世界置換②
ペインレスワールドのクラッシュと閉鎖が引き金となり、その後、次々と現実世界に影響を与えるような変化が生まれたのは、まるで仮想世界と現実世界が繋がり、双方が徐々に交錯していったかのようだった。
当初は、変化が目に見える形で現れることは少なく、多くの人々はそれをただの偶然や一時的な現象だと捉えていた。しかし、時間が経つにつれ、異常な現象が頻繁に発生するようになり、誰もがその背後に何か大きな力が働いていることを感じ取った。
「世界置換」という言葉が使われ始めたのは、元プレイヤーたちの間でだ。彼らはゲーム内で見聞きした物が、現実世界での似た役割である物に上書きされる様子を観察し、それが偶然ではなく意図的に起こっているのだと考えるようになった。また凄まじいスピードで現実世界に反映され始めた事により一層その意識は強まった。
人々はこの現象に様々な解釈を加えた。ある者は、それが新たな進化の一歩だと捉え、技術や社会のあり方が根本的に変わる時が来たのだと感じた。別の者は、それが未知の力による支配や破壊の兆しだと警戒し、世界が崩壊しつつあるのだと危機感を抱いた。
物理法則が歪み、空間や時間に異常が現れ、奇妙な現象が次々と報告される中、元プレイヤーたちは「世界置換」をどう受け入れ、どのように関わっていくべきかを必死に考えるようになった。そして、その問いかけが新たな物語の始まりを告げていたのだった。
最初に変化が訪れたのは、ゴルド(通貨)や物流といった、世界の基盤を支えるライフラインだった。その変化は凄まじいスピードで進み、元プレイヤーたちの間では「アレがコレに変わった」といった話題が日常的に飛び交っていた。しかし、やがてその変化も当たり前となり、誰も口にしなくなっていった。
さらに大きな違和感を与えたのは、ゲーム特有の要素――例えば、ログインやアイテム使用といったコマンドシステムの消失だ。突然の世界観や自身の容姿の変化によって、かつて存在したはずのものが「失われた」という感覚が支配的だった。だがその一方で、元プレイヤーたちは次第に「本来できないはずのことが、できるようになっている」こと――魔法や剣技など――に気づき始めた。
その発見は興奮を呼び起こしたものの、同時にさまざまなトラブルも引き起こした。未知の能力を巡る対立や、適応できない者たちの混乱が後を絶たなかったのだ。
時は世界置換の初日へ戻る。
「NPC!」
スライとカイスは互いに顔を見合わせ、声を合わせて発した。その横を通り過ぎていくのは、薄汚れた服を着た親子だった。親子は彼らを一瞥し、少し訝しげな目を向ける。
「ママ…」
小さな人族の子供が、興味深そうにスライとカイスを指差す。それを見た母親は慌てて子供を抱き上げ、足早にその場を去っていった。
「やっぱ、僕らの方が目立つのかもね。この状況だと。」
カイスが自嘲気味に笑いながらつぶやく。
二人が身に着けているのは、かつてプレイしていたゲーム『ペインレスワールド』の装備ではなく普段リアルで身につけていたものだ。ゲーム内の装備品は運営の意向で徹底的にファンタジー調にこだわられ、現代的なデザインのものは一切存在しなかった。イベントでさえ、その方針が守られていたという。
「じゃあさ、確かめてみる意味でも試してみるか。」
スライが唐突に提案した。
「試すって何を?」
カイスが眉をひそめると、スライは意味ありげにニヤリと笑い、近くの駅前に目を向けた。そこでは亜人が果物を売っている。
スライは果物売りのもとへ向かって歩き出した。突然近づいてくるスライに、亜人の店主は一瞬驚いた表情を見せる。しかし、スライが目の前で果物を吟味し始めると、店主はすぐにニッコリと微笑み返した。
「いらっしゃい旦那、今日は何を買っていってくれるんだい」
わざとらしくスライも顎に手を当て考えるそぶりで果物を見ている。
「そうだな、このリンゴはいくらだい?」
「リンゴは1つ1ハーフゴルドだよ。ロード城下の黄金樹から今朝届いたばかりの採れたてだよ」
亜人はそう言い両手にリンゴを持って勧めてくる。
「なあ、あんたは俺たちの格好どう思うよ」
スライは単刀直入に聞いた。
聞かれた亜人は目を丸くした後にスライを舐める様に見る。
「うーん、なんと言えばいいのか、随分と変わった格好に見えるわね。そうだ、あんたら冒険者だろ?」
そう言うとスライとカイスにリンゴを一つずつ放り投げた。
「持っていきな、あんたらにはいつも世話になってるからね。朝からご苦労様」
受け取ったリンゴをじっと見つめたスライは、何か確信したように頷き、カイスの方を振り返った。
「なあ、聞いたか?変わった格好に冒険者だってよ。」
「うん、冒険者っていう響きになんだかジーンときてたところだよ。」
カイスもスライの行動によって得られた情報をかみしめるように、感慨深げに言った。
スライは大きく息を吸い込み、気を取り直したように言った。
「とりあえず、皆に会いに行こう。」
二人は再び駅へ向かったものの、駅には電車の気配がなく、完全に止まっている状態だった。相変わらず元乗客と元駅員が押し問答している。
「どうするか、これ。」
スライが頭をかきながら呟くと、カイスが何かを思い出したように声を上げた。
「あ!」
その声に、スライの耳がピクっと反応し、振り返る。
「なんだよ、ビックリするじゃん!まだこの耳に慣れてねぇんだって。で、なんか思いついたのか?」
そう言いながらカイスの顔をじっと見つめるスライ。しかしその時、スライ自身も何かに気づき、声を上げた。
「あ!ていうかさ!カイ、どうやってここまで来たんだよ!」
カイスは微笑みながら答えた。
「自転車漕いで来たよ。途中でなんか急に動かなくなっちゃったけどね…それで思い出したんだけどさ。」
カイスはニヤリとしながら続ける。
「僕らさ、ゲーム内での長距離移動ってどうやってたっけ?」
スライは一瞬ぽかんとした顔をしたが、すぐに何かに気づき、目を見開いた。
「召喚魔!」
召喚魔――それは『ペインレスワールド』でプレイヤーが使用していた、騎乗可能な魔物のことだ。二人は、この異常な状況を逆に利用できる可能性に気づいたのだ。
だがスライはすぐに現実に引き戻されたように眉をひそめた。
「あ、でもさ、そもそも召喚魔ってどうやって呼び出すんだよ、カイス様よ。」
ゲーム内ではメニュー画面から「ツール」を選び、その中の「召喚魔」項目から取得済みの召喚魔を選んで呼び出すのが基本だった。しかし、この世界にはメニュー画面など存在しない。スライは腕を組みながら困ったような顔をする。
「ゲームの時みたいに簡単にできるわけないだろ。ほかに方法ないのか?」
カイスも同じく悩むように首をひねる。
「…でも、今のこの世界って、意外と“思ったこと”が実現するっぽくない?」
その言葉にスライは一瞬黙り込むが、やがて頷いた。
「…なるほどな。じゃあ、試すしかねぇってことか。」
スライは深呼吸をして両手を広げた。そして、まるでゲームの中にいた頃を思い出すように力を込めて言葉を発する。
「召喚!『エンシェントドラゴンっ』!」
果たして、二人の前に現れるのは――。
「ママ…」
今度は竜族の親子が足早にその場を立ち去る。
「呼び出し方は分かりそうにないね。そもそものゲーム内で取得していたアイテムは適用されていないのかも。」
カイスは肩をすくめてお手上げのジェスチャーを見せた。
スライもため息をつきつつ、軽く頭をかきながら答える。
「確かに、服装も装備品も適用されてない感じだもんな。ってことは、俺たち全員レベル1から再スタートってことか。」
「レベル1…出来ることはそんなにないかもね」
カイスの言葉を聞きながら、スライは腕を組んで考え込む。自分がゲーム内で使っていたキャラクターのような動きが、今の自分にできるとは思えない。全く実感が湧かないのだ。ただ、全てが見た目だけの変化とも言い切れない。特に視力の鋭さや、獣族特有の敏感な聴覚は明らかに強化されていると感じていた。
「とにかく情報が欲しいね。」
カイスが現実的な提案をする。
「ああ、そうだな…。仕方ない、歩いて行くしかないか。」
スライもそう言い頷いた。
「そうだね。でも、どのくらい時間がかかるかな。道中モンスターが出る可能性もあるよね。それに、僕らの装備品がナイフくらいしかないのは心許ないね。」
そう言いながらカイスは、家から持ち出してきたアウトドア用のナイフを懐から取り出して見せた。
「さすがカイス、抜け目ないな。俺なんか何も持ってないよ。」
スライはスウェットのポケットをひっくり返して中身の無さを見せつけた。
地図アプリが使えるわけでもないが、線路はまだ目の前に続いている。二人は、線路をたどれば半日ほどでトンマの店に到着できるだろうという結論に至った。その時だった。
背を向けていた駅舎から突然大きな歓声が上がった。
「なんだ…?」
二人は声の方に顔を向ける。駅のホームでは、集まっていた人々が線路の先を指さしながら興奮した様子でざわついている。その視線の先には、米粒大の何かがこちらへ向かってくるのが見えた。
「電車?」
カイスが小さく呟く。
相変わらず踏切のバーは上がったままだが、電車が動いている気配を感じ、二人は身を乗り出すように線路を見つめた。徐々に近づいてくる車両の姿に、二人は同時にハッとした顔をして互いを見た。
「魔源列車!」
スライとカイスは声を揃えて叫んだ。
魔源列車――それは魔法を動力源とした列車で、ペインレスワールド内では主要都市を結ぶ交通手段の一つだった。ゲーム内では、転移魔法や召喚魔を使用できない初心者プレイヤーが移動手段としてよく使うものだったが、上級者となった後は使う機会がほとんどなく、二人ともすっかり忘れていた存在だった。
スライは小さく笑いながらつぶやいた。
「…いや、まさかリアルで魔源列車を見ることになるとはな。」
カイスも半ば呆れたように微笑み返す。
「でも、これで半日歩きっぱなしってのは回避できたね。」
「確かにな。乗れるかどうか試してみようぜ。」
スライは肩を回しながら言った。
「しかし、こんなに魔源列車の存在を嬉しく思ったことねえよ…」
最初に到着した魔源列車には、待ち望んでいた人々が我先にと殺到し、乗るどころか駅舎に近づくことさえ叶わなかった。しかし、30分ほど待つと、再び列車がやってきた。二人は運良く次の便に乗ることができたのだ。
スライは外の景色を眺めながら、ふと呟く。
「トンマの店、ちゃんと残ってるかな…昨日ぶりだけどなんだかすごく前に事にも思えるぜ不思議…みんなも絶対同じ考えに行き着くと思うんだよな。」
カイスは隣で微笑みつつも、そんなスライの様子を見て首をかしげる。
「なんだか落ち着かないね、スラくん。心配してるの?」
スライは少し照れ臭そうに笑った。
「いや、そういうんじゃねぇけど…。なんかさ、みんなゲームのキャラそのまんまの姿になってるわけだろ?でも実際は、ゲームよりリアルっぽいっていうか…どんな感じになってるか楽しみなような、怖いような。」
二人が目指しているのは、まさに昨日メンバー全員で楽しく過ごしたトンマの店だ。数時間ぶりになるが現実とゲームが混ざり合いはじめたこの世界でも無事に残っているか不安だった。
とはいえ、この奇妙な世界で交通手段が失われ、移動すらままならない状況は、彼らの不安を増幅させていた。魔源列車が動いていなければ、徒歩で半日かけて向かうしかなかったのだから、乗車できたのはまさに幸運だった。
カイスが窓の外を見ながら口を開く。
「でも、トンマの店が無事かどうかに関わらずみんな集まってるかもね。」
スライは小さく頷いた。
「そうだな…。それなら、そこで手がかりを集めるのが最初の一歩ってわけか。」
列車は淡々と進み、次第に見慣れた景色と見慣れない風景が混ざり合いながら広がっていく。遠くに見えていたはずの東京タワーは巨大な樹木に変わりはじめており、近くではゲームで見たような魔法陣が刻まれた地形がぼんやりと見えた。スライとカイスは、その非現実的な景色を前に、どこかゲームの中を冒険していた頃を思い出していた。
「懐かしい感じもするけど、現実にこうやって乗ってると妙な感じだよな。」
スライが呟くと、カイスも笑顔を見せた。
「まさかゲームの中で遊んでた頃の場所が、こんな形で“現実”になるなんてね。」
彼らは揺れる列車の中で、それぞれの思いを抱えながら、次第に目的地への到着を待ちわびていた。
そのとき、二人はふと、自分たちの体に起きた変化について改めて気づく。ゲーム内ではただのCGのようだった肌が、今では微細な産毛が生え、触れると柔らかさや温かさが感じられるようになっていた。また、瞳はゲームのグラフィックで表現されたものよりも、はるかに透明で深みが増し、まるで現実のもののように感じられる。スライが驚きと興奮を感じながら言う。「これって、今更だけどプレイヤーだった人は皆そうなってるって事だよな?」
カイスは真剣な顔でうなずき、周囲を見渡す。
「もしこの変化が広がっていて、僕たちの推測が正しいなら…」
カイスは静かに話を続けた。
「プレイヤーだった僕たちの姿はアバターの姿に置き換わり、逆にアカウントを持っていなかった人たちはNPCになっている可能性がある。そして、元の世界そのものが徐々にペインレスワールドの世界に上書きされていってるってことだよ。」
その言葉を口にしながら、カイスはアウトドア用のナイフを取り出した。
「ほら、ここを見て。」
スライは言われるままにナイフの縁の部分をじっと見る。プラスチックとラバー素材で作られていたはずのグリップ部分が、いつの間にか木製に変わっていた。細かい木目まで刻まれており、もはや元の素材の名残すら感じられない。
「おいおい…マジかよ。」
スライはその変化を見て、驚きと焦りを隠せない。使えないと分かっていながらもポケットにしまっていたスマートフォンを取り出すと、それは石のような硬質な板に変わり果てていた。
「変化のスピード早くね?」
スライはその板を呆然と見つめながら呟いた。
カイスは少し眉をひそめながら、自分の上着のポケットに手を伸ばした。
「スラくん、今いくら持ってる?お互い確認しておこうよ…。たぶん、現金とかも変わってるかもしれない。」
そう言って財布を出したカイスの手が止まる。取り出したそれを見て固まっているのだ。
「どうした?」
スライが首をかしげながら尋ねた。
スライも上着のポケットに手を突っ込み、自分の財布を取り出そうとした。だが、触れた感触は明らかにいつもと違う。慌てて引っ張り出してみると、それは見慣れない革袋だった。
「…おい、これ何だよ。」
スライは半ば呆れたように、革袋を右手に乗せて見つめた。袋の口は紐で縛られており、中にはカラン、と硬貨のようなものが入っている音がする。
「多分、これがいわゆる“通貨”だね。元々のお金がゴルドに変わっちゃったんじゃないかな。」
カイスは自分の革袋も確認しながら冷静に答えた。
スライは軽く頭を振りながら、袋を少し振って中の音を聞いた。
「おいおい、ものすごい速度でどんどん置き換わっていってるって感じだな…。でも、これがもし現実世界全体に広がってるんなら、街の人たちも同じ状況ってことだよな?」
カイスは頷きながら視線を外に向けた。
「そうだね。ただ、みんなが変化に気づいてるかどうかは分からない。僕らみたいな元プレイヤーじゃなかったら、ただ新しい“現実”として受け入れてる可能性もある。でないとさっきの商人や親子連れの態度に納得がいかない。」
スライはその言葉を聞いて少し考え込んだが、すぐに苦笑して言った。
「どっちにしても、俺らは動くしかないってことだな。情報集めが最優先だ。」
スライは革袋を開けて、中身を掌に広げてみた。袋の中から転がり出る硬貨が、小気味よい音を立てる。その輝きに少し見入った後、スライは硬貨をひとつひとつ指で摘んで確認した。
「えっと…この一番小さい銅貨みたいのがハーフゴルドで、この金色のやつがゴルド、んでもって銀色で大きいのが聖教貨、さらに一番でかいやつが聖王貨…でいいんだっけ?」
隣で自分の革袋を覗いていたカイスが頷きながら応じる。
「うん、合ってると思う。それで大丈夫。」
スライは硬貨を再び掌の上で転がしながら首を傾げた。
「んでこれって、一体今いくら持ってるってことなんだ?」
そう言いながら考え込むスライ。頭を掻きながら、ポツリと呟く。
「えっと…リンゴが1つ1ハーフゴルドだったから、俺のこの中身でいくつリンゴが買えるかっていうと…」
指を折って数え始めたスライに耐え切れず、カイスが吹き出した。
「ぷっ…ははっ!もう、リンゴがいくつ買えるかわかってもしょうがないよ」
スライは顔をしかめてカイスを睨むが、その目つきもどこか可笑しさを含んでいる。
「おい!笑い事じゃねえぜ、マジで!とりあえずリンゴを新しい単位としてだな。」
「まったくスラくんたら、変わってない。やっぱスラくんはスラくんだ。」
その言葉にスライは一瞬黙り込んだが、すぐに肩をすくめて笑い出した。
「…だな。あー、早く皆に会いてえわ」
カイスも軽く頷く。
「うん、そうだね。きっと不安な人もいるだろうし安心したいし安心させたい。」
そんな二人のやり取りを見て、周囲の乗客たちは一瞬だけ視線を送ったが、すぐにまたそれぞれの時間に戻っていった。
スライは硬貨を再び革袋に戻しながら、笑顔を浮かべた。
「ま、なんとかなるだろ。集まったら集まったで、また楽しくやれるさ。」
カイスも微笑みながら頷き、揺れる魔源列車に肩を預ける。彼らの行く先には、新たな世界の真相と、仲間たちとの再会が待っているはずだ。
二人は革袋をポケットにしまい直し、魔源列車の揺れの中で次の目的地――レッジョディカラブリアでの再会を心の中で期待しながら、それぞれの不安を飲み込んでいた。
揺れる列車の中、短くも長くも感じられる曖昧な時間が過ぎていく中で、スライとカイスは自分たちの変化した体を少しずつ受け入れ、新たな世界での目的を見据えて進む決意を固めつつあった。
車窓の外に流れる景色はどこか見覚えがありつつも、刻々と変化し続けており微妙に違っている。ゲーム内での記憶と現実世界の記憶が入り混じる中、二人は真剣に外を見つめていた。というのも、どこで降りればいいのかが分からなくなりつつあったからだ。
そんなとき、車内の伝声管からアナウンスが響いた。
「まもなくシュラウドカルン。」
その地名を聞き、二人はハッとして顔を見合わせた。聞き慣れているようで、どこか違和感のあるその名前。ゲーム内では記憶にあるが、現実では初耳の地名だった。
「地名まで変わり始めてるのか!」
スライは慌てて立ち上がると、カイスもそれに続いた。
「うん、多分そろそろ降りたほうが良いかもね。」
列車が徐々に速度を落とし、殺風景な木造の駅にゆっくりと到着した。
降り立ったその駅舎は、どこかで見たことがあるような建物だった。現実ではなく、仮想空間――ペインレスワールドで見たことのある建築様式だ。駅の柱や屋根の形状、窓枠のデザインまで、ゲーム内で港町にあった「駅舎」を思わせる。しかし、微妙に違う現実感が漂っている。
周囲に降りた人々も同様に辺りを見回し、どこか落ち着かない様子を見せている。その反応を見て、スライは小声でカイスに話しかけた。
「やっぱり、他の奴らも何か感じてるんだろうな…この違和感。」
カイスは少し考え込みながら、駅舎の看板を指差した。そこには「シュラウドカルン駅」と刻まれている。
「ここ、多分新橋駅だったあたりだと思う。」
スライは頷きながら辺りを見回した。
「なんとなくな。駅前のSLは無いが代わりに大きな石碑が鎮座してるし東京タワーからの位置的にも間違いないかと…でも、完全に確信があるわけじゃねぇな。地名も変わってるし、建物も少し違うし…なんだかリアルすぎて違和感が増してる。」
二人は駅舎を抜け、次の目的地に向かうために再び線路沿いを辿ろうと決めた。この変化し続ける世界で、自分たちの知る「仲間たち」と「拠点」を見つけ出すために。
「無事でいてくれハルちゃん…」
カイスは願う様にそう小さく呟いた。