娘の未来が脚本どおりなら、母が脚本家に会いに行く
本作は、乙女ゲーム風の世界で「未来が台本として配られる」という設定のフィクションです。
作中には、冤罪の気配や噂による誤解、断罪イベントの“予定”など、息苦しさを感じやすい要素が含まれますが、物語の着地点は優しさ多めのハッピーエンドです。
母が「戦う」より先に「守る」ために動く、ほっこり寄りの短編としてお楽しみください。
娘が「悪役の台詞」を口にしたのは、午後のお茶の時間だった。
刺繍枠に布を張り、針を動かしていた私の前で、エマは人形を向かい合わせにする。小さな背筋をぴんと伸ばして、胸を張った。
「あなたの幸せ? わたしが許すわけないでしょ」
子どもの遊びにしては、妙に“完成”している。声の高さも、間の取り方も。まるで誰かに“こう言いなさい”と教えられたみたいに。
私は針を落としそうになって、指先を止めた。
(だめ。今の台詞、知ってる)
前世の私は、乙女ゲームの実況をよく見ていた。
悪役令嬢が断罪されるルート。婚約破棄、糾弾、追放。あの舞台で、最初に観客の拍手を取るのが、この手の台詞だ。
私は息を整えてから、エマを抱き寄せた。背中に腕を回すと、エマはくすぐったそうに笑う。
「ママ、くすぐったい」
「うん。……ねえ、エマ。確認したいことがあるの。その台詞、どこで覚えたの?」
エマは首をかしげた。金色の髪がふわりと揺れて、無邪気な瞳がこちらを見上げる。
「学校で、配られたよ?」
「……何が?」
「これ」
差し出されたのは、薄い冊子だった。手のひらに乗るくらいの小さなもの。表紙は質素なのに、金文字がきらりと光っている。
配役台本。
私は、いちどだけ瞬きをした。
怖いのに、目を逸らしたくない。母親の目って、こういうとき勝手に強くなる。
ページをめくる。紙は新しいのに、触った指先が少し冷たい。そこに並ぶ言葉は、あまりに“物語の言葉”だった。
第一幕。出会い。
第二幕。誤解。
第三幕。断罪。
第四幕。追放。
そして、配役一覧。
エマ・アーヴェル。
役:悪役。
視界の端が、すうっと薄くなる。
(この子は悪くない。悪役に“される”)
私は冊子をそっと閉じた。強く握りしめたら、紙が悲鳴を上げそうだったから。
「エマ。あなたは、その台詞を言わなくていい」
「でもね、先生がね。『この台詞、言えた子は上手』って」
先生。上手。
そんな言葉で、子どもの未来に首輪をつけるのか。
私はエマの髪を撫でた。指先で、少しだけ呼吸を落ち着かせる。
「上手じゃなくていい。優しく言えたら、もっといい」
「やさしく?」
「うん。たとえば……『あなたの幸せも、わたしの幸せも、大事にしよう』」
エマはしばらく考えてから、こくりと頷いた。
「それ、かわいい」
「そう。かわいいは強いの」
笑って頷いて見せながら、心の中では叫んでいた。
(配るな。そんな台本、学校で配るな)
台本の裏表紙から、挟まった小さな紙片が覗いている。控えめな文字。
改稿申請:王都・脚本局(宮廷儀典課)にて受付。
私はその一行を、二度読んだ。
改稿。申請。受付。
(……なら、行く)
舞台の上で戦えば、台本は盛り上がる。
泣いて、怒って、叫べば叫ぶほど、“悪役”は役に立つ。そういう仕組みだ。
なら舞台裏へ回る。
台本を配っている側に会って、言う。
この配役は違う、と。
◇◇◇
翌日から、私はできるだけ“台本の導線”を避けた。
エマの通学路を変える。
マリアという名の令嬢と、なるべく顔を合わせない。
人の多い場所に行かない。
茶会に出ない。夜会に出ない。
静かに暮らす。小さな家の中で、エマの笑顔だけを守っていく。
……はずだった。
馬車の角で、偶然。
エマが持っていた花束が風に煽られて飛んだ。
それを拾ったのが、マリアだった。
「大丈夫? 落としたの、これ?」
マリアは本当に優しい子で、エマもすぐ笑った。
なのに、周りの大人が勝手に言葉を足す。
「ほら、エマ様。お礼を言わないと」
「……え、言うよ?」
エマが口を開く前に、別の声が重なる。
「悪役らしい、って噂になってるからね」
噂。
噂が先に走り、事実が後から追いかける。
私は唇を噛んだ。言い返したい。否定したい。
でも、ここで声を荒らげれば、台本は喜ぶ。
(落ち着いて。舞台の上で叫んだら、照明が当たる)
代わりに私は、エマの肩を抱いた。
「エマ、お礼を言おう。今のあなたの言葉で」
エマは頷いて、にこっと笑う。
「ありがとう。お花、助かった」
マリアも笑った。
それで終わるはずだったのに。
夕方には、別の噂が増えていた。
エマ様がマリア様に冷たかった。
アーヴェル家は最近、態度が大きい。
断罪の準備が進んでいるらしい。
台本は、私が何もしなくても進む。
進むための“偶然”が、勝手に増える。
私は気づいた。
台本に対抗するには、台本の外側へ行くしかない。
台本の外側は王都にある。脚本局。
その夜、エマを寝かせたあと、私は台本の最後のページを開いた。
第三幕:茶会での冤罪。
紛失。誤解。涙。悪役の台詞。断罪の火種。
(……あと三週間)
私は息を吸って、ゆっくり吐いた。
「大丈夫。エマ」
寝息を立てる娘の頬に触れる。
「あなたの未来は、あなたのものにする」
台本を閉じる。
そして決めた。
娘の未来が脚本どおりなら、母が脚本家に会いに行く。
◇◇◇
王都へ向かう朝。
エマは私の手をぎゅっと握って、離さなかった。
「ママ、どこ行くの?」
「お仕事。えらい人に会って、話をするの」
「えらい人、こわい?」
「怖くても会う。ママはエマのお母さんだから」
エマは一瞬だけ不安そうな顔をして、それから頷いた。
「じゃあ、がんばって」
私は侍女のマルタに目を向ける。マルタは胸に手を当てた。
「奥様、ご安心ください。エマ様は私が守ります。おやつも、読み聞かせも、準備しております」
「ありがとう。……荷物、そんなに要る?」
マルタの後ろには、旅行かと思うほどの鞄が並んでいた。
「万が一に備えて」
「私は戦地じゃなくて役所に行くだけです」
マルタが少し笑った。
それだけで、肩の力が抜けた。
王都の宮廷は外から見ればきらびやかだ。
けれど中に入ると、どこもかしこも“手順”で動いている。
つまり、世界でいちばん強い魔法は段取りだ。
脚本局は宮廷の奥、儀典課のさらに奥にあった。
入口には案内板が立っていて、掲示物が整然と並んでいる。
受付番号票。
手順案内票。
優先対応票。
更新日表示。
それに、現場用の書式見本として貼られたものまである。
配膳当番表。
順番表示。
確認手順チェック表。
(……好き。こういうの、好き)
怖いのに、ここは“話が通じる場所”だと思えた。
受付の文官が淡々と顔を上げる。
「ご用件は」
「改稿申請です」
「通常は三十日待ちです」
「娘の断罪まで、三週間です」
「それは予定ですので」
「その予定を変えに来たんです」
文官は一瞬だけ瞬きをした。
「受付番号票をお取りください」
私は受付番号票を取った。番号は、最悪の並びだった。
待っていたら、台本が終幕を迎える。
私は鞄から紙束を取り出した。
現状。
問題。
影響。
代替案。
短く、読みやすく、一枚にまとめてある。
台本の該当ページには付箋。更新日表示の欄には「今朝」と赤字で追記。
文官がそれを見て、もう一度瞬きをした。
「……奥様。こちらへ」
小声で言われて、私は身を寄せる。
文官は引き出しから、そっと一枚の紙を出した。
優先対応票。
「担当管理官へ回します。……この書式、どこで覚えました?」
「母として生きると、自然に」
文官は口元だけ笑って、優先対応票を渡してくれた。
「ありがとうございます」
役所は冷たい場所だと思っていた。
冷たいのは規則で、人が冷たいとは限らない。
◇◇◇
通された部屋には、紙の匂いが満ちていた。
机の上に積まれた台本の山。
朱肉。判子。インク壺。
そして端に置かれた小さな瓶。
胃薬だ。
机の向こうに座っている男が、疲れた目を上げた。
きちんとした服。きちんとした髪。きちんとしたため息。
「シナリオ管理官ルドルフ。改稿申請を受けました」
彼は台本の表紙を指先で軽く叩く。
「あなたの娘は必要な悪役です。物語には対立が要る」
言い返しそうになって、私は喉の奥で止めた。
落ち着いて、言葉を選ぶ。
「対立は要ります。けれど、子どもを燃やす対立はいりません」
ルドルフの眉が、わずかに動く。
「燃やす?」
「断罪と追放で、人は簡単に傷つきます。役だからでは済まない。まして、まだ七歳の子です」
私は台本を開き、該当箇所を示した。
「それに、この冤罪の組み立て。証拠が雑です。噂で断罪する脚本は、作劇としても危険です」
ルドルフは咳払いをした。
反論する準備をした顔で、言葉が出てこない。
「……では代替案は」
待っていました、と私は紙を出した。
「悪役を娘に固定しない。誤解が起きるなら検証の手順を入れる。娘の役は調停と記録にします。ヒロイン役も救う。結末は、ほどよく幸せに」
「ほどよく……」
「極端な罰で終わらせない。誰かが泣いて終わる舞台は、観客も後味が悪いです」
ルドルフは胃薬に手を伸ばしかけ、止めた。
「あなた、脚本家ですか」
「いいえ」
私は微笑んで言った。
「母です」
ルドルフは小さく目を閉じて、息を吐いた。
「……一番強い職業ですね」
それは褒め言葉だったと思う。少なくとも拒絶ではない。
ルドルフは机を指で軽く叩く。
「改稿は可能です。ただし整合性が必要。次のイベントで破綻しないと証明してください」
次のイベント。第三幕の茶会。冤罪発生。
私は頷いた。
「やります」
◇◇◇
茶会当日。
私はエマの髪を整えながら、耳元で囁いた。
「今日は、あなたの言葉でね。焦らなくていい。怒らなくていい。困ったら、ママを見る」
エマは小さく頷いた。
「うん。ママ、いる?」
「いる。ずっと」
会場には令嬢たちと、それを見守る大人たち。
そして、台本の匂いがする視線。
私は前日に、会場の手順を整えていた。
配膳当番表。
順番表示。
確認手順チェック表。
記録用の記入票。
責任者の署名欄。
派手な魔法は使えない。
でも手順は、誰でも守れる。
茶会が始まり、予定どおり事件は起きた。
「あっ……ブローチがない!」
声を上げたのは、ヒロイン役の予定であるマリアだった。
周囲がざわつく。照明がこちらへ向く感覚。
誰かが言いかける。
「さっきエマ様が……」
私は一歩前へ出た。声は大きくしない。静かに、でも通る声で。
「確認手順チェック表の手順どおりに進めましょう」
ざわつきが一瞬止まる。
「まず、最後にブローチを触った方。次に、移動した動線。順番表示に合わせて席の周りを確認します。噂ではなく、事実から」
大人たちが言葉を失うのが見えた。
台本は感情を好む。手順は台本の天敵だ。
マリアが不安そうに私を見る。
「……私、みんなに迷惑を」
「迷惑じゃありません。物が見つからないと、誰かが傷つく。それがいちばん困ります」
私はにこっと笑った。
「だから、見つけましょう。みんなで」
令嬢たちが動き始める。
順番表示に合わせて席の周りを見て、配膳当番表で担当になっている子がテーブルの下を確認する。
そして。
「……あった」
マリアのブローチは、椅子の布のひだに引っかかっていた。
落ちただけ。誰も盗んでいない。誰も意地悪していない。
台本が行き場を失ったみたいに、空気がふっと軽くなる。
気まずそうに笑う声。
泣きそうな顔で頭を下げるマリア。
「ごめんなさい……私、騒いで……」
エマが、ちらりと私を見る。
台本なら、ここで悪役の台詞が来る。
でも、エマは小さく息を吸って、言った。
「だいじょうぶ。なくなると、こわいよね。見つかって、よかった」
胸の奥が熱くなった。
台本より先に、娘の言葉が世界を動かした。
どこかで、目に見えないページが静かにめくられる気配がした。
(……通った)
私はエマの手を握った。
エマはぎゅっと握り返した。
◇◇◇
その夜。屋敷に戻ると、エマが玄関まで走ってきて飛びついた。
「ママ! 脚本家に会えた?」
「会えたよ」
私はエマを抱き上げて、頬を寄せた。小さな体はあたたかい。これが、守りたい未来だ。
「未来、書き換えてきた」
「ほんと?」
「ほんと。エマの未来は、エマのものになった」
エマは安心したように息を吐いて、にこっと笑った。
「じゃあ、わたし、もう悪役じゃない?」
「もう役に縛られない。あなたはあなた」
机に置いた配役台本を開く。そこに書かれた文字を見て、肩の力が抜けた。
エマ・アーヴェル。
役:調停役(舞台監督補佐)。
悪役ではない。
誰かを傷つけるための役ではない。
みんなが泣かずに済むように、場を整える役。
私は台本を閉じ、裏表紙の白い余白に小さく書き足した。
この物語の脚本家:娘の未来を守る母。
エマが覗き込んで、くすっと笑う。
「ママが脚本家なの?」
「うん。少なくとも、あなたの未来のところだけは」
エマは指を伸ばして、私の書いた文字の横にぽん、と押した。
判子の代わりの、小さな指。
「これで、決まり!」
私は笑って、エマの指先をそっと握った。
「決まり」
窓の外は静かな夜。
台本がどこかでページをめくる音は、もう聞こえない。
代わりに聞こえるのは、エマの小さな寝息だけ。
私は灯りを落とし、娘の額にキスをした。
「おやすみ。明日からは、あなたの言葉で」
エマは眠ったまま、安心した顔をしていた。
未来は、もう配られるものじゃない。
手を取って、一緒に選ぶものだ。
そう思いながら、私は静かに扉を閉めた。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
「断罪を止める」と聞くと、どうしても“論破”や“ざまぁ”に寄りがちです。けれど今回は、母が選ぶのは別の勝ち方でした。
怒鳴って勝つのではなく、泣いて訴えるのでもなく、必要なところだけを静かに整える。噂より事実、感情より手順。そうやって“台本の勢い”を弱めて、娘の未来を「役」から「人」へ戻すお話です。
エマが言い直した一言は、派手な逆転より小さいかもしれません。
でも、子どもの言葉が自分の未来を守る瞬間って、たぶんあれが一番強い。
もしあなたの毎日にも、勝手に配られる“台本”みたいなものがあったら。
その台本を破る方法は、いつも大技じゃなくて、誰かの手を取る優しさと、ひとつずつの確認かもしれません。
それではまた、別の舞台で。




