第一話 ペガサスの泉
ペガサスの住む泉のある山で、ひとりの聖女が暮らしている。
近隣の町や村でそう噂されるようになったのは、一年ほど前からだっただろうか。
噂の聖女が住んでいるのは、ペガサスの泉から少し離れたところにあるこじんまりとした、しかしひとりで住むにはちょうどいい一軒家。
家の横にある畑で、ナスのようなものを収穫していた聖女・セツコが天を仰いでひとりごちる。
「お戻りになったのね」
1キロほど離れたところにある泉に、ペガサスの光が舞うのが見えたようだ。
人々が神獣と崇めるペガサス。普段は穏やかだが、時に戦いに赴くことがある。
今回ペガサスは、ゾゼ国の端に出現したキマイラを討伐すべく、第三王子率いる第二騎士団と行動を共にしていた。
そのペガサスが、どうやら泉に戻ったようだ。
「ペガさんはナスといえば辛めの炒め物が好きだから、さっそく作って帰還祝いしますか!」
神獣に対してずいぶん気安いのは、彼女が異世界からきた聖女だからだろう。
常田節子、年齢25歳。
ここゾゼ国の隣の、シェーレという国で召喚された聖女である。
その聖女がなぜ山の中でひとり暮らしているかというと、話せば長くなるので簡単にまとめる。シェーレで行われた聖女召喚の儀で異世界から連れて来られ、国の伝統に則って王子と婚約していたのだが、その王子に好きな人ができたのでなんやかんや難癖つけられ婚約破棄され、国外追放になったからだ。このあたりは、よくある異世界召喚聖女の婚約破棄物語りを想像していただけたらいいだろう。
セツコが追放されたのは、魔の森と呼ばれる魔物がうじゃうじゃ湧いて出るゾゼとシェーレの国境にある森の中。しかしさすが聖女である。セツコは、持ち前の神聖力を駆使して魔物を退け、いとも簡単に森を抜け出てゾゼの国へやってきた。
森を抜けた先にあるゾゼの国の山にいたのが、『ペガさん』こと、ペガサスだ。
セツコはその神獣・ペガサスに気に入られ、ペガサスの住み家である泉の近くにある空き家に案内された。そして彼女は部屋を整え畑を耕し、ペガサスの加護の元暮らすことになったのだ。
近くにある村まで、歩いて半日ほどかかる。畑を耕し食物を得て、泉の水を浄化して使えたとしても、生活に必要なものは少なからずあるので、セツコは村まで買い物に行った。
ある日突然村に来るようになった彼女が、泉の近くに住んでいることは皆が知ることとなった。
セツコは、神聖力を使って畑の作物や色とりどりの花、薬草を育て、それを使って調合したポーションなどを、生活するための金銭を得るために村に卸していた。
大きな村ではないのでよそ者はすぐにわかる。
それが、黒髪黒目の笑顔が花咲く美人となればなおのこと。人当たりがよく陽気な性格で、人と話すことが大好きなセツコは、身の上話は濁していたが、住んでいるところと隣国から流れてきた訳アリの娘ということで村人に認識されていた。
そんな訳アリ聖女のセツコは、ペガサスの好物をパパッと作り、それをバスケットに詰めて家を出る。キマイラ討伐に行くという話は聞いていたので、無事に戻ったかどうか気になり足早に泉に向かった。
「ペガさん! おかえりなさい!」
十分とかからず泉に到着したセツコは、ペガサスの相変わらずの神々しさに安心し駆け寄る。
ペガサスはセツコに気づき、また、その手にあるバスケットにも気づき声を掛ける。
「ただいま、セツコ。それはナチョの甘辛炒めだね?」
「ふふ、そうよペガさん。無事ね? ケガはない?」
「ああ、私は無事だよ。さっそくそれをいただきたいけれど……」
言い淀んで、すぐ横の大木の根元に目を移すペガサス。つられて、セツコも目を向けると、傷だらけの男が木に寄り掛かってぐったりとしていた。
「まあ。この人は?」
「共にキマイラの元に行った騎士だ。私をかばって負傷したのだ」
「そう……私が治しても?」
「頼むよ、セツコ」
「ええ」
自分を助けてくれたペガサスをかばって傷ついた騎士とあれば、治療しない選択肢はない。それでなくても、セツコは元々困っている人を見過ごせない性質だ。傷だらけの男が目の前にいたら、敵だろうと味方であろうと治療しただろう。
しかし、神獣であるペガサスを庇うとは、よほどの馬鹿かお人よし。頭より先に、体が動くタイプだろうか、とセツコは思案した。
ぐったりしている男の前に跪き、セツコは騎士の胸のあたりに手をかざしてヒールを唱えた。
「我が力をもって、この者の治癒を……ヒール」
すると、かざされた手から温かな光が溢れ出て、男の全身を包んだ。