キス習慣の始まり③
「で、話って何?」
部屋に入ってきたはいいものの、一向に話をする様子のないお姉ちゃんに向かって言う。
すると、お姉ちゃんは、覚悟を決めたかのように口を開けて言った。
「カエデ、学校で話しかけちゃダメってルール、カエデが決めたものだし、対価があってもいいよね?」
私は、高校入学前に、学校ではあまり関わらないようにする誓いを立てた。それから約1年経って今に至る。
今日まではそれに対し、何も言ってこなかった。
しかし、1年経った今、急にこんなことを言い出した。
「え?急に何?」
「いや、学校で話さないって約束、カエデが決めたものでしょ?だから、その対価。」
「もう1年も経ってるし別に良くない?というか対価って何?」
「対価は対価、私がして欲しいことを高校生の間カエデにやってもらう。」
急に対価が欲しい、とか言い出したから何があるのかと思ったけれど、お姉ちゃんの言うことを聞くくらい大したことでは無い。
「それくらいなら、別にいいよ」
お姉ちゃんのことだし、私が嫌がることはしないはずだ。なにより、そこまで大変なことは言われないと思う。
そんな浅はかな考えで適当に返事をしたことが、私のミスだった。
「じゃあカエデ、週に1、2回私とキスして?」
「……は?」
キス?私とお姉ちゃんで?
訳が分からない。
お姉ちゃんを見ても、何を考えているのか分からない。表情が読み取れない。ずっと黙っているから、多分、私からの言葉を待っている。
「…どういうこと?」
「どういうことも何も、週1でキスをするだけだよ。」
「理由は?」
「学校で友達がキスは気持ちがいいものだって言ってたから。あと、将来好きな人が出来た時のための練習。」
気持ちがいいからってキスをするのも、将来好きな人が出来た時のための練習でキスをするのも、意味が分からない。というかお姉ちゃんがそんな事でキスをしようとするわけが無い。
「嘘でしょ。それ」
「まぁ、理由はどうでもいいでしょ。」
「どうでも良くない」
「まぁ、どっちにしろカエデはいいよって言ったんだし、お願いね。」
私たちには家のルールがある。
柏葉家のルール。
1.家族との約束は破らない。
2.喧嘩したら、仲直りのちゅーをすること。
3.ご飯は用事がない限り一緒に食べる。
4.みんな仲良く過ごす。
簡単なものだからこそ、ルールは厳守されている。そして、私は先にいいよ。と言ってしまったので、それを破ることは出来ない。
「ちゅーって、仲直りのちゅーみたいにほっぺとか?」
「そんな訳ないでしょ。唇と唇のキスだよ。」
分かっていた。分かってはいたが、改めてそう言われると全身に緊張が走る。
「本当にするの?…」
「うん。なんなら今からしようよ。今週の分使って。」
「ちょ、ちょっと待って!私、ファーストキスまだで…」
「知ってるよ。それに私もだから、大丈夫。」
何が大丈夫なのか分からないし、何も大丈夫ではない。ファーストキスなんて気にしてはいないのだが、今からキスをすると言われると意識してしまう。
「カエデからする気がないなら私からするね?」
そう言い、お姉ちゃんは思いっきり近づく。反射的に体が離れようと後退りしたが、また距離を詰めて来て、右手で手を掴まれた。
左手で私の右頬を撫でるように触り、顔が近づいてくる。お姉ちゃんの顔はいつ見ても綺麗で何故か分からないけれど鼓動が早くなる。
「目、瞑らないの?私は別にどっちでもいいけど。」
気がつくと、お姉ちゃんの顔はもうすぐそこにあった。
睫毛もくっきり見えるくらい近い。相変わらず整った顔で、それは近づいても変わらないらしい。
「…私が目を瞑ったら、お姉ちゃんも目を瞑って。」
「分かった」
お姉ちゃんの体が近づく。気がつけば唇と唇の距離はもう5cmもなかった。
私は、咄嗟に目を閉じた。その瞬間。なにか柔らかいものが唇に当たった。
初めての感覚に体が強ばる。が、それでも唇には柔らかいものがくっついている。
柔らかくて温かい。
味はしない。
そもそも最初っから味のするキスなんてするつもりはなかったから当たり前だ。
息を止めているのか、しているのか分からないけれど、苦しくなってくる。なのに、お姉ちゃんは離れる気配が無い。
息切れするほど苦しくなるまでキスをするつもりはなかったので、私から唇を離す。
何故かお姉ちゃんとは目が合わない。
息が切れるほどのキスはしてないし、味がするほどのキスはしてない。そもそも、お姉ちゃんからしようと言ってきたのに、目を合わせないのはおかしい。
「お姉ちゃ、んッ!」
私は、お姉ちゃんに声をかけようとした。が、お姉ちゃん、と全て言い終える前にお姉ちゃんが私にキスをしてきた。私は咄嗟に体を離し、唇も離したが、その瞬間にまたお姉ちゃんが近づいてきて、キスをした。
今度は、両手を繋がれていて、身動きが取れない。
気持ちがいい。
息が苦しい。
お姉ちゃんは苦しくないのだろうか?
そもそもお姉ちゃんは何でこんなことを。
色々な考えが頭の中でぐるぐるの回っていて自分が何を感じて、何を考えているのかが分からないが、息が苦しい、というのだけは分かる。
そんなことを考えていたら、やっと唇が離れた。
お姉ちゃんも息を切らし、はぁはぁ言っているし、私も息を切らしている。走った後のように鼓動も早く、酸素が足りず、呼吸も早くなっている。
こんな事になるのはおかしい。双子でキスするのは100歩譲って、いや、それでもおかしい事だが、それ以上に、息が切れるまでキスをするのはどうかしている。
「これは、1年分ね。」
「え?」
「息が切れるくらい長くキスをしたのは、高校1年の1年分。これでチャラね。」
「それ、ちゅーする前に言ってくれない?」
お姉ちゃんが自分勝手な事なんてそうそう無い。今だって、キスをする前に、今日で1年分使うよ、とか言ってくれればまだ対応は出来た。
「それだと、心の準備が出来ちゃうでしょ?」
「それの何がダメなの?」
「急にやる方が、カエデの反応を楽しめるから。」
「…目的と違うじゃんそれ。経験しとくだけじゃなかったの?」
「まぁまぁ、細かいことはどうでもいいでしょ。」
「良くない」
細かいことでは無いし、どうでも良くないことだ。だが、お姉ちゃんはどうでもいいと言う。
「とりあえず、今週の分は終わりでいいよ。また来週ね。」
そう言い、お姉ちゃんが部屋の外に出た。
当たり前のように来週の予定が決定する。それ自体も問題だが、なにより私が思ったよりも受け入れていることの方が問題だ。
私がどう問題だと思おうと、約束してしまったものは仕方がない。そう自分に言い聞かせ、気持ちを宥める。
「って言うか、まだ夕飯も、お風呂も何もかも終わってないじゃん…」
これから先はこんなことがあと約1年続くと考えると、この程度でお姉ちゃんと顔を合わせるのに気まずいとか思ってたらこの先が大変だ。
そうして私は、勇気を振り絞って自室のドアを開けた。