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リュッツェンの奇跡  作者: 塩野さち


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第2話 砂塵の喚声、反撃の狼煙

 落馬の衝撃が、グスタフ・アドルフの全身を打ち抜いた。

 肺から空気が押し出され、視界がチカチカと明滅する。泥の冷たさと、左腕を焼くような激痛。王は、朦朧とする意識の中で必死に右手を伸ばし、泥に埋もれた剣の柄を掴んだ。


「陛下! ご無事で!?」


 霧の中から飛び込んできたのは、近衛騎兵の数騎だった。

 彼らは主君の危機を悟り、死に物狂いで敵の包囲を切り裂いてきたのだ。皇帝軍の騎兵が再び銃を構えるより早く、スウェーデン兵の重い剣が敵の首を撥ね飛ばした。


「立てるか……。手を貸せ」


 王は部下の肩を借り、泥まみれの姿で立ち上がる。

 本来の歴史であれば、この地で息絶え、装備を剥ぎ取られていたはずの『北方の獅子』は、まだその瞳に鋭い光を宿していた。


◇◆◇


 同時刻、皇帝軍左翼――。

 猛将ゴットフリート・ツー・パッペンハイムが率いる騎兵隊が、戦場に到着した。


「間に合ったか! ヴァレンシュタイン閣下はどこだ!」


 パッペンハイムは、愛馬を踊らせながら戦況を睨みつける。

 スウェーデン軍の右翼は、王が姿を消したことで一時的に混乱しているように見えた。今こそ、一気に踏み潰すべき好機だ。


「我らが来たからには、プロテスタントの連中に地獄を見せてやる! 全軍、突撃!」


 パッペンハイムの咆哮と共に、二千を超える黒騎兵が猛然とスウェーデン軍へ襲いかかる。

 ドゴォォン! と地響きが轟き、鉄と鉄がぶつかり合う凄まじい音が平原に響き渡った。


 パッペンハイムは先頭に立ち、五度にわたって執拗な突撃を繰り返した。

 その勇猛さは敵軍に恐怖を植え付け、劣勢だった皇帝軍左翼の戦列は、奇跡的な回復を見せ始めていた。


◇◆◇


 風車の丘の上。

 ヴァレンシュタインは、パッペンハイムの到着を確認して安堵の息を漏らした。


「パッペンハイムか……。狂犬め、良い時に戻った」


 だが、ヴァレンシュタインの胸騒ぎは収まらなかった。

 霧がわずかに晴れた向こう側、スウェーデン軍の中央から、異様なまでの戦意が立ち昇っているのを感じたからだ。


「報告します! スウェーデン王、グスタフ・アドルフは戦死した模様! 敵陣に動揺が広がっております!」


 伝令の言葉に、ヴァレンシュタインの側近たちが沸き立った。

 しかし、ヴァレンシュタインだけは冷徹に戦場を観察し続けていた。


「……いや、待て。あの旗は何だ?」


 霧の切れ間に、翻る旗印が見えた。

 それは、王が健在であることを示すスウェーデン王室の紋章旗だった。


◇◆◇


 スウェーデン軍中央、本陣。

 泥を拭い、止血を終えたグスタフ・アドルフは、再び別の馬に跨がっていた。


「陛下、今は下がって治療を! 指揮はベルンハルト公に任せれば……!」


 忠臣クニップハウゼンが必死に訴えるが、王は首を横に振った。


「私が死んだという噂が流れれば、軍は崩壊する。私がここに立ち、指揮を執り続けること。それが今のスウェーデンにとって、何よりの薬だ」


 王は周囲に集まった兵たちを見渡した。

 彼らの顔には、驚きと、そしてそれ以上の狂喜が溢れていた。


「諸君! 神は我を見捨てなかった! 再び剣を執れ! この戦い、我らの勝利で終わらせるぞ!」


 王の声は、戦場の喧騒を突き抜けて兵たちの心に届いた。

 絶望から救い出されたスウェーデン兵たちの士気は、爆発的な高まりを見せる。


「王は生きておられるぞ!」

「陛下に続け! 皇帝軍を駆逐せよ!」


 中央の歩兵旅団が、再び力強く前進を開始した。

 死の淵から帰還した『北方の獅子』の咆哮が、リュッツェンの平原を震わせていた。


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