泣かぬなら。
以前から温めていた小説です。田中さん(仮称)が僕にとりあえず100枚の小説を書いてこい、といったのが六年前、僕が24歳だった頃の話です。僕は実家の仕事を継がされるのが嫌で新聞配達の仕事に飛びつきました。そこで出会った田中さんとの出会いは、間違いなく僕の人生を変えたと思います。今でも文通をしていますが、今年で70歳になる田中さん。果たして僕の人生はどこへ向かうのでしょうか。
初めて田中さんと出会ったときは、ただの還暦を過ぎた老人だと思っていた。おそらく、大して中身のない人生を送って、名もなきままに死んでいく、あわれな人間の一人だと思っていた。だが、田中さんの人生を聞いていると、彼が単にあわれな新聞配達員ではないことが判明した。おそらく、彼ほどの中身のある人生を送っている人物は、日本に百人といないのではなかろうか。一般的に万人が送っている人生を田中さんは送っていない。そして、僕は物を書くから、ここに田中さんのありのままの人生を書き記したい。その人生は、あまりにも波乱万丈だし、これから文章を読む皆さんも大いに興味をそそられることだろう。人生に意味はあるのか、その答えを誰しも若いころは考えたことだろう。田中さんの人生はある意味、悲劇的とも言えるし、喜劇的とも言える。田中さんは、人生の答えを僕に提示してくれた最初の人物である。田中さんは新聞配達の営業所では存在が浮いていた。彼の性格はそんじゃそこらの新聞配達の連中には理解できない神秘的なものであった。彼はまず僕に芸術を語り、老後は田舎で執筆活動でもしたいと言った。彼は中年の時分には谷川俊太郎と交流があったし、僕に二十億光年の孤独を勧めた。他にも、軽井沢で不動産業を営んでいた際には、数々の作家との交流があったそうだ。田中さんいわく、芸術家とはそれほど華々しい人たちではなく、どちらかというと陰気臭い人たちが多いそうだ。もちろん、すべての芸術家が陰気臭いわけではない。中には、社交性があり多くの友人関係を持っている芸術家もいたそうだ。田中さんは酒豪で、芸術家たちと肩を並べて夜から深夜、そして朝方まで酒を飲み芸術について語り合ったそうだ。ここまで書くと、田中さんがただのあわれな老人ではなく、様々な経験を積んできた百戦錬磨の人物であることが分かってきたに違いないと思う。彼の偉大さは世間的に見て、表には現れなかったが、少なくとも僕は田中さんが偉大な人であったと認めている。世の中には、運に恵まれて成功する人はいるが、そこに人間性としての中身は含まれていないと僕は思う。事情が変われば、偉大でも何でもなくなってしまう。例えば、運に恵まれた政治家がスキャンダルを起こして、ただのテレビのコメンテーターに成り下がり、かつて仲間だった政治家について印象を悪くするようなコメントをするようになるみたいなことだ。その人物はただ運に恵まれただけであり偉大さとは関係ない。