PT追放からの「ざまぁ」のルーツを探ろう。その正体は悪役令嬢だった!<20190311時点調べ>
タイトルでオチ付けたのでもういいよね。
2016年から2018年の間のなろうのブームや傾向を探ろうと思い、
各種年毎に初投稿された小説を集計し、総合評価別に分けてみました。
結論から言ってしまうと、テンプレタグの推移は誤差です。
ですが、2018年のデータに限って異常な傾向が見受けられました。
2016年新規投稿小説件数:83,594
100未満:73,379 (87.8%)
100~1000未満:6,794 (8.1%)
1000~3000未満:1,402(1.7%)
3000~1万未満:945 (1.1%)
それ以上: 565 (0.7%)
【テンプレタグ チーレム最強神】
1万件以上部門 ALL:543
最強: 175
チート:211
ハーレム:134
神:112
ざまぁ:21
※追放: 11
ALL not: 208(全体の大よそ37%)
2017年新規投稿小説件数:100,550
100未満:89,163 (88.9%)
100~1000未満:7,911 (7.9%)
1000~3000未満: 1,448 (1.4%)
3000~1万未満:891 (0.9%)
それ以上: 543 (0.5%)
【テンプレタグ チーレム最強神】
1万件以上部門 ALL:543
最強: 171
チート:177
ハーレム:112
神:138
ざまぁ: 33
※追放:13
ALL not: 179(全体の大よそ33%)
2018年新規投稿小説件数:114,141
【PT別投稿件数】
100未満:101,842 (89.2%)
100~1000未満:8,676 (7.6%)
1000~3000未満: 1,480 (1.2%)
3000~1万未満:909 (0.8%)
それ以上: 577 (0.5%)
【テンプレタグ チーレム最強神】
1万件以上部門 ALL:577
最強:217
チート:200
ハーレム:152
神:116
ざまぁ: 110 ←(激増)
ALL not: 177(全体の大よそ30%)
お分り頂けただろうか。
ざまぁが流行り始めたのは去年になってからなのだ。
なろうに投稿する小説は年々増加しており、
1万pt以上を獲得できる作風が固定化し始めている。
むしろ、去年に何があったのだろうか。コレガワカラナイ。
基本的に古い時代に投稿された作品の方がポイントが入りやすいと思われるが、
実の所そういう事はあんまりない。埋もれた作品はずっと埋もれたままなのだろう。
一応底辺の比率は微減していると言えるが、
それは投稿数と経過時間から考えると誤差と見て良い。
時間が経過すればその分ポイントが入りやすいためだ。
さて、ここで気になった人が居るだろう。
2018年に流行り始めた「ざまぁ」とは何かだ。
その正体は悪役令嬢及び婚約破棄モノだったのだ!
それこそがざまぁの主流であると言える。
下記の検索結果を見て頂きたい。
連載小説の全てのざまぁの件数:1,284(短編含めると2,100件)
・うち令嬢を含む:436(全体の3割以上)
ー加えて総合評価3000以上:165
ー総合評価3000以上に加え、2018年以降初投稿: 112
・うち男主人公を含む: 305(令嬢モノより低い)
ー加えて総合評価3000以上:72
ー総合評価3000以上に加え、2018年以降初投稿:70(!?)
・ざまぁかつ2018年より前に初投稿かつ総合評価3000以上:88
ーうち令嬢モノ:53
ーうち男主人公:2
つまり、ざまぁは追放モノの亜流か派生なのかと思われたが、
本来のルーツは悪役令嬢の婚約破棄モノから始まっているのだ。
自分を貶める美人や自分の本来の価値を見誤った王子達が落ちぶれていく様をざまぁして楽しむ。
それが本来のざまぁだったんだよっ!
……え?知ってる? そうですか……
ではなぜ、男主人公モノのざまぁが増えて来たのか。
コレガワカラナイ。
ただ、評価1万以上で男主人公モノで古い作品を検索してみた所、
下記のような傾向がみられた。序盤でヒロイン寝取られモノである。
評価1万以上かつ2018年以降初投稿かつ、男主人公かつざまぁの件数:36
・うち「勇者」タグ含む:19
・うち「勇者」と「寝取られ」含む:4
・「勇者クズ」タグ含む:2件(最も古い作品が2連続でこれ)
2018年以降初投稿かつ男主人公かつざまぁ:283←(2018年から急増)
・うち「勇者」タグ含む:109
・うち「勇者」と「寝取られ」含む: 19
悪役令嬢モノでざまぁする対象を"正史主人公"から"勇者"に置き換えたものだ。
それと追放モノの流れが合致し、現在のざまぁへと変質してきたのだと思われる。
ちなみに、上記検索条件で評価1000以上で古い作品順に検索してもらいたい。
世界を救うために戦う勇者に対する怨嗟が渦巻いているのがよく分かります。
……破壊神を破壊した男のバズズの語りや、
大魔王バーン様のしてくださったありがたい話を思い出してみてください。
人間は最低だぞ。(以下略
そして、その精神性は悪役令嬢のざまぁモノと酷似しております。
……これ以上ざまぁに触れると闇の深淵に引きずりこまれそうな気がする。でもがんばる!
持たざる者は持てる者を恨み、妬み、嫉むものです。
引きずり降ろしたくてたまらない気持ちは私にもよ~~~~く分かります。
実は人気者のアイツはクズだったことにしたい気持ちもよ~く分かります。
義務を果たさずに権利だけを貪りたい気持ちもよ~く分かります。
故に私は底辺なのだ。ハッハッハ。
なので、この"本質"に触れずになんちゃって「ざまぁ」を書いても成功はしないのだと思われます。
悪役令嬢モノの真の悪役は誰か、
そして、現実の悪は栄えるモノです。
これから「ざまぁ」を描く方は是非ご一考ください。
==追記==
そろそろ記事の新鮮さも薄れて来た頃なので好き放題書く事にしよう。
ここから先はなろうのさらなる闇に踏み込みます。
故に覚悟してください。
折角なので「ざまぁ」についてもう少し切り込んでみる事にしよう。
まず、「ざまぁ」と言えば何が一番近いのかと言えば「復讐モノ」である。
しかし、なろうでは何故か「復讐モノ」は人気がなかったりします。
主人公は言われもない理由で理不尽ないじめを受け、今まで虐めてきた相手を破滅させるという話の流れはどちらも共通している。
しかしながら、「ざまぁ」と「復讐」は全く似て非なるモノなのである。
何故か、「ざまぁ」をやる場合、主人公は「常に被害者」でなければいけないからだ。
主人公が自らの意思で相手を破滅させた場合、「加害者」になってしまう。だから、神の見えざる手によって敵対者を破滅させるのだ。そうすれば主人公は綺麗事を言い続ける事が出来るし、理不尽な境遇を受け続けた事での読者からの「同情」を得る事が出来る。
タクティクスオウガのザエボス・ローゼンバッハ殿のありがたいお言葉をそのままお借りします。
「貴様のように手を汚さず、きれいごとばかりを語り、美味しいところだけを盗む … 。 汚い仕事は他人まかせで、理想や正義をちらつかせる … 。」
これと同じ事を世界に対して押し付けたモノが「ざまぁ」である。
不思議に思った事はないだろうか、
「ざまぁ」作品で主人公が敵に直接手を下すと読者の反応が悪いことを。
「惨たらしく拷問して破滅させないからつまらない」
と感想を言う人もいるが、それをやらないのは当然の話である。
それは、「ざまぁ」の作品はダイブ型小説、
登場人物になったつもりで読む小説だからだ。
主人公は常に正しく、綺麗なモノでなければならない。
復讐はどうあがいても業と穢れを背負う事を避けられないからだ。
それは読者にとって酷いストレスになる。
だから、主人公がいなかったせいで元PTが"勝手に"崩壊するのだ。
その様子を眺める事で感じる気持ちはこうだろう。
ああ、やっぱり私って凄く価値のある人間だったんだ。
私の価値を気づく事が出来なかった愚かで下らない連中が滅んでせいせいした。
本当の私を理解している白馬に乗った王子様と一緒に新しい人生を謳歌するわ!
という悍ましい自己承認欲求が満たされる事になるのである。
後頭部には数千本のブーメランが刺さっている事に気がつかない場合に限るが。
つまるところ、他者には因果応報を押し付け、己にはご都合主義のみを求める。
こんな事本当に考えてる人間いるのか? と言いたい人もいるだろう。
答えは「いる」それも腐る程だ。
例えば、
「私こんな酷い目にあったんだよ!だからアイツラってクズなんだ」
なんて自分語りの愚痴をネット上で見た事がないだろうか。
さぞ自分が陰湿ないじめにあったかのように書き記し、
被害者ぶって同情を誘っている。だが、その愚痴の文面を見る限り、
良くて同レベル、悪ければ……と察して見て取れるのだ。
試しに「その同僚酷い人ですね」なんてコメントをしてみると面白い。
自らの正しさと正義を一切疑わず、敵は全て異常者であるという独自の論理展開をする「人間性」や「本性」が垣間見える反応が返ってくるのだ。言っている本人は綺麗事を言ってるつもりなのだが、その内面を推し測れば悍ましい何かが見える。己の力で環境を改善する努力を一切せず、ただ口を開けて他者から与えられる救いを待つ。ああ、どっかで見た話に近くなってきますね。本当に救いが欲しい人は何も言わずに耐えていたりするわけですが。悲しい話です。
こんな例題、世間には腐る程ある。
これ以上語ると私の生命が危険で危なくなるため、とどめておこう。
言っては何だが、文章には性格と感情が滲みでてくる。
この文章から"邪悪さと悪意"を感じとった貴方は正しい感性をしています。
そういうお方は上記のような愚痴を直視した時、
吐気を催すような感覚に苛まれる事でしょう。
結局、何が言いたいのかと言えば、
「ざまぁ」は上記の愚痴を言う者が持つ「人間性」と非常に親和性がある。
そして、それらの共感を手っ取り早く得たいのであれば。
神の見えざる手によって敵対者を残酷に粛清し、自らが「被害者」であるという条件を満たし、本当の自分を理解してくれる都合の良い肉の器を用意して差し上げればよい。
それが、今の気に食わない環境からの逃避というエクスタシーになるのだ。
ここの所を勘違いして「復讐モノ」になってしまっている「ざまぁ」は少し作風を改めてみると、より読者の反応が良くなる事でしょう。
もう一歩踏み込め? 私も命が惜しいです。勘弁してください。
闇を見つめれば、闇の方からも見つめられるのです。
より深い深淵に至るには、
自らも深き者共と同化するか、狂気に身を任せなければならない。
貴方にその覚悟があるならば「ざまぁ」はいいぞ!
実の所、年別データをまとめるだけだった。
ですが「ざまぁ」のせいでタイトルを変更するハメになったのだった。
2018年に闇が潜んでいる。
だが、その闇を見つめる術を、今の私は知らない。
そして、今年に何が起こるのだろうか。
私は全裸待機してそれを待とうと思う。
是非ともこの文章を読んだ方は、「大魔王バーン」様のお言葉を聞いて頂きたい。
彼の言葉が真実である事を知る事ができます。