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小江戸の春  作者: 四色美美
2/9

川越七福神

川越七福神巡りを開始致します。

 やっと相棒となった私と先輩が、一番先に始めたことは企画の成功を祈願することだった。

私達は川越の七福神へ行くことを選択したのだ。

其処へ行くのに一番近い駅は川越駅だった。



『本川越駅からは反対に回れるけど……』



『いいや、ここはやはり正規に行こう』

先輩が私を気遣って言ってくれた。

東武東上線の沿線に住む私にとっては、本当に有り難いことだったのだ。





 三角形の鏡を張り合わせたようなモニュメントのある駅前の階段を下り、デパートを左に見ながら右の道を行く。



「何となくビッグサイトに……」



「あぁ、あの形は似てるね」



「でしょ?」

私は憧れの先輩が傍に居ることが嬉しくて、ワクワクしていた。



「あれっ」

先輩が立ち止まった。



「どうしたのですか?」



「この脇の道を真っ直ぐに行けたはずだったんだ」



「えっ、でも仕方ないので回り道……」



「それしかないか。じゃ、この細い道を行くか?」

先輩が示した下には点字ブロックがあるにはある。

でもその横には柱があって危険だと感じた。



「あの道を暫く行くと妙善寺が現れるはずだったんだ」



「でもその手前はフェンスで閉鎖されていたし、この道はちょっと危ないし……」



「観光に力を入れてる割りには、見落とされている場所も多い気がするな」



「私達で、何とか出来ればいいですね」



「いや、俺達にそんな力はないよ」



「いいえ、遣ってみなければ解りませんよ」



「そんなもんかな?」



「そんなもんです。ねえ先輩、仕方ないので建物の横から回りましょうか?」



「よし、裏道でも行くか?」

私達はその次の角を曲がりその先を右に折れた。





 高床式とでも言うのだろうか?

そのお寺は階段の上にあった。

このお寺の本像は毘沙門天だ。



川越駅に近い住宅地に妙善寺はある。

1624寛永元年に創建された天台宗の寺で、現在の堂宇は昭和53年に再建築された。

本尊は智証大師作の不動明王。

本堂の扉が少し開けられており、その隙間から本堂内に安置されている毘沙門天像を拝顔することが出来る。





 次に向かったのは、天然寺だった。

妙善寺の道を左に曲がる。

暫く行くと丁字路がある。

その先を右に折れて歩くと、天然寺の案内板があった。



「どうせなら、妙善寺への道しるべも表示してほしいですね」



「そうだな。一番への道だからな。それも書いてみるかな?」



「先輩、遣る気になりましたか?」



「あぁ、俄然とだがな。お前さんといると、不思議にこうなる」



「さては私に惚れましたか?」

言ってしまってから失言だと気付く。でも後の祭りだった。

私は恥ずかしくなって俯いた。





 その二つ目の交差点を右に折れて真っ直ぐに行くと、仙波会館脇に出る。

更に下ると国道16号が見えた。

その手前を左に折れると寿老人の天然寺があった。



境内に入ってみて驚いた。国道近くだと言うことが感じられないからだ。



1554天文23年創建の天台宗の寺で、本尊は大日如来。

車の往来が激しい国道沿いにあるが、境内に足を踏み入れば静けさが漂っている。

本堂に向かって右側に寿老人像を安置した小堂があり、参詣時間内は何時でも拝観出来るように開扉されている。





 天然寺へ来た道を逆さに行くと、さっき見た仙波会館脇に出る。

其処を右に曲がって真っ直ぐに進む。

大通りを左に行くと、川越駅方面だ。

私達は真っ直ぐ突き進んだ。

暫く行くと左側に川越第一小学校。

その先には中院があった。



「此処は次に来た時に寄ろう。桜が綺麗だから」

先輩が言うのだから間違いない。

ってことで、仙波東照宮をも通り過ぎ、次の道を左に折れて喜多院へと向かった。

東照宮前には鳥居があり、その先の階段上には三葉葵の門がある。

此処が徳川家所縁の場所だと言うことは一目瞭然だった。



喜多院の相向かいには日枝神社があった。



「此処も日枝神社なのですね」



「あぁ、浅間神社や氷川神社、熊野神社など、同じ名前の神社が多いな。きっと皆、由緒正しい神社なんだと思うよ」



「そう言えば、川越氷川神社って大きいらしいですね」

先輩の真似をして私も知ったかぶりをした。





 赤い山門を潜り暫く行くと売店があり、其処で5百羅漢と本堂の入場券が販売されていた。



「此処もこの次に来た時だ」

それに頷きながらも、本当は入りたいと言う欲求が出てきた。



「何だ、入りたいのか?」

その質問に慌てて首を振った。

今日中に七福神をクリアしなければ次につづかないからだ。



(うん。此処も次に来た時)

そう割り切った。





 「寄居にも5百羅漢があるんだ」

先輩が講釈を始める。



「少林寺って言うのだけどね。此処の僧侶が檀家の奥さんとねんごにろなって情を交わしている内に旦那に知られてしまったそうだ」



「ねんごにろ? ただの浮気でしょ? 今で言うなら不倫かな?」



「ああ、そうだ」



「あの、それがどうして5百羅漢と結び付いたのかそれを知りたい」



「木に吊るされそうになるところを、5百羅漢を建立するために3年待ってくれとお願いしたそうだ。その後で托鉢しながら江戸の石切場に行って頼んだそうだ」



「で、3年で出来たのですか?」



「いやそのお金じゃ無理だと断られたんだ。その足で吉原に行って豪遊したそうだ。其処にいた遊女達に説教をして3倍のお金を貢がせたんだ」



「浮気目当てだったりして?」



「ま、そう言うことだけど。遊女達は自分が救われることを信じたんだな」



「それでもです、か? やっぱりお坊さんの力は凄いんだ」



「そうだね。それに一度に大人数で掘ったから、ノミ使い方も違うんだ。それだけ味わい深いんだな。托鉢で50円得たけど、150円ならって言われて」



「その50円で遊び、遊女に寄付させたわけね」



「僧侶は身支度をして荒川の船着き場から向こう岸に渡り、川沿を托鉢して江戸の向島に着いたそうだ」



「その時集まったお金が50円だったのね?」



「そうだ。そこで麻布の石工を教えられ訪ねたら150円ならって言われて吉原に行った訳だ」



「きっと、『悲しいことや辛いこともあっただろう』なんてくどいたんだね?」

私の推察の良さに負けて、先輩はただ頷くことしか出来なかった。




「だから石工は頑張ってくれたわけだよ。本当のことは知らなくても、坊さんだから、功徳を詰みたかったのかも知れないな」

先輩は5百羅漢の並んでいるらしい道を脇を歩きながら言っていた。





 830天長7年、慈覚大師創建の天台宗の小刹。江戸城から移築された徳川家光誕生の間と春日野局化粧の間などがある。


50年の歳月を掛けて彫ったとされる538体ある500羅漢などの文化財も多く何時でも参拝客で賑わっている。

本堂脇にある大黒天堂は参詣時間内は開けられている。





 二重の塔とでも言うのだろうか?

喜多院横には唯一立派な寺院らしき物がある。

その脇より表に出ると、時の鐘かと思えるほどの建物があった。



「あれが時の鐘?」

早速先輩に訊ねてみた。



「あっ、似てるね。でもこれは違うよ。本物の時の鐘は銀行の近くにあるはずだから」



「銀行?」



「蔵造りの町並みにあって異彩を放つ建物だよ」



「わぁ、見てみたい」



「って……」



「実は、川越には来たことがないの。仕事は東京だからね。だから先輩がロケーションにえらんでくれたからラッキーだと思ったの」

それがこのロケーションに先輩が誘ってくれてから、ウキウキしていた本当の理由だった。





 次は成田山川越別院。

先に訪れた喜多院とは近い。

通りを隔てた場所。

そう表現していいほどだと感じた。



其処は見た目ですぐに判った。

川越歴史博物館の横の通りで、大きな不動明王像が睨みを効かせていたからだ。



七福神は恵比須天像だった。

此処は大本山、成田山新勝寺の別院。

不動明王を本尊とする真言宗の寺。

交通安全祈願の参詣客が多いことから駐車場も広い。

山門から本堂へ延びる参道の右手に恵比須天像を祀る小堂がある。

開山堂が立ち並び、参詣時間内は開扉しているそうだ。





 別院を出て、通りを左へ行く。

幾つかの辻を過ぎると、本川越駅前の通りへと繋がる連雀町の信号機がある。

其処を右に曲がって真っ直ぐ行くと、蔵造りの通りだ。

でも次なる目的地に入るには、一つ先の交差点を曲がらなければならないのだ。





 次は連馨寺。

街の中心部にあり、子育呑龍上人の寺として親しまれる浄土宗の大寺。

本堂の右手に福禄寿神像を祀る間がある。

外からも拝顔可能だそうだ。

桜の古木も多く、休憩に最適な寺院だ。



境内には子育て地蔵や真っ赤や体を撫でれば痛みに効くと言われるドデカイおびんづる様も安置されている。



連馨寺の境内を通り抜け、木戸を真っ直ぐに行けば菓子屋横丁脇の道にに出る。

その先を左に折れて、川の手前わ左に曲がると見立寺だ。

1558永禄元年開山の浄土宗の寺。

すぐ近くに観光客で賑わう菓子屋横丁があるが、至って静かな環境だ。

本堂の右手前に布袋尊像を祀る小堂があり扉の間から手を上に持ち上げているユーモラスなポーズの尊像を拝見出来る。





 次は妙昌寺。

七福神最後の寺だ。

此処には唯一の女神の弁財天が祀れている。



見立寺を西へ向かうと丁字路がある。

右は新河岸川方面、左は駅方向だ。

其処を左に行って、二つ目の交差点を右に曲がる。

次の角を曲がった場所にあるのが妙昌寺だ。



1375永和元年開創の日蓮宗の古刹で、江戸時代に市街から現在の地に移った。

本堂の左に回り込んだ場所に弁財天を祀る弁天堂がある。

この尊像は古くから祀られている石状のものに線で刻まれた繊細な像だと言われ、残念ながら目では確認出来ないらしい。



「それじゃ、もう1つの弁天様へ行く?」

先輩が言った。



「えっ、あるの?」



「丁度帰り道だから……」

先輩はそう言ったら早いか、本川越駅を目指して歩き出した。





 本川越駅の手前に先輩の言う神社はあった。

今此処にはサッカーの守護神と言うべきシンボルマークの八咫烏のレリーフが飾ってあることも教えてくれた。



和歌山県にある熊野神社に了解してもらってからの製作となったそうだ。



去年は一年のほぼ真ん中にあたる6月の終わりには、茅の輪も登場したようだ。

その頃参拝することを真ん中詣りと言うそうだ。

夏越の祓いとも言うらしい。



そしてお目当ての銭洗い弁天も確かにあった。






少しずつ近付いた二人だったが……

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