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はじまりの画帳  作者: うえのきくの
4/15

 


 今日もまた、小澤は酒を呑んでいる。 

 そんなに酒が好きならば、いっそ溺れてしまえばいいのに酒蔵で。中で人が死んでいて蔵元が多大な負債を抱えることになってもきっとこいつの父ちゃんが何とかしてくれるさ。

 そんな物騒なことを考えずにはいられない透の前に新しいグラスがおかれた。


「ねえ、あの人大丈夫? なんか女の子三人抱えちゃって、これからホテルにいくぞって息巻いてるんですけど」

「勘弁してくれ・・・・・・」

「三人相手って、彼、絶倫なの?」

「知りませんて」


 急におごってやるから呑みにいくぞ、と誘われて、透は近くの繁華街のバーにいた。少し広目の店内は週末ということもあって賑わっていた。

 この辺りの店のなかには悪どい客引きでぼったくる店も少なくない。検挙しても検挙しても手を変え品を変え、新しい店やどこかで見た経営者たちは湧いてくるというのだ。

 ここは透も何度か来たことがある、少し落ち着いた飲み屋だ。

 お姉さんがいるような所で身ぐるみはがされた経験はないが、そういうところは遊びなれた鈴木や大月と来るに限る。

 決して興味がないわけではないので。


 安心して飲んでいたら敵はその倍を行くスピードで呑んでいた。その勢いのまま客の女の子グループを捕まえて大騒ぎだ。賑やかを通り越して、あまりの騒々しさで早々に透は離脱してきた。

 あの様子だともう、明日に記憶は残らないだろう。きっとこのまま店から引きずり出してタクシーにぶち込んだところで文句は言われまい。


「さあ、小澤さん。帰りますよ」

「やだー、さっちゃんが迎えに来たぁー」


 立たせようとする透の手を逃れ、女の子の胸に顔を埋める小澤を見て、ため息混じりに毒をはく。


「さっちゃんじゃねえ。第一、その姿見られたら百年の恋も冷めるわ」

「・・・・・・さっちゃん、俺のこと嫌いになるかなぁ」

「さあ? 大人しくかえっておやすみコールでもしたら好きを継続してくれるんじゃないですかね」

「そうかな・・・・・・そうなのかな・・・・・・」


 いつもおかしい小澤ではあるが今日は輪をかけておかしい。今日というか、思い出してみれば最近、様子が変だった。いやに回りを気にしたり、電話の音にいちいちビクビクしたり。

 基本、愉快になってしまうタイプなので、こんな風に不安がったり泣いたりなどの絡み方はまずない。笑って歌って踊り始めるとそろそろ電池切れのサイン。おいたをやらかすのはそれより前だ。普段ならこのまま眠ってくれた方が楽だとさえ思うのだが。


「どうしました? 何かありましたか」

「・・・・・・わかんない。どうかしたかもしれない」

「どうしたかもじゃわかりませんよ? さあ、今日のところは帰りましょう。みんなは明日はお休みかもしれないけど、小澤さんは明日もお仕事ですよ」


 落ち込んでいる男に粗塩すり付けて、さらに水気を抜くこともあるまい。透は精一杯優しい声で帰宅を促した。


「休むーーー」

「なに言ってんだこのボケ」

「透ちゃんが怖いーーーー」


 押さえつけていても走り出しそうだ。優しさ作戦失敗。これ以上は店の迷惑にもなりかねない。

 小澤が抱えていた女の子たちにお詫びをして、酔っぱらいを引っこ抜き床に座らせる。


「やだー。もううちにも学校にも帰りたくないー」

「はいはい、もう学校には帰らなくていいですよ。あ、これでお会計お願いします」


 お店の女の子に小澤の財布から金を抜き取り渡した。あとは領収書をいれておけば夕べ何があったかを察するだろう。透は明日休みなのだ。後のことは知らん。


 まだ呑むとぐずる小澤をタクシーに突っ込み彼の住所を告げる。車は夜の街に消えていったが行き先は目と鼻の先だ。透なら這ってでも歩いて帰る。

 金曜のこの時間ならこの街はまだ宵の口だ。駅の方から歩いてくる人の方が多い。人波に逆らって歩きながら、透は今日の小澤について考えを巡らせた。

 本当にいったいどうしたというんだろう。


 小澤とは新入社員の時。配属された駅直結の百貨店の店舗で知り合った。二つ年上だが彼の方が一年先輩。華やかな有名私立大学の出身だと聞いている。

 明るくて爽やかで、仕事もそつなくこなすよい先輩だが、酒の席では羽目を外しやすい。ということで社内の女の子にはモテない。本人はなぜモテないのかあまり理解していないようだが。全社員に集合がかかる新年会で彼の酔ったところを最初から撮った動画を流したらさぞやウケるだろう。本人からは怒られるかもしれないが。

 酔って絡むとか、しつこい説教をするとかではないので、男も女も、後輩ですらそれを見て楽しんでいる。相模屋の名物ではあるのだが。

 なぜ今日に限って、あんなにごねていたんだろう。ここのところ様子がおかしかったのもなにか原因があるのだろうか。


 考えてみれば小澤の方が実家に帰ってからのプレッシャーは大きいのかもしれない。なにせたくさんの従業員を抱える一国の長となるわけだ。従業員数=家族の透とは違う。

 待たせている故郷の恋人はひとつ上だと聞いているから、そろそろ真剣に結婚についても考えているかもしれない。

 普段が明るく湿度を感じさせない性格なのでわからなかったが、なにかを抱え込むことがあったのかもしれない。


「話を聞くなら、酒のないときだなー」


 なにぶん、酒が入るとその日のことはなかったことになってしまうので大事な話はしないに限るのだ。





「あれ」


 休日。透が本屋に入ると、先日あった画用紙娘、もとい増田夏希が雑誌のコーナーの前にいた。女性向けのファッション誌を物色しているようだ。

 もう少し親しければ声をかけるところだが、彼女を認識したのはあの鉛筆の問い合わせの日だけだ。偶然会ったからって『こんにちは』も少し不自然だろう。

 透は気づかない不利をして彼女の後ろを通りすぎた。


「ちょっと」


 そのすぐ後ろで女性の声がした。振り返ってみると透のすぐ後ろを歩いてきていた女が、夏希にぶつかり持っていた本を落としてしまったらしい。


「人の歩き通りするところにつっ立ってるなんてなに考えてんの? 邪魔だから退きなさいよ」


 床を見れば女性が落とした数札の本が散乱している。彼女はそれを拾うこともなく夏希を睨み付けていた。      

 彼女に拾わせようということのようだ。

 その時になってはじめて透は女性の様子をまじまじと見た。人に邪魔だと文句を言う割りに、彼女自身は大きなショッパーを二つ肩から下げていた。

 様子のおかしい二人を、回りの人は遠巻きに見物し始めている。なかにはあからまさに『なに、あの女。自分の方が邪魔だっつの』『でかい声出して馬鹿みたい』と嘲りを含んだ声がひそひそと聞こえる。

 どうしたもんかと立ち竦んでいた透の耳にモバイルの起動音と一緒に聞こえた言葉に、ためらうことなく二人の間に入っていった。


「非常識ババアアップしたら、ウケるかな?」

「ねえ、あの子の耳についてるの、補聴器じゃね?」



「こんなところにいたの? ごめんね待たせて」


 夏希の肩を軽く叩き振り向かせてから大きくゆっくりと話しかけた。そうすればわかることもあるみたいだと鈴木から聞いている。

 困り果てた顔をしていた彼女は、一瞬戸惑ったが透の顔に見覚えがあったようだ。目を大きく見開いた。


「すみません。連れがなにかご迷惑お掛けしたでしょうか」

「そ、その子の荷物が当たって……本が落ちたのよ……」

「それは失礼しました。本当に申し訳ない」


 透は床に膝を付き散らばった本を丁寧に拾い集める。そして表紙の向きを揃えて彼女を見つめた。


「汚れたりはしていないようでした。本当にすみませんでした、荷物まで持っていただいて……」


 そう言ってすまなそうな顔を作った透は彼女のショッパーに手を伸ばした。


「こ、これは私のです!」


 一瞬キョトンとした透は、ゆっくりと口に手を当てて恥ずかしそうな表情をする。


「ごめんなさい! 大きい荷物がぶつかった、と伺ったからてっきり……重ね重ね失礼しました。さあ、レジまでお持ちします」


 そう言って透は夏希の肘を引いてレジへと歩かせた。

 『大きい荷物』とは誰も言っていない。しかし夏希の肩には小さなショルダーがひとつかかっているだけだ。それに気がついた見物人からクスクス笑いが漏れる。

 女性は周囲から向けられたカメラのレンズに気づいたのか、笑われて自分の間抜けな言動に思い当たったのか、少しうつむいてついていくしかなかったようだ。


「急に、声かけて、ごめんなさい。俺のこと、覚えてる?」


 悶着があった売り場から少しはなれたところで、向かい合って腰掛け、透はゆっくりと話していた。

 彼女ははっとしたような顔をして、持っていたバッグから小型のスケッチブックを取り出した。


「あ、同じ」


 彼女が手にしたのは先日透が買ったものと同じサイズの画用紙だった。透はブルーを、彼女のチョイスはグリーンだった。


「俺も、同じの買ったよ、この間。君と、話が、出来るかと思って」


 手の中のスケッチブックの表紙を指で叩き彼女に視線を向けさせると、そう言って笑った。それを呆然と見ていた彼女があわててページを開く。


『助けていただいて、ありがとうございました。なに言われてるかもわからなくて……』


 透も荷物からボールペンを取りだし「俺も、書いていい?」とページを指差し聞いた。彼女が何回も頷いたのでその下にはっきり文字を書き付ける。


『別になんにも言ってないよ。ごちゃごちゃ文句は言ってたけど、何か機嫌でも悪かったんでしょう。気にすることないよ』

『よかった』

『申し遅れました。私、相模屋五階画材担当の酒井透と申します。入社三年目の二十六歳です』

『わたしは、宮脇大芸術学部工業デザイン科二年、増田夏希です』


 何でもない自己紹介だが、聞くのではなく読む、というのはなんとも言えず新鮮だ。

 耳から入ってくる言葉は、さもすると通りすぎてしまうこともある。目の前を興味のあるものが横切れば人の意識は簡単にそっちを向いてしまう。

 モバイルの画面を見ながら話をする、違うことを考えながら形だけは頷いて見せる。そんなこと誰しもがしてしまう日常の行動だ。

 でも画用紙の中の言葉は目をそらしては届かない。ペンの滑る先をじっと見つめて、そしてそれを書く人の表情から言葉のニュアンスを読み取らなくては成立しない、贅沢な会話のように思える。

 彼女らにしてみればそんな感傷的なご意見など嘲笑に値するものなのかも知れないけれど。


『この間、賢い長男の賢一郎くんと、少し話したよ』

『あいつどこでも、そのネタ振るからwwww』

『すごく、頑張ってるね』

『はい。タドケンの貧乏レシピすごくためになる。安くて美味しくて栄養はあんまり考えてなくて!』

『wwwww。タドコロケンイチでタドケン?』

『そうです。私はなっちゃんって呼ばれてて、もう一人はイズミ。有紗って可愛いのに、可愛すぎていやなんだって』


 小さい画面はあっという間に一杯になっていく。普段なら交わした言葉は口から出たとたんに消えていくけれど、ここにはいつまでも残る不思議。


『俺も、なっちゃんでいい? 店では恭しくお客様って呼ぶから』

『お客様wwww なっちゃんの方がいいです』

『ありがとー。なっちゃんは美大行って何になりたいの?』

『工業デザインは、それこそ家電や車のデザインから、S字フックまで守備範囲なんですけど、わたしは雑貨屋さんに並べてもらえるような商品を、企画したり製作する仕事に就きたいんです』

『デザイナーだ』

『そうですねー』


 楽しいことを書いているときの文字は心なしか踊っているように見える。書くテンポも早くなり少し字が乱れるが、流れるように歌っているように見える。


「ちょっと」


 あれ、なんだかデジャブ。しかし今度怒鳴られているのは透の方だ。なぜなら後ろから捕まれた肩を無理やりそちらの方に向かせようと、常識以上の力で捻られているからだ。


「え、なに、ちょっ!」

「あんた、うちの妹になにしてんのよ!」

「お姉さん」


 すぐ後ろには濃いピンク色のボブヘアーの女の子が今にも殴りかかりそうな顔で透を見ていた。


「えっと、怪しいものではないんですけど……」


 後ろ手で空いている場所に殴り書く。


『おねえさん、めっちゃ起こってるから、せつめしてーーーー』


 誤字も脱字も構っていられない。透は生まれてはじめて筆談で助けを求めることとなった。



「本当に、なんて失礼なことを……」

「いえ、誤解だってわかれば。でも、俺が言うのもなんですが、本当に危ない人だったら怖いから、自分で突撃しない方がいいと思いますよ?」

「すみません、頭に血が昇って……」


 あのあと、夏希が必死に説明してくれて、なんとか誤解は解けた。当然かも知れないが姉妹は手話を用いて会話をしていた。筆談よりは早く、濡れ衣を晴らすことができて大変助かった。

 透は何かのときのためにとカバンに入っていた名刺を差し出し、身元を明かした。それも、安心に一役買ってくれたのかもしれない。


 姉は増田春佳。服飾系の専門学校を出たあと、友人と二人でアパレルメーカーを立ち上げた実業家だった。前回会ったときに自己主張の強い、と思った夏希のワンピースは春佳の会社のサンプルなのだという。今年で四年目の会社は去年辺りから軌道に乗ってきた。固定のファンも付き、インスタやフェイスブックを利用して着実に知名度をあげてきているのだという。

 三人で交わす会話は、透が手話に明るくないためやはり筆談で進んだ。頭をくっつけ、スケッチブックを囲んでいるとなんだかのんびりした気持ちになった。

 場所を近くのファストフード店に移した三人は小さなテーブルに頭を寄せて色々なことを『話した』。

 春佳の仕事のこと、実際の仕事よりも区のビジネスサポートの補助金を獲得するのに作らなくてはいけない資料のことで、胃に穴が開きそうだったこと。

 夏希の受験の時のこと、日常で困ること、学校の課題のこと。

 透もつい、今の会社に入る経緯や、自分の抱える実家の問題。正直行き詰まっている現状などをはなしてしまった。

 二人とも透より年下にもかかわらず、何か頼れるオーラを感じてしまうのだ。

 二人の家はサラリーマン家庭だそうで、家業を継ぐという感覚はよくわからないらしい。


『でも、私二十五で、このまま仕事が面白くなって結婚とかしなかったら親に孫は見せられないんだなー、とかは思ったりする』

『俺もそんなこと考えたことないわ』


 その時の夏希は、ただ曖昧な顔で笑っていた。やはり、近いようで遠い将来なんて、前に何があるかわからない渦中の時期に、想像もできないだろう。


 小さなスケッチブックが終わりそうになった頃、三人は解散した。とはいえ姉妹は一緒に暮らしているそうなので、二手に別れるのだが。

 離れたところで後ろを見ると、夏希もこちらを見ていた。

 手を振る。またね、と言いたいがここからでは口の形は見えないだろう。

 だからもっと振った。大きく背伸びをして頭の上で何度も振った。夏希が小さく、それに返してくれて透は歩き出す。

 そして考えた。

 今日の会話は、あの小さな画用紙にずっと残る。三人で悩みだったり、下らないことだったり、笑い話をしたことは形になって夏希の手になかに残っている。

 それはなんだか、恥ずかしいような気もしたがとても素敵なことにも思えた。時間を封じ込めるのに成功したような、奇跡の一瞬を撮影できたような。


 彼女がそれらの管理をどうしているのか知らない。でもいつか読み返すようなことがあったら、その時会えなくなっていても思い出してくれるのかと少し嬉しかった。

 透はその嬉しさの理由にはまだ気づいていない。


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