表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
はじまりの画帳  作者: うえのきくの
3/15

 


「あれ、きみ、この間の」

「こんにちは」

「いらっしゃいませ。今日は一人?」


 数週間前に出会った、画用紙娘の友達だ。いかにも美大生的な、個性的なおしゃれの。今日も帽子と眼鏡がよく似合っている。

「はい、アクリル絵の具探してて……。恥ずかしいんですけど、この後あまり使わないんで、なるべく安いやつって思ってて……」

「それだと、うちのオリジナル結構いいよ。こだわりないなら。初心者の人とかにもよくお奨めするんです。パッケージもかわいいし」

「あ、ほんとだ」


 絵の具のチューブの一つ一つにもパレットマークがついている。他の用材もみんなお揃いのパッケージなものだから、最初に全部揃えたいと相談されるとこれを奨める。

 大人の話だが利幅も大きい。


「絵の具と、筆とキャンバス。あとは、ジェッソとスポンジローラーがあると便利かな。その他のものは結構家にあるもので代用効くから」

「あ、うん。これなら予算に収まります。これにします」

「芸術学部って、授業料以外の材料費や美術館巡りで結構お金掛かるもんね」


 そう言うと、恥ずかしそうに帽子眼鏡が笑った。


「僕、美大に進むの親に反対されてて、学費、出してもらえてないんです」

「・・・・・・結構掛かるよね?」

「はい、それで祖母から学費と生活費の一部を借りてます。あと足りない分と材料費とかはバイトで・・・・・・」


 早速相模屋のポイントカードを作らせた透だった(お買い物二百円ごとにポイントが出て次回からすぐに買い物券として使える。結構お得)。

「そんなに頑張って将来、何になりたいの?」


 自分が画材屋の息子でありながらそこまで芸術に対して情熱を持ってこなかった透としては、彼がそこまで頑張る理由に興味があった。


「僕んち、代々医者の家系で。当然僕も期待されてたんですけど」


 成績はよいほうだった。当然、回りの友達がやっているようなゲームなどは買い与えられず、許された娯楽は図書館と近所にあった大きな美術館にいくことだけだった。

 美術館は年間パスポートを買ってもらい、時間が許す限り通った。ひんやりとした薄暗い館内はなぜだか妙に落ち着くのだ。そして自然とそこで働く人に目が行った。

 常設展の時は静まり返っている美術館も特別展示があると俄然活気が溢れる。ゲストや学芸員たちが集められた美術品や工芸品、時には古い武具などを解説してくれるギャラリートーク、それらにまつわる体験ができるワークショップ。

 彼はその一つ一つに心惹かれて職員を捕まえて「ここで働く人はどういう人たちなのか」をインタビューしたこともあったそうだ。


 その人が言うには、そこで働く人は大きく分けて四種類。

 まずはいわゆる事務職。経理、総務に当たる人たち。宣伝や企画をする人もいる。館長は総務のトップ。それから学芸員。この人たちは小さい博物館だと兼務することもあるからひとつのグループ。


 そして施設管理。館内の温度や湿度を一定に保つのは美術品などを扱うのに何より大切なこと。そのほか、施設のメンテナンスも重要。

 そして監視員、警備員。展示してあるものにいたずらをしようとするバカや、もって帰ろうとする大バカはいつの時代にも絶えない。そんな馬鹿たちから展示品を守るのがこの仕事。大きなイベントなどがあるときには保障会社から増員されることもある。基本、二十四時間体制で施設全体を守っている。


 そして物販に当たる人たち。ミュージアムグッズや書籍、カフェなどの運営に当たる。レストランなどは外部の業者が入っていることも多い。

 規模が大きくなればもっとあるかもしれないが彼の通っていた博物館ではそんなところだという。

 そして、彼に話を聞かせてくれた人は学芸員という仕事なのだという。


 学芸員。美術、博物館の資料の収集、保管、展示そして、調査研究などの事業を行う専門職。

 それになるためには大学・短大で単位を履修するか、文部科学省で行う資格認定試験に合格する必要がある。

 博物館や図書館、水族館などにも学芸員はいるが、なにしろ狭い門だ。資格試験に合格するものは年間で何千人もいるのに、学芸員として施設に採用されるのは五十人にも満たない。


 日本では学芸員の数が少ないのだという。なにしろ欧米での彼らはキュレーターと呼ばれるプロフェッショナルだ。日本の学芸員もそう呼ばれることがあるようだが仕事の内容は大分異なる。

 あちらでは教育活動、標本作成、保存処理、資料収集、研究、展示などを専門のキュレーターが責任者となってそれぞれ運営している。

 ところが日本ではそれらの仕事をひとまとめに、なおかつ事務や総務なども兼任していたり、チケットまでモギる場合だってある。つまり何でも屋だ。それは少ない人数で賄えるだろう。


 よって、本当に専門的な事案に関しては外部から専任の講師などを招いて展示などを行う場合も少なくないのだという。

 資格を取り狭き門を潜り抜けて博物館に採用されてもこの扱い、とインタビューさせてくれた学芸員は苦笑いをしていたが、彼にはその職が憧れとなった。


 医者になるという回りの期待を裏切ることも憚られるが、彼はその夢を忘れることができなかった。

 そして高三になった春、ついに胸のうちを両親に打ち明けた。当然ながら二人とも激怒。医大以外の進学は認めんの一点張りだ。

 そこへ間に入ってくれたのが祖母だった。彼女は子供の頃から博物館に足繁く通う孫を見てきた。それでも言い出せず、ずっと何かうちに秘めていたことも知っている。


「四年、院までいったら六年か? それまで様子を見ていてやったらいいじゃないか。何かを始めるのに遅いことなんてないんだから。聞くところによると学芸員になれる人なんて一握りだ。頑張ったって叶うもんじゃない。あんたが夢に破れたときは医者の道を進むっていうことも選択のひとつに入れておいたらいい」

「なにのんきなこといってるんだ母さん! 医大だって卒業するのに最低六年はかかるんだぞ!」

「入るのに何年もかかる人だっているよ。社会人や看護師を経験してから医者の道に進む人だっている。この子が将来何を選ぶのかはわからないけれど見守ってやればいいじゃないか。あんたの病院が逃げる訳じゃないんだから」


 祖母が肩を持ってくれたお陰で、医大以外は認めないとは言われなくなったが、全面協力するなどということには当然ならず。


「学費も受験代も、もっと言うと予備校代も出さないから自分で何とかしろって言われちゃって」

「徹底してるな。予備校も結構掛かっただろう?」

「はい、月謝で五万くらい。だから僕高校生の時はスマホも持てなかったんです」


 ちょっと愉快そうに笑った。話だけだと悲壮感漂うが、彼にとっては自分の夢のために努力してきたことは誇らしい思い出なのかもしれない。


「そういうわけで学芸員志望で三年からは専門課程にはいるので、実技をするのは今年で最後なんです。去年はデッサンばっかりだったんですけど、今年に入ってやんなきゃいけないこと色々増えてきて・・・・・・」

「そりゃ、経費抑えたいよな」

「はい」


 お見送り、ということでもなかったのだが彼と話ながら階段でビルの外まで来てしまった。話を聞いているうちに、就職が決まったばかりの自分のやる気に満ちた気持ちを思い出していたのだ。

 自分は、こんな子供たちのために画材を売りたかったのではなかったか。曾祖父は平和な時代に絵を描く子供たちのために、まだものも豊富になかった時代、店を始めたのではなかったか。

 実家に帰ればもしかしてできなくなってしまうことも、ここでならできるかもしれない。ずっと、ここに残ってこの付近の芸術家のたまごたちのために働くのは、とても素晴らしいことのように思う。

 専務だっていっていたではないか。子供に教育を受けさせるのは親の特権なのだと。それに、見返りを求めてはいけないのだと。

 彼の両親もきっと、どこかでは認めているのかもしれない。学芸員は立派な仕事だ。しかし、代々守ってきた医者という尊い仕事を息子に継いでほしい気持ちも、親の経験はないが透にも理解できるような気がする。


「君の家ほどじゃないけど俺んちも三代続いた商売やってて、ちょっと戻るかどうかずっと迷ってる」

「え、相模屋さんも?」

「屋号で呼ぶのやめて。酒井透と申します」

「あ、僕は田所賢一郎です。賢い一郎、長男です」

「それ、お約束?」

「一応」


 顔を見合わせてクスクス笑う。親の期待を一身に背負った名前も、きっと今の彼には似合っている。


「この間の二人は、髪の長い方が増田夏希、ショートボブが泉有紗っていうんです。きっとちょくちょく来てると思います」

「みんな同じ年?」

「僕だけひとつ上なんです。一浪してバイトと予備校、通ってたから」 


 そして彼は小さく微笑んだ。


「この間、酒井さん僕たちがしてること『会話』って言ってくれて」

「うん、会話だよね」

「だけどそういう風に思わない人も一杯いて。邪魔だって言われたこともあります」


 だから嬉しくて。そう言って彼は荷物を抱え直した。

 夏希と呼ばれた少女の事情が、もう彼自身のことになっているのだ。だから心ない言葉を浴びせられれば彼女と同じように悲しいし、その存在が受け入れられれば自分のことのように嬉しいのだ。  

 また来ます、絵の具のこと教えてください、と笑って賢一郎は走っていった。きっと、医者になったとしてもみんなに信頼されるいい先生になるだろう。

 逆境をものともしない明るい笑顔がそんな風に思わせた。



 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ