閑話 兄視点③
――遠くから妹の泣き声が聞こえる。
妹が声をだして泣くのを最後に見たのは何時だっただろうか……。転んで怪我をしたときも、可愛がってくれた祖母を亡くしたときも妹はあんなに声をあげることはなかった。その妹が泣いている。
私は舌打ちしたくなる気持ちを抑えて、デスクの引き出しから書類を取り出した。父から必要なときは躊躇せず使えと渡されていた婚約解消の書類。
苛立ちが文字に表れないよう息を吐きながら男爵宛に手紙をしたため、呼鈴を鳴らした。
現れた執事は珍しく表情に怒りが滲んでいる。思わず苦笑しながら「頼んでもいいか」と封筒を渡すと、それはいい笑顔で頷いて足早に出ていった。
……思えば両家の顔合わせのときから違和感はあった。
いくつもの事業を抱え爵位にすら拘りのない振興貴族の男爵家と、長い間自然厳しい地で領民達を守り続けてきた我が伯爵家とは、基本的な価値観が異なっている。
どちらが正しいと言うわけではなく、おそらく人生を考える上で立っている場所が違うのだ。
それでも妹が望むのなら見守ろうと思っていた。
だがやはりふたりは『婚約者』という立場で向き合うようになってから、ズレが生じるようになったようだ。
正直言って、ヤツから贈られてくるドレスは可愛らしいが何となく派手で、妹に似合わない。似合わないドレスを笑顔で着る妹は、少しずつ疲弊していくようにすら見えた。
妹がヤツから貰ったペンダントに触れて俯く姿を偶に目にした。そんなもの引きちぎってしまえばいいのに。
ヤツがノーステリア領を軽く見る発言を繰り返し、ついに妹が婚約解消を口にしたと聞いたときは歓迎したが、妹はヤツに縋られてあっさり申し出を取り下げた。おい。
「前向きに理解し合えるよう努力する」と笑っているが、この場合そんな我慢強さを発揮しなくてもいいと思うぞ。
ある日、学園におかしな令嬢が現れてひどく風紀が乱れていると噂を聞いた。第三王子まで篭絡されているそうだ。……やばくないか?
第三王子まさか平民になるつもりかと思っていたら、幼い頃から婚約者を甘やかしていた公爵令嬢がついにキレたそうだ。あっさりと矯正され、今はおとなしく婚約者の隣にいるらしい。凄いな……。
そんなおかしな令嬢が最近ヤツに接近してると聞いた。女性に言い寄られるのに慣れているヤツなら心配ないだろうと思っていたのに、さくっとヤツは篭絡された。
すぐに領地の両親に連絡をすると返事は早かった。婚約解消の書類と父からの手紙。手紙には、ヤツの父親である男爵もひどく移り気で、若い頃にいろいろやらかしていたことが書いてあった。
それ、もっと早く言ってくれても良かったのでは?…………まぁ、何かが起こる前から父親と一緒にしてはいけないが。
それにしてもあの一見人の良さそうな男爵が……。だとするとヤツは母親の麗しい見た目を引き継いだ進化型ということか。早めに何とかした方がいいな。
婚約解消に向けて情報を集めていると、驚くことにヤツから婚約解消を願い出てきた。
私からすれば硝子玉のような令嬢のために、ヤツは妹を石ころのようにあっさり手放した。あまりの馬鹿馬鹿しさに笑えてくる。
心底腹立たしいがこの機を逃す手はない。即日で男爵に了承させた。
次の日、私の部屋にきた妹が昨日のことを報告してきた。すでに手続き済みなことを教えてやるとぽかんと口を開けたが、すぐに持ち直してこれまでのことを謝罪してきた。
ヤツと縁が切れて気分のいい私は「まったく問題ない」と返しながら、あらためて妹の顔を見る。意外にもすっきりとした顔をしていた。疲れてはいるが瞳に輝きがある。……立ち直りが早いな。
念のため「お前はどうなんだ」と聞くと「問題ありません」と妹は微笑んだ。
気分よく過ごしていたある日、イーストウッド侯爵家から使者がやってきた。内心慄きながら封を開けると、令息のカイル様と妹との縁談の打診だった。……………はぁ。
イーストウッド侯爵家のカイル様と言えば、嫡男ではないが切れ者と名高い王太子殿下のご友人としても有名な方だ。そんな方が妹に……。
目の前にいる壮年の使者が笑顔で「早い方がよいでしょう」と言うので、私はそのまま侯爵家の馬車に乗りカイル様のもとに向かうことになった。
侯爵家で待っていたカイル様は、背が高く落ち着いた雰囲気の美丈夫だった。柔らかく微笑んでるが目力がやばい。ハムウェイス侯爵令嬢といい、何処でこういう方を引っ掛けてくるんだ、妹よ!
背中に冷や汗を流しながら話を聞けば、妹から元婚約者のことはずっと聞いていたので、諸々の事情も了承しているそうだ。妹よ、いったい誰に何を相談してるんだ……。
一度深く息を吐き、目の前で優雅にすわるカイル様を見る。切れ者の王太子に一目置かれ、妹の性格や事情を知りながらも望んでくださる方。妹も信頼してるからこそ、この方に相談をしていたのだろう。
私は立ち上がり深々と礼をする。
「妹をどうか大切にしてやってください」
「もちろんだ」
カイル様が綽然と微笑んだ。
学園入学前に妹が、私のために王都で人脈を築くと言ってたのを思い出す。妹よ。お前は本当になんだか凄いな……。
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