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娘の未来が脚本どおりなら、母が脚本家に会いに行く

作者: 星渡リン
掲載日:2026/02/21

本作は、乙女ゲーム風の世界で「未来が台本として配られる」という設定のフィクションです。

作中には、冤罪の気配や噂による誤解、断罪イベントの“予定”など、息苦しさを感じやすい要素が含まれますが、物語の着地点は優しさ多めのハッピーエンドです。

母が「戦う」より先に「守る」ために動く、ほっこり寄りの短編としてお楽しみください。

 娘が「悪役の台詞」を口にしたのは、午後のお茶の時間だった。


 刺繍枠に布を張り、針を動かしていた私の前で、エマは人形を向かい合わせにする。小さな背筋をぴんと伸ばして、胸を張った。


「あなたの幸せ? わたしが許すわけないでしょ」


 子どもの遊びにしては、妙に“完成”している。声の高さも、間の取り方も。まるで誰かに“こう言いなさい”と教えられたみたいに。


 私は針を落としそうになって、指先を止めた。


(だめ。今の台詞、知ってる)


 前世の私は、乙女ゲームの実況をよく見ていた。

 悪役令嬢が断罪されるルート。婚約破棄、糾弾、追放。あの舞台で、最初に観客の拍手を取るのが、この手の台詞だ。


 私は息を整えてから、エマを抱き寄せた。背中に腕を回すと、エマはくすぐったそうに笑う。


「ママ、くすぐったい」


「うん。……ねえ、エマ。確認したいことがあるの。その台詞、どこで覚えたの?」


 エマは首をかしげた。金色の髪がふわりと揺れて、無邪気な瞳がこちらを見上げる。


「学校で、配られたよ?」


「……何が?」


「これ」


 差し出されたのは、薄い冊子だった。手のひらに乗るくらいの小さなもの。表紙は質素なのに、金文字がきらりと光っている。


 配役台本。


 私は、いちどだけ瞬きをした。

 怖いのに、目を逸らしたくない。母親の目って、こういうとき勝手に強くなる。


 ページをめくる。紙は新しいのに、触った指先が少し冷たい。そこに並ぶ言葉は、あまりに“物語の言葉”だった。


 第一幕。出会い。

 第二幕。誤解。

 第三幕。断罪。

 第四幕。追放。


 そして、配役一覧。


 エマ・アーヴェル。

 役:悪役。


 視界の端が、すうっと薄くなる。


(この子は悪くない。悪役に“される”)


 私は冊子をそっと閉じた。強く握りしめたら、紙が悲鳴を上げそうだったから。


「エマ。あなたは、その台詞を言わなくていい」


「でもね、先生がね。『この台詞、言えた子は上手』って」


 先生。上手。

 そんな言葉で、子どもの未来に首輪をつけるのか。


 私はエマの髪を撫でた。指先で、少しだけ呼吸を落ち着かせる。


「上手じゃなくていい。優しく言えたら、もっといい」


「やさしく?」


「うん。たとえば……『あなたの幸せも、わたしの幸せも、大事にしよう』」


 エマはしばらく考えてから、こくりと頷いた。


「それ、かわいい」


「そう。かわいいは強いの」


 笑って頷いて見せながら、心の中では叫んでいた。


(配るな。そんな台本、学校で配るな)


 台本の裏表紙から、挟まった小さな紙片が覗いている。控えめな文字。


 改稿申請:王都・脚本局(宮廷儀典課)にて受付。


 私はその一行を、二度読んだ。


 改稿。申請。受付。


(……なら、行く)


 舞台の上で戦えば、台本は盛り上がる。

 泣いて、怒って、叫べば叫ぶほど、“悪役”は役に立つ。そういう仕組みだ。


 なら舞台裏へ回る。

 台本を配っている側に会って、言う。


 この配役は違う、と。


◇◇◇


 翌日から、私はできるだけ“台本の導線”を避けた。


 エマの通学路を変える。

 マリアという名の令嬢と、なるべく顔を合わせない。

 人の多い場所に行かない。

 茶会に出ない。夜会に出ない。


 静かに暮らす。小さな家の中で、エマの笑顔だけを守っていく。


 ……はずだった。


 馬車の角で、偶然。

 エマが持っていた花束が風に煽られて飛んだ。

 それを拾ったのが、マリアだった。


「大丈夫? 落としたの、これ?」


 マリアは本当に優しい子で、エマもすぐ笑った。

 なのに、周りの大人が勝手に言葉を足す。


「ほら、エマ様。お礼を言わないと」


「……え、言うよ?」


 エマが口を開く前に、別の声が重なる。


「悪役らしい、って噂になってるからね」


 噂。

 噂が先に走り、事実が後から追いかける。


 私は唇を噛んだ。言い返したい。否定したい。

 でも、ここで声を荒らげれば、台本は喜ぶ。


(落ち着いて。舞台の上で叫んだら、照明が当たる)


 代わりに私は、エマの肩を抱いた。


「エマ、お礼を言おう。今のあなたの言葉で」


 エマは頷いて、にこっと笑う。


「ありがとう。お花、助かった」


 マリアも笑った。

 それで終わるはずだったのに。


 夕方には、別の噂が増えていた。


 エマ様がマリア様に冷たかった。

 アーヴェル家は最近、態度が大きい。

 断罪の準備が進んでいるらしい。


 台本は、私が何もしなくても進む。

 進むための“偶然”が、勝手に増える。


 私は気づいた。

 台本に対抗するには、台本の外側へ行くしかない。


 台本の外側は王都にある。脚本局。


 その夜、エマを寝かせたあと、私は台本の最後のページを開いた。


 第三幕:茶会での冤罪。

 紛失。誤解。涙。悪役の台詞。断罪の火種。


(……あと三週間)


 私は息を吸って、ゆっくり吐いた。


「大丈夫。エマ」


 寝息を立てる娘の頬に触れる。


「あなたの未来は、あなたのものにする」


 台本を閉じる。

 そして決めた。


 娘の未来が脚本どおりなら、母が脚本家に会いに行く。


◇◇◇


 王都へ向かう朝。

 エマは私の手をぎゅっと握って、離さなかった。


「ママ、どこ行くの?」


「お仕事。えらい人に会って、話をするの」


「えらい人、こわい?」


「怖くても会う。ママはエマのお母さんだから」


 エマは一瞬だけ不安そうな顔をして、それから頷いた。


「じゃあ、がんばって」


 私は侍女のマルタに目を向ける。マルタは胸に手を当てた。


「奥様、ご安心ください。エマ様は私が守ります。おやつも、読み聞かせも、準備しております」


「ありがとう。……荷物、そんなに要る?」


 マルタの後ろには、旅行かと思うほどの鞄が並んでいた。


「万が一に備えて」


「私は戦地じゃなくて役所に行くだけです」


 マルタが少し笑った。

 それだけで、肩の力が抜けた。


 王都の宮廷は外から見ればきらびやかだ。

 けれど中に入ると、どこもかしこも“手順”で動いている。

 つまり、世界でいちばん強い魔法は段取りだ。


 脚本局は宮廷の奥、儀典課のさらに奥にあった。

 入口には案内板が立っていて、掲示物が整然と並んでいる。


 受付番号票。

 手順案内票。

 優先対応票。

 更新日表示。

 それに、現場用の書式見本として貼られたものまである。

 配膳当番表。

 順番表示。

 確認手順チェック表。


(……好き。こういうの、好き)


 怖いのに、ここは“話が通じる場所”だと思えた。


 受付の文官が淡々と顔を上げる。


「ご用件は」


「改稿申請です」


「通常は三十日待ちです」


「娘の断罪まで、三週間です」


「それは予定ですので」


「その予定を変えに来たんです」


 文官は一瞬だけ瞬きをした。


「受付番号票をお取りください」


 私は受付番号票を取った。番号は、最悪の並びだった。

 待っていたら、台本が終幕を迎える。


 私は鞄から紙束を取り出した。


 現状。

 問題。

 影響。

 代替案。


 短く、読みやすく、一枚にまとめてある。

 台本の該当ページには付箋。更新日表示の欄には「今朝」と赤字で追記。


 文官がそれを見て、もう一度瞬きをした。


「……奥様。こちらへ」


 小声で言われて、私は身を寄せる。


 文官は引き出しから、そっと一枚の紙を出した。


 優先対応票。


「担当管理官へ回します。……この書式、どこで覚えました?」


「母として生きると、自然に」


 文官は口元だけ笑って、優先対応票を渡してくれた。


「ありがとうございます」


 役所は冷たい場所だと思っていた。

 冷たいのは規則で、人が冷たいとは限らない。


◇◇◇


 通された部屋には、紙の匂いが満ちていた。


 机の上に積まれた台本の山。

 朱肉。判子。インク壺。

 そして端に置かれた小さな瓶。


 胃薬だ。


 机の向こうに座っている男が、疲れた目を上げた。

 きちんとした服。きちんとした髪。きちんとしたため息。


「シナリオ管理官ルドルフ。改稿申請を受けました」


 彼は台本の表紙を指先で軽く叩く。


「あなたの娘は必要な悪役です。物語には対立が要る」


 言い返しそうになって、私は喉の奥で止めた。

 落ち着いて、言葉を選ぶ。


「対立は要ります。けれど、子どもを燃やす対立はいりません」


 ルドルフの眉が、わずかに動く。


「燃やす?」


「断罪と追放で、人は簡単に傷つきます。役だからでは済まない。まして、まだ七歳の子です」


 私は台本を開き、該当箇所を示した。


「それに、この冤罪の組み立て。証拠が雑です。噂で断罪する脚本は、作劇としても危険です」


 ルドルフは咳払いをした。

 反論する準備をした顔で、言葉が出てこない。


「……では代替案は」


 待っていました、と私は紙を出した。


「悪役を娘に固定しない。誤解が起きるなら検証の手順を入れる。娘の役は調停と記録にします。ヒロイン役も救う。結末は、ほどよく幸せに」


「ほどよく……」


「極端な罰で終わらせない。誰かが泣いて終わる舞台は、観客も後味が悪いです」


 ルドルフは胃薬に手を伸ばしかけ、止めた。


「あなた、脚本家ですか」


「いいえ」


 私は微笑んで言った。


「母です」


 ルドルフは小さく目を閉じて、息を吐いた。


「……一番強い職業ですね」


 それは褒め言葉だったと思う。少なくとも拒絶ではない。


 ルドルフは机を指で軽く叩く。


「改稿は可能です。ただし整合性が必要。次のイベントで破綻しないと証明してください」


 次のイベント。第三幕の茶会。冤罪発生。


 私は頷いた。


「やります」


◇◇◇


 茶会当日。

 私はエマの髪を整えながら、耳元で囁いた。


「今日は、あなたの言葉でね。焦らなくていい。怒らなくていい。困ったら、ママを見る」


 エマは小さく頷いた。


「うん。ママ、いる?」


「いる。ずっと」


 会場には令嬢たちと、それを見守る大人たち。

 そして、台本の匂いがする視線。


 私は前日に、会場の手順を整えていた。


 配膳当番表。

 順番表示。

 確認手順チェック表。

 記録用の記入票。

 責任者の署名欄。


 派手な魔法は使えない。

 でも手順は、誰でも守れる。


 茶会が始まり、予定どおり事件は起きた。


「あっ……ブローチがない!」


 声を上げたのは、ヒロイン役の予定であるマリアだった。

 周囲がざわつく。照明がこちらへ向く感覚。


 誰かが言いかける。


「さっきエマ様が……」


 私は一歩前へ出た。声は大きくしない。静かに、でも通る声で。


「確認手順チェック表の手順どおりに進めましょう」


 ざわつきが一瞬止まる。


「まず、最後にブローチを触った方。次に、移動した動線。順番表示に合わせて席の周りを確認します。噂ではなく、事実から」


 大人たちが言葉を失うのが見えた。

 台本は感情を好む。手順は台本の天敵だ。


 マリアが不安そうに私を見る。


「……私、みんなに迷惑を」


「迷惑じゃありません。物が見つからないと、誰かが傷つく。それがいちばん困ります」


 私はにこっと笑った。


「だから、見つけましょう。みんなで」


 令嬢たちが動き始める。

 順番表示に合わせて席の周りを見て、配膳当番表で担当になっている子がテーブルの下を確認する。


 そして。


「……あった」


 マリアのブローチは、椅子の布のひだに引っかかっていた。

 落ちただけ。誰も盗んでいない。誰も意地悪していない。


 台本が行き場を失ったみたいに、空気がふっと軽くなる。


 気まずそうに笑う声。

 泣きそうな顔で頭を下げるマリア。


「ごめんなさい……私、騒いで……」


 エマが、ちらりと私を見る。

 台本なら、ここで悪役の台詞が来る。


 でも、エマは小さく息を吸って、言った。


「だいじょうぶ。なくなると、こわいよね。見つかって、よかった」


 胸の奥が熱くなった。

 台本より先に、娘の言葉が世界を動かした。


 どこかで、目に見えないページが静かにめくられる気配がした。


(……通った)


 私はエマの手を握った。

 エマはぎゅっと握り返した。


◇◇◇


 その夜。屋敷に戻ると、エマが玄関まで走ってきて飛びついた。


「ママ! 脚本家に会えた?」


「会えたよ」


 私はエマを抱き上げて、頬を寄せた。小さな体はあたたかい。これが、守りたい未来だ。


「未来、書き換えてきた」


「ほんと?」


「ほんと。エマの未来は、エマのものになった」


 エマは安心したように息を吐いて、にこっと笑った。


「じゃあ、わたし、もう悪役じゃない?」


「もう役に縛られない。あなたはあなた」


 机に置いた配役台本を開く。そこに書かれた文字を見て、肩の力が抜けた。


 エマ・アーヴェル。

 役:調停役(舞台監督補佐)。


 悪役ではない。

 誰かを傷つけるための役ではない。

 みんなが泣かずに済むように、場を整える役。


 私は台本を閉じ、裏表紙の白い余白に小さく書き足した。


 この物語の脚本家:娘の未来を守る母。


 エマが覗き込んで、くすっと笑う。


「ママが脚本家なの?」


「うん。少なくとも、あなたの未来のところだけは」


 エマは指を伸ばして、私の書いた文字の横にぽん、と押した。

 判子の代わりの、小さな指。


「これで、決まり!」


 私は笑って、エマの指先をそっと握った。


「決まり」


 窓の外は静かな夜。

 台本がどこかでページをめくる音は、もう聞こえない。


 代わりに聞こえるのは、エマの小さな寝息だけ。


 私は灯りを落とし、娘の額にキスをした。


「おやすみ。明日からは、あなたの言葉で」


 エマは眠ったまま、安心した顔をしていた。


 未来は、もう配られるものじゃない。

 手を取って、一緒に選ぶものだ。


 そう思いながら、私は静かに扉を閉めた。

ここまで読んでくださって、ありがとうございました。


「断罪を止める」と聞くと、どうしても“論破”や“ざまぁ”に寄りがちです。けれど今回は、母が選ぶのは別の勝ち方でした。

怒鳴って勝つのではなく、泣いて訴えるのでもなく、必要なところだけを静かに整える。噂より事実、感情より手順。そうやって“台本の勢い”を弱めて、娘の未来を「役」から「人」へ戻すお話です。


エマが言い直した一言は、派手な逆転より小さいかもしれません。

でも、子どもの言葉が自分の未来を守る瞬間って、たぶんあれが一番強い。


もしあなたの毎日にも、勝手に配られる“台本”みたいなものがあったら。

その台本を破る方法は、いつも大技じゃなくて、誰かの手を取る優しさと、ひとつずつの確認かもしれません。


それではまた、別の舞台で。

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― 新着の感想 ―
“未来が台本として配られる”。 なかなか興味深い世界ですね。ただ“悪役サイド”だけは損な役回り。 この話ではそれを知った母が先回りして原本を改稿することができましたが、“悪役”というものはそもそも作…
※脚本家に出会えなくて3週間経過 「はーい、これで劇はおわりまーす」 「お疲れ様ー、マリアちゃん酷い事ばっかり言ってごめんねー」 「ううん、エマちゃんの演技すごかったー」 「次は取り巻きやってみたい…
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