怖がりに育てられた、怖がることを禁止された子供の話
……私の親は、怖がりである。
地震と雷と台風が苦手で、遭遇すると派手に怖がる。
未知の何かが苦手で、遭遇すると派手に怖がる。
大丈夫だといっても、そんなことはないと否定される。
大丈夫だからといっても、最悪のパターンを想像する。
大丈夫だったねといっても、次はもっとひどいのが来ると悲観する。
雷の大きな音がたまらなく怖いのだそうだ。
雷がいきなり落ちるのがたまらなく恐ろしいのだそうだ。
雷に家電を破壊されるのがたまらなく不安で怖いのだそうだ。
地震の地響きがこの世の終わりを連想させておそろしいのだそうだ。
地震の揺れがたまらなく心を揺さぶって恐怖をあおるのだそうだ。
地震関連のテレビを見ていると恐怖が増してしかたがないのに、見なければいけないという使命感があるせいで寝ることもできずとてつもなく負担なのだそうだ。
台風の予想円を見るとすべてが吹き飛ぶとしか思えなくて怖くなるのだそうだ。
台風のせいで食料が手に入らなくなると思うと食欲がなくなって、このまま餓死してしまうのではないかと怖くなるのだそうだ。
台風の時期になると晴れていても不安でたまらないため、心労で倒れてしまわないか怖くなるのだそうだ。
未知のウィルスが怖くてたまらないのだそうだ。
不確かな情報に踊らされるのが怖くてたまらないそうだ。
他人はみな知らない人だから怖くてたまらないそうだ。
同じような毎日が続くと何か起きそうで怖いのだそうだ。
経験したことがない事が起きると恐ろしくてたまらないそうだ。
健康を確かめるためにこまめに病院に通わないと不安で仕方がない、病気になるのが怖くてたまらないそうだ。
検査の結果を聞いてもミスがあるかもしれないと思うと不安しか感じなくて怖いのだそうだ。
メンタルクリニックは頭のおかしな医者が適当な事を言って金をとるから恐ろしくて近づけないのだそうだ。
早く死んでしまえば楽になれそうだと思うのだが、死ぬのが一番怖いのだそうだ。
まさに八方塞がりである。
私の親は、全てに怖がり続けて生きて行くしかないのだ。
だがしかし…、恐怖にまみれた生活をしている親ではあるが、その恐ろしさに押しつぶされるようなことはない。なぜならば、恐怖を蹴散らすテクニックを持っているからである。
私の親は、恐怖を打ち消すために、怒りをフル活用しているのだ。
おそらく、どうしようもない怖さを何とかして克服しようとして編み出した技なのだろう。
私が生まれる以前はどうしていたのかはわからないが、少なくとも私が物心ついたころにはもう、この技を駆使していた。
……雷が鳴るたびに、派手に怒鳴られていた事を思い出す。
雷鳴と、叫び声と、怒鳴り声が…狭い家の中で響いて、とても憂鬱だった。
おそらく私も、はじめは雷が怖かったのだろうなとは思う。
けれど、パニックになっている親の方が、もっと怖かったに違いない。
……真っ暗闇の中で、何度も何度も繰り返し言われたことを、未だに覚えている。
子供の癖に怖がるな。
子供は何でも大げさに怖がるから腹が立つ。
子供の恐怖なんてたいしたことないのに。
鼻くそみたいな恐怖でしかないのに泣き喚いてずうずうしい。
お前は子供なのだから本当に怖いという事がわかっていない。
大人の恐怖は格が違う。
分別の備わった大人がこらえきれずに声をあげてしまうくらい恐怖を感じているのに、オマエは遠慮もせずに音に驚いて一緒になって声を出す節操なしだよ。
お前のは【怖い】じゃない、ただの騒ぎたがりだ。
本当の恐怖を知るワタシの前で怖がることは許さない。
黙って話を聞いていろ、文句を言うな。
子供のくせに口答えをしたらどうなるか今から教えてやろうか…?
めちゃくちゃな理論で私を叱り飛ばし、怒りをぶちまけているうちに雷がやんで…、開放されるのがいつもの流れだった。
大人になってからも、事あるごとに恐怖を蹴散らすための怒りを向けられた。
とうの昔に大人になっているのに、【娘である=子供である=親の言う事を聞くものである】という認識が、私を解放してはくれなかったのだ。
遠く離れて暮らすようになっても、思い出したように電話がかかってきては怒鳴られた。
雷が鳴っている最中に電話をしたら感電死する可能性があるのにかけてやった、危険を犯しているワタシの元に今すぐ来て雷のない場所に連れて行け。
台風で家が揺れているからまもなく倒壊する、お前に死に際の声を聞かせてやろうと思って電話をしてやっているんだありがたく思え。
こんな大きい地震この世の破滅の前兆だよ、もうじき死ぬね、あんたもかわいそうにね。
テレビでやっていたウイルス、アンタは運が悪いから絶対移るね、苦しんで死ぬらしいよ!
恐怖でパニックになっているので、親の言う事は支離滅裂で意味不明だ。
電話で顔が見えない分、妄想が広がって恐怖の規模が大きくなるのがきつかった。
毎回遠くに駆け付ける負担が大きすぎて、私は親を…身近な場所に呼び寄せた。
私の住む家屋よりも豪勢な建物に住みながら、倒壊の心配をし、恐怖を口にする。
ほんの少しの不安を妄想でどんどん大きくして、恐怖に変えて、怒りを撒き散らす。
何を言っても怒りになって返ってくるので、極力声をかけないよう、機嫌を損ねないよう過ごす日常が続いている。
……派手に怒られ続けたせいか、私は怖いものを怖いということができなくなっている。
―――怖いと言ったら親に怒られる
―――自分が怖いと思う感情は、恐怖ではないと言われた
―――勘違いするなときつく叱られた
―――怖いと言わなくてもあれほど怒られたのに、怖いと言ったらどうなってしまうのだろう
三つ子の魂百までとはよく言ったものだ。
ずいぶん大人になったというのに、幼い頃の出来事が忘れられない。
幼い私を叱り飛ばした親の年齢をはるかに上回ったというのに、未だに自分は…子供でしかいられない。
私の一番怖いものは、おそらく自分の親だとは思うのだが…、いまいち、よくわからない。
なぜなら私は…、親を見ても、こらえ切れない恐怖の塊は一滴も漏れ出さない。
親を見ても身体は震えないし、逃げ出さないし、涙も出ないし、声も出ない。
なにより、怒りを叩きつけてくる親を前にして、黙って冷静に対処することができる。
親がいなくなったとき、もしかしたら……、私は、怖がりになれるのかもしれないとは思うのだ。
私に恐怖というものを教えた親以外は、皆口をそろえて、「それは恐怖というんだよ」と言っている。
私に怖がることを禁じた親以外は、皆口をそろえて、「怖がっていいんだよ」と言っている。
健康管理に余念のない親は、私よりもずっと健康だ。
まだまだきっと、怖いという感情を出せない日々が続く事だろう。
いつか自由に怖いという感情を出せる日が来た時のために、私は自分の想像する【怖い】というものを、創造して…備えている。
これは恐怖なのか、それともただの言い訳なのか。
これは恐怖なのか、それともただの驚愕なのか。
これは恐怖なのか、それともただの躊躇なのか。
これは恐怖なのか、それともただの現実逃避なのか。
模索しながら、いろんな恐怖を思い浮かべて…、本当の恐怖に対面する準備を、している。