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小江戸の春  作者: 四色美美
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小江戸川越春まつり

小江戸川越春まつりが開幕しました。

 先輩が桜祭りと言っていた、小江戸川越春まつりが始まった。

オープニングは3月25日だ。

町人姿で川越の街を闊歩する若者達。



本番は3月31日だ。

おびんづる様のある連馨寺で開会式が始まる。

川越藩火縄銃鉄砲隊による演習。

流石、徳川所縁の川越らしい。



大正浪漫夢通りでは泳げ鯉のぼり君。

何の催し物かと思ったら、ポールとポールを結んで鯉のぼりを泳がせるようだ。

これは事前に塗り絵で鯉のぼりを作ると言う催しがあり、其処で集まった作品も飾るそうだ。

今年の分として役3百枚を用意したそうで、頭上を泳ぐ鯉のぼりイベントは母の日頃まではやっているようだ。



確か川の上を泳がせる鯉のぼりがあったと思う。

きっとそんな感じになるのでは?

何て秘かに思っている。

これは是非とも確かめてみたいとこだ。

有名な加須の100メートルのジャンボ鯉のぼりには勝てっこないと思うけどね。

彼方はクレーン車で吊り上げるそうだから壮大だ。

今年は5月3日に行うらしい。

また春日部では大凧マラソン大会もあるそうだ。

プロ宣言した、ボストンマラソンで優勝した公務員ランナーも出場するようだ。





 かって川越藩の城下町だった一番街。

一時期シャッター通りになった歴史もあるが、今の繁栄はこのようなイベントの力も大きいのだろうと思った。



例えば、商店の主や店員が町人の衣装を着てちょんまげや日本髪で客を出迎ええたりす日もある。

それは春祭り初日の恒例行事になっているようだ。

小江戸川越の一番街が、江戸時代にタイムスリップするイベントのようだ。



それが小江戸川越江戸の日だ。





 川越は蔵造りの町並みだけではない。

ユネスコの無形文化財に登録された川越氷川祭りの山車行事など様々な観光資源がある。

それらを有効に活用することが、地域発展に繋がるようだ。



外国からの観光客も増加している。

そのために多くの言葉を駆使した観光パンフレットにも力を入れているそうだ。





 早目に得た情報では、川越農産物のブランド化計画が来月半ば頃から始まるそうだ。

シンボルマークは案山子と時の鐘を合わせたような物らしい。

それにおいしい川越の幟も製作されるようだ。



その情報をうっかり母に漏らしたら、物凄くがっかりされた。

実は母は、昔からネーミングなどを応募していたのだ。

その中に、おいしい山梨が入っていたのだ。

それは山梨県が公募したキヤッチフレーズだった。

でも母のは落選した。

でも母はホッとしたようだ。



おいしい山梨。それは、とある有名なコピーライターが世に出るきっかけになった作品のパクリだったのだ。



おいしい生活。

それを知ったから、試しに応募してみたようだ。



東京五輪でもパクリ事件が色々あり、物議を交わした。

川越がそのような目に合わないことを願った。





 母はその他でも悔しい思いをしていた。

大学の地域の交流スペースの公募に、ハートピアで送ったら選ばれなかたった。

でも、友人の住み町でハートピア構想が始まったのだ。



『もうこれでは応募出来ないね』

あの時悲しそうに言った母がいた。

母は、造語や感覚でキヤッチフレーズなどを絞り出すのだ。

おいしい山梨は確かにパクリだったけど、母の産み出した言葉はそんじょそこらのキヤッチコピーとひけは取らないと思っている。





 それともう一つ。

ふるさと納税で集まった寄付金の使途に喜多院の5百羅漢などの文化財保存や祭りの山車の修繕費などが掲げられることになったようだ。



「川越祭りは一大イベントだからな。それに比べると春まつりは可愛いと思う。それでも俺達は頑張って取材してゴールデンウィークまで盛り上げような」

情報を見ながら先輩が言った。



「その先はワールドカップかな?」



「そうだヤタガラスのレリーフだったね」

私は慌てて撮影しておいた写真を取り出した。





 川越の魅力は祭りだけではない。

滞在率の低さもその一つだ。

川越七福神の行程にも現れている歩き易さだ。

私はもう一度歩いて回ろうと思っていた。



でもその前に、何故七福神の信仰が出来たのか、その訳を知りたくなった。





 七福神は日本の庶民に愛されてきた民間信仰のようだ。

経典、仁王般若経に七難即滅、七福即生とたある。

これは七つの災難が即座に消滅し、七つの福徳が即座に生まれるという意味のようだ。



室町時代にはすでに京都で行われていたそうです。

それが庶民の間に広がったのは江戸時代だそうです。

上野寛永寺の開祖が家康公に寿老人の長寿、大黒天の富財、福禄寿の人望、恵比寿の正直、弁財天の愛敬、毘沙門天の威光、布袋の大量の七福を具えていたので、困難な天下統一を完成されたのです。と言上したところ大層喜ばれて、七福神の絵を描かせたことから信仰が始まったそうです。



生活にゆとりが生まれた江戸時代の庶民にとって、お金のかからない手軽な行楽として七福神巡りが支持されたようです。



昔から幸せは海の向こうの西方向からやってくるという信仰があったから、七福神の宝船が描かれたようです。



最近は御朱印集めが流行しているようですが、七福神だけでまはなくその寺に祀られているご本尊にお参りしてから巡ってほしいと感じた。



徳川家に所縁の深い川越に七福神があることにも納得した。

特に仙波東照宮に隣接した喜多院には……





 1番は川越駅に近い毘沙門天の妙善寺。

毘沙門天は威光、大願成就の福神だ。

ご本尊は智証大師作の不動明王。



仏法を守護する四天王の一員で、多聞天の別名がある。甲冑で武装して邪気を踏んだ憤怒の形相から戦勝の神として武将からの崇敬も厚く、上杉謙信らが守り本尊にしていたのは有名。財宝富貴を授けて大願成就をもたらし、疫病災難から守ってくれる福神。





 2番は国道16号に近い寿老人の天然寺。

長寿福禄富貴の福神だ。

ご本尊は大日如来。



延命長寿を司る神として信仰される。福禄寿と同体異名とする説があり、ご利益も似通っている。姿形は中国道教の神仙の姿をしているが、白い髭と巻物をくくりつけた長い杖を持った品の良い老人と言った印象。長寿の鹿を従え、福禄富貴の福神とされる。





 3番は仙波東照宮傍にある大黒天の喜多院だ。



ルーツは荒々しい戦闘神だったが、中国では金の袋を持った福徳神に変わり、日本には寺院の厨房の守護神として伝えられた。その後、大国主神と習合した五穀豊穣や財産の神のダイクサマと呼ばれ、大きな袋と打出の小槌、米俵に乗った福神の姿に定着した。





 4番は喜多院から近い、恵比寿の成田山別院だ。ご本尊は不動明王。



唯一の日本出身の福神で、恵比寿、恵美須、戎、蛭子などとも書く。烏帽子に狩衣釣竿に獲物の鯛を抱えた姿から、漁業、海上安全の神として漁民から厚く信仰される。また暴利をむさぼらない正直な心を持つ神であるということから、商業全般、商売繁昌の福神とも伝わる。



また蛭子とも書くことから、イザナミ、イサナギの第一の子供、ヒルコとも言われている。



巡りあった男女。先に女性が声を掛けたから忌まわしい子供が産まれたのだと言われている。

階段を上がった場所におびんづる様も鎮座していた。

此方は朱色と言うか、橙色に近いて思った。





 5番は昭和通りの交差点からほど近い福禄寿老の連馨寺だ。

ご本尊は子育呑龍上人。



福禄寿は人望、三大願望の福神。

人望中国の道教をルーツとし、中国人の間では三大願望とされる福・幸福、禄・俸禄、寿・寿命を授けるという福神。同体異名とされる寿老人とは異なり、いかにも長寿そのものといった頭と同体がほぼ同じ長さという風貌で、長寿のシンボルとされる鶴を伴う。





 6番は布袋尊安置の見立寺。

ご本尊は阿弥陀如来。



中国唐代末期に実在したという布袋和尚がモデル。

弥勒菩薩の生まれ変わりとも言われている。

和尚は大きな袋を持ち歩き、その中の食べ物が尽きることなかったそうで、大量をもたらす福神とされた。太鼓腹の肥満形で満面の笑みのユーモラスな風貌が福徳円満の象徴として親しまれている福神。





 7番は弁財天の妙昌寺。

ご本尊も弁財天。



弁財天は愛敬、学芸全般の女神。

七福神唯一の女神、正しくは弁才天だが、鎌倉時代以降に財の文字が充てられるようになった。

姿形も弓矢や刀剣を持つ八本の腕から二本で琵琶を持つ姿に定着した。

音楽や学芸の女神として人気があるが、嫉妬するのでカップルでの参拝は禁物なのだそうだ。



(えっ!? 妙昌寺にも、熊野神社の水洗い弁財にも行っちゃたよ)

私は青ざめた。

せっかく先輩と仲良くなれたのに、喧嘩別れでもする羽目になりかねないからだ。

私達は神のご加護を授かりたくて七福神巡礼をしたのだ。

それが仇になるかも知れないからだ。



(先輩と離れたくない)

私はただ震えていた。



埼玉には幾つかの七福神がある。


武蔵越生七福神は、黒山バス停へ移動してから歩き出すると4、5時間で回れるさかようだ。

越生は梅林などもあるのでその頃訪れれば申し分無いと感じた。



秩父の七福神は、秩父34札所のように点在している。

横瀬から長瀞までとかなりの時間をようすので泊まり掛けでないと無理かも知れない。



其処へ行くと川越は楽だ。

私はやはり此処を押そうと決めた。






川越の一大イベント、小江戸川越春まつりはまだまだ続きます。

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