を連れて来た手前、この男には何が何でも全部聞かせなければならない――そんな使命感に燃える悠凪をどう思ったのか、百歳は居住まいを正すと笑って首を振った。

「ううん、いいの。……というか、ここまで連れて来て貰ったのに図々しいのだけれど、悠凪さんでは駄目なのかしら?」

「え、私?」

「そう。その、こういう話でしょ? 男の人より、悠凪さんの方が話しやすいかなって」

「ええまあ、閑人さんと顔を合わせて貰ったなら、詳細は後で伝えられるんで、私が聞いても問題ありませんけど……いいんですか? 私なんかで」

「ええ。悠凪さんが、いいの」

「そ、そうですか」

 同性だというのに甘く微笑まれ、思わず目を逸らしてしまった。

 年上であり、自分より強いにも関わらず、守ってあげたいと衝動的に百歳へ感じた自分が痒い。

 またしても赤くなっていく頬の熱に戸惑いながら頷いた悠凪は、眠る閑人を冷ややかに一瞥して後、彼より前に出て百歳の話へ意識を集中させた。




**********



 概要は聞いていたものの、改めて聞く百歳の話は、一様に怪談めいた代物だった。


 朝起きれば「お早う」、家から出るときには「行ってらっしゃい」、帰って来たなら「お帰りなさい」、夜眠るときには「お休み」――耳元でひっそり囁く、男の声。

 しかし辺りを見渡してみても誰もおらず、百歳は当初、これを幻聴として片付けた。

 精神的な疲労からくるものだと思っていたのだ。

 彼女はその数日前に、失恋したばかりだったから。

 ずっと想い続けて、決心して、告白して――そして破れた恋。

 泣いて泣いて泣いて、泣き続けて、それを偶然見てしまった教師が心配し、その様子を見た誰かが百歳と教師とのあらぬ噂を立てる程に、追いやられた失恋。

 だからこそ、一区切りついたと思えた矢先のソレは、百歳の心を柔らかく切り刻んでいった。

 幻聴のその声は、百歳が失恋した相手と同じ声をしていたゆえに。


 だが、これを嫌うように別のアプローチが為されていく。


 ある日の着信音に、携帯電話のディスプレイを見やれば友人の名前。

 気安く出た百歳だが、聞こえてきたのは友人の声ではなく、雑音混じりの小さな声だった。

 最初は友人がふざけているのかと思い、文句を言おうとしたものの、雑音に慣れてきた耳に内容が届けば、それは延々と百歳のその日一日の行動を語っていた。

 勿論、確かめても友人は連絡を入れておらず、消えていた着信履歴に故障を疑っても機種に問題はない。

 気味の悪さにしばらく携帯の電源を落とすことを考えた百歳は、その旨を伝えるメールを打とうとしたのだが、未送信のメールが一通ある事に気づいた。

 何の手違いかと内容を確認した百歳は、次の瞬間、心臓を掴まれる思いを味わったという。

 出てきたのは添付された一枚の写真。

 それも、百歳の携帯のデータにはない、明らかに盗撮と判る代物だった。

 ファミレスの観葉植物を遮蔽物に、誰かへ向けて微笑む百歳を写した画像。

 薄ら寒いそれに怯え、百歳は我を忘れて携帯電話を窓から投げ捨てた。


 だが程なく、携帯電話は戻ってくる。


 どこであろう、彼女の部屋の机の上に、何者かの侵入の痕跡も残さず。

 送信メールの一覧に”捨てるな”という題名のメールを多量に残した状態で。

 これがもし、受信メールの一覧にあったのなら、百歳も親や友人に相談出来ただろう。

 警察に調べて貰うことも出来たかもしれない。

 しかし、これらの被害はどれだけ真摯に訴えようとも、彼女に虚言癖の疑いを掛けるだけで、第三者には上手く伝わらないモノばかり。

 当の百歳にしても、怪奇現象を疑うより、自分の頭を疑う方が良いと思う程だった。


 だが、後にストーカーと位置付けた相手は、そんな百歳の、理解という名の逃げを許さない。

 友人の声音を使って電話をし、わざわざ百歳の母を経由して。

 自分の頭を疑う百歳を見透かした口ぶりで「君は正常だ」と――。


 次の日、友人と母を引き合わせた百歳は、電話を巡っての成り立たない二人の会話を聞いて、ようやく一連の現象が自分の問題ではない事に気づいたのである。

 そして方法は兎も角、行動はストーカー以外の何者でもない、とも。

 かといって、誰にも相談出来ない事態には変わりなく、百歳は悠凪に繋がる噂を聞くまで、一人で悩み続ける事になる。

 普段と違う彼女に心配する声があっても「考え事をしていただけ」と、笑って誤魔化しながら。







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