まずは一遍死んで生き返ろう
松ヶ浦庄祐は変わった奴であった。奴の奇行を指折り数えれば、夫婦に二人の子供と飼い犬の両手両足などたちまちにしてふさがってしまうだろう。「犬も歩けば棒に当たる」という諺が真実かを確かめるために野良犬を付け回す、などというのはまだかわいいほうで、数十万もする真珠を豚に与えたかと思えば、それを丸のみにした豚を見て「はて、これ以上安全な資産の隠し場所があろうか」と感心してみせたり、録音した念仏を馬の耳の横で流した結果自ら蹴りを食らい入院したり、あきれるという感情をすっ飛ばして即座に無関心を装いたくなるような行動に年中身を投じていた。
なのでというべきか、その庄祐が死んだと聞かされた時も、大方石の上に三年間飲まず食わずで座り続けたあげくに、土に埋まらずして即身仏に成り果てたのだろうと、心配よりも不謹慎な想念が先に立ったくらいである。
変人と称することにこれほど躊躇いの生じない対象はあるだろうか。庄助の死は、そう頭を掠めた翌日のことであった。通夜や葬式には、多くの生類がひっきりなしに詰めかけた。生類とあえて形容したのは故あってのことで、その日は人のみならずして、不思議と野良の犬やら猫、果ては馬や鹿に至るまで、閉式までゆうに十種を超える野生の動物が松ヶ浦家に姿を表したのである。
21世紀となったこのご時世、いくら松ヶ浦家が田舎にあるとはいえ、そのような光景が拝める日が来ようなどとはその時までついぞ思いもしなかった。しかし、彼らは何も庄祐の死を悼むためにやって来たのではない。犬や猫などは、遺体が横たわっている居間にするりと上り込んだかと思えば、庄祐の顔に粗相しようと片足を上げ、間一髪で庄祐の親友であり飼い犬でもある「もみあげ」に追い払われていた。
馬に至っては、身体をねじ込むのでさえ億劫であろう庭に強引に押し入ったかと思えば、庄祐が大事に育てていた盆栽を一つ残らず蹴り回し、文字通り粉々に粉砕した。唯一破壊を免れた立派な黒松は、おそらく馬の同志であろう鹿の突進によって、同様、いや、それ以上の塵芥と化してしまった。
とはいえそれは、庄祐に苦汁を舐めさせられた動物達による、彼らなりの弔いだったのかもしれない。「人間50年、死して屍、拾うものなし」と武将の辞世の句やらテレビドラマの名ナレーションやらが入り混じった迷言を、庄祐は自身でなお曲解し、「財産など一文たりとも残さんぞ」と虚空に啖呵を切っていた。どうやら庄祐の場合、拾う「もの」とは「者」ではなく、「物」だったらしい。「死ねば所詮は糞袋、三途の川の渡り賃すら、使えずただただ腐るのみ」というのも庄祐が自慢げに語っていた狂言であり、これについては厳然たる真理なのであった。いや、はずだったと言うべきか。然るに、動物たちは庄祐の遺品を破壊することによって、それを体現したのであろう。犬猫については、マーキングを施し、庄助を自身の縄張りと主張する事で、死んだ貴様の骨を拾ってやるという粋な冗談を披露したのかもしれない。庄祐は大層笑いの好きな奴でもあった。
さて、ここまで語っておいてなんだが、なにも私は庄祐の死に様について語るために筆をとったわけではない。そうであれば長々と語ったりせず、動物が背景の自撮り写真に一言添えてインスタに投稿すれば良いのである。それは物の見事に電子砂漠に沈んでいったことだろう。だが、残念ながらことはそう単純ではない。言わんや、庄祐の死は終わりではなく、むしろ始まりに過ぎなかったのだ。
葬儀が終わり、身寄りのない庄祐の喪主を務めた村長が雑務を終えやっとこさ帰宅した後で事件は起こった。
私自身も、東京に仕事を持っている身のため、早々に新幹線で都会のコンクリートを踏みたかったのであるが、御年90歳を超える村長に全てを押し付けるのが不憫で手伝いを引き受けていた結果、すでにその日に捕まえることのできる交通機関は皆無となっていた。大体、庄祐の奴が命日として選んだ日取りも悪い。何を隠そうそれはお彼岸、すなわちお盆の真っ只中だったのである。たまの休日を根こそぎ持っていかれるなどということは想像していなかっただけに、宿も押さえていなかった。そこで、アナーキーな動物達の破壊活動によって半ば廃墟と化した松ケ浦亭で、一晩を過ごすことにしたのである。
さて、通夜の後、遺体のそばで寝ていると、見送ったはずの当人が夢枕に立つとよく言われている。嘘か誠かは定かではないが、私の中では既に脳の神秘的な記憶整理活動の一環ということで決着がついていた。なので、私も夏の朝の煌びやかな陽光によって目覚め、薄らと開けた眼の先で死んだはずの松ケ浦庄祐本人が、蹲み込んで私を見下ろしているのを見たとき「ああ、私の無意識もまだ庄祐の記憶を留めておこうとする気があるのだな。さっさと忘れてしまえばいいものを。」と思ったのである。
「定晴よ。それは少しばかり冷たくないか。」
はて、とその時私は思った。今私は自分の考えを口に出していただろうか、と。独り言をいう人間はストレスを抱えていると聞いたことがある。私の心にも、自分では気づかぬうちに、幾ばくかの負荷がかかっていたのかもしれない、と思考が散策を続けた。
「バカだな。君がそんな殊勝なわけあるか。」
人に自分の思考を読まれるのは気持ちのいいものではない。特に庄助とあらば尚更である。不気味さと不愉快さが入り混じった気分になったと同時に、忘れられたくないのは分かるが早く私の夢から消えてくれと、起き上がった死人に冷や水をぶっかけた。
「残念ながらというべきか、これは夢ではないぞ。」
そう言って庄祐は満面のニヤケ面を作った。満面のニヤケ面がどう言ったものかについては、その時の庄祐の顔を見ていただくほかない。笑みというには弛んでいるし、いわゆるドヤ顔にしては無邪気さが抜けきっていない。「してやったり」という感情がないこともないのだが、はち切れんばかりの好奇心がそれをミルフィーユの15層目に潜んだ隠し味のように薄めてしまっていると言えばいいのだろうか。自分でも何を言っているのか分からなくなってきた。
「そんなわけがあるか!」
私はそう自分が叫んでいたことに気がつくのに少々時間を要した。人は言葉を発する前に無意識化で情報の取捨選択をする。実際の行動は意識した時点で既に電気信号が発せられている。私の無意識は「そんなわけがあるか!」と叫ぶという結論を導き出す前に、やけに迂遠な道を辿っていたようだ。
「では、頬を抓ってやろう。」
「いいだろう。思い切りやってくれ。夢でないのなら、できればそのまま私を抓り殺してほしい。今日死んだところでどうせお前のように生き返るはずだから。」
「よかろう。」
そう言って庄祐は私の頬を親の仇かの如く抓り、いや捻り上げた。「痛い!痛い!ギブアップ!」と私が叫ぶのに2秒もかからなかった。どうやら本当に、庄祐は生き返ってしまったらしい。私の知る限り、死から蘇った人間は聖書の中でしかお目にかかったことがない。ひょっとして庄祐は神の子だろうか。そうであればとびきり酔狂なギリシャ神話の神が、泥酔し変な生物とまぐわったあげく、誤って産み落としてしまったに違いない。出来の悪い子ほど可愛いということで再びこの世に蘇らせたのだろうか。それとも天界からなるべく遠ざけるためだろうか。いずれにせよ、迷惑な話である。
「面白い仮説だが、残念、俺は松ケ浦哲郎と松ケ浦美智子の間に生まれた生粋の日本人だ。お袋が受胎告知を受けたなどという話も聞かんし、親父に至っては仮にそんなことがあろうものならすぐに離縁届を出していただろうな。」
「知っているとも。全く、君に考えが読まれるとなると、おちおち妄想にも更けれないじゃないか!」
「俺も何も好きでお前さんの頭を覗いているわけではないぞ。聞かされたくもない戯言が勝手に頭に流れ込んでくる俺の身にもなってほしいものだ。」
「口の減らない奴だ。」
しかし、私の語ったことが真実ではないにしろ、なぜこのようなことが起きてしまったのだろうか。
「うむ、それは至極単純な話でね。俺は向こうに行けなかったのさ。」
「向こう?」
「今はお彼岸だろう?要するに今霊界は帰省ラッシュなのさ。お盆の期間中に死んでしまったものだから、帰りの茄子が取れなかったとこういうわけさ。」
「精霊牛に跨がらなくとも良いんじゃないのか?魂だけなのであれば疲労も感じないだろうに。」
「さすが、相変わらず妙なところに鋭いな。そう、向こうに行かなかった理由はもう一つある、俺にはやり残したことがあってね。それをやりとげないことには文字どおり死んでも死に切れないというわけだ。」
これまたよく聞く慣用句だが、本当に死に切らない奴がいるとは、やはり呆れるを通り越して無関心を装ってしまいたくなる。
「ではさっさと用事を済ませて潔く向こうへ行ったらどうかな。」
「そうだな。しかし、どうやら俺はお前のそばから離れられないらしい。所謂、背後霊というやつになってしまったようだ。」
「なんだって!」
ということは、仕事中も、いや寝ても覚めても何をしていても、庄祐に思考を読まれ続けるという拷問に耐え続けなければならないのか。3億やると言われても断る。100億積まれて初めて受けるかどうかを考える話だ。無論、まず50億という大金に物を言わせてこの世に存在する除霊師全員を集めて庄祐を滅殺することに使うことを前提にしている。
「まぁ、そういうな、なっちまったものは仕方がない。」
「本当にその用事を片付ければ、成仏できるんだな?」
「仏に成るかどうかは知らんが、向こうに行けることは間違いない。」
「では、さっさと取り掛かろう。気乗りはしないが、私も向こう1週間は会社の制度でリフレッシュのための休暇を取ってある。少しばかりなら付き合ってやる。」
「友よ!ありがとう!」
そう言って庄祐は未だ布団から起き上がらないでいた私に抱きついてきた。
「やめろ!いいから!気色悪い!」
庄祐を振り払い、帰りのチケットのキャンセルをせねばと思い至ったところで、庄祐の用事にどのくらい時間がかかりそうなのか分からないことに気がついた。
「すまない。」
「何がだ。」
庄祐は滅多なことでは謝らない。謝るときは良からぬことの予兆である。
「実はな、死んだ拍子に何をやり残したのか忘れてしまったのだ。」
本日2回目の「なんだって!」という叫びが飛び出した。私の喉はそれに耐えられなかったようで、咳き込んでしまった。私の背中を右手でさすりながら、左手で顔の前に手刀を作り、満面のニヤケ面で庄祐はこう言い放った。
「頼むよ。後生だ。」
死ね!私は無意識がそう判断するよりも先に、そう頭の中で叫んでいた。