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S・SST戦記 -Fragment-  作者: 赤黒伊猫
『ベルディア平原の奇跡』
1/9

1:ある兵士の生存戦略 -Escape-



 -↯-



 耳を(つんざ)くような風切り音が、頭のすぐ上を高速で通過していった。


 反射的に地面に這い蹲れば、その動きに舞い上げられた土埃が目と口に容赦なく入り込んだ。突き刺すような痛みとひどい土臭さを同時に味わいつつ、それでも俺はいっそう必死になって全身を平たくしようと試みる。地面に押し付けた頬や手の平に砂利が突き刺さる不快感は無視した。粉々の肉片になって死ぬよりよっぽどマシだ。


 そんなことを考えた直後、遥か後方で凄まじい爆音が轟いた。全身を打ち叩く大音響に、俺の口から漏れたのは勇ましい悪態ではなく、情けないほどにか細い悲鳴だった。畜生。尻を叩かれた犬じゃないんだぞ。おまけに鼓膜をやられたのか、耳の奥で甲高い鐘の音が延々と鳴り響いている。ああ、畜生!


 タフになれよジョージ。そう己に言い聞かせつつ、耳鳴りを堪えて恐々背後を見やれば、そこには目を疑いたくなるほど凄惨な光景が広がっていた。怪物めいて巨大な爆炎が、天高く立ち上っているのだ。炎と煙。鮮烈な赤と黒の二色に染め上げられた空は、言いようもないほどに恐ろしい威圧感を示している。


「ああ、なんてこった……」


 状況は分かり切っていた。さっき通過していった敵の砲弾が、恐らくは味方の陣地をひとつかふたつ、吹き飛ばしたのだろう。


 そうなれば間違いなく被害は甚大だ。何十人、否、何百人と死んだかもしれない。あのいけ好かない上官も吹き飛んだだろう。ざまあみろだ。無能な癖にいつも威張り散らしやがって。場違いに昏い喜びが胸に渦巻く。


 だが、すぐに思い直す。補給班を誤魔化して余分に手に入れた配給の煙草を分けてくれたアルも、故郷に老いた母親を残してきたというフレッドも、酒を飲むと出る暴力癖を除けば気の良いブルックスも、あの爆発に巻き込まれたかもしれないと。そう、仲間が大勢死んだのだ。


 ならば俺は<エクィアス連合国軍>の兵士として、その仇を取らなければならない。さあ立て、すぐ立て。銃を握って応戦しろ。ヘドロと糞尿で濁ったドブの中で、酔っ払いが出した吐瀉物を喰って生きてるゴキブリよりもクソッタレな、憎い憎い<アルデガルダ帝国>の尖兵共をブチ殺してやれ!


 急激に湧き上がった怒りと使命感は、しかし一瞬にして萎えてしまった。耳鳴りが収まった途端、俺の聴覚が再び、激しい豪雨のような銃声に支配されたためだ。四方八方で弾丸が飛び交い、まるでオーケストラでもやってるみたいに騒々しい。なるほど、これが戦場音楽ってやつか。


「冗談じゃねぇ、俺はポップスの方が好きなのに……」


 意味を成さない泣き言を漏らして、俺は身を起こした。立ち上がるためではない。不用意に身を晒せば一瞬で蜂の巣にされる。単純に、腹這いだと周囲の状況が分かり辛いので、姿勢を変える必要があっただけだ。


 俺は芋虫のような動きで背と腹の天地を入れ替え、周囲の景色を見回す。ここは塹壕だ。味方が必死に押し上げた前線の、前から二番目か三番目。辺りにはたくさんの弾薬と、たくさんの小銃と、たくさんの死体が散らばっている。黒々と汚れた青い軍服のそれらは、すべて味方のものだった。


 どうやら、生きてる兵士は俺一人らしい。


「なんだよ……。偶々、俺だけ生き残っちまったのかよ……」


 運が良かったと喜ぶべきか、それとも自分一人だけ生き残ったことを恥じるべきか。本音を言えばそんなことより、ただひたすらに心細かった。そしてそれ以上に恐ろしかった。目頭が熱くなり、端の奥がツンとする。大の男が泣きかけている。情けないぜ。


 左右どちらかに進めば生き残りと合流できるだろうが、そんな気力はなかった。第一、そこに上官が居れば最悪だ。突撃命令なんて出された時にゃ、そこで俺の人生はお終いだ。尤も、ここでのんびりしていても、遅かれ早かれ同じ結末を迎えるだろうが。


 俺は溜息を零して分厚い土壁に背を預けた。現状ではなにより頼りがいのある存在だ。少なくとも俺の身を守ってくれる。今のところは。そのままじっとしていると、大地を揺るがすような振動が伝わってきた。戦闘の勢いが些かも衰えていない事実の、揺るぎない証拠だった。


「もう、いい加減に止めろよ……。弾だってタダじゃないだろ……」


 国境線を挟んでの撃ち合いは、三日前の明け方に再開されてから今まで一瞬の休みもなく続いている。何十万人という兵士と、何千万発という銃弾が消費されたはずだ。


 なのに戦いは終わる気配もない。それどころか益々盛り上がっている。我が栄えある<エクィアス連合国軍>の潤沢にして滞りのない兵站能力よ、万歳(クソ喰らえ)。どうせ寄越すなら首都から援軍を送りやがれ。期待させるだけさせといて、精鋭と名高き<中央軍団>は終ぞ姿を見せなかった。


「そうかい、そうかい。お偉方は俺たちに、ここを守って死ねってかい」


 なにやら一人、えらく有名な将官だかが援軍に駆け付けたという話は聞いてるが、そいつ一人が奮闘したところでどうにもならないのは目に見えている。せめて航空支援を十倍にするか、噂の<特殊機兵部隊>とやらを連れてこいよ。


 そんなことを考えていたら、一際大きな爆音が響いた。


 慌てて頭上を見上げてみれば、太ったシルエットの航空機が煙を噴いて墜落しかけていた。形状からして味方の爆撃機だ。どうやら航空支援に駆け付けて、いざ任務に取り掛かろうと高度を下げた瞬間、高射砲をもろに喰らったのだろう。間を置かずに爆散。救いの手は彼方に遠ざかった。俺はがくりと項垂れた。


 ああ、いったいどうしてこんなことになったのか。


 少し前までは実に平和なものだった。いや勿論、ここは曲がりなりにも遥か大昔から憎しみ合っていた二大大国の国境線だ。ヒリ付くような緊張感は常に漂っていたし、散発的な小競り合いは毎日のように起きていた。


 一人でうろついた味方(馬鹿)が八つ裂きにされて放置されていたこともあったし、逆に迷い込んできた敵兵(間抜け)に盛大な歓迎をしてから磔にしてやったこともあった。陣地に砲撃が撃ち込まれて何十人も死んだから、その報復で同じだけをぶっ殺してやったりもした。


 だがその程度は日常茶飯事。現状に比べればぬるま湯のようなものだ。三食の配給も出たし、哨戒任務の合間には賭けポーカーもできた。ああ、そういえばブルックスへのツケは返せず終いだな。悪いことをした。奴が死んでたら、だが。


 ともかく、そんな状況が一夜にして変わった。


 突然始まった<アルデガルダ帝国>の大攻勢によって、俺たちはぬるま湯から叩き出され、代わりに煮え滾った油風呂に叩き落されたのだ。油断し切っていた味方は皆揃って黒焦げだ。血の滴るステーキはいかが。出来立てが湯気を立てて彼方此方に配膳されてますのでお好きにどうぞ。クソッタレ。


「畜生め、最初に撃ってきたのは連中の方だぜ。顎下が涎塗れのクソ侵略者共が……」


 ぶつける恨み言があるだけ救いようがある。裏を返せばそれ以外の救いはない。なにせエクィアスとアルデガルダの関係上、和解という選択肢は端から有り得ないからだ。敵の全滅か、味方の全滅か。この戦いを終結させる方法はそのどちらかのみ。例外はなかった。絶対に。これまでも、これからも。


 そして当然ながら、単なる一兵卒でしかない俺が戦局に影響を与える可能性など、万にひとつもないだろう。一匹の蟻が敵の総司令部に齧り付くようなものだ。柱一本すら倒壊させられないだろう。仮に数千、数万と数がいればともかく、現状ここには俺一人。無理だな。どう考えても不可能だ。


 勿論、俺は戦った。必死に戦場を駆けずり回って銃を撃ち、大汗をかいて砲弾を運び、傷付いた味方を背負って後方のテントまで運んでやった。上官に怒鳴り散らされ、生臭い泥を被り、できる限りのことをした。役目を果たそうとしたんだ。結局、すべては無駄に終わったが。


「第一、あんなとんでもない()()が出てきたんじゃあ……」


 俺は数時間前に見た光景を思い出して身震いした。そう、そいつが曲がりなりにも拮抗していた戦況を、まるっきり変えてしまったのだ。


 今朝になって突然に襲来したあの()()は、圧倒的な力で味方の防衛陣地を藁の家でも崩すように薙ぎ払った。小銃を携えた勇敢な兵士が百人単位。そんなものは足止めにもならなかった。弾丸は装甲に弾かれ、手榴弾を投げ込もうにも追い付けず、ならばと持ち出した対戦車兵器も撃つ前に射手が殺された。


 攻撃力。防御力。機動性。状況判断能力。


 どれをとっても生身の人間が敵う相手ではなかった。戦闘ヘリでもあれば多少は対抗できただろうが、それも果たしてどこまで通用したものか。なにせあの()()が装備していたのは戦車すら蜂の巣にする30mm機関砲だ。戦闘機だって下手をすれば撃ち落とされる代物を相手に、人間が立ち向かうなんて狂気の沙汰と言う外ない……。


「……ん?」


 物思いに沈んでいた俺の耳に、ふと小さな音が届いた。音源を探ってみると、傍らの死体の胸元が電子音を鳴らしている。手を伸ばして正体を取り出す。携帯型の通信機だった。電源を入れるとノイズだらけの通信音声が流れ始める。


『――至急、……急! こちら……隊、前線部……答せよ! 北側Aブロッ……は、壊滅状……! ただちに増……! 繰り……! ……に、増援……!』


 俺は終いまで聞かずに電源を切った。そして心の底から思った。

 

「逃げよう」


 漏れ出したその本音に、俺は思わず苦笑した。そもそも何故こんな所で延々と蹲っていたのだろう。正しい結論を出すのが遅すぎた。そうとも。こんな状況下で戦うなんて正気じゃない。


「もう嫌だ。逃げよう。どうせ誰も見てやしない。全員死んじまったんだからな。任務も規律も知ったことか、クソ喰らえだ。帰って実家の酒屋を継ごう。親父も足を悪くしてるしな。そうだ、それが良い……」


 俺は独り言を垂れ流しながら、周囲から武器と弾薬を掻き集めた。戦うためではない。自分の身を守るためだ。味方の死体が握り締めていた小銃を引き剥がすのは苦労したし、そこはかとない罪悪感にも襲われたが、一人でも多くの人間が助かる方が有意義なはずだ。そうだよな。怨むなよ。ああ、畜生。


 準備を整えた俺は身を屈めて、そろそろと塹壕内を歩き出した。誰にも会いませんように。敵も嫌だが味方も嫌だ。出会い頭の撃ち合いも、突撃命令も、どっちも勘弁だ。俺は生きる。生き残ってやる。そうして身の丈に合った人生を慎ましく送るのだ。そもそも兵士なんて、分不相応にも程があったんだ。


 自分に言い聞かせているうち、徐々に勇気が湧いてきた。そうとも。俺は多分、この戦場にやってきてから初めて正しいことをしている、はずだ。なにしろ酒屋は誰も殺さない。いや、アル中を生み出すかも知れないが、それは自己責任だ。俺は悪くない。


 悪くないのなら、助かったって良いだろう……。


「頼むよ……」


 その懇願が神様にでも届いたのか、俺は道中で誰とも会わなかった。死体は彼方此方で目にしたが。数人ほど呻き声を上げていた気もするが、気の所為だろう。俺は俺を守るだけで精一杯なんだ。生きて帰れたら墓に一番良い酒を供えてやるから許してくれ。


 そして数十分、あるいは数時間ほど歩いた頃。時間感覚が曖昧だ。ともかく歩きに歩いて、俺はとうとう塹壕の切れ目に達した。即ち、戦場の端っこだ。耳を澄ませば、なんとなく周囲が静かな気もする。ふと来た道を振り返ってみれば、最初に俺がいた辺りでなにやら火柱が上がっていた。


「あ、……攻め落とされたのか」


 そこでは鬨の声が響いている。帝国語だ。遠目にも目立つ赤色の軍服姿が密集している。考えてみれば当たり前だ。抵抗がなければ侵攻は容易い。胸の奥でちくりとした痛みが生まれるが、なに、俺一人の応戦で状況が変わるわけもないのだ。


 さて、どうやら戦況はこちらが不利のようだ。なにせ初動が不味かった。敵勢力は戦場のど真ん中を突破しようとしている。その分、勢力の手薄な箇所があるはずだ。例えばこことか。俺は運が良い。本当に生き延びれるかもしれない。希望の星が輝いてきた。


「よし……!」


 俺は意気揚々と、しかし慎重に塹壕から這い出して、誰にも気付かれないように戦場から遠ざかって行く。お誂え向きに、行く手には川がある。その先は深い森になっていたはずだ。逃げられるぞ。逃げられるんだ。


「逃げられ――」


 その瞬間。俺の目の前にあの()()が、機甲重兵(ヘビー・アーマー)が現れた。


 ああ、畜生め。

 天罰のつもりか。

 くたばりやがれ神様。


 そして滑らかな動作でパイプ管めいた銃口が俺に向けられ、漆黒の闇を内側に湛えたその先端が突然、爆ぜるような閃光を



 -↯-



 音速超過で放たれた強装徹甲弾の一撃を受け、ジョージ・ウェイブス一等兵は血煙と化した。



 -↯-



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