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S・SST戦記 -Fragment-  作者: 赤黒伊猫
『ベルディア平原の奇跡』
2/9

2:戦場の王位簒奪者 -Heavy Armor-



 -↯-



 重低音を響かせながら、鋼の巨体が立っている。


 全体的に丸みを帯び、やや前傾姿勢をとった、ずんぐりむっくりとした外見だ。手足は太く短いが頑健な造りで、全体の重量を支えるのに十分な強度があるのが一目で理解できる。陽光を照り返すその肩には<アルデガルダ帝国>の徽章。無骨にしてやや歪な人型のシルエットは、それが暴力と殺戮のみを目的として鍛造されたことの証明だった。


 事実、機甲重兵(ヘビー・アーマー)と呼ばれるその兵器は、個人が持ち得るあらん限りの戦闘能力を凝縮した、まさしく戦場の王者と称すべき存在だ。その王者は現在油断なく、右前腕に装備した30mm機関砲の銃口から白煙を立ち上らせたまま、伏せた椀の型をした首をぐるりと巡らせて周囲の索敵を行っている。


『……急に飛び出してきたから、思わず撃っちゃったじゃないか』


 機甲重兵(ヘビー・アーマー)の外部スピーカーから、安堵とも侮蔑ともつかない声が漏れた。複合金属の装甲で幾重にも防護されたコクピットの内側、操縦桿を握るのはまだ年若い搭乗者だ。彼は今や地面の染みと化した敵兵の、生前の様子を思い出して首を傾げる。彼は奇襲と判断して咄嗟に射撃したのだが、


『工兵じゃないよな、あれ。爆薬とか対戦車兵器の類も持ってなかったし。うん、普通の歩兵だった。その割に随分と武器を抱えてたけど、どこに行くつもりだったんだろう。もしかして敵前逃亡の途中だったのか、な?』


 機甲重兵(ヘビー・アーマー)の頭部に備わる四連眼(クワトロ・レンズ)を通し、搭乗者の脳に直結された複合式感覚機(ハイブリッド・センサ)は、ほんの一瞬で過ぎ去った情景を正確に伝えていた。敵兵の妙に大袈裟な装備も、彼が死に際に浮かべていた絶望の表情も、その股間をしとどに濡らしていた液体も。


『悪いことしたな。敵前逃亡者の処刑なんて、敵に利するだけだし』


 言葉とは裏腹に悪びれた様子もなく、機甲重兵(ヘビー・アーマー)の搭乗者は足元のペダルを踏み込んだ。すると鋼の巨体が滑らかに一歩を踏む。外見の鈍重さからは想像し難い、正確で安定感のある動作は、文字通り搭乗者と機体を肉体及び感覚的に合一(一心同体)とすることで叶えられるものだ。


『うん、快調快調』


 強化された骨格、主要器官、そして脳髄。それだけを生身として残した搭乗者は、()()()()()()()が思うが儘に動くことへの満足を滲ませた口調で呟くと、敵兵の亡骸を踏み付けて戦場の中心へ向かう。


 その中途、彼の思考を呼び出し音(コール)がノックした。味方からの通信が入ったのだ。搭乗者は喉骨をごきりと動かして応答する。相手は同僚の機甲重兵(ヘビー・アーマー)搭乗者だった。


《――こちら、スローン1。スローン4、現状を報告せよ》

『――こちら、スローン4。残敵掃討は問題なく進行中。今も歩兵を一人やった』

《――スローン1、了解。引き続き任に当たられたし。健闘を祈る。通信終わる》


 要件はそれだけだった。

 搭乗者――スローン4は指令内容を吟味した後、頷く。


『とりあえず、自由にやれってことか。見敵必殺(サーチ&デストロイ)、楽でいいね』


 ならば言われた通り、目に付く敵を片っ端から皆殺しにしていくだけだ。そこまで考えてふと、スローン4は戦場中央地帯の趨勢が気になった。機体を転回ながらスローン4は<アルデガルダ帝国軍>の戦術情報共有(データ・リンク)システムにアクセスする。


 戦況は<アルデガルダ帝国>側が優勢。前線は順調かつおおむね均等に押し込みつつあり、こちら側の被害は対費用効果(コストパフォーマンス)的には無視できる程度。ただし中央地帯での抵抗勢力はいまだ健在であり、侵攻に少々の遅れが発生している模様。


『ふん?』


 スローン4は鼻を鳴らし、改めて周囲の状況を確認した。


 見回してみれば生きて動いている敵兵は皆無、居ても数刻と経たずに死ぬような連中ばかりだ。実際、彼らが見せた抵抗は――敵からしてみれば決死の反抗だったのかも知れないが――実に儚く脆いもので、自分たちが力を振るったのはほんの一瞬で済んだ。


 だというのに、どうも中央地帯の勢力だけが粘り強く徹底抗戦を続けているのだ。指揮系統も健在のようで、漏れ聞こえてくる味方の通信内容を総括すれば、敵指揮官の采配に攻めあぐねているという声が目立つ。


『うーん。このまま包囲殲滅を任せても良いけど……』


 それは時間が掛かりすぎ、その分味方の被害も増えるだろう。加えてもし敵指揮官とやらが想定よりも優秀ならば、一時撤退の後に戦力を再編して、再び立ちはだかるかもしれない。そして常にそういう類の敵は手強いのだ。面倒臭いと言い換えても良いが。


『そしたら、そうだな……』


 より積極的に任務を果たせる場所に行くべきだろう。そして手隙の機甲重兵(ヘビー・アーマー)は自分だけだ。そうと決まれば行動は早い方が良い。動き出す寸前、スローン4は足元に広がる赤黒い染みを一瞥した。


『……さっきの兵士、運が悪かったな。下手に顔を出したりしなければ、もしかしたら生き延びれたかもしれないのに』


 なんとも滑稽な話だ。彼がうろついていたのは、すでにこちら側の勢力が侵攻を済ませた後の地帯であった。つまり彼の視点からすれば、敵は()()()()()()()のではなく、とっくに()()()()()()()()()わけだ。


 塹壕の中に留まってさえいれば、後詰めとして残党狩りに勤しんでいた自分の目からも、逃れられた可能性もあっただろうに。


『まあ、どのみち見逃さなかっただろうけどさ』


 ご愁傷様。そんな弔いを一応捧げつつ、スローン4はペダルを強く踏み込んだ。一瞬屈み込んだ機甲重兵(ヘビー・アーマー)は、即座に鋭い駆動音を発して瞬発。大地に深々と陥没痕を刻み付けると、高速で大気をぶち抜きながら、戦火の真っ只中へ飛び込んで行った。鋼の五体が空を駆ける。


 ぐん、と全身にGがかかる。慣性制御装置のお陰で本来受けるものよりは遥かに軽減されているが、それでも慣れない頃はよく吐瀉物でコクピットを汚したものだ。そんな懐かしい想い出を思考の端に追いやりつつ、スローン4は高みから戦場を俯瞰した。


『……はは、やってるやってる』


 纏う音速超過の速度も、機械的に強化されたスローン4の視覚にはひどく緩慢に感じられた。飛び交う銃弾さえ目で追えるような、引き伸ばされた時間の中で彼は見る。赤色が徐々に包囲を狭めながら、青色を押し込もうとしている様を。


『思った通りだ。最後の一押しが足りてない、って感じかな?』


 敵も中々に頑張っている。彼らの足元は仲間の死体に埋め尽くされ、そこから漏れ出した血液や臓物が一雨降ったように地面を泥濘ませている。おっと、一人転んだぞ。足を滑らせたな。はは、泣いてるよ。全身汚れ塗れになって可哀想に。


『楽にしてやらないとなあ』


 言えば、操縦桿を握る手に力が籠る。まだ敵はこちらに気が付いていない。スローン4は空中で機体姿勢を制御し、30mm機関砲を敵軍へと向けた。一度引き金を弾けば無造作に死を撒き散らすその武器を、スローン4はとても気に入っている。


『選り取り見取り……』


 さて、どこを狙うべきか。正面の歩兵密集地帯か。それともやや後方に布陣した戦車隊か。とりあえず味方を助ける目的なら前者だが、今後の安全を考慮するならば後者だ。一ミリ秒にも満たない思索を経てスローン4は即決した。後者にしよう。


『……下手に正面を空ければ、その瞬間に戦車隊が撃ってくるかもしれない。同士討ちの心配がなくなるからね。それはちょっと不味い。味方の被害が馬鹿にならないし、せっかく押し込んだのが水の泡だ』


 手助けに来たのに、却って足を引っ張っては意味がない。射撃目標地点に味方がいないことを確認した後、スローン4は口元の集音機に端的な一言を吹き込んだ。自己を示す呼出符号(コールサイン)に続き、


『――これより支援砲撃を開始する』


 と。返事は待たない。これで意味は通じるからだ。仮に聞き逃したり、このタイミングで誤って前に出た者が巻き込まれても、それはこちらの責任ではない。機を逃す方が余程重大な問題であろう。


 故に躊躇いなく撃つ。


 定めた狙いにフルオート射撃を開始。天を割るような轟音が、尾を引いた多重層で連なり打ち鳴らされる。発火炎(マズルフラッシュ)を発して飛び出した強装徹甲弾の嵐は灼熱を伴い、彼我の距離を数瞬で駆け抜け標的に到達。敵戦車の装甲を軽々と穿ち、刹那に襤褸切れのように引き裂いて、鮮やかな深紅の花を咲かせた。


『次だ』


 身体の芯を貫いた快感に口端を歪めながらも、スローン4は努めて冷静かつ鋭敏に次なる目標を定めようとする。直後、複合式感覚機(ハイブリッド・センサ)非常警告(アラート)。即座にスローン4は示された方向を注視(ズームイン)し、


『――へえ』


 感嘆の声を漏らした。大半の敵が極度の恐慌状態に陥っている中で、一台の戦車だけが正確にこちらを捉え砲塔を向けていたのだ。さらに注視(ズームイン)してみれば、弾薬も装填済みであることが確認できる。惚れ惚れするような手際と、それ以上に素晴らしい肝の据わり方である。


『やるじゃん』


 背筋が冷える。恐怖ではなく興奮に。よくよく見れば、該当車両の側面には特徴的な模様が描かれていた。“流星に跨った猫”のイラスト。間違いない。<エクィアス連合国軍>の将官。それもけっこうな有名人物の、


『あっは! ロック・クリスフォード大佐かあ!』


 <流星弾>ロック。サナーウェア高地追撃戦。バラシルム砂漠の戦い。ヘル・スタンプ作戦。メルライン領防衛戦。五月の撤退戦。リットランの大戦車戦。その他、歴史の転換点となった数々の戦場に於いて、常に勝利者の側に名を刻んできた猛将の呼び名だ。


『道理で守りが硬いわけだ。あのオッサンが指揮してるんなら、これくらいは持ち堪えて当然だよ。むしろなんで負けてるのかな。全軍の指揮官が無能なのか、それとも単純に兵力が足りないのか』


 とんだ大物を引き当てたものだ。スローン4は益々笑みを濃くした。ここで彼を殺害しておけば、後々の作戦行動に大きな貢献ができる。勲章も貰えるかもしれない。なにより機甲重兵(ヘビー・アーマー)搭乗者として箔が付く。


 しかし喜んでばかりもいられない。熊を狩る前から毛皮の使い道を考えるようなものだ。それに機甲重兵(ヘビー・アーマー)に飛行能力はないので空中では身動きが取れず、猛将ロックの操る敵戦車はぴたりとこちらに狙いを定め、今にも撃ってくる勢いだ。


 撃ってきた。


『おっと……』


 スローン4は複合式感覚機(ハイブリッド・センサ)の感度を最大値まで一気に引き上げた。その負荷で頭の中に火花が散り、引き攣るような痛みが走る。脳内に挿入(インプラント)された電子回路が幾つか焼き切れた(ショートした)かもしれない。しかし、生存のためには必要なリスクだ。


 直後、スローン4の知覚が急激に引き延ばされた。敵戦車の砲塔が迸らせた火炎光(マズルフラッシュ)が、スローモーションでふんわりと膨れ上がっていく。


 まるでシャボン玉だ。そんなことを粘着いた感覚の中で考えつつ、スローン4は素早く操縦桿を操作した。機甲重兵(ヘビー・アーマー)の前腕を斜め下前方へと向けて、


『――アンカーを射出……ッ!』


 高速で。しかしスローン4の主観ではゆっくりと。強化カーボンで作られたアンカーが射出される。一直線に伸び行くそれは、ロックが操るものとは別の敵戦車に向かっていた。要は打ち込んだアンカーを基点として機体を引っ張り、急激な方向転換を試みようとしているのだ。


『間に合うか……!?』


 スローン4の額に、ここ最近ですっかり縁遠くなった焦燥由来の冷や汗が滲んだ。


 戦場で焦るのは何時ぶりだろう。そう思う間にもシャボン玉は弾け、一撃必殺の威力を秘めた成形炸薬(HEAT)弾が放たれた。機甲重兵(ヘビー・アーマー)とはいえ、真正面から戦車砲を喰らえばひとたまりもない。紛れもなく致命の一撃足り得るだろう。


『はは、クソ……』


 不味いかな。そんな思考が過ったと同時、アンカーが敵戦車に食い付いた。確かな感触に勇気を得たスローン4が力強く操縦桿を引けば、機甲重兵(ヘビー・アーマー)の五体は急激にそちらへと引っ張られていく。クソ、急げ。もどかしさと緊張感が極限に達し、スローン4の視界が赤く染まる。


 そして、結果が示された。


 <流星弾>ロックの放った乾坤一擲の砲撃は、機甲重兵(ヘビー・アーマー)の装甲側面を僅かに掠めただけで、虚空へと消え去って行った。現実時間においては、コンマ一秒にも満たない刹那の攻防であった。


『――よっしゃあッ‼』


 回避成功。スローン4は思わず歓声を上げる。そこからは単純な戦闘機動コンバット・マニューバをするだけで良い。急激に生じた慣性を上手く殺しつつ、機甲重兵(ヘビー・アーマー)の姿勢を制御。機体重量による自壊を防ぐための体勢を作り、スローン4は見事な着地を決めた。


『十点満点……!』


 降り立った位置は歩兵と戦車隊のちょうど中間地点。これで戦車隊は迂闊な射撃ができない。当然ながらスローン4はそれを狙っていた。足場がない状態、それも高速飛行中でこれほどの精密かつ大胆な動き。しかし機甲重兵(ヘビー・アーマー)を駆る者としてこの程度は当然だ。


 何故ならば、機甲重兵(ヘビー・アーマー)は単に兵器と装甲を積載した鎧ではなく、搭乗者の第二の身体だからだ。手足の延長として。否、それ以上に発展的かつ極限的な動きができなければ、初めから乗る意味がない。


 故に、


『そしたら、今度はこっちの番だ……ッ!』


 もはや怖れるものはない。機甲重兵(ヘビー・アーマー)の反撃が開始された。


 スローン4はペダルを踏み込む。敵はまだ混乱から立ち直っていない。まずは先程アンカーを撃ち込んだ戦車を狙う。言ってみれば命の恩人だ。搭乗者たちには苦痛を与えないように一撃で済ませるべきだろう。


 スローン4は操縦桿を操作。機甲重兵(ヘビー・アーマー)の両肩部に装備された長方形のコンテナが開き、2×8で規則正しく整列した誘導弾(ミサイル)の先端が外気に晒される。目標捕捉(ロックオン)は瞬時。発射はトリガーを弾けば良い。弾いた。破壊力の塊が白煙を引いて飛んで行く。敵戦車は逃れようとするが――


『今更、無駄だよ』


 ――一秒と経たず、着弾。爆炎に包まれた敵戦車は爆発四散した。複合式感覚機(ハイブリッド・センサ)で確認すれば、生体反応はなし。見事に全員即死だった。


『よし、よし……』


 そのまま残りの戦車も片付けにかかる。二台、三台と続けて撃破したところで、生き残りが後退を開始した。足並みの揃った綺麗な動きは、ロック大佐が指示を出したためだろう。流石に立て直しが早い。スローン4は素直な賞賛を胸に浮かべ、


『だけどそれじゃあ、仲間を守れないよ……?』


 素早く機体を旋回。取り残された敵歩兵に標的を変えた。外部スピーカーを起動し<アルデガルダ帝国軍>へと呼び掛ける。別に必要はないのだが念の為、そして味方の心証のために。


『これより敵歩兵の排除を開始する、帝国軍兵士は退避せよ』


 敵対しているはずの歩兵たちが、一様に恐怖の表情を浮かべた。それに構わずスローン4は射撃を開始。蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていく歩兵から、所属陣営を綺麗に選り分けて敵だけを排除していく。撃ち間違えるようなヘマはやらかさない。


『……まあ、流れ弾に当たったらごめんってことで。それと、射線に入り込んでくるような奴まで面倒は見切れないから、そのつもりでよろしく』


 幸い、味方の犠牲は十数人程度で済んだ。その分百人単位で敵を倒せたのだから破格の成果だろう。ノーミスで達成できればなお良かったのだが、実戦にそこまでを求めるのは贅沢というもの。ともかく場所は開けたので、


『さて、それじゃあ本腰入れて全滅させようか……!』


 勢いに乗ってスローン4は容赦なく撃ち、潰し、引き千切った。

 30mm機関砲で。鋼の五体の重量そのもので。繊細にして強靭な鉄の腕で。

 見る見るうちに敵兵が薙ぎ倒され、弾け飛び、物言わぬ挽肉へと変わっていく。


 不意に異常警告(アラート)。特徴的な羽音(ローター音)は戦闘ヘリだ。降り注ぐ機関砲掃射をサイドステップで回避し反撃。30mmの直撃を浴びた戦闘ヘリは、為す術もなく穴開きチーズとなって墜落した。機甲重兵(ヘビー・アーマー)の運動性能を軽んじた代償だった。


『はは……ッ!』


 スローン4は笑う。暴虐を撒き散らしながら、まるで幼子がお気に入りの玩具で遊んでいるような声で、無邪気に無造作に無慈悲に笑う。


 その様はまさに王者が振る舞うが如し。否、事実として彼は戦車に勝利した。陸上の王者たる兵器を打ち破り、王位の簒奪に成功したのだ。故に彼の振る舞いを止められるものは、今この戦場において存在しない。


 スローン4の介入からほんの数分足らずで、戦場は<エクィアス連合国軍>にとっての地獄と化した。



 -↯-



 悲鳴が満ちていた。

 苦悶が連続していた。

 絶叫が響き渡っていた。


「――大佐ッ! もう、もう駄目ですッ! 逃げましょう、敵いっこないッ!」

「……ド喧しいぞケリー‼ 泣き言を喚いている暇があったら、一発でも弾を撃て‼ 友軍を救うんだよ‼」


 半狂乱になった射撃手ケリー少尉に激を飛ばしながら、しかしロック・クリスフォード大佐もまた、胃の腑が引き絞られるような恐怖と焦燥を感じていた。そしてそれ以上の無力感を。今更、彼が砲撃を一発や二発撃たせたところで、この状況を変えられる目算などないからだ。


「化物め……‼」


 彼が憎悪と憤怒を込めた悪罵を向けた先、高感度カメラを通して見た車外の光景は、歴戦の勇士たる<流星弾>ロックをしてなお酸鼻を極めるものだった。


「やめ、助けてっ! 死にたくな、っがあああああっ!?」

「俺の腕、うで……! ああ、嫌だ! やだぁがぼっ‼」

「畜生! こんな、援軍は!? 援軍はまだなの……ぎぃッ‼」


 血飛沫が舞う。肉片が弾ける。臓物と骨片と脳髄が入り混じって地面に叩きつけられる。悲鳴、銃声、破裂音。最後のひとつは人体が瞬時にして破壊された時の音だ。味方がまるで襤褸切れのように死んでいく。藁でも吹き散らすような勢いで殺戮されていくのだ。


機甲重兵(ヘビー・アーマー)……‼ たった一機で戦場を蹂躙するか……‼」


 ロックの精悍な顔つきが苦々しく歪んだ。


 <アルデガルダ帝国>が作り出した最新鋭の個人兵装、機甲重兵(ヘビー・アーマー)。実戦投入からたった半月で、あの鋼の巨体は戦場の様相をすっかり変えてしまった。戦車でさえ歯が立たないのは先の通り。対抗できるのは航空機による直接火力支援くらいのものだろうが、


「カルロス! 味方の航空支援はどうなってる!?」

「駄目です、大佐! 敵の高射砲が健在のため、爆撃機が近寄れません!」


 現状は通信士カルロス中尉がそう返答した通りだった。先程も苦境を知って駆け付けた爆撃機が、一機撃墜されてしまっている。そんな状況下では無理を言うことはできない。彼らとて仲間を救えるならばともかく、ほぼ確実に無駄死にするとなれば尻込みもしよう。


「それに大佐、……ああクソ! 戦線は崩壊寸前ですよ! 北も南も部隊が壊滅して、通信回線は泣き声と断末魔で大渋滞を起こしてる! 後方でも混乱してるらしく命令系統もズタズタだ、これじゃあ指揮なんてできやしない!」


 激しい打音が響いた。カルロスが腹立ち紛れに壁を殴りつけたのだろう。鉄火場においては常に冷静沈着を貫き通し、皆から<人間計算機>の仇名を頂いた彼らしくもない。それに反応して操縦手ダニエル少尉が喚いた。僅かに操縦が乱れ、車体が傾ぐ。


「畜生! せめて、味方が前線を支えてくれていれば……!」

「泣き言抜かすなダニエル! 良いから、お前は運転に集中していろ!」


 ロックが一喝すると乱れは収まった。ダニエルが気を持ち直したらしい。普段は感情と運転技術を切り離せる彼がこうまで動揺している様を見るのはロックも初めてだった。口では泣き喚きつつも、見事に断崖絶壁の山道を30kmに渡って無事踏破してみせたこの男が、よもや。


 ロックは思わず呻いた。なにもかもが想定外。なにもかもが未経験。歯車が狂ったどころではない。幾度もの苦境を味わい乗り越え、今では知り尽くしているはずの『戦場の法則』が、根底から破壊されてしまっていた。


 脅威の新兵器、機甲重兵(ヘビー・アーマー)という敵が出現しただけで……。


「そうか。アルデガルダの攻勢は、こいつの量産の目途が立ったからか……‼」


 直感めいて過った気付きも、今となっては遅きに失した。もっと早い段階で警戒を強めておくべきだった。数ヶ月前に報告に上がっていた人型兵器の存在を、ただの玩具と看過せずに対抗策を練っておくべきだった。


(戦車乗りの驕りか……! 俺は常識に胡坐をかいて、自分自身の力量を過信していた……!)


 胃の腑を焼くような自責の念は、もはや無意味な後悔でしかなかった。


 味方陣営は完全に崩壊し、逃走を図る者が続出している。これでは防衛戦維持など不可能、迎撃など夢のまた夢だろう。勝敗はもはや火を見るよりも明らかだ。味方の士気は完全に挫かれていた。


 しかし無理もない。なにせ他ならぬロック自身も恐ろしくて仕方ないのだ。これまで数十回にも渡って弾雨降り注ぐ鉄火場を生き延びてきた屈指のタフガイが、今はただ「ここから逃げ出したい」という本音が飛び出ないよう、歯を食いしばって耐えることしかできていない。


(畜生が……! なんてザマだ、ええ? ロック・クリスフォード!)


 大体、一番最初に泣き言を漏らしたケリー少尉も、長年ロックの片腕として戦場を渡り歩いてきた豪傑だ。右足をふっ飛ばされても意識を保ち、義足が完成したその日には再び戦車に乗り込んでいたほどの、命知らずの大馬鹿野郎なのだ。


 そのケリーが幼子のように顔を歪めて泣いている。信じがたい光景を目の当たりにし、ロックは腹の底に鉛が落ちたような気分を味わった。


「……もはや、これまでか!」


 とうとう、ロックは決断した。


「――全軍に通達ッ‼ 今すぐ反転し、後方へ退却せよッ‼ 撤退だ、畜生ッ‼」


 それは彼が生まれて初めて経験した敗走であり、軍人として初めての戦略的意味を持たない撤退命令であった。そして通達が行き渡るにつれ、必死の抵抗を試みていた兵士たちは雪崩打って撤退を開始する。生き残った人数は作戦開始時の十分の一にも満たない。正真正銘の壊走であった。


 それをアルデガルダの兵士は追わない。機甲重兵(ヘビー・アーマー)一機に任せていればカタは付くからだ。戦闘に巻き込まれることへの恐れもあるだろう。彼らは勝利を確信した笑みを浮かべて三々五々に散って行く。残党狩りに勤しむつもりだ。分かっていながら、ロックにそれを止める術はなかった。


(追撃の手がその分緩めば、儲けものだ……)


 それは<流星弾>ロックとも思えぬ弱気な発想だ。ロックは自嘲塗れの苦笑を漏らした。


 ともかく状況は変わった。ここからは暴れ回る機甲重兵(ヘビー・アーマー)から、一人でも多く逃げられるかどうかの問題でしかない。俺はどうするべきか。悩むロックに横合いから声が掛かる。


「大佐、俺たちも……!」


 懇願するような口調。泣き笑いの表情を向けてきたのはケリー少尉だった。ロック大佐は思わず頷きかけ――


「……いや、駄目だ」


 ――首を振った。否定の方向に。


 そして言う。一言一句を噛み締めるように、決断的な口調で。


「俺たちは、味方が撤退するまでの殿を務める」


 ケリーは顔面蒼白となって絶句した。車内、他の人員たちも息を呑んだ気配がある。ロックも内心で後悔した。今しがた下した命令はつまり「地獄へ向かってアクセルを全開にふかせ」と同意義だからだ。


 しかし。彼らはあくまで<流星弾>ロック・クリスフォードとその部下たちであった。ケリーは徐々に顔色を取り戻し、やがて諦観こそ隠し切れないものの強引に笑みを浮かべて「了解!」と叫んだ。それを皮切りに、車内からは震え混じりの、それでも雄々しい返答が次々に返った。


「やっちまいましょう、大佐! 冥途の土産に巨人退治ってのも悪くない!」

 射撃手ケリー少尉が続けて叫ぶ。


「それに奴はこっちの砲撃を必死こいて避けた、つまり当たれば倒せるんです!」

 通信士アレックス中尉が不敵な笑みを浮かべる。


「こうなったら奴も地獄に道連れだ、無惨な殺され方した味方の弔いと行きましょうや!」

 操縦手ダニエル少尉が半泣きでヤケクソ気味に言う。


 それらの言葉にロックは心底から思う。自分は良い部下を持った、と。ならば車長として応えるべき言葉はたった一つだ。腹の底から意気を振り絞るようにして、天にも届けとばかりに叫ぶ。


「行くぞ野郎共ッ‼ 戦車前へ(パンツァー・フォー)ッ‼」


 三人分の応答が唱和した。鋼鉄の嘶きを響かせ、戦車が前進する。


 行く手には全身を返り血で濡らした機甲重兵(ヘビー・アーマー)が立ち塞がる。ロックは思う。その血は仲間の血だ。ならば貴様の血を以て贖わせてやる。そうして極度の興奮で血走った視界に敵を捉え、砲撃命令を下す、その直前――


「……畜生め」


 ――地響きを生んで、さらに三体の機甲重兵(ヘビー・アーマー)が追加で眼前に降り立った。


 車内に絶望が満ちる。誰かの引き攣った悲鳴が鼓膜を打った。顎が震える。心臓が縮み上がる。ロックは実家に残してきた両親と、愛する妻と、娘を想った。そして車体マークの由来になった飼い猫を。きっと部下たちも同じようなことを考えているのだろう。


 それでも、それでも、だ。


「進めェ――ッ‼」


 遺言なんぞ述べる暇があるなら一発でも弾を撃て。

 遠い昔、入隊時に叩き込まれた訓示を蘇らせ。

 <流星弾>ロックは、最期の命令を発した。


 そして機甲重兵(ヘビー・アーマー)の30mm機関砲が四門、王座を追われた無謀な挑戦者に向けられ、一斉に火を――



 -↯-



「――はい、ちょーっと待ったぁ!!」



 -↯-



 ――噴かなかった。


『……は、ぁ?』


 スローン4の半開きになった口から、そんな間の抜けた声が漏れる。


 彼は見た。僚機であるスローン2が、横合いから高速で飛んできた『なにか』に蹴り飛ばされ、装甲を粉々に砕き割り散らしながら倒れ込んだ光景を。そして呆然と見守る皆の眼前で、スローン2が駆る機甲重兵(ヘビー・アーマー)は地に倒れ、そのまま動かなくなった。


『……嘘だろ?』


 なにが起きたのか、まったく分からなかった。

 絶対に有り得てはならない光景だった。

 それは明らかな異常事態であった。


『おい、……おい? スローン2?』


 呼び掛けながら、スローン4は倒れた機甲重兵(ヘビー・アーマー)注視(ズームイン)する。胴体装甲の脇腹が食い破られたように大きく裂けていた。激しい勢いで潤滑油が噴き出している。砕けた装甲と千切れた人工筋肉が、混ぜこぜになった中から、ぐしゃぐしゃに潰れた人間の手が覗いている。


『スローン2、応答せよ。スローン2。……応答しろッ‼ スローン2ッ‼』


 スローン3の切羽詰まった声が響いた。対し、スローン2からの応答はない。通信を通して返ってくるのは、ざらついたノイズ音だけだ。信号途絶(シグナルロスト)生体反応消失(バイタルサインオフ)。意志のない観測機器だけがなにより正確に、スローン2がすでに死亡しているという揺るぎない事実を、伝えていた。


 馬鹿な。スローン4は愕然とする。機甲重兵(ヘビー・アーマー)は戦場の王者であったはずだ。戦線に投入されて以来、各地で多大なる戦果を積み重ね、そして今日<流星弾>ロックの駆る戦車にさえ勝利を収めた。機甲重兵(ヘビー・アーマー)は名実共に『無敵』の代名詞になったのだ。


 それが、例えば重爆撃機の爆弾投下によって倒されたならば、納得はいかずとも理解はできる。陸と空という、絶大なるアドバンテージの差はいまだに埋め難いものだからだ。あるいは、油断から戦車砲や艦砲射撃の直撃を受けて倒されたのなら、受け入れざるを得ない。それは機甲重兵(ヘビー・アーマー)の敗北ではなく、搭乗者の未熟だからだ。


 なのに。今、目の前に現れた闖入者は。機甲重兵(ヘビー・アーマー)をただのひと蹴りで撃破せしめた、想像を絶する戦闘能力を持つであろう、その存在は――


「……いやあ、間に合って良かった! 司令部から任務受領して直送で駆け付けたけど、着いてみたらもうほとんど壊滅状態じゃんか! 焦った焦った、ここ取られたら後々大変だもんね! でもまあ、とりあえず良しってことで!」


 ――そう言って朗らかに笑う、人間の少女にしか見えなかったのだ。



 -↯-



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