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迷鏡堂の閑人さん  作者: 大山
第零話
1/22

むかしむかし

 その後姿を見た時、幼い彼女の脳裏に再生されたのは、一年前に没した母が生前にしてくれたお話。



 * * *



 むかしむかし、ある山奥に一人の鬼がおりました。


 鬼といっても、とても気の優しい鬼で、山の動物たちとも仲良く、穏やかに暮らしていました。

 時折尋ねてくる仲間の鬼は、人里に下りず、人を襲ったりしない彼の事を、臆病者と囃し立てたりしましたが、鬼は全く構いませんでした。中には彼を一族の恥だと言い、無理矢理にでも従わせようとする乱暴者もおりましたが、やっぱり彼は従いませんでした。

 鬼は、今の静かな生活が大好きだったのです。


 そんなある日の事。


 とても寒い冬の日に、鬼は不思議なモノを見つけました。

 いいえ、ソレが何なのか鬼は分かっていたのですが、雪深い山奥に居て良いモノではなかったのです。

 ソレは人でした。

 それも齢若い娘でした。

 男でも入らない山の、それも鬼が暮らすこんな奥まったところに、人間の若い娘が一人、半分雪に埋もれた姿で倒れていたのです。


 鬼はとっても困ってしまいました。

 助けたところで自分は鬼、目が覚めたとして娘が騒ぐのは分かりきった事です。かといって、このまま放って置くのも、あんまり気が進みません。

 しかしその時、娘が小さい声で「お母さん、御免なさい」と言ったので、鬼は娘を拾う事にしました。

 自分の命が危険な時に、母へ謝る娘が不憫に思えて仕方なかったのです。


 自分の家に戻った鬼は、娘を布団に寝かせて火を起こすと、まず頭の角を隠す事にしました。鬼の角は他の鬼より少し長かったので、何だかヘンテコな頭になってしまいましたが、鬼だと騒がれるよりは良いでしょう。

 次に鬼は、黒くした前髪で目を隠す事にしました。鬼の能力で髪を黒くする事は出来ても、鮮やかな目の色はどうにも出来ないからです。

 出来栄えを見るため、鏡に自分の顔を映した鬼は、そこそこ上手くいった事が判ってほっとしました。

 けれど、鏡を見た事でもう一つ、どうする事も出来ない部分を発見してしまいました。

 長年の穏やかな暮らしのお陰で、怖い顔にはならない鬼でしたが、口から覗く鋭い牙はどう見ても恐ろしいものでした。

 優しく見える分、いっそう不気味かもしれません。

 ですので鬼は、なるべく喋らないでおこうと思いました。

 そうして目覚めた娘は、見知らぬ男の姿には怯えたものの、鬼が鬼である事には気づきませんでした。


 鬼が娘を拾ってから数日後。

 身体のだいぶ良くなった娘は、鬼にぽつりぽつりと自分の話をしていきました。

 幼子の頃に父を、ほんの一年前に母を亡くした娘は、奉公先の主人から縁談を持ちかけられたそうです。

 相手方も良い人で、話はトントン拍子に進んだのですが、その矢先、同い年の奉公人の少女が、店で一番高価な商品を失くしてしまったと娘に打ち明けてきました。なんでもその商品は、この山奥にしかない、特別な薬草だそうです。

 だから娘は、泣く少女を落ち着かせると、奉公先の主人には置手紙をして、この山に来たと言いました。


 けれども鬼は、この話に首を傾げてしまいます。

 何せ、この山奥に、そんな大層な薬草はないからです。

 それにこの山奥にしかないというなら、薬草を求める人間は他にもいるはずで、長年ここで暮らしてきた鬼にもその動きが分かるはずです。

 そもそも、人間が度々来るなら、鬼はここに最初っから住んでいません。静けさを求めていた鬼がここに家を建てたのは、騒がしい人間が来ないところだったからです。

 だから鬼は、娘が少女に騙されたのだと思いました。

 思いましたが、娘が出て行く時にも騙されているとは言いませんでした。

 言ったところで、どうにもならないからです。

 ただ、この山奥にそんな薬草はない事、疑うなら麓の村で薬草について訊いた方が良い事だけを告げておきました。

 鬼のこの言葉に、娘は何やら難しい顔をしましたが、助けて貰ったお礼を言うと去っていきます。

 その後姿を、鬼はずーっと見送っていました。


 ずーっと、ずーっと、娘の姿が消えてもなお。



 それから幾日か経ったある日、久々に仲間が楽しそうな顔をして鬼の下にやって来ました。

 いつもなら素知らぬ顔をする鬼でしたが、この日は自分からどうしたんだと声を掛けていました。

 娘が去ってからというもの、鬼は一人でいる事に少し厭きていたのです。

 そんな鬼の様子に、殊更嬉しそうにした仲間は、にっこり笑ってこう言いました。


 遠い町の奉公先で盗みを働き、捕らえられた人間の女が、その直前、この山に高価な薬草があると、麓の村で触れ回っていたそうだ。

 お陰で欲深な人間がたくさんこの山奥に来るだろう。

 そうすればここに住むお前は、鬼としてあれらを払わなければならない。

 女は無罪を主張しているらしいが、静けさを好むお前にとっちゃ重罪だよな。


 話を終えた仲間の鬼は、来た時と同じくらい楽しそうな顔をして去っていきました。しかめっ面をした鬼を見て、ようやく彼が鬼らしく振舞うと思ったからでしょう。

 しかし、鬼が怖い顔をしたのは、仲間の鬼とは全く違う理由からでした。


 奉公先、失われた高級品、山奥の薬草、麓の村、そして――女。


 並べた単語が最初の二つと女だけなら、鬼は何とも思わなかったでしょう。

 ですが、残りの二つが組み合わされば、鬼の中で一つの仮説が生まれます。

 もしかしてその女とは、前に拾ったあの娘ではないだろうか。

 騙した少女に罪を着せられたのではないだろうか。

 女が無罪を主張していると来たらなおさらです。

 いてもたってもいられなくなった鬼は、何故そんな風に思うのかも分からないまま、件の女を見に山を下りました。


 そうして鬼が牢獄で見たのは、あの娘の、酷くやつれた姿でした。


 鬼は牢獄から娘を攫いました。

 娘は初めて晒された鬼の本当の姿に、最初こそ恐れて暴れましたが、逃げられないと知ると気を失ってしまいました。

 あの時拾う切っ掛けとなった、母への謝罪もなく。

 鬼はあれが、強く生きなさい、という娘の母の遺言に対しての謝罪だと聞いておりました。

 ですので、それがないということは、娘が死にたいと思っているのだと判りました。


 でも、鬼は娘が死ぬのは嫌でした。


 だから鬼は彼女の命を助ける事にしました。

 町を転々としながら、ありとあらゆる災厄から娘を守りました。

 娘が嫌がっても、鬼はそうし続けました。

 娘の知らない町で、娘の過去を知らない若者が彼女に恋をし、彼女がそれに応えてからもずっと。

 娘が子を生めばその子も守り、娘が老い、死の床で不安がれば、誰もいない時に手を握って約束しました。


 お前が死んでも、私はお前の一族を、この命尽きるまで守ろう、と。


 鬼の言葉を聞いた娘は涙を一つ落とすと、ありがとう、と鬼に言いました。

 そしてそのまま、静かに息を引き取りました。

 鬼は娘が死ぬのはやっぱり嫌でしたが、穏やかに微笑む綺麗な死に顔を見たら、それもいいかと思いました。


 それから娘の子孫を何代か見送った後で、鬼はふと気づくのです。

 あれほど騒がしいと思っていた人間を、それほど気に止めなくなった理由に。


 ああ、そうか。私は彼女を愛しているのだ、と――




 * * *



 彼女の、その後姿に対する第一印象は、まさにお話の中の鬼そのものだった。薄暗い部屋の中で一人きり、静けさを好むように、こちらへ背を向けた男の姿は。

 だがしかし――。


「……あ? 何だァ、この餓鬼。アカ(ネェ)、いつの間に餓鬼なんざ(こさ)えたんだよ」

「ちっ。愚弟にまともな反応を求めようと思った私が馬鹿だったか」


 肩越しにこちらを振り向いた途端、柄の悪い発言で印象をがらりと変化させた男は、彼を紹介しようとしていた彼女の新しい母から、いきなり拳骨を見舞われてしまった。

 こうして発展しゆく姉弟喧嘩により、すっかり立場を失った彼女は、所在もなく呆然と成り行きを見守る事しか出来ず。

 ただ、幼心に感じたものである。

 この人は新しい母の弟ではあるけれど……

 一生、「叔父さん」とは、思えないかもしれない、と。



 ――ついでに自分の直感は当てにならないとも、彼女は思った。




書き直ししたため二度目の投稿ではありますが、と前置きしつつ。


初めまして、大山と申します。

主役二人の出会い話ですが、出番は少なめで名前もなし。

次話からは、時間軸が一気に十年ほど進んだ「ご主人サマと下僕」が始まります。


少しでも楽しんで貰えたら嬉しいです。

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