600年の空白を求めて
森林都市ラジアース
"識者の門"区画内 "緑の知恵" 歴史の間
帝国歴 同年/ 同月/ 第三の星 七つ目
時刻◆ 9:09
天気◆ 曇天
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リグラーク。
都市建設前から崖上に棲んでいた大木の精霊"緑の巨人"の枯れた骸を利用している。
"緑の知恵"とは彼の巨人から由来した名前である。
彼の死後、精霊族の許可と協力を得て着工。朽ちないように精霊魔法(詳細は謎)を施されている。
虚を入口に作り変えて、四階建ての建物に匹敵する高さにまで空間を広げた。
どのフロアも警備兵が巡回しているお陰で揉め事が起こった事はあっても、死人が出た事はない。
特に四階は厳重な警備を敷いており、甲冑を着込んだ下級騎士も幾人か詰めている。
一階は『生活の間』。
一般の来客が最も多いフロアで、主に暇を持て余した主婦や未来に悩む若者たちが利用している。
狩猟や料理、鍛冶の手段から商売のコツまで生きる為の様々な知識がフロア中の本に記されている。
二階は『歴史の間』。
この階と三階は毎日、学者たちが頻繁に出入りしている緊張感みなぎるフロアである。
有史以来、記録されてきた書物の写本が多く見受けられる。
人間族、精霊族からの視点で記された物が大半を占める上に、中には著しく脚色されている本もある。
こういった物は専門の歴史学者が添削・加筆修正を行っているが、未だ終わりは見えない。
ただ、歴史上の出来事だけを知る為であれば、有用性の高い文献ばかりと言えるだろう。
三階は『先人の間』。
上記でも記した通り、生真面目な学者たちに大人気のフロアである。
かつて歴史上に現れては消えていった非凡な人物たちの出生、経歴、人となり、家系図等々。
高名であればある程、事細かに書かれている。プライバシーの保護などこの世界にはないのだ。
三階とは違って人間族、精霊族に限らず全部族の著名人が調べられる。
例えそれが魔族であろうとも、歴史に名を残す程の人物であれば例外なく記載されている。
最上階である四階は『魔法の間』。
初級よりも中級以上の強力な魔法を扱った書物が多く、人の出入りはほとんど無いフロアである。
魔法のエキスパートでなければ来る意味もない場所であり、立ち入るには市庁舎で発行している入室許可証が必要となる。
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『飽くなき知的探究心の熱に晒されながら
雪のように静かに積もった過去がここに眠っています。
偉大な先達に心からの敬意を払いながら、重い一頁を捲りなさい。
彼らの記録の一片でも、どうか貴方の役に立ちますように。』
リグラーク管理人 エルンスト・ダリエリ
一般開放時間:午前九時~午後六時
休館日:毎月、第一の星 一つ目
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入口付近に設置してある看板に書かれている言葉を見て、大きな図書館を見上げる二人。
平民から賢者まで、多くの人々が足繁く通っていると聞いて、混雑を予想して朝一番で来た…のだが。
予想とは逆に、最も渋滞する時間帯だったようで、義姉と一緒に群衆の波に圧迫されながら図書館へ入る羽目になってしまった。
何度も暴れそうになったラミエルをなだめるのに必死だったルヴは、早くも疲労の色を濃くしていた。
ようやく入れたので、まずは二人して図書カードを作成しに受付へ。
ルヴは新規で、ラミエルはカードを失くしたらしく、再発行の手続きを済まして新しいカードを貰った。
申請に必要な書類を書く二人を見て「可愛いなぁ」を連呼していた女性職員に来館目的を聞かれたので、
「勉強して大陸で一番になるためです」と答えたら頭を撫でまわされ、抱きしめられてしまった。
だが女性職員の胸が豊満だったので、谷間に埋もれた際に冗談抜きで窒息死するところだった。
嫉妬したラミエルが二人を引き剥がしてくれたお陰で助かったが、人間族に対する好感度は下がった。
そして、改めて人間を滅ぼす決意を固めるのであった。
図書カードを鞄にしまい、『歴史の間』と呼ばれる二階に足を踏み入れる。
やっとまともな情報収集が行える事に興奮したルヴは『大陸の歴史(地方名順)」と書かれた見出しに
向けて足早で移動する。珍しくテンションの高そうな義弟の様子にラミエルは首を傾げているのだった。
「エッチな本でも見つけたんですかぁ?」
歴史の間にあるまじき発言に舌打ちするルヴだったが、今はそれどころではない。
上段から閲読しようにも手が届かず、昇降補助用の木製踏台(四段)が重過ぎて運べないのだ。
※実は、踏台はやや大きな敷物の上に置かれており、踏台を運ぶ際はこの敷物ごと引きずって行き、
目的地の近くで踏台を敷物から下ろして使用するのが正解である。
「なーんだぁルヴってば非力ですねぇ。うふっ仕方ないなぁまったくまったく仕方ないなぁ。
この頼りになるお姉ちゃんが運んであげますよぉ!」
抵抗すれば踏台ごと運ばれかねないので、ここは大人しくラミエルに任せる事にした。
彼女が腕をぐるぐる回して準備しているあたりが心の不安を大きくする。
(大人でも運ぶのに苦労する代物だと思うのだが… いや待てよ?
あの敷物は、…敷物の上に載せて運べば、床の上を滑らせて―― そうか、分かったぞ!)
踏台だけに敷かれた不自然な敷物の使い方に気づいたのだが、時既に遅し。
「よいやさーっ!」
可愛らしいかけ声と同時に頭上に掲げられる踏台。豪腕を発揮したラミエル。
嬉しそうに破顔してルヴの元へ駆け寄ってくる。勿論、踏台は頭の上だ。
「へへへぇ、どうですどうです?お姉ちゃんを褒めちぎるところですよぉ?」
「分かった、分かったから落ち着け。取り敢えず、そっと下ろせ。
…いや待てここじゃない、あっちな!? あっち!」
「はーいはいはーい!」
何とか下ろして欲しいところに行ってくれたので安堵の息を吐く。
目的は達成されたが、今日の最終目的にはかすりもしていない。
頭を向けてくるラミエルを落ち着かせるため、やむなく撫でてやるルヴ。
後ろを通った老学者が微笑ましい光景に表情を綻ばせていたが、ルヴの顔は仏頂面だった。
ほのかに赤みを帯びた顔で笑みを向けてくる義姉を無視して、さっさと踏台に足をかけた。
「此れと… 此れも… おおッ!此れも見ておかねばなるまい!」
頭上に大きなハテナマークを浮かべたままのラミエルをよそに、夢中で本棚を漁っているルヴ。
「おねえちゃん、持ってて。」
目ぼしい史書を一冊、また一冊とラミエルに落としていく。
それらを片手でキャッチして保持、キャッチして保持を繰り返していく。
文字だけでは簡単そうに見えるが『広○苑』を片手でキャッチして何冊も重ねて持っている状態だ。
成人男性でも潰れかねない酷い扱いだったが、彼女は役に立てているこの状況に喜びを感じていた。
「此れ、此れ… うん、上段は此れで終わり。」
「もう終わりですかぁ?」
ぶ厚い書物を十冊も重ねているにも関わらず、彼女はふらつく事もなければ汗一つかく事もない。
これだけ?と言った調子でルヴに尋ねている程だ。空いた方の手で髪を弄る余裕さえある。
満足した表情で踏台を下りようとして、ふと足元の義姉を見やる。
輝かく笑顔を向けてくる彼女は、微動だにしない高さ2メートル超えの本の塔を片手で持っている。
一瞬、理解できなかったのだが「お姉ちゃんだから。」と言う事で無理やり自分を納得させた。
「うん、取り敢えずは其の十冊から目を通していくよ。 ……重くない?」
やっぱり納得しきれてなかったので、一応は聞いてみた。
「紙切れはいくら重ねても紙切れなんですよぉ?だから重さも一枚の紙と変わらないですねぇ。」
「そ、そうなん、だ…?」
想像より斜め上の超理論を展開されてしまい、適当な相づちで返してしまった。
このオーガ並の腕力を見ると、普段はかなり手加減して抱擁してくれているのが分かる。
(いや、抑々抱擁そのものを止めて欲しいのだよ。)
心中でツッコミを入れながらも、変な考えを吹き飛ばす為に頭を振る。
ボサボサになった髪をラミエルが手櫛で整えてくれているが、気にしない。
「…次は席探しかな。」
「席ならいいところあるよー、あるあるー。」
軽い足取りで動き始めたラミエルを追う形で、ルヴも仕方なく歩を進める。
少し行ったところで歩みを止め、壁際に設置された席を指差す。
「ほらほら、そこですよぉそこですよぉ。二人用のテーブルですからぁ誰も相席に来ませんからぁ!」
彼女の言う通りその席は、二人がテーブルを挟んで向かい合って座るタイプだった。
確かにこれならば、二人以外の誰も来る事はないだろう。
狂気と混沌の権化として少女を見ていたが、たまにはまともな思考に行き着くらしい。
「お姉ちゃん、今日は冴えてるね。此処は良い場所だよ。」
「思いますぅ?へへ、えへへぇ! 可愛い弟のために入った時から目をつけておいたのですよぉ。」
彼女が照れる度に十冊の本が前後左右に揺れている。危ない。
「先ずは、其れをテーブルに置こうか? ね??」
「おういえー!」
彼女は相変わらずよく分からない擬音を発しながら、順序も年代もバラバラにして置いた。
ルヴはそれを二冊ずつ重ねて五つのグループに分け、テーブルを割るように横並べにして置いた。
これで椅子に座るとお互いが見えないので集中して読める、という義姉には辛い仕様であった。
「よし、完璧だ。」
「……あれぇ?これ、あれぇ?」
「どうしたの?」
「座るとルヴの顔がよく見えないんですけどぉ…」
座ったり立ったりを繰り返して、不安が滲み出た声で訴えかけるラミエルだったが――…
「大丈夫だよ。読み終えれば見えるよ。」
「そうですよねぇ終わればいいんですよねぇ?」
「直ぐ終わるよ。だって、ね? たったの十冊なんだから。」
「ですです! ですよねぇ!」
すっかり義弟のペースにはめられているラミエル。
見ておきたい年代・地方や、見かけたら何頁にあったのかメモしておいて欲しい単語やら何やらを
ラミエルに教えて自分の席に戻る。大きく息を吐いて、一冊目を手に取った。
「…さて、如何様な歴史と成っておるのか。篤と読ませてもらうぞ。」
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10分後
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「……… 活字ばかりで読み辛ぁーい!!!」
厚さ20cmほどの史書を机に放り投げて、椅子から崩れて床にへたり込むラミエル。
悲鳴にも似た嘆きの声は決して大きなものではなかったのだが、静けさが満ちた空間を乱すには
十分過ぎる音量だったのだろう。白髭を蓄えた賢人たちの視線が二人に集まった。
そのほとんどの人物が眉間に深い皺を作っている。
「うわぁぁん私のぱっちりお目々がキャン言わされてますよぉー!!」
「シーッ!皆、集中してるんだから静かに。」
「リームーですぅ!!! 文字ばっかりで面白くも何ともないですぅ!」
「面白い事を図書館で求められても…。」
「一階の方がいっぱい面白い本ありますよぉあっちの方がいいですよぉ?」
膨れっ面のラミエルは、三角座りになって出入口を指差す。
完全防御形態の彼女はすっかり拗ねてしまったようだ。
しかし今日のルヴは一味違う。彼には、とある秘策があるのだ。
「僕は二階と三階しか興味ないよ。
それとも、手伝ってくれるって云ったのは嘘だったの?」
声のトーンを落として、やや俯いて哀愁を漂わせるルヴ。
「それは、その… 嘘じゃないんですけどぉ…」
「あーあ、ショックだなー。嘘吐きのおねえちゃんなんて、嫌いになっちゃおうかな…?」
棒読みではあるが効果覿面であろう発言を投げつけ、彼女を一瞥する。
「うう…そ、それは、嫌ですよぉ…」
「…だよね? じゃあ、しっかり手伝ってね? ほら、おねえちゃん。」
三角座りで頷くラミエルに手を差し出して、起こすのを手伝う。
彼女の椅子を引いて、座ったのを確認してから先程投げられた本を開いてあげる。
「うぅううう~~…」
苦悩する彼女を見ていたら、無意識のうちに邪な笑みが浮かんでいる事に気づく。
彼女には見えないように顔を逸して、手で表情筋を解した。
『義弟を溺愛する義姉であるならば、この立場を利用した精神攻撃に弱い』
二週間以上の脳内作戦会議の結果、昨晩にしてようやくこの結論に至った。
絶大な効力を期待した秘策だったが、予想通りの素晴らしい結果を得る事ができたと言えよう。
(自分を人質にして言う事を聞かせる―― 何という斬新な脅迫だ。
此の様な奇抜且つ、確実な効果を見込める秘策を生み出す我の才能が怖いわ。)
「うううぅぅぅぅううううう~~~~~~~!!!」
明らかにストレス急上昇中のラミエルは奇声を抑えているようだ。
本能が「あれはやばい」と告げている。顔も赤みを帯びて薄っすら涙すら浮かんでいるように見える。
(……若しや、此奴の我慢値は想像よりも遥かに低いのでは?
文字数の多い本を多少読み進めただけで、人間族とは斯様に異常を来すものなのか?)
さすがに様子がおかしいので席を立ち、声をかけようと近づいてみる。
が、その時。
ビッ――
彼女が握っている本の装丁から、嫌な音が聞こえた気がした。
わなわなと震える小さな手をよく見れば、装丁に指が食い込んでいるのが確認できた。
人差し指と薬指の第一関節から先が見えないので、どうやら貫通してしまっているようだ。
先程の異音の正体は恐らくこれだろう。途端に顔を青くするルヴ。
秘策を用いて彼女をコントロールしようと試みた結果、欲望のままに生きてきた彼女にとって
ストレスとは最大の敵であったらしく、己の力のコントロールすらままならない状態に陥ったようだ。
(あ、此れ、強制退室からの一発出禁を食らう予感がする。)
神算鬼謀と称えられる計画を立案して、高笑いしている自分の姿が崩れ去っていく光景が目に浮かんだ。
復讐対象のリストアップも終わっていない、というか始まってもいない。
(此処で締め出される事は、己が野望が大きく遠退く事に等しい。
其れだけは、是が非でも避けなければならぬ――!!ならぬぞォォォ!!!)
不必要な遠回りが大嫌いだったルヴは、心中で叫ぶや否や素早く動いた。
ラミエルの背後に回り込み、彼女の両の目を手で覆い隠した。
行き場のない感情が嵐のように体中を駆け巡っていたラミエルだったが、活字が見えなくなった事により
ぴたりと震えが止まった。まぶたに広がる温もりが何なのか、まだ気づいた様子はない。
ルヴは深呼吸をして、軽く力を込めて彼女の首を天井に向けると、彼女の三つ編みがぶらりと揺れた。
「…落ち着いた?」
目隠しをやめて、ラミエルの顔を覗き込む。
顔が触れそうなくらい近い距離で、彼女の青い双眸を眺めていた。
ふ、とラミエルは笑みを浮かべて目を閉じた。口をとがらせて、何やらもごもごしている。
「………何待ち?」
「へ? 禁断の愛に芽生えた証にキスをしてくれるんじゃないんですかぁ???」
「するッ… 」
思わず叫びそうになったので慌てて小声に切り替える。
「親愛のキスが欲しいなら義父さんとしなよ。」
「えぇぇー? やだーやだやだーールヴがいいですよぉ。パパは髭がジョリってるから嫌いですぅ。」
「あー… うん、それは、ちょっと分かる…。」
義父ドルジによる子供たちへの愛情表現は、鋼の如き髭で顔面摩擦をする事だった。
ルヴもラミエルも共通して苦手な技であるのだが、一日一回は確実に食らう毎日を送っている。
近隣の子供たちにも行っているらしく、最近ではスターフェイスと呼ばれているらしい。
いわく、『モーニングスターみたいな棘だらけの顔面』という意味を省略した名前だと言う。
そんな事を思い出してしまい、苦笑いを浮かべるルヴ。
その隙を突いて唇を尖らせるラミエルだったが、ルヴの手によって目も口も抑えこまれてしまう。
「まあ、正気に戻った様で何より。僕が読み終わるまで――― 」
彼女が未だ指を食い込ませてる哀れな本に、一瞬だけ視線が移ったその時だった。
呼吸も忘れてしまったかのように、ルヴの動きが完全に止まったのだ。
目線の先にあるのは、『赤い夜の終焉』と書かれた見出し。
以下、部族連合側で計画したという『必勝の作戦』や、大魔王を討伐した勝因、
事後の祝勝会で起きた部族長間の『五部族最強決定戦』等々についての記録が書かれている。
ルヴが見たのは『大魔王討伐の勝因について』から続くわずか数行。
その中に書かれている見慣れた単語が、彼から思考能力を奪いとっていた。
≪――… 光の勇者一行は造反した八驍将達の手引きにより ――― ≫
(………やぎょう、しょう…? 手引き…?)
書かれている事がまったく頭に入ってこない。
どれだけ言葉を飲み込んでも、理解する事を拒まれるばかり。
八驍将は最も信頼を置いていた、手足とも言える八人の将軍たちの事だ。
文脈が正しければ、彼らのうちの誰かが裏切ったと言う事になる。
(…… そんな、バカな …)
家族同然だった八人の中に、実は裏切り者が居たという衝撃の記録。
尻もちをついた事に気づかない程、ルヴの心は大きく揺さぶられたのだった―――。