出会いは災難の始まり
暫くの時間を置いて、やっとルヴは動けるようになった。
泉で喉を潤して、ついでに顔も洗って完全に目を覚ます。
声帯の調子を確かめながら状況整理を終えたところで、さてどうしたものかと思考を巡らせる。
「…あれから幾歳が過ぎた? 抑々、此処は何処なのだ…?」
羽虫の鳴き声ばかりが聞こえてくる。
月明りが落ちているのは先程の泉付近だけらしく、他は暗すぎて見えないに等しい。
季節は恐らく夏だろうと彼は考えた。側にある木々や地面から覗く緑の多さから判断したのだ。
この世界には夏と冬しかなく、季節の切り替えは精霊たちが行っている。
これが冬であれば転生直後に凍死する可能性もあったが、取り敢えず今死ぬような危険性は無さそうだ。
(――この森すべてが常緑樹ではない限り、きっと夏だ。うん。)
己に言い聞かせたところで、無意識に身体が身震いした。
「夏とは云え、濡れた儘で良い訳はあるまい。」
濡れた髪や体毛を乾かさねば体温が下がり、体力も低下する。
体力が低下すれば病を招き、病は徐々に死に至る大病となるかもしれない。
燃やす場合は水分の少ない木を使いたいところだが、時間がない。
適当な木の葉を集めて落ち葉焚きをしようと準備を始める。
「此れだけあれば十分であろう。」
そこかしこに落ちていた葉っぱを重ねて火の初級魔法"マグ"を唱える。
指先から生まれた火柱は風に揺られて
「…ん? あれ?」
なかなか火が移らない。
手間取っている間に魔法効果時間が切れ、揺れていた火柱が消えた。
「チィッ!煩わしい! 我に着火される栄誉に何の不満があると云うのだ!」
誰の返事がなくとも平然と独り言をこぼしながら、何度も着火を試みる。
マグを唱えては消え、唱えては消え……
…………………………
10度目にしてようやく火が移った。爆ぜる音をたてながら、火はゆっくりと勢力を広めていく。
枝葉に含まれる水分が蒸発し、煙となって立ち上ってゆく。
「やっとか!魔力切れを起こす処だったぞ、フン!」
焚火に対して偉そうに胸を張るルヴだったが、時間が経つにつれて煙の量が増えている事に気づかない。
周りに吹いている風も次第に強くなり、煙は巻かれ渦となる。が彼をすっぽりと包み込んでしまった。
「ゴホゴホッ!風向きがこっちに…ゴホッ!ええい、"ウィンデュラ"!!」
怒り任せに風の中級魔法"ウィンデュラ"を唱えて風向きを無理やり変えようとしたが、いかんせん強すぎたらしい。火の粉が辺りの木々に飛び散って、そこかしこの老いた木が次々と炎の贄となっていく。
途端、膝から力が抜ける。立っていられなくなり、尻餅をつく形で座り込んでしまった。
『魔力切れ』または切れる寸前で起きるとされている脱力症状だ。
「ハッ!? こ、此の程度で既に魔力が切れただと!?」
徐々に迫り来る炎の壁とその熱波により、濡れた身体や体毛はすっかり乾いていた。
代わりに頬を伝う大量の汗は熱にあてられたせいか、或いは焦りから来る脂汗か。
この場合は両方なのかもしれない。
何せ迫ってきているそれは、『明確な死そのもの』だからだ。
泳ぎが不得手なので泉に飛び込むのも嫌だが、先程の根辺りに飛び込めば何とかなるかもしれない。
そう思って行動に移そうとするも、四肢に力が入らない。通常の魔力切れではここまで動けない事はないのだが、『生まれたばかりの肉体』に『魔力切れ』という二つの要素が重なってしまった所為だろう。
芋虫のごとく尻や肩を地面に擦りつけながら泉の方へ這っていく。
「何たる無様な姿だ… 世に戻って早々醜態を晒す羽目に為ろうとhあっつゥ!」
足の裏から焼けるような痛みが走る。顔を向けると足の毛から煙が立ち上っているのが見えた。
熱に晒され続けた為、毛の水分が蒸発しているのだろう。
滑らかなストレートだった体毛はすっかり縮れ毛になっていた。
「ぬわぁぁー!? 自慢のサラサラ足毛がぁ――ッ!!!
魔族サラつや体毛選手権で三位を獲った事もある我の毛をよくもォォッ!!」
悲痛な叫びを早口でまくし立てるも、炎は容赦なく迫って来る。
始まったばかりの命運が早くも尽きたか、とルヴが覚悟を決めたその時。
突然、炎の壁を貫いて転がりこんでくる小柄な影が視界に入る。
「ッぱひゅンッ!!??」
間近に着地した何かに驚き過ぎて変な声が出た。
じ、っと炎の灯りに照らされる影を凝視する。
ところどころ焼け焦げたのだろう、炭の臭いを身にまとった白いローブを払いながら立ち上がる影は
身体的特徴を見る限りどうやら人間の少女のようだ。金色の長髪は後ろで三つ編みにして、小顔には大きな眼鏡をかけている。前髪が落ちて目を隠さないよう、赤い羽を模した飾りピンで固定している。
整った顔立ちというより、人懐っこい愛嬌のある顔をしている。
殴打にも使える鉄製の杖を見る限り、この娘は僧侶だろうと推測する。
使いこんだ革手袋と所々が擦り破れた革のブーツがローブとは不釣合いだったが、そこは無視していた。
「暑い暑ーい!何ですかこれ何なんですかこれぇプロテクション失敗してるじゃないですかやだー!」
ハイテンション且つ甲高い声が飛び出すとルヴだけでなく、炎の壁も一瞬たじろいだ(気がする)。
僧侶(仮)の少女は汚れてしまった髪やローブを何度も払いながらルヴを見やる。
「さっき叫んでたのはあなたですかぁ?私今絶賛薬草集め中でしてぇあちらの方を30mほど進んだところを歩いていたんですよぉすると何やら真っ赤になっちゃってるじゃないですかぁだから何だろう食人族のパーティでも始まったかなと思ってぇ様子を見に来たらぁ(以下略)」
「長い長い!! 後ろの火見て!? 状況気づいてッ!?」
燃え盛る炎をバックに尽きない長話を始めた少女。
ルヴは必死になって彼女の話を遮った。
とにかく今はここから離れてしまうのが最良なのだと説得すれば、少女は大きく頷いた。
「ですよねぇ!じゃあ少々荒いけど行きますよぉ?」
少女が鉄杖をルヴへ向ける。嫌な予感がしながらも、何とか力を振り絞って杖を掴んだ途端――
――…空と大地が逆転した。
「ああああああアァァ――!!?!?!」
「あはははははぁー!!」
空に落ちていく浮揚感から、大地に吸い込まれる落下感へ。
パニックになるのを堪え、目を凝らすと炎の灯りが遠ざかっていくのが見えた。
森から出てしまいそうな勢いで宙を滑空していたが永遠に続く事はなく、樹齢百年はあろう大樹に引っかかり、沢山の枝葉に受け止められながら緩やかに地面へと落ちていった。
魔族とは言え裸なので生傷は免れないが、股間だけはと内股気味で必死に守り通す。
「痛い…。」
体中に出来た生傷から薄らと青い血が滲んでいるが、この程度で済んだのは幸いと言えるだろう。
何せ空中に放り出されて軽く100mは移動したのだから。
「今のは魔法か? 然し詠唱が全く無かった…あの杖の効果か?」
「どっちもハズレなんですよねぇ。」
音もなく着地していた少女が今の呟きに対してチッチッと指を振り、否定した。
しゃがみこみ、ルヴの顔を覗き込みながら会話を続ける。
「この杖はただの鈍器でしてぇ今のバビューン!って飛んだのは杖にぶら下がったあなたを投げただけですよぉ。あ!ケガしてますねぇ大丈夫ですかねぇ?助けた手前もう少し面倒見てあげますねぇカバンちゃんから薬草がこんにちはしますよぉほ~らこれがその薬草ですよぉ!」
「分かった。分かったから、一文一文をちゃんと区切って話してくれ。耳が痛い。」
薬草を口に放り込んで咀嚼しながら「ははりはひはぁ」と答える少女。
(単純な力だけで此の距離を投げただと? 一体ど…… 此奴は、何を始めたのだ…?)
嫌な予感はするが痛くて動けない。肉食動物に助けられている気がして安心もできない。
うろうろしている目線を追ってみれば成程、どうやら少女はルヴが何者なのかを見定めようとしているのだろう。顔や耳、髪や角、上半身から下半身までじろじろ見ている。
裸のまま少女に対応している事に気づき、少年期相応の気恥ずかしさを覚えたので、背中を向けた。
ルヴのそんな様子にクスクスと笑う少女。
普通の少女なら可愛いのだろうが仄かに狂気を帯びたこの少女が笑うと不安が増してしまう。
そんなルヴの心境を余所に、少女は口から唾液まみれの砕けた薬草を出して手で擦り練っていく。
僧侶のような見た目の割に人助けに対して雑過ぎんじゃないかと一抹の不安を覚えるが、きっと大丈夫だと信じたい。あわよくば街まで連れて行ってもらえればと考えるルヴだったが――。
「…これくらいかなぁ?傷口に塗りつけたら消毒もバッチリですよぉちょっと痛みと痒みが9:1くらいでひどいですけどぉ塗りますねぇ。」
「ん?待て、今痛みと痒みが何dアアアアアアアアア痛い痛い痛い痛いッッ!!!!」
「痛みがひどかったら言ってくださいねぇ聞きますからぁ!」
「聞くだけかよ!!止めろよ!!!」
威厳を含んだ喋り方も忘れてしまう程の激痛が傷口を襲う。
痛みに悶えているルヴの腕をしっかりと掴んだ少女は笑顔で治療を続ける。
どうにも聞く耳をもたないようで、痛みに堪えかねて少女を振りほどこうとするも腕が空間に固定されたかのように動かない。細い腕からは想像もつかない膂力を直に感じる。
「止めたら傷口が化膿する可能性を叶えてしまいますぅププッ!面白かったら笑っていいんですよぉ?」
ゴシゴシと薬草を擦って塗りつけながら殺意の芽生える会話を投げつけてくる。
会ってまだ10分ほどしか経過していないがルヴは早くも少女との関係に辟易し始めていた。
「痛ァァい痛ぁぁぁあい!! 汁だけでも十分痛いと云うのに、傷口を擦るのは止めよ女ァ!!」
「えー?でもでもぉしっかり塗りこまないと消毒にならないんですよねぇ。」
「…ならば加減せよ。薬を擦り込まれた痛みでショック死なぞ笑い話にも為らん。」
「あははぁ!今のいいですよいいですよぉ!あなたセンスありますよぉ。」
「笑い話では無いと云ったが!?」
「あ、そうですそうですセンスで思い出しましたけどあなたの服はどうしたんですかねぇ?
さっきのでキレイさっぱり燃えましたぁ?それともずっと裸なんですかぁ?」
どう云ったものか判断に困るものがあるが、ここは偽る事にした。
ずっと裸だと堂々と言おうものなら、まだ燃え盛っているあの炎の中に投げ込まれてしまいそうだ。
「服、は…… も、燃えた!真っ先に燃えて無くなってしまった故に困っておる。
少女よ。何か羽織る物を献上せよ。我に大恩を売る機会だぞ。光栄に思え!」
股間を手で隠して内股ポーズの少年が薬汁だらけ・傷だらけの体で腕を組み、少女に対して渾身のドヤ顔を披露している光景のシュールさは筆舌に尽くし難い。
「うーん羽織るものって言ってもぉ私この服しかないんですよぉ?葉っぱじゃダメですかねぇ?」
落ちている葉を一枚、ルヴに手渡そうとしてくる。
「ピンポイントに股間だけ隠せと? しかも小さ過ぎるわ! なめるなよ小娘ッ!!」
「大体ですねぇ名前も知らない者同士で貸し借りなんてできるはずないじゃないですかぁ。
ほらぁ信頼もへったくれもないですよねぇ?」
「な、名前?嗚呼、うむ…そ、そうよな…」
互いに名前を名乗るタイミングがないまま会話を進めてきたが、ここに来てようやく機会が巡ってきた。
だがしかし、ルヴには躊躇いがあった。
人間族を相手にしてフルネームを明かすという事にある危惧を覚えたからだ。
特に先程のルヴを軽々と投げた事を思い出して尚更に警戒する。
(幼い年齢であの怪力。こいつはひょっとすると勇者の子孫だったりするのではないか?
只の人間、しかも今の我と似た年頃であろう少女が、熟達した戦士や武道家も為せるか分からぬ
離れ業を容易くやってのけるものか?
勇者の子孫であれば我の事は確実に伝わっていよう。
よもや復活するとは伝え聞いておらぬ筈だが――… これは、選択を誤ると、詰みなのではないか?)
深く考えこんでしまったルヴを不思議そうに眺めている少女。
「どうしましたぁ?ポンポンでも痛いんですかぁ?背中を叩いたら血流が刺激されて体温も上がると思いますよぉ予想ですけどねぇ。」
鋼鉄の杖を片手に握りしめ、にっこりと笑っている。
「死ぬ。 我、死ぬ。」
「えー残念ですねぇ私ってば殴るの大好きなんですよねぇほら見た目もこうですし?」
「貴様の見た目から何処に殴り魔の要因が出てくるのだッ!!!!
いや、それより、やはり危ない奴ではないか!!喋り方からして異常を察知しておったがな!!!」
「ないです危なくないですぅ!!街でも優しい子で有名なんですよねぇ。
『ラミーはいつも元気だね』って、こう、武運を祈るポーズをしてくれるんですよぉ?
あ、ちょっと名前言っちゃいましたねぇ私はラミエル・コボックちゃんですよぉ。よろりんこですぅ。」
ルヴは眉間にしわを寄せ、彼女がとった『武運を祈るポーズ』を凝視している。
「…貴様、其れは……… 『神様助けて下さいポーズ』ではないのか?」
「はぇ?」
彼女が今とっているポーズは十字をきるものでもなく、両の掌をあわせるものでもなく、
両手をしっかりと握り締めあい天空に突き出すポーズだった。
「お祈りポーズですよぉ?どうして私に会うと神様に助けを求めなくちゃいけないんですかねぇ?
あはは!あなたやっぱり面白いですぅ。」
「こっちは微塵も面白くない。寧ろ若干の恐怖を感じてきたわ。」
笑顔を浮かべるラミエルに対してルヴは真顔だった。感情の温度差だけは天と地の間ほどに開いてしまった。
距離も開きたいと思っていた矢先、ラミエルが音もなく滑らかな動きでルヴの背中にひっついてくる。
冷汗ですっかり冷えてしまった身体に、彼女の温もりが服越しに伝わってくる。
「で、あなたのお名前なんですかぁ?」
きっとメンタルまで退行してしまっているのだろう。無意識に頬は赤味を帯びていた。
「ッきき、気安く触れるでないわ!!」
「言ってくれるまでこうしてますよぉ肌スベスベしてますしこれはこれで、ん~~マイルドですねぇ。」
「肌の感想でマイルドって何だッ!!! ホォッ頬摺りするなァッ!!!」
「早く教えてくださいよぉ気になっちゃって気になっちゃってもうやだ私ってばもう~!」
背中に密着したラミエルがうるさくて、暖かくて、何故だか涙腺を刺激する。
生前も誰かに触れられる事がなかった所為か、こういった行動に対する耐性がないのかもしれない。
あるいは抵抗する事もままならない悲惨なこの状況を自分で哀れんでいるのだろうか。
(偽名を… 何か偽物の名前を名乗らなければ…
何でも良い―― 威厳を保てるような、英雄を彷彿とさせる素晴らしい名前を…
………
戦史初期に誕生し、『最初の魔王』と呼ばれた。
八驍将と数多の魔族を従え、六つの国を灰燼に変えて『滅びの王』とも呼ばれた。
恐怖され、畏怖され、畏敬されてきた我が、此の様な小娘相手に名を偽るだと…?
………
有り、得ぬ。
我は魔王―― 大魔王ルヴオーディ。
そう。大陸中に響き渡った我が名を、高らかに教えて遣れば良いのだ。
我は――
我が名は――― … ッッ
「…… 一度しか云わぬ故、心して聞け小娘。」
咳払いをして振り向くと待ってましたとばかりに破顔するラミエルと対面した。
「わ、我が名は、ルヴ。偉大なる者、ルヴオーックシ!!!!!」
「…ルヴ・オークシ? 何だか競売にかけられそうな名前に私はわくわくしてきましたよぉ。」
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それはそれは盛大なクシャミだった。神のいたずらか、風邪の前兆か。
タイミングの悪さでいえば前者なのだろうが、もはやラミエルの中でルヴ・オークシはお気に入りに登録されてしまったのだろう。「オークシ!オークシ!」と連呼している様子を見れば一目瞭然だ。
だがそれがどうした。訂正すればいいだけの事ではないかとルヴは口を開こうとする。
刹那―――
「では早速ですが服を貸してあげますので都市に行きましょうオークシ君!」
「へ?」
「ささ、私の都市にご案内~!
へへーえへへー大丈夫ですからぁ怖くありませんからぁ一緒に服もパンツも探してあげますからぁ!」
気づけば背中から手を回され、しっかりと抱き上げられていた。
「ま、待たれよッ!!!この格好で、都市に入る気かッ!??」
「全力で走れば朝方にはつきますからぁ張り切っちゃいますねぇ。それと、オークシ君のデリケートゾーンはしっかりご自分で保護して下さいねぇ?無くなっちゃっても私は責任もてませんからねぇ!」
「待て… いや本当に待て――― … 待、て待て待てッ待って待って聞いて我の話聞いてェェ!!」
影も追いつけないと錯覚させるほどの高速移動で、草木の生い茂る森を轟音と共に駆け抜けて行く二人。
度重なる震動が、ルヴの全身にくまなくダメージを蓄積させていく。
小一時間ほど経過して森を出る頃にはすっかり気を失ってしまっていた―――……。