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迷鏡堂の閑人さん  作者: 大山
第一話 ご主人サマと下僕
13/22

鏡の中の攻防 その1

「たーてたーてよーこよーこ、まーるかいて、ちょん♪」

「うぅみゅみゅぅむんん、むぅぶぅ、痛っ!」


 ここは閑人が造り出した”世界”の迷鏡堂前。

 向かい合う二人の男女の内、にやにや底意地の悪い笑みを浮かべた方が閑人で、頬を擦りさすり、そんな彼を睨みつけているのが悠凪だ。

 不用意に外へ出、飛ばされた先のコンビニから走ってきた悠凪に対し、両手を広げて迎えた閑人は、彼女が立ち止まる直前にその顔を手の平で挟み込むと、鼻歌混じりにぐにぐに顔を変形させていった。

 勝手な行動をした仕置きのつもりなのだろう。

 元を正せば閑人の言動のせいなのだが、最後に頬を抓りながら離した彼にそう訴えても、大した効果は認められない。

 それどころか、物言いたげな悠凪の顔に眉を上げた閑人は、ククッと喉を鳴らしながらこちらを見下ろしてきた。

「よォ、悠凪ァ。どうも反省が足りないように見えるんだが? 一人で勝手に行動して御免なさい、はどうした? アア?」

 からかい混じりの口調ではあるものの、ノンフレームの眼鏡奥は笑っていない。

 じりじりにじり寄る圧迫感に、悠凪の足が少し引けば、光の反射で閑人の目が見えなくなり、変わりに映る、頬を引き攣らせたへっぴり腰の自分の姿。

 受ける威圧は変わらないとはいえ、射る視線を回避できた悠凪は、恐る恐る口を開いた。

「ひ、一人で勝手に行動して、御免なさい」

「で?」

「で、って?」

「お前ののーみそは、人に言われた事しか言えねェのか? え?」

「いっ! ちょ、止め、止めて! 頭小突かないでよ!」

「おーおー、自分の言葉で謝罪出来ない鳥頭が、オレサマに命令するたァ、イイ度胸だ。……イイぜェ? 小突くのは止めてやるよ。ただし!」

「な、何?」

(何か閑人さん、今日は一段と機嫌悪くない?)

 以前、同じように別の場所へ飛ばされた時は、ここまで執拗に絡んではこなかった閑人。

 突っつくのを止めた手がもう一方の手と共に、艶かしくバラバラ指を動かすのを目前にしながら、身構えた悠凪は、今日一日の自分の行動を振り返る。

 たぶん、原因はそこにあるはずだ。


(えーっと、朝は関係ないはずだし、今日は学校ある日だから日中も問題ないでしょ。ってことは放課後、早苗さんの話を聞いて、帰りが遅くなったから?……でもそれは、抱き上げた事でなしのはずよね。報酬への文句にしても壁に押し付けられたし、夕飯後回しの時はお腹撫で回されたでしょ。焔さんのアレだって、その後同じ事されて……あ、でも、抓っちゃったんだっけ? しかも今回飛ばされたのは、閑人さんの言った事全部拒否して、止めようとした手も叩いちゃって……うわ、マズい)


 閑人の理不尽な行動にはいつも、それ以前の悠凪の行動が関係している。

 ほとんどが言い掛かりにも等しい理由なのだが、それに慣れてしまっている悠凪には、今更正そうとする気はなかった。

 というか、過去に挑み、そして見事に惨敗していた。

 かといって、大人しく受けるつもりも更々ない。

 怪しく蠢く手を前に背中を向けた悠凪は、走ってきたばかりの道へ足を踏み出していく。

 無駄だと判っていても、逃げる。


 ――それが増して閑人の癇に障ろうとも。




**********



 現実では迷鏡堂の左隣にある上谷家。

 鏡の中である”世界”では、当然右隣になるわけだが、その敷地内で、塀を背に座り込んだ悠凪は、虚ろな目を塀の外に向けていた。

 振り乱れた髪は汗ばむ赤い頬に張り付き、口端からは垂れた涎が白い線を作り始めている。

 腹に回された両腕は、時折何かを思い出すようにビクッと跳ね、立てられた膝には力が入っておらず、徐々に地面へ伸びていく。

「……は、ぁ」

 薄く開いた唇から小さな声が零れれば、次第に光を取り戻していく悠凪の瞳。

 乗じて、ぎこちない動きで膝が引き寄せられたなら、これに額を押し付けた悠凪は、震えながら唇を噛み締めた。

(酷いよ、閑人さん。幾ら怒っているって言っても、こんな事するなんて)

 落ちる涙はないものの、腹の熱さを嫌でも感じさせる両手の平の冷たさに、意識を飛ばすまでされていた事が蘇ってくる。



 捕まえられた腰、振り回され、迷鏡堂のガラス戸についた両手。

 蠢く手の動き、どれだけ声を上げても許されず、力を失っていく足。

 がくがく揺れる身体、捩ってもきつくなるだけの腹。

 朦朧となる意識、ガラス越し、現実を映しながらも自分達を映すそこには、あられもない姿の少女と、その後ろでにやつく男の顔。

 逃げ道を前に求めても、ガラスが胸の先を潰すだけで、幾度となく襲ってくる揺れに解放はない。

 意味を為さない声に閉じる事を忘れた口から涎が垂れれば、寄り添い覆う身体に虚ろな目で懇願した。

「かんじん、止めっ」

 舌足らずなソレへにやっと笑った閑人は、そうして悠凪からようやく手を引くと、へたり座る彼女を塀まで持っていき、そこでじっとしてろと捨て置いた。



 幻魔退治に行くその背を、虚ろな目はどこまでも追い続けていたのだが、正気に戻っては闇の中、煮え返る思いに悠凪の拳が地を打つ。

「くっ、あの性悪男め! 人が脇腹くすぐられるの、本っ当っっに、駄目だって知っているくせに!!」

 顔を上げて真正面を見据えた悠凪は、かさつく口元を袖で拭うと、塀を支えに、腹を押さえながらゆっくり立ち上がった。

 笑い過ぎたせいで痛む腹筋に、「うっ」と小さな呻き声が上がる。


 頭を小突く代わりに執行された、閑人の仕置き――くすぐりの刑。


 誰にも見せられない顔で、誰にも聞かせられない声で強要された笑いは、異様な疲れを悠凪にもたらしていたが、正気に戻ればそれ以上に襲ってくる羞恥の元が腹立たしかった。

 誰にも、というそんな悠凪の痴態を、元凶の閑人に見聞きされてしまっているのだから。

 しかもガラス越しに笑われながら。

「うぅー……絶対、仕返ししてやるんだからぁっ」

 仕置きとしてくすぐられる事は、今回が初めての事ではなく、従って、こう誓うのも今回が初めての事ではない。

 かといって、誓い通り仕返し出来ているかと言えば、言うだけタダの世界、単なる捨て台詞と化して幾年月。

 それでもめげずに仕返しを口にした悠凪、通りに向かって塀伝いに歩くと、どれだけ時間が経とうとも、同じ夜が続く道を覗いた。

「それにしても閑人さん、遅いな……」

 ぽつり呟くのは、仕返しを誓ったばかりの相手を案じる言葉。

 結局のところ、何を閑人にされても最終的に許してしまう悠凪は、彼がいない不安に胸の前で拳を握ると、塀の外に出て、その背中が消えた方角を見つめた。

 いつもならば、幻魔を退治し終わっている頃のはず。

 仕事に入るまでが長い閑人は、仕事に入った途端、それまでの重い腰を感じさせない早さで、幻魔を此処へ誘き寄せ、退治してしまう。

 その理由を彼は以前、「悠凪を待たせているからなァ」とうそぶいていたが、実際のところは判らない。

 理由に挙げた悠凪をわざわざ連れてくる、そもそもの理由も判らないのだから、元より答えの出ない話ではあった。

 とはいえ、この遅さは悠凪の中の不安を、時が経つほどに強めていってしまう。

(幻魔を見つけられない……なら、早々に帰ろうとするだろうし、幻魔を誘き寄せるのに失敗しても同じ事。じゃあ、幻魔が強かった? 大怪我した、とか……ううん、此処は閑人さんが造った”世界”だもの。負けるなんてそんな)

 昔、閑人が悠凪に見せると約束した「魔法」。

 それは、この”世界”の事であると同時に、此処だからこそ使える、閑人本来の能力の事。

 卑怯という言葉が相応しい、反則的な能力は、幻魔のような半端者(・・・)に敗れるはずもない。

 約束通り見せて貰った「魔法」には、攻撃の要素はなかったものの、以来、悠凪は確信にも近い思いで閑人の勝利を信じていた。


 ――が、それと心配する事とは、また別の話である。


(じっとしてろって言われたけど、また酷い目合わされそうだけど。ヘタすると邪魔になっちゃうかもしれない、けど……)

 現実の夜よりも暖かく、風のない住宅街。

 耳を澄ましても、鳴り響くのは痛いばかりの静寂。

 覗き込めば映るガラス越しの日常に、自分一人、取り残されているような感覚。

「うん、さっさと帰って来ない閑人さんが悪いのよ。私は待った、待ちました! だから」


 閑人を追おう。


 そう意気込んだ悠凪は、気分を高めるために握り拳を真上へ突き出すと、閑人の消えた方角に向けて駆けていった。

 人智を超えた化生の能力を知りながら、彼が今、”何処”を走っているのかも考えずに。

 悠凪はひたすら、地を蹴り続ける。







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