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S・SST戦記 -Fragment-  作者: 赤黒伊猫
『模擬戦闘訓練記録 2XXX/05/13』
8/9

5:刹那の奇襲戦 -Clever scheme-



 -↯-



 すでに両者の加速装置(アクセラレイター)は持続可能時間を超過し解除されている。正常に戻った時間感覚の中、絶え間ない軋みと崩落の音に包まれながら、二人の特戦型鋼撃兵(SST)は対峙する。


「……それと、流石に近接格闘(クロスコンバット)の腕前は一流だな。内蔵武装を二つ使わせたとこまでは良かったんだが、そこから一気に形勢逆転されかかるとはね。いやあ、惜しかったなケイ。やっぱりお前は俺の見込んだ通りだった。嬉しいぜ」


 賞賛とも取れるジェイの唐突な台詞に、ケイは一瞬だけ面食らったように眉を上げるも、すぐに顰め面となって応じる。 


「……空々しいから止せ。大体、こうして敵意を向け合ってる状況で、嬉しいもなにもないだろう。ふざけているのか?」

「おいおい、これでも本気で褒めてるんだぜ? それに正直、加速装置(アクセラレイター)を温存してくるとは思ってなかったんだ。その点じゃあ俺も油断してたよ。電磁斥力場(バリア・フィールド)を剥がしてそのまま試合終了(ゲームセット)の想定だったんだから」


 ケイの刺々しい口調に対し、あくまでもジェイは鷹揚な態度を取り続ける。


「とはいえ、あんな典型的な罠に引っかかるようじゃあ、まだまだだな。奇襲攻撃(アンブッシュ)は二段三段の構えで敵の虚を突く。戦術の基本だぜ、一発目を躱したからって気を抜くな」


 その言葉にケイは怪訝な表情を浮かべた。これではまるで……。


「……なんだよ、ジェイ? 先輩面してアドバイスのつもりか?」

「はっ、基礎のおさらいインストラクション・ワンってやつだ。喜べよ、為になるだろ?」

「馬鹿を言ってるんじゃない、曲がりなりにも戦闘中だぞ」

「だったら実地教練(ブートキャンプ)だな。まあ、なんだっていいのさ」


 ジェイはすっかり戦意を解いたような面持ちで肩を竦めた。それどころか手遊びにククリナイフを指捌きでくるくると回転させる。突如始まった大道芸のような行為を前に、ケイはひどい困惑を覚えた。


(こいつ、どこまで本気なんだ……?)


 いったい、何のつもりなのか。ケイの戸惑いを他所にジェイはなおも続ける。


「重要なのは俺が納得することだ。お前が戦闘者として緩んでないかを、な」

「……建造物を叩き壊すことで、か? そんなやり方、正気とは思えないぞ。俺を測るつもりで戦うんなら、もっと真っ当なやり方があっただろう」

「甘ちゃんは筋金入りだな、ケイ。そもそも真っ当な戦いなんてものがあるかよ。裏のかき合い騙し合い、手練手管に卑怯卑劣は戦の花道だろうが。正々堂々なんてのは数百年も昔に滅んだ概念だぜ?」


 ジェイの言い分に眉をひそめつつ、ケイは内心で同意していた。


 元より戦争というものには最低限の規定(ルール)こそあれ、順守すべき規範(マナー)はない。捕虜の待遇や民間人への扱いに関しても、それはお互いに致命的な一線を越えないための約束事でしかなく、そうでなければ無用な混乱を引き起こさないために設けられたものだ。


 例えば、敵軍兵士の軍服を意図的に着用しての作戦行動――いわゆる便衣兵――は背信行為として禁止されており、それ以外にも事細かな禁足事項が国際法として定められてはいるが、それらは往々にして破られることがあるのが実情だ。


 しかしそういった行為には当然の如くペナルティが生じ、加担した兵士は一切の保護を受けられなくなるどころか、世論に知れ渡れば国威を大きく損なうことに繋がる。正々堂々がとうの昔に滅びた概念であるように、無秩序もまた現代においては悪と規定されているのだ。


 だからこそケイは緊急事態を除いて正攻法を選ぶことにしている。それは彼自身の信条もあるが、兵士として後の利益を損なわないためでもある。鋼撃兵(SST)という存在が広く知れ渡った現状ならば猶更だ。


 一方でジェイ・オライアーという男は、必要とあればあらゆる非道を躊躇わない。彼が目指し尊重するものは偏に現場に於いての最適解であり、それを妨げる要因は総じて排除すべき障害でしかないのだ。


 その考えをケイは否定しない。否定しないが、素直に受け入れることも望まない。特戦型として直系の兄弟機である二人の思想を根本から分かつのが、そういった信条の差異であった……。


 閑話休題。そこでケイは「今は戦いの最中」であることを思い出す。


「ジェイ、お前――」


 表情と気構えに険を取り戻したケイは、素早く右腰の拳銃型武装(レプリカ)を抜き放つ。ジェイのペースに巻き込まれかけていたが、これはどう考えても時間稼ぎであろう。目的の有無や内容は別として、早急に決着を付けるべきだ。


 その思考と行動は、しかし――


「だからお前は甘ちゃんなんだぜ、ケイ」


 ――数秒ほど、遅かった。


 直後、落下してきた巨大な天井板が二人の間に落下した。



 -↯-



(……あの野郎、これが狙いだったのか!)


 すぐ目の前で生じた轟音と粉塵に全身を打ち叩かれながら、俺は己の馬鹿さ加減に首を掻き切りたくなった。今になって理解する。ジェイは状況を仕切り直すつもりで、わざわざ長広舌を振るっていたのだ。


 その理由は、間違いなく互いの武装差だ。


(ジェイは射撃武装を失っている。距離を開けての撃ち合いになれば間違いなく向こうが不利だ。だからこそ、一度俺の視線を切ることで再び奇襲を仕掛けられる状況を作り上げたんだ……!)


 恐らくジェイは天井板が落下しかけていることを察知しており、俺を適当な立ち位置まで誘導したのだろう。それもあの数秒にも満たない攻防の中、下手をすればそのまま勝負が決まっていたかもしれない鉄火場の最中に、だ。


 やはり恐るべき策士だ。奴は俺を近接格闘を一流と褒め称えたが、そんなものは何の自慢にもならないと思い知らされる。戦場を支配し己の意のままに操る能力。それこそがジェイ・オライアーの強さだった。


(……、ん?)


 と、そこで頭の片隅で微かな疑問が起こる。それは極めて小さな、違和感と呼ぶにも頼りないほどのものであったが……。


《申し訳ありません、ケイ。私の失態です》

「……お前の責任じゃない、<イチョウ>。ジェイのブラフに乗っかって、あんな無駄話に興じていた俺が悪い。……クソ、ああいう奴だって身に染みて分かってたはずだろうに!」


 <イチョウ>の声に俺は思索から覚める。クソ、いい加減に学習しろ。こうやってぼんやりとした挙句、いったい何度騙されれば気が済むのか。これでは甘ちゃん呼ばわりも致し方ないだろう。


(畜生、これ以上虚仮にされて堪るか……!)


 焼け付きそうになる思考を俺は強引に断ち切った(リセット)。後悔ならば後で好きなだけできる、今はジェイを捕捉するのが先だ。


 俺は全身の感知器(センサー)を総動員して奴の居場所を炙り出しにかかる。周囲一帯の視界は舞い上がった粉塵によって完全に閉ざさているが、多機能視覚装置マルチ・サイト・システムの前では目眩しにもならない。


(――見つけた)


 索敵は数秒で完了。意外にもジェイは機に乗じての奇襲を行おうとはしておらず、俺から背を向けて一目散に逃走を図っていた。そして奴が向かう方向には資材倉庫がある。


(あそこに逃げ込むつもりか……!)


 不味い流れだ。開けた空間ならば射撃武装を持つ俺が有利だが、遮蔽物が多い閉所ではジェイの独壇場になりかねない。奇襲攻撃(アンブッシュ)は姿を隠したまま先に相手を捕捉した側が圧倒的に有利となる。一旦ジェイをあの中に逃げ込ませてしまえば、


(追い掛ける側の俺は、蜘蛛の巣に飛び込む羽虫も同然だ……!)


 実際に過去、ジェイとの模擬戦闘に俺が勝利したパターンは、常に()()()()()()()()()()()()に限られている。裏を返せば奴に奇襲を許した場合では、ほぼ確実に敗北しているのだ。


 故にこの場での逃亡阻止は急務にして絶対条件。


 すでにジェイは資材倉庫の入り口に到達している。外すわけにはいかない。俺は素早く炸裂短針銃バースト・ニードル・ガン模造品(レプリカ)を引き抜き、ジェイの背中へと照準。即座に発砲。行うのは弾倉(マガジン)を撃ち尽くしての連射だ。


(――当たる!)


 玩具めいた発砲音が連続で響き、幾本もの赤外線ポインターが束となって宙を奔る。一直線に標的を指す攻撃判定の命中を俺は確信していたが――


「……ッ!」


 ――その攻撃は寸前で阻まれる。ジェイが展開した電磁斥力場(バリア・フィールド)によって。奴にはまだ内蔵武装を使用するだけの純熱量(カロリック)が残されていたのだ。


 そして炸裂短針(バースト・ニードル)電磁斥力場(バリア・フィールド)に対して無力。命中判定は行われず、ジェイは悠々と資材倉庫内部に蟠る薄闇へとその身を溶け込ませた。後に残されるのは歯噛みし立ち尽くす俺一人。


 そして弱り目に祟り目、状況はさらに悪くなる。一際大きな、それこそ断末魔めいた断裂音が響き渡った瞬間、堰を切ったように天井全体が崩落を開始したのだ。


「なんてタイミングだよ……!?」


 耐久力がとっくに限界を迎えていたのだろう。あるいはこれすらもジェイの想定内か。どちらにせよ、こうなっては他に選択肢はない。この場に留まれば間違いなく下敷きだ。


「――クソ、上等だ!」


 俺は全力で地を蹴り付ける。滝のように降り注ぐ落下物の最中を掻い潜りながら目指すのは、ジェイが逃げ込んだ資材倉庫内部だ。虎穴に入らざれば虎子を得ず。結局、勝つためには奴の詐謀偽計を乗り越える以外にないのだから。


 そうとも。奴が俺を呑み込もうとするならば、その腹を内側から突き破ってやる。手足を雁字搦めにされようが、喉元に牙を突き立ててやる。


 思えば、俺はこれまで奴に翻弄されてばかりだ。その原因はすべて俺自身の甘さにある。油断と迷いに満ちた行動と思考。「これは模擬戦闘だ」という前提を馬鹿正直に受け入れ、()()()()()()()()をどこか遠いものにしてしまっていた。


 故に再定義する。()()()()()()()()()()()()()()()()()。その身体と意志の一欠片でさえ敵を屠り討ち滅ぼすために燃やし尽くす、ただ一発の弾丸でさえあれば良い。


 捨てろ。削ぎ落せ。徹底的に消去しろ。雑念をただ封じるだけではまだ温い。戦闘に費やす以外の思考を切り離し、暴と威を為すためだけに純化しろ。その上で思索を緩めるな。自由かつ大胆に、持てる総てを振り絞って、戦え。


 俺がここに立つ意味を、奴に証明しろ。


「決着を付けるぞ、ジェイ……!!」



 -↯-



 そしてこの時、ケイ・サーヴァーは気付いていなかった。決着の場に踏み込む瞬間、己の口端に浮かんでいた猛る獣の如き笑みに。



 -↯-



 資材倉庫に突入した瞬間、ケイを真っ先に出迎えたのは、彼の行く手を塞ぐように聳え立つ“壁”だった。


(――これは)


 困惑を振り払うのは一瞬。ケイはすぐに目の前の“壁”の正体を看破する。それは倉庫内に混然と積み上げられた資材群が形作る、各種金属部品とプラスチック素材の小山であった。


(……中は想像以上に混沌としているな)


 周囲を素早く見回せば、先述の小山は至る所に点在していた。


 それらすべてが整理整頓という言葉からは程遠い無残な混雑状態にあるのは、この廃工場が破壊された所為だろう。曲がりなりにも棚やケース毎に分類されていた資材が、幾度となく襲った激震によってぶちまけられて滅茶苦茶に混ざってしまったのだ。


(見通しは効きそうにない。……死角だらけ、か)


 素材類の小山は、成人男性一人が十分隠れられるだけの大きさがあった。暗さに関しては多機能視覚装置マルチ・サイト・システムを用いることで無視できるが、こうまで障害物が多いと視線を切られる箇所が多すぎる。


 ケイは音波探知機(スキャニング・ソナー)を起動した。自身を起点に超音波を発し、その反射波を捉えることで索敵を行う機能である。超音波は周囲に障害物が多い状況でも隅々まで行き渡り、鋼撃兵(SST)の卓越した感覚機能は数ミリ単位の物体も見逃さない。


 発振は小刻みに五度。資材倉庫内を移動している物体があれば、即座にその位置を捉えられるはずだ。しかし予想に反して、ケイはジェイの姿を見つけることはできなかった。つまり彼は僅かな身動ぎさえしていないことになる。


(……あいつ、まさか)


 予感に打たれ熱源感知器(サーモ・センサー)を併用してみれば、果たしてそちらにも目立った反応はなかった。おかしい。鋼撃兵(SST)は起動している限りそれなりの熱を発するので、この結果は不自然である。故に示される事実はただひとつ。


(ジェイの奴、休止状態(スリープ・モード)になってるな……!?)


 鋼撃兵(SST)は己の意思で、生命維持用のものを除いた全身の機能を停止することができる。この状態では純熱量(カロリック)の消費はごく僅かにまで抑えられ、同時に身体が発する熱や音に関してもほぼゼロになる。


 その代償は体表感知器(スキン・センサー)の一部――要するに直接接触及び振動感知――を除く全感覚の一時喪失だ。


 つまり、本来は深刻なエネルギー切れに瀕した場合の緊急措置であるこの機能を、ジェイは己の身を隠すために用いたのだ。奇襲を確実に成功させ、この模擬戦闘の勝利を得るために。


(野郎……!)


 ジェイの徹底したやり口に、ケイは呆れを通り越し感嘆さえ覚えた。


「……クッ」

《ケイ? どうしましたか》

「いや、……面白いと思ってな」


 自然と生まれた笑みをケイは否定しなかった。


 怒りは湧いてこない。むしろ奇妙な高揚感が項の辺りに燃えていた。そうだ、()()()()()()()()()()()()()。取り得る手段はなんであれ使用を躊躇わず、己の身体さえも道具に数えて勝利をもぎ取る。


 そう。倫理や規定のように他者から押し付けられたものではない。()()()()が戦場に立つ者に課された絶対にして唯一の条件だったはずだ。何故、今まで忘れていたのだろうか。


 ――だったら、俺も()()()()()


 もはや迷いはない。ケイは行動を開始した。



 -↯-



(……来たか、ケイ)


 水底に揺蕩うような希薄な思考に、ジェイは敵の接近を捉えた。


 現在、ジェイの身体はケイの予想通り休止状態(スリープ・モード)にある。人間でいえば仮死に近いこの状態では、ぼんやりとした思考以外の行動を取ることができない。戦場においては自殺行為に等しい所業だが――


(……<カエデ>。……時が来たら、起こしてくれよ)

《了解です、ジェイ。ケイ・サーヴァーを射程に捉え次第、器官の全機能を復帰させます。再起動に要する時間は0.5秒。奇襲には十分と判断できます》


 ――このように補助知能(サポート・AI)との連携さえ保たれていれば、被るリスクは最小限に抑えられる。それこそこの“うたた寝”を戦略として組み込める程度には。


 ジェイの身体は現在、資材倉庫内に点在する小山のひとつに脱力して凭れた状態だ。無防備極まるその姿勢は、数枚の麻袋を重ねて覆い隠されている。元は資材倉庫内にあった螺子や金属部品を包んでいた袋だが、その中身はそこらへ適当に散らしておくだけで証拠隠滅が可能だ。


(……どうせ、同じようなモンがあっちこっちに、落ちてるんだからな)


 木を隠すなら森の中。故事に倣えば、鋼の五体を埋めて隠すには即ち同じ無機物の中に限る。休止状態(スリープ・モード)鋼撃兵(SST)は言ってみれば金属の塊だ。温度を持たず音も立てず、ただ不動のままに横たわっている。


 無論、どこか筆記音にも似たほんの僅かな待機音だけは消すことが叶わないが、


(……外じゃ、今も崩落が続いている。……その音に掻き消されちまうよ、そうしたら鋼撃兵(SST)の聴覚でも聞き取るのは容易じゃない)


 まさに罠を張るにはお誂え向きの環境がここに整っていた。ケイに伏せている()()も併せて、このまま順調に行けば勝利は固いだろう。しかし、この段に及んでもジェイに楽観はなかった。


(……まさか、本当にただ走ってここまで辿り着くとはな)


 先程、ジェイがケイに向けて語った段取りに嘘はなかったのだ。


 実際、ジェイは資材倉庫外での奇襲攻撃(アンブッシュ)で以てこの勝負に決着を付ける想定だった。そのためにゴム紐と金属部品を組み合わせた即席の発射機を拵えたし、せっかくの安全地帯から出るという危険も冒した。


 それをケイが土壇場になって覆したのである。


 故にこの状況は次善策。それも、想定では一回分の猶予を残しておくはずだった内蔵武装を、すべて使い切らされた予想外を含んでいる。


 そう、ジェイもまた窮地に置かれていた。ここで仮にケイが当て推量の乱射を行った場合、運が悪ければ流れ弾を食らって即試合終了(ゲームセット)だ。


(……まあ、そんな状況になれば近接格闘(クロスコンバット)に切り替えるがな。……そこから勝つための仕掛けも、二つ三つ用意してある。……即席も良い処で、上手く機能するかは分らんがな)


 つまりはケイの出方に身を委ねるしかないのだ。しかしジェイは屈辱や焦燥を感じていなかった。それどころか、彼の胸中に浮かぶのはむしろ喜びに近い感情である。


(……やはり、あいつには()()()()がある)


 一時期はそれが鈍り失われたと感じていたが、中々どうして輝きを取り戻してくれたものだ。尤も、やはり模擬戦闘という環境が悪いのか、いまいち集中力というか殺気に欠ける部分は否めないが……。


(……おっと、近付いてきたな)


 そこでジェイは思索を取り止めた。資材倉庫の外でがなり立てる騒音に交じり、規則正しい静かな足音が徐々に接近しているからだ。獲物は無事に罠にかかったらしい。


(……<カエデ>? ケイの足音に間違いないな?)


 それでもジェイは油断せず、己の補助知能(サポート・AI)に判断を仰いだ。


 現在、ジェイは全身の感覚をほぼ失った状態であり、視覚も聴覚も嗅覚も機能していない。床から響く振動を体表感知器(スキン・センサー)で得て、それを“音”と認識しているだけに過ぎないのだ。仮にケイが何らかの策を講じていたならば、返り討ちに合うのはジェイの側となる。


 そんな危惧を込めた問いに対し、ジェイの体表感知器(スキン・センサー)を介して索敵を行う<カエデ>は肯定を以て応じた。


《はい。この歩調は間違いなくケイ・サーヴァーのものです。彼は警戒を厳にしての忍び歩きでこちらを探しているようですね》


 好し。ジェイの思考に喜悦が滲む。自身の隠蔽は確実かつ完璧に施してある。重要なのは輪郭をボカすことだ。至近距離まで来なければ鋼撃兵(SST)でも発見は不可能だろう。


(……そして、それは俺の間合い(キルゾーン)だ)


 思う間にもケイは近付いてくる。

 射程圏内到達まで残り僅か。

 さあ、歩数読み開始(カウントダウン)だ。


 残り五歩。ゆっくりとした慎重な足取りだ。

 残り四歩。目を凝らしてこちらを探しているらしい。

 残り三歩。獲物を目前に却ってジェイは冷静さを強めた。

 残り二歩。それは彼が持つ狩人としての並外れた才覚である。

 残り一歩。冷徹なほどの集中力は極限まで研ぎ澄まされ、そして――


《――ジェイ・オライアー中尉の機能を復帰させます》


 ――到達。<カエデ>の声を皮切りに、ジェイの意識は急速に覚醒した。


 同時、硬質な打撃音が響く。それを聞いたジェイは笑みを浮かべる。仕掛けのひとつが作動したようだ。それは資材を組み合わせて作った即席のトラバサミである。罠がケイの足首を捕らえたのだ。


(踏んだな、ケイ……!! 足元がお留守だぜ……!!)


 ただ無策に接近を許すだけならば、それは奇襲攻撃(アンブッシュ)とは呼ばない。引き込んだ相手を確実に殺傷できるだけの仕掛けを複合してこそだ。そして即席のトラバサミは0.5秒の時間稼ぎを十分に果たしてくれた。


(これで、終わりだ――)


 勝利の確信。そして僅かな残念。ジェイは目を見開くより早く、麻袋の下で構えていた()()()()()()()()()()()()()赤熱散弾銃(ヒート・ショットガン)を前方へ突き付けると、躊躇せずに引き金を弾いた。


 そうして生じた結果を<カエデ>はありのままに伝えた。


《目標に命中。――ケイ・サーヴァーの下半身は機能を喪失しました》


 ――…………なんだって?


 ジェイは困惑した。聞き間違いだろうか。


()()()だけ、だと?)


 赤熱散弾銃(ヒート・ショットガン)の加害範囲は、ケイの全身を丸々呑み込んだはずだ。まさか罠の位置を間違えたか。否、角度も距離も正確はなずだ。ならば寸前で跳躍による回避をされたか。否、そうさせないためのトラバサミでもある。


(馬鹿な、何故だ)


 今回の模擬戦闘が始まってから初めて、ジェイ・オライアーは己の思考を「理解不能」の四文字が飛び回るのを自覚した。そうして結果を確認するため、目を開けたジェイの視界に飛び込んできたものは――


「……そういうことかよ、やられたぜ」


 ――<カエデ>が告げた事実と一言一句違わぬ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という光景だった。


 そして。直後に天井付近から落下してきた()()()()()()()()が、高周波刀バイブレーション・ソード模擬品(レプリカ)による一撃をジェイに叩き込んだ。



 -↯-



「――はっ!!」


 ジェイは迎撃を試みた。


 即応して抜き放ったククリナイフは神速の勢いで振るわれ、ケイの胴部へと突き込まれる。狙いは心臓。模擬戦闘においてほぼ同時に戦闘不能判定が出た場合、一瞬でも早く相手に有効な一撃を叩き込んだ側の勝利となるからだ。


 そして、ジェイの扱うナイフ術は超一流のそれだ。彼が振るうククリナイフの一撃は、数多の戦場に於いて確実な死を振り撒いてきた。その業前はこの窮地に際しても一切の曇りなく発揮される。


 しかし。ケイもまた超一流の刀剣術の担い手である。


 起死回生を目論むジェイの迎撃は、ケイの突き出した左手によって阻まれた。左腕切断。そんな判定を<カエデ>が伝えたと同時、


(――速い!)


 音が、飛んだ。


 交錯は刹那。美しい銀閃を描きながら片手で打ち込まれた斬撃によって、ジェイの首が刎ねられる。


 反応する間隙もない電光石火の一撃。それを可能としたのは、


(……最後の加速装置(アクセラレイター)、か!)


 その悟りは、しかし今となっては遅すぎた。<カエデ>から与えられたのは、頸部切断による戦闘不能判定。つまりはこちらの『敗北』だ。


「……いい、奇襲攻撃(アンブッシュ)だ」


 それでも、決着の瞬間。ジェイの口から零れた一言には、混じり気のない賞賛があった。


 模擬戦闘訓練シミュレーション・プログラム終了。


 勝者――ケイ・サーヴァー少尉。



 -↯-



 ――勝った。


 その実感が俺の中に生まれたのは、思い切り床に叩き付けられた後だった。


「ぬがっ」


 打撃音。全身を走り抜ける衝撃に、思わず間の抜けた呻き声が漏れる。受け身は取れなかった。右腕には刀剣武装、左腕は喪失判定を受けている所為で動かないからだ。


《大丈夫ですか、ケイ》

「……問題ない」


 <イチョウ>からの労わりには平静を保って返したが、実際には顔から火が出る思いだった。締まらないにもほどがある。改めて自分の姿を客観視してみれば、東洋の島国に伝わるという妖怪変化そのものだ。


 床に寝転がったまま身動きの取れない俺を見かねてか、<イチョウ>は喪失判定を解除してくれた。模擬戦闘はすでに終了しているので問題はない。が、両腕だけではどうにも落ち着かない。床に手を突いて上半身を持ち上げようとするも、


(――これじゃ、ますます“テケテケ”だな)

 

 羞恥心の方が勝ったので止めておいた。そしてそんな俺にトドメを刺すかの如く、盛大な笑い声が直近から聞こえてくる。


「だぁっはっはっはははははははは!! おま、お前、ケイ!! なんだその恰好、はは、マジかお前!? じ、上半身だけって……!! ひ、ひひ、冗談だろ……!!」


 ジェイは爆笑していた。俺は憮然として睨み付ける。


「……笑ってないで、どうにかしてくれ」

「お、おう……。わか、……ぶっ、ひゃはははははは!! だ、駄目だお前、その状態で喋んなこっち見んな反則だっての!! て、てか、普通そんなことするか!? ……ふ、ふっふ、ははははははは!!」


 収拾が付きそうになかった。


 ……結局、ジェイが俺の上半身と下半身を再接続してくれたのは、たっぷり一分は笑い転げた後だった。


「…………、」


 ようやく元の身体に戻った俺はジェイを半目で見やる。すると、根っからのド腐れ根性を持つ同僚は、まだ笑いの波が引いていないのか肩を震わせながら言った。


「……い、いやケイ、お前。本当、よくやったと思うぜ、マジで。少なくとも俺はまったく想定してなかった。でも、そうだよな。胴体部の自切くらいはできて当然だ。なにせ俺たちは機械だからな」


 途中からは深く納得するように頷きながらの言葉だ。どうやら本当に感心しているようなのだが、それはそれで腹立たしいものがある。


「……あれか。下半身を<イチョウ>に操作させたんだな? で、お前は慎重に壁を伝って、部屋全体が見回せる位置に待機して。俺がお前の下半身を撃った直後、腕の力だけで跳ね跳んで攻撃してきた、と。そうだろ?」

「……ああ、当たってるよ。不気味なくらい正確にな」


 俺は驚きつつも肯定した。ジェイの分析は完璧に当たっていたからだ。


 一度受けただけで手の内を詳らかにする、やはりこの男は油断ならない。尤も、絶対に油断をせず十重二十重に罠を張り巡らせるジェイ相手だからこそ、今回の奇策が通用したとも言えるのだが……。


「てか、お前もよく気付いたな? 俺が赤熱散弾銃(ヒート・ショットガン)を使おうとしてたことに」

「始めは些細な違和感だったがな。ここに踏み込んだ後に気付いたんだよ、お前は使えもしない武器をわざわざ拾って持って行ったりはしない、って」


 一息を置いて、言う。


「……俺が拳で弾いた時、実際にはわざと手放したんだろ? 武器破壊をさせないために」

「はっ。よく分かってるじゃねぇか。……あの状況下でお前が気付くかは賭けだったが、やっぱり戦闘に不確定要素を絡めるもんじゃないな」


 付け加えると、ジェイがこの資材倉庫内になんらかの罠を仕掛けたことも予想していた。根拠はあの飛ぶククリナイフによる奇襲だ。ジェイが廃工場という環境を最大限に利用し、そこに置かれた物品をも用いて仕掛けを制作するというなら、()()だらけのここに逃げ込んだ理由は明白だ。


(最悪ここでの格闘戦になったとして。ジェイがその状況を予め想定した上で、自分を有利にするための罠を仕掛けておかないはずがない。……それに気付いてなければ、敗けてたのは俺だったな)


 ともかく。俺はこいつとの戦いに勝利した。ならば先立って受けた侮辱に対する報復は完了し、そこで得た怒りに関しても収めるべきなのだが、


「……それでまあ、なんだ。廊下でのことだがな。あれは流石に趣味の悪いからかい方だった。悪かったよ。赦せ、ケイ」


 先んじて謝罪までされてしまえば、もはや俺から言うべきことはなかった。というよりも、すでに俺が抱えていた怒りは雲散霧消している。代わりに胸中を占めるのは素朴な疑問のみだ。


 何故、ジェイは俺を挑発したのか。何故、模擬戦闘という手段を選んだのか。そして何故、こういった私闘紛いの行為を抑止する立場であるはずの<イチョウ>が、俺たちの行動を一切止めなかったのか。


 その答えを示すかの如く、ジェイはこう言った。


「まあ、ちょっと腰を落ち着けて話でもしようや。腹も減ったし、喉も乾いたことだしな」



 -↯-



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