第5話 覇者の凱歌、敗走の影
11月16日の夜、リュッツェンの平原には凍てつくような静寂が降りていた。
戦場に点在する篝火が、泥濘に沈んだ数多の遺体と、破壊された馬車の残骸を不気味に照らし出している。
スウェーデン軍の本陣では、勝利を祝う兵たちの歓声が地を揺るがしていた。
だが、その中心に立つグスタフ・アドルフに浮かれた様子はない。王は天幕の中で、傷ついた左腕を吊りながら、宰相アクセル・オクセンシェルナと向き合っていた。
「……陛下、奇跡でございます。神が、確かにスウェーデンの王をお守りくださった」
剛毅なオクセンシェルナの目にも、涙が浮かんでいた。王の戦死という最悪の報告を受けた一時間後、泥まみれで帰還した王の姿を見た時の衝撃は、生涯忘れることはないだろう。
「アクセル、奇跡を喜ぶのは後だ。今は実利を掴まねばならん」
グスタフ・アドルフの視線は、机上に広げられた地図に注がれていた。
今回の勝利で、皇帝軍は二十四門の重砲すべてを失い、三千人以上の死傷者と、それ以上の捕虜を出した。さらに、猛将パッペンハイムの死は皇帝軍にとって代えがたい打撃となるはずだ。
「ヴァレンシュタインはボヘミアへ退くだろう。ザクセンの脅威は去った。今こそ、日和見を続けていたドイツ諸侯を完全にこちらへ引き込む好機だ」
王は痛む体を奮い立たせ、鋭い口調で命じた。
勝利を単なる戦術的な成功で終わらせるつもりはない。この勝利を、全欧州を巻き込む政治的な大転換点とする。それが『北方の獅子』の真の狙いだった。
◇◆◇
一方、ライプツィヒへと続く暗い街道を、皇帝軍の残党が力なく進んでいた。
整然とした撤退を命じたとはいえ、背後から迫るフィンランド騎兵の追撃に晒された部隊は、恐慌状態に陥っていた。
馬車に揺られるヴァレンシュタインの顔は、月光に照らされて幽鬼のように蒼白だった。
(負けた……。あの私を、スウェーデン王は力でねじ伏せたというのか)
ヴァレンシュタインにとって、敗北の味は苦い毒のようだった。
彼はすでに、ウィーンの皇帝フェルディナント二世の顔を思い浮かべていた。グスタフ・アドルフを討てなかった以上、自分を司令官の座に留めておく理由は薄れる。
「……ハルク、生存者の点呼を急げ。それと、ウィーンへ報告を送れ」
ヴァレンシュタインは側近に短く告げた。
報告の内容は、冷酷なまでに事実のみを記したものだ。
『スウェーデン王は健在なり。我が軍は壊滅的打撃を被り、ザクセンより撤退す』
この一報がウィーンに届けば、宮廷は蜂の巣をつついたような騒ぎになるだろう。皇帝軍の絶対的な優位は、リュッツェンの霧と共に消え去ったのだ。
◇◆◇
翌朝、リュッツェンの野に朝日が昇った。
グスタフ・アドルフは、兵たちの前に姿を現した。包帯を巻いたその姿は、痛々しくも、かえって彼を神格化させるのに十分な神々しさを放っていた。
「諸君! 我らは勝った! だが、戦いはまだ終わっていない! 真の平和を手にするその日まで、我らは歩みを止めぬ!」
オーッ! という地鳴りのような叫びが、冬の空へと突き抜けていく。
本来ならば王の遺体を探していたはずの兵たちは今、生ける伝説と共に、新たな歴史の扉を開こうとしていた。




