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迷鏡堂の閑人さん  作者: 大山
第一話 ご主人サマと下僕
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鏡の中の攻防 その2

 悠凪を追って”世界”に入ってからというもの、閑人の調子はすこぶる悪かった。

 勿論、彼女が止める閑人の手を払い、勝手な事をしたのも原因の一つではある。

 が、根本の原因は、あの男。

 幻魔退治の前には必ずと言って良いほど現れ、いらん事を悠凪にしてくる焔のせいだ。


「なァにが、もっと言動を謹んであげないと、悠凪殿に嫌われてしまいますよ、だ。てめェにだけは、言われたくねェっつぅの」

 合流した悠凪を上谷家の塀に隠してから移動する最中、ふつふつ沸く怒りに、人間にはない鋭い歯列を鳴らして愚痴る閑人。

 胸糞の悪くなる口調を真似て、更に苛々が募れば、ぎゅっと握り締めた拳の中の温もりに、ビクッと肩が震えてしまった。

「ああ、クソッ! そのせいでやり過ぎちまったじゃねェか、焔! おまけにあんな顔までさせて……」

 苦虫を噛み潰した顔が思い出すのは、勝手な行動をした悠凪への仕置きに、彼女の弱点である脇腹をくすぐった後。

 逃げないようガラス戸に両手をつかせた彼女は、人としてのたがが外れたような、かなり惨い顔、汚い声で笑っていたのだが、くすぐる手を止めた途端、放心状態に陥ってしまった。

 上谷悠凪という人格を失った虚ろな目に、それまで仕置きを面白がっていた閑人は、急に罪悪感を覚え、彼女の回復を待たず幻魔を探しに来たのである。


 要は回復した悠凪に非難されるのが嫌で、先に幻魔を退治する事で、過度の仕置きをなかった事にしよう、という姑息な考えだった。


「ったく」

 握り締めていた手を払い、意識を幻魔に集中させた閑人。

 前方、広がる光景は、星を幾つか散りばめた夜空と、流れる早さで過ぎる建物の屋根。

 現実で行えば超人扱いされてしまう身体能力を、如何なく発揮する閑人は、現在、建物の上を跳躍で結びながら移動していた。

 と、眼鏡奥にある青鈍の瞳を細めた閑人が、胡乱げな顔つきとなった。

「……それにしても、随分と薄いな」

 宿主の中にいる幻魔をこの”世界”へ誘き寄せるには、この”世界”から現実にいる宿主を探さなくてはならない。

 そしてそのためには二つほど、前準備が必要だった。

 一つは、幻魔による被害状況の把握。

 もう一つは、その被害を知る者の視認。

 今回の場合は、被害者である早苗自身が赴き、語っていたため、いつにも増して幻魔を誘き寄せやすい……はずなのだが。

「線が薄い……嬢ちゃんに憑いていた気配は、もっと濃かったよな?」

 誰に呟くでもなく一人ごちる閑人、その目には、屋根の連なり以外のモノが視えていた。

 紫色の、煙と見紛うほど薄い線。

 ふわふわ宙を漂うそれは、早苗に伸ばされた幻魔の気配を閑人が”世界”へ取り込んだものであり、先には必ず気配の主が存在している。

 ちなみに線の反対側にあるのは迷鏡堂だ。

 現実の早苗に繋がっているのだから、当たり前と言えば当たり前。

 それでも、迷鏡堂前を通った悠凪にこの線が見えていないのは、彼女が人間だからに他ならない。

 だから閑人も、この線のことを悠凪に話したことはなかった。

 見えないなら知らなくていい。

 元より、悠凪が幻魔の位置を知る必要はない。

 彼女に必要なのはただ、閑人と共に”世界”に降り、その帰りを待つ事のみ。

 ”世界”の中にさえ居れば、迷鏡堂を空けても、悠凪の身に危険が及ぶ事はまずない。

 そして、閑人の帰りを待つだけなら、悠凪が幻魔の手に落ちる事も、そうはない話だった。

 幻魔を誘き寄せたと同時に排除する――それだけの力が閑人にはあるのだから。


 しかし、今回に限って言えば、誘き寄せる前段階、”世界”の中から幻魔を探すまでが大変そうだ。

 ただでさえ、ストーカーという執着心たっぷりの宿主の幻魔、加え、早苗にあれだけの気配を纏わりつかせているのだから、その線は濃く、太いとばかり思っていたというのに。

(それもこれも焔のせいなら、更に胸糞が悪くなるんだが……それじゃあいけねェ)

 化生のものの能力は、その時々の精神面で大きく左右される性質がある。

 焔への怒りはそのまま閑人の破壊力となり、幻魔を討つ際に有効となろうが、今は邪魔でしかなかった。

 幻魔の探索に必要なのは、微かな気配でも察知できる冷静さ。

 細く薄い線の原因を自身の中に認めた閑人は、移動しつつ深呼吸すると瞳を閉じ、ゆっくり開いていった。

「……ちっ。余程腹に据えかねてんのか、俺」

 結局変わらない線の状態。

 目に見えて判る、自分の心が全く穏やかにならないことに、苛立ちを増していく閑人は、反面で、それも仕方ないと深い息をついた。

 他のことならばまだいい。

 冷静さなど、すぐに取り戻せよう。

 しかし、事悠凪に関してだけは譲れないものがあった。

 焔もそれが判っていて、行きがけにあんなことを言ってくるのだから性質が悪い。

 幻魔を嫌い、退治を願うくせに、彼の男はいつも閑人の神経をどこかで逆撫でしていた。

「……まあいいさ。それよりも今は幻魔だ」

 ともすれば、焔への不平不満で終わりそうな思考を払い、青鈍の瞳を細めた閑人は、今度は別の人物を頭の片隅に置いた。

 いや、実質最初からそこに、常に閑人の中にいる人物――

「さっさと終わらせねェと、悠凪が探しに来ちまいそうだしな」

 来るな、待っていろと言ったところで、短くもない付き合い。

 どれだけ待たせてしまったなら、彼女が動いてしまうのか、手に取るように判っている閑人は、自分を呼ぶ甘い声の記憶に胸をむず痒くさせると、への字ばかりを描いていた唇に弧を宿らせた。

「さすが悠凪。様様ってか?」

 元よりそのつもりだったのだから、辿り着いて当然。

 しかし、悠凪の名を呼んだと同時に、幻魔の宿主がいるであろう建物を認めた閑人はそううそぶくと、誘うように開かれたベランダの窓へ、ためらいもなく入っていった。




**********



 音も光も何もない室内。

 我が物顔の土足でそこをうろつく閑人は、僅かばかりの光で事足りる瞳を巡らせると、怪訝に眉を寄せた。

「無用心だな、おい」

 この”世界”の元となっているのは、現実の世界。

 無音は仕方ないとしても、ベランダを開けておきながら、明かりが点いていない室内は、閑人の目から見ても普通とは言い難かった。

 幻魔の宿主の部屋だとしても、異様である。

 そもそも、異形を身に飼う宿主だからといって、彼らの生活スタイルや考え方は他の人間やその常識とさほど変わらない。

 こんな風に明かりも点けないで、ベランダを開けっ放しにするのが、宿主になる前からの常識だというのなら、話は別だが。

 それもこの”世界”とは違い、現実の、肌寒い秋の夜に。

「…………」

 薄い紫の線が、間取りから推察するに、洗面所と思しき場所に向っていると視認した閑人。

 この”世界”と現実を繋ぐのは鏡であるため、洗面所から幻魔を誘き出せると踏んだ彼は、一先ず足を止めると、改めて誰もいない宿主の部屋を見渡した。

 何階建てか数えるのが面倒なマンションの一室。

 開放的なベランダの窓を背にすれば、だだっ広いリビングを挟んで、洒落たダイニングキッチンが見える。

 その横奥には玄関や洗面所に続くだろう扉があり、手前右側の壁には扉が一つと一枚分空いた襖。

 覗き込めば六畳ほどの和室と、押入れらしき襖が二枚。

 目に付いた場所だけ見ても一家族なら丸々納まるだろう。

 しかし――

「広さや造りは立派だが……まるで売り家だな」

 苦い顔をした閑人が、端的に宿主の家を評価する。

 彼の言う通り、マンションの間取りや造りに申し分はない。

 だがここには、人が生活している気配が全くなかった。

 リビングにはくつろぐためのソファーもテレビもなく、ダイニングキッチンには備え付けのカウンターと対応する椅子があっても、雑貨の類が一切見当たらない。

 和室にしても少し日焼けした畳があるのみ。

 閉め切られた扉を開けば、あるいは何か見つかるかもしれないが、それにしても憩いの場がここまで閑散としているのは異様だった。

 かといって放置している訳でもないらしく、定期的に掃除をしているのだろう、自然と積もるはずの埃はどの部屋にも見当たらなかった。

 余程の潔癖症か、あるいは徹底して物を持たない主義なのか。

 それならそれで、こんな広い部屋を選ぶ必要もないだろうに。

(随分と薄気味悪いのに引っ掛かってんな、あの嬢ちゃん。ま、俺は俺の仕事をこなすだけなんだが)

 どれだけ考えたところで理解できない宿主の暮らしぶり。

 頭を振って払った閑人は、止めていた足を進めると、奥にある扉へ入っていった。







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