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迷鏡堂の閑人さん  作者: 大山
第一話 ご主人サマと下僕
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迷鏡堂の主人

 悠凪の通学路の延長線上――正確には上谷家のすぐ隣に位置する店・迷鏡堂(めいきょうどう)

 長年、雨風に晒された手狭な一軒家は全体的にくすんだ色をしており、通りに面したガラス張りの出入り口を覗いても、テナント募集中と勘違いしてしまいそうなガランとした店内が見えるだけ。

 住宅の隙間を縫って夕陽が差し込んだところで、ひと気のない薄暗さに変わりはなく、夜になったとしても中から灯りを認める事はできない。

 時たま客が入る事を除けば、十中八九、廃屋だろうこの店を店たらしめているのは、引き戸に掛けられた「open」という、外観に似つかわしくない洒落た書体の営業サインのみ。

 夜になれば当たり前のように「close」と示される、しかし何をしているのか全く判らない迷鏡堂には、冷やかし目的の者も尻込みする雰囲気があった。

 かといって、古くからこの場所に佇む店、恐れるご近所さんは転居者のごく僅か。

 前々から住んでいる者にとっては、事件性もない以上、単なる他人の持ち物でしかない。


 そんな迷鏡堂の扉を開く機会があったなら、まず驚くのはその光量だろう。

 

 扉を開けた瞬間に放たれる白は来客の眼を焼き、束の間の闇を強要してくる。

 徐々に眼が慣れていけば眼前に広がる、簡素な土間と踏み板、引き戸のない壁に仕切られた畳の居間、左上に伸びる木造の階段といった些か古めかしい内装。

 悪く言えば時代遅れ、良く言えば味わいのある店内は、意外にもしっかりした造りをしており、これに惹かれて眩んだ足が一歩踏み出したなら、アスファルトに慣らされていた靴底を乾いた砂利の感触が迎える。

 ここで更にバランスを崩した客が、ちらりと後方を掠めたなら、たたらを踏んで眼を丸くするはずだ。

 何せ、ガラス張りだったはずの出入り口は、周りの砂色同様、土壁の質感を過ぎらせるただの壁に様変わりしているのだから。

 しかも閉めた覚えのない透明な引き戸の窓の先は異質な闇に遮られており、鏡のように室内の光を反射させるだけで、決して外の景色を映さない。


 その瞬間、客が受ける感覚は、別世界に紛れ込んでしまった、という後悔だろうか。


 事実、この店を出る時は、入店時とは逆に視界が黒く塗りつぶされ、徐々に取り戻される日常の光をはっきり認識したなら、あたかも白昼夢を見ていたかのような錯覚を引き起こす。

 人によっては、迷鏡堂の中での事全てが、夢として処理されてしまうかもしれない。

 とはいえ、この店を訪れる客にはそもそも、ここを異常だと判じられる精神的余裕が全くなかった。

 常識の範疇にない店でも、常識内で落ち着いてしまうくらい、追い詰められているのが常なのだ。



 それは、不可思議な現象を悠凪に相談してきた百歳にしても、例外ではなく――。




**********



 迷鏡堂の入店時の眩しさを、慣れた調子でやり過ごした悠凪は、無駄に広い土間をズンズン進んでいく。

「あ、あの、悠凪さん?」

 遠慮のない足取りに百歳が困惑したように声を掛ければ、肩越しに一瞥して心の中だけで小さく唸った。

(百歳先輩、やっぱりそう(・・)みたいね。普通だったらしばらく目も開けられないし、身動きだって怖くて出来ないのに)

 百歳の話を聞き、ここまで案内したものの、彼女の被った不可思議な出来事が、本当に悠凪のよく知る(・・・・)現象かはまだ判らなかった。

「おーい、閑人(かんじん)さん!」

 それでもこの店に入ってからの反応は、その現象に悩まされていた過去の依頼人と酷似しているため、悠凪は踏み板前で立ち止まると、百歳へは何も言わずに迷鏡堂の主を呼んだ。

 一刻も早く、百歳の悩みを解消出来たらと思いながら。


 しかし、待てど暮らせど返事はやって来ない。

 聞こえなかったのかと、もう一度、今度は声を張り上げて呼ぶ。

「おーい、閑人さぁん!」

 だがやはり、返事はおろか物音さえ聞こえては来なかった。

 おかしいと悠凪が眉根を寄せて首を捻りかければ、百歳が小さく袖を引いてきた。

「ねえ、悠凪さん? もしかして、いらっしゃらないのでは? どこかへお出かけしているとか」

「へ? ああいえ、いないって事は在り得ないんですけど」

「? 在り得ない?」

「あ……いや、その、出不精なんですよ、ここの人」


(本当はちょっと違いますが……なんて言えないし)

 心の中で一言加えつつ、表面上は「しょうがないですよねー」という困り顔の笑みを貼り付けておく。

 結わえた頭を押さえたなら、なるほどと頷いた百歳にチクリと胸が痛んだ。

 だからと本当の事は言えない悠凪、それもこれも早く返事をしない迷鏡堂の主人が悪いのだと結論付けては、両頬に手を添えて再び名を呼んだ。

「閑人さん! お客さんですよ!!」


 しかし結果に変わりはなく。

 痺れを切らした悠凪は戸惑う百歳へ「待っていて下さい」と言い残し、勝手知ったる他人の家へ上がっていった。

 階段を昇れば、左に二つ、奥に一つの扉を構えた短い廊下が視界に入ってくる。

 その内、奥の扉へ迷わず突き進んだ悠凪は、無視されようが親しき仲にも礼儀あり、とノックを数回試みた。

 が、やはり、そこから返事はやって来ない。

「……いる、よね?」

 応えはなくとも、悠凪の経験上、目当ての人物は必ずこの部屋にいるはずだ。

 恐る恐る扉へ耳を付ければ、悠凪の経験値を裏付けるように、微かな物音が聞こえて来た。


 ただしそれは、悠凪の知らない、すすり泣く少女のような声であり――


(え? な、何、この声?)

「か、閑じ――っきゃぅむ!?」

 怯みながらももう一度、そこにいるはずの男の名を呼ぼうとした悠凪は、その前に開いた扉に驚く間もなく、部屋の中へと強引に連れ込まれてしまう。

 拍子に上がった声が引きずり込まれた先でくぐもる呻きとなれば、離れようとする顔を嫌うように、厳つい男の手が悠凪の背に添えられた。

 この動きで相手が誰なのかを理解した悠凪は、抱き締める腕に抵抗する無意味さも同時に悟ると、胸板へ埋められていた顔だけを上げる。

 果たしてそんな悠凪を迎えた相手は、彼女の予想通り、迷鏡堂の主人である影浦閑人(かげうらかんじん)

 柄の悪い人相ににやついた表情を浮かべた閑人は、何の言葉もなく、ひょいっと彼女の身体を抱き上げた。


 ――短いスカートがいけなかったのか、下着越しに彼女の尻を掴みつつ。


「やっ、閑人さん、ちょっと!?」

 掴まれているだけでも肌がざわめくというのに、暴れれば自然に撫で揉まれてしまうであろう臀部。

 これ以上の羞恥という人質に動けなくなった悠凪は、抱き上げられたことで、上から下へ移動した閑人の顔を睨みつける。

 しかし、扉越しに聞こえたのと同じ、甲高い女の声が耳に届いてはそちらを見やり、ピシッと固まってしまった。

 悠凪が直視したのは、廊下からの明かりを取り入れたところで薄暗い部屋の奥、もう一つの光源であるテレビの映像。

 図らずもこの時、画面向こうから、ギリギリ高校生で通じるか否かの女が、乱れた制服を隠すよう腕を回し、涙を溜めた瞳で訴えてきた。


”叔父様……お願い、止めてっ”


 瞬間、悠凪の頭のどこかで、ブチッという危険な音が響く。

「こ、こんの変態エロオヤジ! 人が学業から解放されて帰って来たっていうのに、早い時間から何見てんのよ!!?」

 掴まれた人質を忘れて悠凪が暴れても、器用に彼女を掲げ続ける閑人は、避けにくい上からの攻撃を見事に避けつつ、悪びれもせずに告げた。

「何って、見たまんま叔父と姪モノ。ダチ二人一押しの二本立てだぜ? 一本目は両親と死に別れた姪と一つ屋根の下で暮らす叔父の禁断愛重視。二本目のコレは調教くせぇな。可愛い姪に初めての彼氏が出来たって言われて、プッツンしちまった叔父が、色々教えてやるとか偉そうに言いつつ、姪のハジメテを全部頂くっつう」

「知るか! 内容とかそんなの、心底どうでもいいわ!! いいから放せ、放して! でもってそれ消して、お客さんが来ているんだからぁっ!」

 最後は懇願に近い声で叫ぶ悠凪。

 百歳を待たせているというのもあるが、彼女にとってこの部屋でのこの手の映像の類は鬼門であった。

 どう足掻いても思い出してしまうのだ。

 いつかの日、仕置きと称して目の前の男から、延々観る事を強要された同類の映像、その内容を。


 正確にはその内容をなぞった色んなシチュエーションで、閑人に良い様にされてしまう悪夢を――。


(うぅ……何で観たくもない、年齢制限にだって引っ掛かるはずのモノを観なくちゃいけないのよ! しかも今度は叔父と姪って! 何の嫌がらせよぉ……)

 そうそう内容をなぞる夢を見るとは思えないが、一度体験してしまった身、可能性は拭えない。

 嘆く心とは裏腹に、火照り始める身体から悠凪の瞳が潤めば、元凶の閑人は以前と同様、盛り上がるテレビには目もくれず、困ったような顔をした。

「あーあー、悪ィ悪ィ。この程度で泣くなよ、悠凪。よしよし、お客さんが来てるんだったな。行ってやるから、もう泣くな」

 抱えられた身体の位置が低くなれば、幼子をあやすようにぽんぽんと叩かれていく背中。

 そのくせ閑人の逆の手は、相変わらず尻を掴んだままだった。

 つまるところ、目の前の男は気づいていないのだ。

 悠凪がこの体勢に、どれだけ羞恥を抱いているかを。

(くっ……こんな映像観ているくせに、姪の扱いは小さい頃と同じってどうなの!?)


 別段、特別な反応を期待した憶えはないが、戸籍上、正真正銘の叔父である閑人の所業に、悠凪は小さく唇を噛んだ。







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