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リュッツェンの奇跡  作者: 塩野さち


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第4話 撤退の妙技、追撃の疾風

 午後4時。

 パッペンハイム負傷の報は、皇帝軍の全線に冷水を浴びせかけた。無敵を誇った黒騎兵たちが、主を失い、雪崩を打って後退を始めたのだ。


 風車の丘で指揮を執るヴァレンシュタインは、即座に状況を悟った。


(勝機は消えた。これ以上の固執は、軍の全滅を招く)


 ヴァレンシュタインは、冷酷なまでに合理的だった。彼は名誉よりも、手駒である傭兵団の「保存」を優先した。兵がいなくなれば、自身の政治的価値も消え去るからだ。


「全軍へ伝令! これより組織的後退に移る。歩兵戦列を縮小し、ライプツィヒ街道へ向けてじりじりと退け。殿(しんがり)は残存するクロアチア騎兵に任せる!」


 彼の命令は迅速だった。

 奪われた大砲は惜しまず放棄し、代わりに兵たちの命を拾う。皇帝軍の歩兵たちは、スウェーデン軍の猛攻を盾で防ぎながら、整然と後ろ向きに歩み始めた。


◇◆◇


 一方、スウェーデン軍の本陣。

 グスタフ・アドルフは、肩の傷をきつく縛り上げ、再び前線へと進み出ていた。


「敵が退くぞ! ヴァレンシュタインは尻尾を巻いたようだ!」


 ベルンハルト公が声を弾ませる。

 だが、王の目は厳しかった。敵の動きが、壊走ではなく「計算された撤退」であることを見抜いていたからだ。


「逃がしはせん……。ここでヴァレンシュタインの息の根を止めねば、奴は三ヶ月で再び四万の兵を集めて戻ってくるだろう」


 グスタフ・アドルフは、痛む腕を堪えて剣を高く掲げた。


「全軍、攻撃を緩めるな! 追撃だ! 敵の殿を粉砕し、中央の歩兵旅団を包囲せよ!」


 スウェーデン軍は勝利を確実なものにするため、温存していた後列の予備兵力、ドド・フォン・クニップハウゼンの部隊を投入した。

 それは、疲弊した皇帝軍にとって死神の鎌にも等しい一撃だった。


◇◆◇


 夕闇が迫り、硝煙と霧が入り混じる不気味な薄明かりの中、追撃戦が始まった。

 スタスタと、スウェーデン軍の誇るフィンランド騎兵『ハッカペル』たちが、凄まじい速度で敵の側面に回り込む。


「ハッカ・ペーレ!(叩き伏せろ!)」


 彼らの独特な喚声が響き、皇帝軍の殿を務めていた部隊が次々と泥の中に沈んでいく。

 ヴァレンシュタインは、背後で上がる悲鳴を聞きながらも、一度も振り返らなかった。


「……これほどまでに、追撃が苛烈とはな。スウェーデン王、貴殿は死の淵を見て、さらに牙を研いだというのか」


 皇帝軍は多くの方陣を崩され、数千の捕虜と全ての大砲を戦場に残すこととなった。

 だが、ヴァレンシュタインの巧妙な撤退指揮により、軍の「核」となる精鋭歩兵の一部は、暗闇の中に逃げ込むことに成功したのである。


◇◆◇


 夜の帳がリュッツェンを下ろした頃。

 戦場には、勝者であるスウェーデン軍の歓声と、数多の負傷者の呻きだけが残された。


 グスタフ・アドルフは、奪い返した風車の丘に立ち、冷たい夜風を浴びていた。

 その体は限界を超えていたが、王の表情には、歴史を変えつつある者の険しい光が宿っていた。


「勝利だ。……だが、これは始まりに過ぎん」


 王の生存。そしてヴァレンシュタインの敗走。

 三十年戦争の天秤は、この夜、決定的にプロテスタント陣営へと傾いたのである。


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