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S・SST戦記 -Fragment-  作者: 赤黒伊猫
『ベルディア平原の奇跡』
3/9

3:後に死神と呼ばれるもの -Steel Strike Trooper-



 -↯-



「ケリー」

「はい、大佐」

「なんだ、ありゃ」

「分かりませんよ、そんなの」

「そうか奇遇だな、俺も分からん」


 半ば茫然自失の体に陥りながらも、ロック大佐はケリー少尉とそんな言葉を交わし合った。両者とも疲弊し切った声色だった。


「……いったい、何がどうなってやがる?」


 言って、ロックは眉間を抑えた。ひどい頭痛がして現実感が薄らぐ。脳がミキサーにでも掛けられたようだ。今しがた目の前で起きた事柄のなにもかもが、理解能力の範疇を大きく逸脱していた。


 隔絶した戦闘能力を振るって味方を蹂躙した機甲重兵(ヘビー・アーマー)

 圧倒的な暴力を前にもはや抗う術はなく、陥ったのは絶体絶命の窮地。

 それをただのひと蹴りで粉砕し、一瞬で戦況を逆転してしまった謎の闖入者。


 果たして、これは現実に起きていることなのか。


 ロックは子供の頃、高熱を発したときに見た奇怪な夢のことを思い出した。まったく関連性のない出来事が、場所や時間、物理法則を無視して次から次へと巻き起こる類の悪夢だ。今の状況はそれに似ていた。急展開にも程がある。いっそ意識を手放してしまいたい。


(俺は本当は、今頃自宅のベッドで横になってるんじゃねぇのか。ここ数日間で起きたことは全部、夢の中の出来事で。目を覚ませば平和な休日と愛する家族が俺を出迎えてくれやしないか……)


 脳裡を過ったその甘えた考えを、ロックは「馬鹿な」と断じて振り払った。


 何時までも現実逃避をしていられない。親父の教えを思い出せ。状況を素早く受け止め、正しく理解し、気合を入れて対応しろ、だ。そして俺は誰だ。ロック・クリスフォード大佐だろう。ならそれらしく、しゃんとしろ。部下の命を預かる手前、女々しい妄想に長々と縋り付くのは止せ……。


(オーケイ。まずは、しっかり前を見ろ!)


 ロックは復帰した。顔を上げれば、見慣れた戦車内の景色が視界に飛び込んでくる。汗と鉄の濃密な香りを鼻腔に蓄え、気を張り直せば頭が冴えた。そうして急激に手応えを取り戻していく現実感を受け止めつつ、車体上部のハッチに手を掛けた。


「……大佐!? 今、外に顔を出したら危険ですよ!」

「黙ってろケリー。機甲重兵(ヘビー・アーマー)に狙われてるんだ、引き籠ってても命は守れねぇよ。だったら俺は視界が広くなる方を選ぶぜ。……どのみち逃げ場はねぇんだ、堂々としていようじゃねぇか」


 心配して引き留めてくる部下を制し、ロックは一息にハッチを押し開いた。途端に咽返るような血生臭さが吹き込んでくる。ロックは思わず顔を顰め、一瞬だけ生まれた躊躇を振り払うように、決断的に上半身を外へ突き出した。


 果たして視界の目に飛び込んできたのは、地獄と呼ぶのも生温いほどの凄惨な光景であった。


 砕け、潰れ、千切れ飛んだ肉片。<エクィアス連合国軍>兵士たちの無惨な亡骸で大地が埋め尽くされている。血と臓物で一帯はどす黒く染め上げられ、汁気を含んだ粘っこい音が彼方此方で鳴っている。正体を探るために耳を澄ませば、さらにか細く悲痛な呻き声の数々。死に損なった兵士たちが、血泥で作られた泥濘の中で、立ち上がることもできず身を捩らせているのだ。


「……畜生がッ!!」


 悪態が口を衝いて飛び出るのを、ロックは堪えられなかった。それでも努めて意気を保ち、鋭い目つきで見据えた真正面。兵士たちの亡骸が積み重なったど真ん中、そこに一人の少女が佇んでいる。ロックたちの窮地を救った、あの不可思議な少女が……。


(さて、どうしたもんかな……?)


 少女の肩越しに機甲重兵(ヘビー・アーマー)たちの様子を窺えば、彼らもまた少女を警戒しているのか、あるいは仲間を倒されたことのショックが抜け切らないのか、身動ぎひとつせずに立ち尽くしている。無論、武装類は少女に向けられていた。


(今なら、逃げられるか……?)


 考え、否定する。下手な動きを見せれば、敵は即座にこちらへ標的を移し替えるだろう。<エクィアス連合国軍>に配備された主力戦車、ロックが現在操るこの“M10ダンヴァーズ”は不整地でも最高速度60km/hを叩き出す傑作機だが、流石に弾丸の速度には勝てない。


 故に、今は成り行きを見守るしかない。


 そうして。ロックが疑念を込めた視線を注ぎ続けていた少女は――


「……あ、そうだ! ご無事でしたか、ロック・クリスフォード大佐? 僭越ながら私、総司令部からの任を受け、閣下の救援に馳せ参じました! 今後ともよろしくお願いいたします!」


 ――突如として軽やかなステップで振り返ると、そう言い放ったのだ。にこやかな笑顔を浮かべ、綺麗に整った敬礼を添えて。



 -↯-



 誰もが言葉を失った。少女が朗々と張り上げたその声は、戦場という状況下に対してまったくそぐわないほど、底抜けに明るく暢気な色を示していたためだ。


「……とりあえず、味方と考えて良いんですよね?」


 自信のないケリーの問い掛けに曖昧に頷きつつ、ロックは改めて少女の出で立ちを眺めた。


 若い。少女の顔を視認したときに抱いた第一印象がそれだ。高めに見積もっても十代後半。下手をすれば下回るだろう。身体付きもひどく華奢で、それは機甲重兵(ヘビー・アーマー)を蹴り倒すどころか、空き缶ひとつを転がすのが関の山としか思えない。


 次いで強い印象を残したのは、少女が持つ場違いなほどの美貌である。琥珀を引き延ばして糸にしたような艶やかな髪と、金剛石を直接嵌め込んだような輝く瞳。あどけなさを色濃く残した顔立ちは、人間離れした美しさを示していた。作り物めいた、とでも評するべきか。まるで()()()()()()()()()()()()


 なにもかもがこの場に似付かわしくない少女が、唯一正しく身に付けているのは服装規定(ドレスコード)のみだ。彼女の服装は紛れもなく<エクィアス連合国軍>の青い野戦服であり、その上から暗緑色(ダークグリーン)戦闘衣(コンバット・ギア)と思しきものを重ね着している。


(後者に関しては、俺の知識にもない装備だが……)


 もしかすると、あれが機甲重兵(ヘビー・アーマー)を蹴り飛ばすほどの膂力を発生させたのだろうか。加えてよくよく見れば、軍服の襟元に付いた徽章は大尉の階級を示している。だとすれば、あの少女は状況打開のために新兵器を引っ提げて現れた、正真正銘の救援部隊なのかも知れない。


(……部隊? はっ、どう見ても学校に通ってるようなティーンエイジャーを差し向けて、救援部隊と来たか。総司令部のお偉方共もとうとう完全にイカれたか)


 なるほど。諸々の疑問や憤りは脇に退けて、とりあえずはこの少女を味方と考えても良いだろう。少なくともこちらを助ける気はあるらしい。ならば受け入れるべきだ。


 例えそれが、周囲をバラバラ死体の山と胸を悪くするような血臭に取り囲まれていながら、まるでピクニックにでも出かけるような無邪気な笑みを浮かべている、まともな人間とは絶対に思えない『なにか』だとしても。


精神異常者(サイコパス)怪物(モンスター)。それとも悪魔(デーモン)、か? なんだって良いさ、どうせここは地獄だぜ。神が俺たちを救わないなら、地獄の使いにだって縋ってやらあな……!)


 そう開き直ったロックが、胸中に渦巻く違和感――包み隠さずに言うならば不気味さである――を押し殺し、差し当たっての返答を送ろうとしたその時であった。


『――さっきから、なにを戯れ合ってるんだ、貴様らァ……‼』


 憤怒に濁った声に耳朶を打たれ、ロックたちは顔色を変えた。急変する状況の中で警戒を緩めてしまっていたが、現在自分たちは三機もの機甲重兵(ヘビー・アーマー)と対峙した状態なのだ。それを失念していたのは歴戦の勇士<流星弾>ロックらしからぬ痛恨の失態であり、


『……もう良い、纏めてブチ殺してやるッ‼』

「――いかん、逃げろ!」


 焦燥に満ちたロックの呼び掛けと、機甲重兵(ヘビー・アーマー)の発砲は、ほぼ同じタイミングで重なった。30mm機関砲が吐き出す凄まじい砲声を前にすれば、人間一人分の叫びなど容易く飲み込まれ掻き消される。


 そしてそれは人間の物理的な耐久性に関しても同じことだ。機関砲掃射を受けて原形を留めていられる命など、この惑星上には存在しない。してはならない。少女の華奢な身体は痛みを感じる間もなく、血煙と化して消滅するだろう。


 そうして。主力戦車でさえ一瞬にして鉄屑に変える威力を秘めた灼熱の鋼弾雨が、毎分3,900発の連射速度で以て、無防備に佇む少女の背へと叩き込まれ――


「《武装選択:電磁斥力場(バリア・フィールド)――開始(ラン)》」


 ――その尽くが空中で留められ、ちり紙を炙るような儚さで焼失した。


 弾丸は一発も少女の身体に到達しなかった。

 産毛すらない滑らかな白磁の肌に掠ることさえできなかった。

 そして少女は迫る威力に振り向くどころか、睫毛一本たりとも揺らさなかった。



 -↯-



 目の当たりにした現実を前に、今度こそスローン4の精神は千々に乱れ狂った。理解不能の四文字が思考内を跳ね回り、規則正しく整えられていたはずのニューロンを、片っ端から突き崩していく。


 なんだこれは。なにが起きている。こんなことがあって良いものか。


 際限のない混沌へと落ちて行く思考とは裏腹、あくまでも機械的に事実を捉える複合式感覚機(ハイブリッド・センサ)は、目の前の『敵』が引き起こした現象を正確無比に分析していた。


 それに因れば原理は至極単純。少女の身体から発生した、不可視の電磁斥力場(バリア・フィールド)が、こちらの放った強装徹甲弾を防いだというだけのことだ。それ以上でも以下でもなく、また技術的にも決して不可能な行為ではない。


 ……持ち歩き可能な大きさで、かつ30mm機関砲の威力を阻止するだけの出力を発生できる電磁斥力場(バリア・フィールド)発生装置が、<アルデガルダ帝国>ではまだ理論構築すらできていないという事実を除けば。


(馬鹿な、馬鹿な、馬鹿な……)


 スローン4の思考は、壊れたラジオめいてその言葉を繰り返した。いったい何時の間に<エクィアス連合国>はこれほどの技術力を身に付けたのか。そんな前兆はどこにも見受けられなかったし、潜り込ませていた間諜(スパイ)からも報告は上がっていない。


 二の句も継げぬまま呆然と立ち尽くすスローン4に、理不尽の極みとしか言いようのない少女はゆっくりと振り向いた。優雅とすら感じられる滑らかな動き。そうして紅い唇に薄い微笑みを湛え、言う。


「……ねえ、後ろから不意打ち、なんてのはさ。敗北の決定した弱者が最後の足掻きとして苦し紛れにやるもんだと思うけどなあ。勝負を投げるにはちょっとばかし早くない? まだ一機落とされただけだよ? プライドは高く持とうよ、お里が知れるよ?」


 それは、猛毒を塗り込めた鋭い刃を幾重にも重ねて斬り付けるような、痛烈にして酷薄な侮辱の畳み掛けであった。


 そして。そうまで言われて黙っていては機甲重兵(ヘビー・アーマー)搭乗者として、ましてや帝国軍人としての誇りは地に落ちたも同然である。スローン4の胸に熱が灯った。それは瞬時にして猛り狂う轟炎と化し、実際の行動へと直結する。


『――貴様ァ‼』


 全力で叩き潰す。その一念に滾るスローン4が機甲重兵(ヘビー・アーマー)を躍動させる、その刹那の間隙に、少女は名乗りを上げた。夢見る少女のように目を細め、嬉しくて堪らないとばかり、恋焦がれるような口調で以て。


「そう、そう! そうでなくっちゃあ! それじゃあ私の名前も教えてあげよう。一度しか言わないからよく憶えてね? 私はディー。ディー・トリガー。これから沢山生まれる素敵で無敵な兄弟姉妹の四番目! さあ、勇猛果敢で誇り高い、武と鉄の帝国が産み落とした鋼の巨人さん! この名を胸に、心に、魂に! しっかり刻んで――」


 歌うように、囀るように、囁くように。


「――地獄の底まで、真っ逆さまに墜ちてゆけ」


 絶対零度の声音を零し、ディー・トリガーは地を蹴った。



 -↯-



 機先を制したのはディーの側だった。


「《武装選択:加速装置(アクセラレイター)――開始(ラン)》」


 大気を微かに揺らした涼やかな声色は、どこか金糸雀(カナリア)の唄声にも似ていた。そしてその宣言が風に溶けるより早く、ディーの肢体が幻影めいてブレる。伴うはスタッカートの打音。カスタネットを奏でるように軽やかな「ト、トン」という音律を残し、ひとつの現象が結果する。


 ディーの姿が、忽然と消失した。



 -↯-



『――高速移動だとッ!? こちらの反応速度を振り切るほどのッ!?』


 スローン4の精神を驚愕が打ちのめす。複合式感覚機(ハイブリッド・センサ)からディーの姿が消えた瞬間、彼はその原因を正しく分析することに成功していた。<アルデガルダ帝国>の最新鋭兵器機甲重兵(ヘビー・アーマー)と、その性能を十二分に引き出す搭乗者が合わさることで達成された絶技だ。


 しかし、それだけだった。


 非常警告(アラート)。思考に鋭く切り込んだ導きに従い、スローン4は迎撃の態勢をとる。敵は確かに速いが、完全に見失う(ロストする)ほどではない。


 落ち着け。己にそう言い聞かせながらスローン4は複合式感覚機(ハイブリッド・センサ)の感度を最大値まで一気に引き上げた。思考が閃光し、自分以外のすべてが緩慢になる。


 粘着いた世界の中で、スローン4はディーを捜す。

 果たしてその姿はすぐ見つかった。彼女は目の前に立っていた。

 スローン4の喉が急速に干上がる。何時の間に、こんな至近距離まで。


(そ、れ、で、も――)


 こちらの方が速い。自分は間に合ったのだ。


 確かな自信を原動力とし、スローン4は眼前の敵を排除しにかかる。選択するべき武装は近接格闘用の単分子ナイフ一択だ。それ以外では懐に潜り込まれた敵を狙えない。操縦桿を動かし、下腹部に内蔵された作業用副腕(マニピュレータ)を展開。本来は工作用の装備だが、緊急時には武器にもなる。少なくとも人間サイズの相手を切り刻むには十分な威力がある。


 攻撃動作を実行しながらスローン4は分析する。間近に向かい合ったディー・トリガーを。やはりどう見ても人間の少女にしか見えない。細く白い首は軽く撫でただけでも圧し折れそうだ。美しく整ったものを破壊することには一抹の寂しさが否めないが、彼女は同胞を殺害した憎むべき敵対者だ。


(一撃で、殺す)


 殺意を指先へと伝達し、スローン4は作業用副腕(マニピュレータ)を振るう。その寸前。彼の鋭敏な知覚能力はひとつの事実を捉えていた。ディーの口元が動いているのだ。なにかを喋っている。今更命乞いのつもりだろうか。しかし憐れみはな、


(――……は?)


 有り得ない。現在、スローン4の認識する時間感覚は現実より遥かに長く引き伸ばされ、当然ディーの動作速度を上回っているはずだ。それが何故、判断できるのか。待て。彼女がこうも滑らかに喋っていることを。嘘だろ。こちらの体感速度と同じように。それじゃあこいつは。


(こちらと同じ速度で動いて――)


 否。


(――まさか。……こちらよりも、速い?)


 そしてスローン4は分析した。ディーの唇の動きを。彼女が何を語ったかを。

 あくまでも機械的に。正確無比に。彼が陥っている恐慌状態とは無関係に。

 複合式感覚機(ハイブリッド・センサ)はこう告げていた。微笑み付きの、


「両腕、見てごらん?」


 見た。機甲重兵(ヘビー・アーマー)の両腕が肩から切り落とされていた。


『――ぁ、』

「ごめんね。遅いよ、君」


 迎撃は間に合ってなどいなかった。

 ディーはとっくに攻撃を終えていたのだ。

 自分は単に勘違いをしていただけの大間抜けだった。


 その事実をスローン4が受け入れた直後、彼の肉眼が光を捉えた。コクピット内の計器が発するものではない。機体外を照らす陽光、自然の光だ。それが突然差し込んできた意味は、たったひとつしかない。


「こんにちわ」


 ディーの両腕が機甲重兵(ヘビー・アーマー)の胴体部装甲を、まるで飴細工のように左右へ抉じ開けていた。目の前で、琥珀色の髪がさらりと流れた。金剛石を埋め込んだような煌く瞳がこちらを見据えた。血と、潤滑油と、砕けた鉄と。そして名前も知らない花の香りがした。スローン4は透明化した思考で、ひどく場違いな感想を抱いた。


 それが無意識に唇から零れ落ちる。


「きれい、だ」

「ありがと。さようなら」


 ディーの細い指がスローン4の顔面を掴み、覆い隠す。

 柔らかい感触。しかし何故か体温は感じなかった。

 閉ざされた視界の中で疑問だけが浮かび上がる。


 恐がるべきか。悔しがるべきか。スローン4は自分の感情を持て余したまま、永遠に醒めることのない眠りへと誘われた。ぐしゃり、という奇妙な音を最期に聞いて。



 -↯-



『――スローン4ォオオオオッ!?』


 すべてを目撃したスローン3の絶叫が響いた。


 彼の目の前でスローン4の駆る機甲重兵(ヘビー・アーマー)は、オレンジの皮でも剥くように胴部装甲を引き剥がされた。そして裂け目から侵入したディー・トリガーは、猫でも撫でるような優しい手つきで、スローン4の頭部を握り潰した。トマトかなにかのように。


『ぉ、お、おおおおおああああああああああッ!?』


 死んだ。スローン4が死んだ。共に厳しい訓練を乗り越えた同胞であり、ともすれば友人と呼ぶべき間柄の彼が、碌な抵抗もできないままに殺された。臍下辺りから駆け上った憤激はそのまま雄叫びとなり、困惑と恐怖を入り交えて大気を揺らす。


『落ち着け、スローン3! 一機でかかっては駄目だ、連携するぞ!』


 錯乱に近い精神状態で、それでも常に冷静なリーダー機、スローン1の指示を聞き取ることができたのは奇跡に近い。スローン3は身体に刻み込まれた戦闘機動(マニューバ)を無意識化で実行し、スローン1と連携した動きでディー・トリガーを屠りにかかる。


 選択したのは左右からの挟撃、僅かにタイミングをズラした時間差攻撃だ。数十回に及ぶ実戦、数百回に及ぶ模擬訓練、数千回に及ぶ仮想空間戦闘(VR・ミッション)。その積み重ねが可能とする、確殺のコンビネーションである。


「……あのね、実は私さ。本当はまだ、表に出るはずじゃなかったんだよね」


 対し、スローン4の機体からゆっくりと上体を引き抜いたディー・トリガーは、世間話でもするような気軽な口調でそう言った。加速した知覚でそれを聴き取れてしまう事実を、もはやスローン3は当たり前に受け入れた。この敵は、異常だ。


「いや、私が出ると色々問題があってさ。実戦投入(ロールアウト)は数年後の予定だったんだよ、私たち。でも<アルデガルダ帝国>が予想以上に調子に乗ってて、このままだと首都防衛の危機って感じでさ。仕方ないから緊急出動したんだよね」


『――聴くな、スローン3ッ!! 攪乱目的の戯言だッ!!』

『――端っから聴いてやるつもりなんてないってのォッ!!』


 スローン3はスローン1と共に、ディー・トリガーへと襲い掛かった。誘導弾(ミサイル)。30mm機関砲。炸裂榴弾(ショット・グレネード)。そして奥の手の電磁誘導砲(レールガン)。搭載されたあらゆる装備を最大限に活用し、容赦も間隙もなく一気呵成に攻め立てた。


 なのに、それでも。


「そしたら、噂の新兵器相手に戦闘経験が積めちゃったから、いやあ来てみるものだよね億劫がらずに。散歩って良いねえ。人生は折り重なる偶然に彩られた冒険である。素晴らしい旅路。大いに楽しもうではないか! ……なーんつってね、へらへら」


『――こ、こいつ……ッ!? 馬鹿な……ッ!!』

『――嘘だ。嘘だよ、こんな、ここまで……ッ!?』


 戦場の王者が二機がかりで、ディー・トリガーの唇から延々と垂れ流される他愛のない雑談さえ、止めることができないのだ。


 ディー・トリガーはすべての攻撃を、掠りもせずに回避した。

 ディー・トリガーはすべての機動を、予知するかのように先読みした。

 ディー・トリガーはすべての憤りを、僅かにも崩れることのない微笑みで封殺した。


「……あのさ。ねぇ、ちょっと、ごめん。私そろそろ飽きてきちゃったんだけど、このダンス。ヒロイン役の手もまともに掴んであげられないパートナーってどうかと思うよ。それとも君ら二人だけで楽しんで、私は置いてけぼり? うわーっ、そんなの孤独だよう! 寂しくて死んじゃう!」


『――ふざけるな、ふざけるな。まさか、これほどの隔絶が……』

『――嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ』


 そして、この局面に至ってようやく機甲重兵(ヘビー・アーマー)の搭乗者たちは気付く。

 確かに機甲重兵(ヘビー・アーマー)は戦場の王者を簒奪した。無敵の称号を獲得した。

 しかし、それは既存の兵器や人間の域を出ない猛者を相手取った場合に限られる。


 ディー・トリガーは、美しい少女の姿をした死神だった。

 王も民も奴隷でさえ、すべて平等に扱う絶対法則の使いなのだ。

 それが訪れたら逃れることはできない。命あるものは必ず死ぬからだ。


 携え振るうのは大仰な鎌ではなく、滑らかで細やかな両の五指。

 身に纏うのは古びた漆黒のローブではなく、暗緑色(ダークグリーン)戦闘衣(コンバット・ギア)

 顔に貼り付けるのは髑髏面ではなく、柔らかで朗らかな微笑み。


「……まあ、こんなものか。それじゃあ冥途の土産に教えてあげるよ」


 そして死神は告げる。死から逃れようと足掻く者へ、己を定義する名を。


「私は()()()。正式名称は“Steel Strike Trooper”。通称はSSTとでもしたら通りが良いかな? ざっくり説明すると、超強くて格好良い人造人間(サイボーグ)脳殻(コンピューター)に宿るのは、果たして天使か悪魔か? 身も蓋もない言い方すれば狂科学(マッド・サイエンス)の落とし子だね。七つの威力に十万馬力とまではいかないけれども」


 スローン3とスローン1は、もはやその情報を理解することさえできぬまま、ただ黙して受け止めるしかない。理解したところで意味はないからだ。


「そして私は試作品(プロトタイプ)。ある意味完成品(レギュラー)だけどね。そして基本型(アーキタイプ)でもある。何故なら私をモデルに、もうちょいグレード落とした機械化改造人間とか、まあそんなのを今後量産する予定があるからだね。あれ、もう作ってるんだっけ? まあ良いや、どのみちほんの足掛かりだし。私の可愛い可愛いまだ見ぬ兄弟姉妹を生み出すための、ね!」


 そこでディー・トリガーは、ちらと背後を見た。高速戦闘を知覚できず、困惑に満ちた表情で辺りを見回しているロック・クリスフォード大佐を。


「……あ、一応あの人の救援に来たってのは本当。死なれると困るんだ、人望も実力もある貴重な人材だから。それにここが落とされるのも駄目だし。エクィアスの喉元抑えられちゃうし、周辺国家にも迷惑かかるし。<マグオル共和国>なんかはせっかく協調路線続いてるのに、侵略されたら堪らないよ」


 いやあ、参った参った。ディー・トリガーは苦笑いし、肩を竦め。


「あ、因みに私の存在は機密事項だから。私の姿を少しでも見た人には皆死んでもらうよ。将官は流石に口止めで済ませるけどね。ああ、でもなんだっけ、皆が頑張ってるのに保身しか考えてないで碌な指揮しなかったここの方面軍団長はあれかな、死刑だね。そもそもこいつがちゃんとしてれば、私はここに来なくて済んだのに。くすん」


 わざとらしい泣き真似を一度挟んでから、表情を消した。


「じゃあ、そろそろさよならだね」


 その言葉通りになった。


 次の瞬間、勝負は決した。

 スローン3は脳天から真っ二つにされた。

 スローン1はコクピットごと抉り出された。


 遺言も、断末魔さえ赦されず、戦場の王者は斃れた。



 -↯-



「はい、終わり」


 動きを止めた二つの残骸を前に、ディーは軽く手を払ってから耳元に指を当てた。呼び出すのは同じ血を分けた二人の姉弟(きょうだい)だ。


「――で。どう、そっちは? イー子とエフ助、ちゃんと仕事してる?」

《その呼び方止めてちょうだい、ディー。……ええ、南側の掃討を完了したわ》

《姉さんがそれで呼びやすいなら良いんじゃない? あ、北側も掃討完了したよ》

「オッケオッケ、流石は私の妹弟(後継機)。優秀でお姉ちゃん嬉しいよー」


 ディーが相好を崩す。それは心からの信愛を向ける肉親を相手に会話するような、穏やかで人懐っこい笑みだった。


「よし、それじゃあ二人はそのまま帰還。私はロック大佐とその友達を送り届けてから帰るから、お風呂と夕ご飯の用意しといてね。ばいばーい」


 そう言って耳元を軽くノックし、ディーは通信を切る。実際に必要な行為ではなく、単なる格好付けだ。鋼撃兵(SST)間での通信機能は一切の予備動作なしで行える。


 そしてディーは救援対象であるロック大佐を振り返る。完全に表情を失った彼は、なにかを言おうとして果たせず、曖昧に口をもごつかせていた。どうやら受けた衝撃が大きすぎて自失状態になりかけているようだ。


 そんな彼に対し、ディーは口元に人差し指を当てると、


「ここで見たこと、内緒にしてね?」


 母親に悪戯を見つかった幼子のように、はにかんで見せたのだった。



 -↯-



 ……これが、後に『ベルディア平原の奇跡』と呼ばれる一戦の顛末である。


 この戦いは最終的に両軍ともに甚大な損失を出すこととなり、三年後に行われた<エクィアス・アルデガルダ停戦協定>の直接的な要因になったとされている。


 ロック・クリスフォード大佐はこの戦いにおいて、<アルデガルダ帝国>の新兵器を打ち破りその侵略行為を阻止したとして、多大なる賞賛を受けると共に陸軍少将への昇級を果たした。名の知られた英雄が成し遂げた大戦果の褒章故に納得しない者は一人もおらず、現在の彼は総司令部で大いに辣腕を振るっているという。


 射撃手ケリー少尉。通信士カルロス中尉。操縦手アレックス少尉。この三名も昇級を受け、それぞれ異なる方面軍の前線指揮官として赴任することになった。現在でも時折集まっては、ロック少将を交えて思い出話に花を咲かせているという。


 なお彼らは誰一人として、それこそ鬼籍に入るまで『ベルディア平原の奇跡』の詳細について、一切語ろうとしなかった。


 歴史に刻まれた最悪の惨劇『ディー・トリガーの裏切り』より、十年前。そして<マグオル共和国>で勃発した軍事クーデターより、十五年前の出来事であった。



 -↯-



           ベルディア平原の奇跡:End...



 -↯-



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