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はじまりの画帳  作者: うえのきくの
7/15

 


『やーーーーーーーっと課題が終わったんですよ(泣)』

『あの教授、きっついらしいねーざっまあーーーーwwww』

『うーるーさーいー』

『課題って?』

『和、とか喜、とかのテーマに合わせて紙に五ミリの方眼で色を塗っていくんです。隣同士の色は同じじゃダメで、最終的に全体でそのテーマを表現しなくちゃいけないんです。提出はただ出すだけじゃなくてプレゼンがあって、表現できてなきゃやり直し。もうねー、もうねーーーー! キチ○イになるとこでしたよおおおおお』

『wwwwwww』

『wwwwwww』


 四方向から書き足す会話にもすっかり慣れた。

 あれから透は宮脇大の三人とよく会うようになった。とはいえお互い忙しい合間を塗ってなのでそう頻繁ではない。誰か一人の時もあれば、例えば今日のように夏希と泉だけのときもある。

 泉はしていないそうだが夏希はアルバイトをしている。軽く驚いたが、家の近くのスーパーでハンデを持つ人、という採用条件があったそうなのだ。

 受注発注に関わるコンピューター入力とウェブチラシの製作が主な仕事。そして出勤している時間に必要とあれば手話ボランティアも務めるそうだ。

 透は感心した。そんなに彼女におあつらえ向きな仕事に巡り会えるなんて。


『まあ、ハンデある人を雇用してると、会社にも自治体から補助があるからウィン―ウィンな関係っていうんですかね?』

『ドライか』

『ギョーカイぽい』


 筆談による突っ込みも高速になってきた。端から見たらこの人たちなにやってんだろうって感じなのだろうか。

 それでも透にとっては彼らとのひとときは心休まるものになりつつあった。

 正直、彼らは美術関係について透よりよほど博識だ。だから教えてもらうことの方が多い。でも、不思議と年下の子に聞いているという感じはなく、恥ずかしさもあまり感じない。 

 恐らく彼らの方が『そんなことも知らないのか』という体でなく、知ってることなら何でも聞いて、といういうスタンスで話を聞いてくれるからなのだと思う。

 だから透の方も、年上の意見と聞こえないように砕けて話すことを心がけていた。彼らにとってもそういう自分でありたかった。




 そんな感じで時折短い間、お茶と会話を楽しむ時間が楽しみになってきたある日、約束したカフェに行くと夏希が一人でテーブルにいた。

 いつものように椅子の正面に立ち肩をたたく。「こんにちわ」と大きな口で言い向かいの席に座った。彼女も笑顔になり「こんにちわ」と返した。


『今日は一人? みんな、忙しいの?』

『タドケンはバイト。まかない出るところだからって、チョーはりきってた』

『wwww』

『イズミはなんか、プログラミングコンテストの、色々?』

『なに、色々ってwww』

『詳しくわからないけど、提出はデータを送るだけでいいんだけど、最終選考に残ると、プレゼンしなきゃいけなくて、それの準備みたい』

『ふーん。あの子、ゲームデザイナー志望だっけ?』

『うん。ゲームかアニメ。小さい頃からゲームばっかやってて、友達もあんまいないって言ってた。大学に入ってからもそうだったんだけど、私が困ってたとき、助けてくれて』


 構内でボヤ騒ぎがあった。夏希たちが入学してすぐ、まだそれぞれの教室もどこにあるのか把握しきれていないときだった。

 午前の講義が終わって学生たちが立ち上がり動き出そうとしていたとき、急に非常ベルがなった。当然、皆慌てて、廊下に向かって逃げ出そうとした。

 ところが夏希にはその音が聞こえない。教室を出る準備をして頭をあげる瞬間まで、中の異常な雰囲気に気がつかなかった。食事を一緒にとる程度の友人は科内にもいたが、彼らも突然のことですっかり夏希を忘れてしまっていた。

 聴覚障害が不便だと感じるのはまさにこんなときだ。緊急であればあるほど、伝わるのが遅い。地震や落雷などの自然災害であれば、バイブと共にスマホが皆平等に同じタイミングで知らせてくれる。しかし、電車の延滞やこういった突発的な事故などは、何が起こっているのかさえ伝わらないことが多いのだ。

 みんなが廊下に出ているから、自分も行った方がいい。そう判断した夏希は荷物を抱え人波の後ろについた。

 廊下がいぶ臭い。火事だろうか。ところがパニックを起こしたのか学生たちはバラバラの方向へ避難を始めた。ついていこうと思っていた夏希の前にいた集団は教室出口で左右に別れてしまった。

 これではどこに逃げていいのかわからない。

 教室は五階だ。火事なのはわかったがどこが火元かわからなくてはどこの階段で逃げたらいいのかわからない。

 天井付近には煙も立ち込めてきた。火元が近いのかもしれない。とにかく階段で下へ、と思い走り出そうとした夏希の腕を誰かが握った。

 泉だった。


 火事は一つ下の階で発生し、ボヤとはいえ教室を一つ真っ黒にした。

 館内放送では夏希がいた二つ隣の教室の脱出用のシューターか、そこから離れたところからの階段での避難を呼び掛けていたのだ。だから学生たちはバラバラの方へ避難したし、夏希には何が起こっているのか、わからなかった。

 泉は自分もシューターでの避難の列に並びながら、そういえば自分の今受けた授業の中に耳の不自由な学生がいた、ということを思い出した。

 耳が聞こえないとこういう時、どうするんだろう、そう考えたら『こういう時でも聞こえない!』という考えに到達。慌てて今いた教室を覗いたら夏希がそこでおろおろしていた、と。


『イズミが腕をどんどん引いて、シューターの列に私を並ばせてから《下で火事があった。これから滑り台みたいので下に降りる。下り方はウォータースライダーと一緒。腰かけて、横になって、胸の前でうでをバッテン》とかって、自分が持ってたノートに書いてくれて、何が起こってるかやっとわかった。イズミはいつも落ち着いてて何があってもしれっとしてるけど、あのときの字だけは震えてたなー』


 それは、いつもおおらかな彼女でも慌てただろう。しかし、字が震えていた泉もある面ではとても冷静だったと言える。


『私がデニムはいてたから、シューターの列にしたんだって。スカートだったら階段を選んでた、ってあとで言われて、めっちゃクールだなコイツっっっって思った』

『男前やな』


 それから泉と行動を一緒にすることが多くなったが、実際科は違うので詳しい授業内容まではよくわからないのだという。

 ただ、真面目に学習していても優秀らしいことと、先出のコンテストは教授からの太鼓判をもらったことは聞いている。


『なっちゃんはどうなの? 大学』

『うーーん。今、留学の話が出てる』

『え、すげえじゃん。どこ行くの?』

『イギリスか北欧考えてるけど……』

『悩み中?』

『言葉がな―。今は聞こえなくても言語が同じだから、ノートテイク(授業内容を要約してまとめるボランティア)とかでついていけるけど、細かいニュアンスまで理解できる英語力には自信がない……でも、向こうのデザインや工芸に触れてみたい』

『英語は、やっぱり筆談で?』

『うん。あと、英語の手話も日常会話程度なら』


 それはすごい。

 彼女を見ているとハンディキャップは障害ではなくもはや個性なのではと思える。そんなの健常者の勝手な思い込みで彼らにとってはたくさんの苦労を乗り越えた上での涼しい顔なのかもしれないが。

 でも、彼女ならきっと、地球のどこにでも飛び出して行って、画用紙と手話で世界を広げるだろう。そして思い描く夢を形にするだろう。

 それなのに。透は自分のいたらなさに泣きたくなってくる。


『俺は、まだ自分のことも何がしたいかも全然わかんないから、なっちゃんやイズミはすごいな―って感心ばっかだよ↓↓↓』

『でも、実家の画材屋さん続けていくんでしょう?』

『うーーん。俺でなくてもできる仕事じゃなくて、俺だからできることを探してるんだけど、それを両親に認めさせる自信がない、っつーか……』

『っつーか?』

『……なっちゃんとね、話すようになってこうして自分の言ったことが形になって残るって体験をしてるでしょ?』


 コツコツとスケッチブックを指でたたく。


『そうすると、ああ、俺今、情けないこと言ってんなーって、自己嫌悪に陥ることがよくある』

『うん』

『さっきのも自分の発言を読み返して、なんて甘ったれたこと言ってんのかなーってガッカリするわ。そりゃ、両親だって一人前には見られないわ(泣)』


 アイスコーヒーの器を覆う水滴をテーブルに広げながら、透は泣き言を言った。

 彼らと話していて気が楽なのは、こんなことが誰に起こっても、決して追い詰められるような気がしないからだ。何度も聞き返されることもないし、責められることもない。

 ああしろこうしろと知ったようなアドバイスをされることもなく、ただその人のそのままが認められる空間。

 恐らくそれは全員が目指しているものが違うからであり、言葉はすべてスケッチブックという箱に中にしまわれるからなのだろう。

 進むべき道が違うからアドバイスのしようがない。大変なことがあっても、時間がなくても手を貸すことはできない。

 だから残された言葉のなかには

『マジ時間ない、死ぬ』

『生きろ』

 とか

『教授キビシイーー。課題多すぎ』

『教授の最期の願いを叶えてやれ』

 とか、励ましなのかなんなのかわからない会話がある。その前に座るまでの間、腹のなかでくすぶっていた、悔しい、悲しい気持ち。それらをここで吐き出すと、脱力するようなコメントが帰ってくる。

 根本的な解決にはならないがそれができるのは当事者だけだ。だから抜けた力をそのままに、またそれぞれのフィールドで学び、作り、そして魅せることができるのだ。


 夏希が何やらスケッチブックをひっくり返している。あのスケッチブックは透が出会ってから何冊目になったのだろう。一度透も同じものを提供(自分も使うのでプレゼントではない、と思う)した。いくらオリジナルで他社製品に比べると安いとはいえ学生さんが使うものにお邪魔している罪悪感はぬぐえなかった。

 そして夏希はある一頁を探しだし、透に示した。

 そこには、ひと月ほど前の自分の発言がはっきりと残っていた。


『芸術のことはなんにもわからないけど、ひいじいさんが子供たちのために画材屋を開こうって思った気持ちが、好きなんだ。今は、イズミもそうだけど、絵を描くってなにも紙と絵の具が必ず必要かっていったらそうじゃない。だから、うちみたいな商売は衰退しても仕方ないのかもしれないけど』『それでも、最初の一歩になれたらいいな―って、思うんだ』


 そのメッセージを指で軽く叩いて、夏希は笑った。


『わたし、ここんとこ好き。わたしの地元にも画材屋さんあって、大きくないけど、紙とホコリみたいな匂いがして』

『わかる。うちもそんな』

『小学校の時、近所の子達とは違う学校だったから、友達いなくて、一人で絵ばっか書いてて、お店に飾ってあった水彩色鉛筆が憧れで』


 彼女は小中高と特別支援学校に通ったと以前聞いた。だから同じ学区の子供たちとは一緒に通えなかったのだ。


『はじめてお年玉で買ったときは嬉しかったな―。あんなわくわくがある画材屋さんなら、きっとみんな喜ぶよ!』


 なんちゃらフラペチーノとかいうこれでもかとホイップが乗った飲み物をチュウッと吸い上げて、夏希はふうっと息を吐く。そして満足そうに笑った。

 その子供じみた笑顔を見て、透は夏希が言うような『ワクワクすること』が頭を駆け抜けた。

 自分だからできる、子供たちの、絵を描きたいと思っている人のために。

 思わず夏希の手を両手で握ってブンブン上下に振り回した。

 ああ、握ったまんまじゃ会話できない! 左手はそのままに右手でペンを掴んで書きなぐる。この際きれいでないのは勘弁してほしい。

『やりたいこと、わかったかも! まだ全然形ははっきりしてないけど、これから実家に帰るまでの間、ゆっくり考える! ありがとう!』


 握っていた左の手も離すとその左手を胸の前で横に倒した。そして右手を上から下ろし同時にお辞儀をする。


『あってる?』


 手話の「ありがとう」だ。あまりにつたなかったからか、夏希は目を見開いている。

 他にもいくつかのハンドサインを、本や動画などで覚えた。一つ一つは意味がついていて分かりやすいが、会話として使うにはぎこちなくまだまだ勉強と練習が必要だ。

 単純にこれを覚えたら彼女と人混みや紙を広げられない状況でも話ができると思ったからで、なぜ話がしたいのかという理由について思い当たって、かなり焦った。

 彼女に好意を抱いているのだ。

 まだその思いはふわふわと頼りないものだが、確実に強い気持ちになりそうな予感はある。

 だからもっとたくさん話して彼女のことを知りたいのだ。

 正直、留学の件は軽くショックだった。でも、それ以前に単純に考えてあと数年で自分は田舎に帰るし、彼女は雑貨の企画をしたいという希望を叶えるならば当然離れてしまうだろう。

 だから少しでも長く少しでもたくさん話をしたいと思った。


『あってる。急にだったからビックリした』

『今、勉強中。でもむずかしい』

『じゃあ、こんどは少しだけ手話で話しましょう。しごきます』

『こわっっっ』




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