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はじまりの画帳  作者: うえのきくの
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「マジで臭いです、小澤さん。どんだけ呑んだんですか?」

「……んーー、生ビール……三杯、ワイン一本と、焼酎と、えへへ、最後日本酒」

「えへへ、じゃないですよ。混ぜるな危険って有名な言葉知ってます? テストにも出ましたよ」

「出てないょー、朝から絶好調だね、酒井くんは」


 昼休みの食堂はいつもよりすいていた。この界隈にはそれこそ、ランチをとれる店はごまんとある。しかしほぼ観光地の域の街は、ちょっとランチ、も行楽価格だ。今週は給料日ウイークだからそれでもみんな外に行ったのだろう。

 透はAランチを食べながら隣で撃沈している先輩、小澤を呆れ返って見ていた。Aランチはコロッケと野菜の煮物が透のお気に入りだ。中身がとろけてきそうなフルフルコロッケと、根菜メインの筑前煮風の煮物をご飯をおかわりしながら食べる。因みに小澤の前にはしじみの味噌汁が置いてある。

 愛想のいい小澤は、食堂のおばちゃんも懐柔しており、二日酔いの日には『祥ちゃんスペシャル』と銘打った様々な品が用意されているらしい。因みに、違う日にははちみつがかかったグレープフルーツが提供されているのを見たことがある透だ。二日酔いにすこぶる効くらしい。


 小澤もまた画材店の跡取り息子だ。しかし店の規模が透の家とは段違いだ。

 東海地方に実家のある小澤の家は、それこそそちらに訪れたこともない透でさえ名前を知っているような画材問屋だった。社員を何十人も抱え、小売り販売もしているその会社は県内に支店を三ヶ所展開している。

 帰ったら彼は、数年でその社長の椅子が約束されているのだ。彼の父親は彼が会社の仕事を覚えたら即、退いて『ママ(妻である)と二人で飛鳥Ⅱで世界一周するんだもん!』と張り切っているそうだ。

 地元の高校を卒業後、東京の有名私立校の経済学部に一浪して入学。四年間サークル活動に精を出し透と同じように半コネ入社して現在に至る。

 因みに田舎に婚約者といってもいい、家族ぐるみの付き合いをしている恋人を待たせている。写真で見たがかなりの美人だった。同じような家に生まれてこの違い。羨ましくないと言えば嘘にな

る。


「その、ラッキースター小澤さんは何で飲みすぎちゃったんですかね?」

「うーん、なに、ラッキースターって。まあいいや。昨日ね、異種業混合交流会があってね」

「言ったら合コンですね」

「うふふ、そうとも言う。それでかわいいCAさんとお知り合いになってね」

「うふふじゃねーよ、出たな悪い癖」

「楽しくなっていっぱい呑んじゃったら」

「読めたぞオチが」

「ヤッちゃったみたいー」

「おいおい」


 まさに金持ちバカ息子。これがこの人の悪いところだ。

 たいして強くもないのに酒が好きで、すぐ記憶をなくす。飲んだ先々で事件を起こし反省してはそれすら忘れていく。

 いよいよ困ると実家から父親が飛んできて、後始末をするというこの親にしてこの子供状態。今でも仕送りが続いているというぶっ飛んだお坊っちゃまなのだ。

 まあ、彼の生活なら相模屋の収入だけでは確かに間に合わないだろう。

 会社から歩いて帰れる距離にデザイナーズマンションを借り、着ているものもすべて高級品。車は国産だがこんな都心で必要ないだろうものに掛かる維持費を考えれば、透にはそれを持つという選択さえない。

 そしてとにかく女癖が悪い。

 目が覚めたら隣に知らない女の子が寝ていた話はここに配属になって1ヶ月半、何度聞いたかわからない。

 そこまで行かないまでも、女の子と呑みに行った、デートに行った、チューしたとかはほぼ毎日聞く。真贋のほどはわからないが。

 透にはあんなにかわいい婚約者がいてよそに目がいくフットワークの軽さだけは本当にわからない。透にだって恋人はいたが、付き合っている間は彼女だけを見ていた。いくら魅力的でも器用に愛情を分配できるものでもない。


「だってさー、さっちゃん地元の大地主の一人娘なんだよぉ。もう絶対浮気とかできないじゃん」


 さっちゃん──戸野口紗智(トノグチ サチ)というのが恋人の名前だ。愛知で戸野口といえば知らない人はいないと言われる大地主だそうだ。その昔は駅から自分の土地以外を踏まなくても帰ることができると豪語していた逸話もあるらしい。


「地主のお嬢さんじゃなくてもフリンダメゼッタイ」

「だからいま、目の届かないうちにヤっとくかなーって俺は思う訳なんですぅー」

「いつか刺されろ」

「なんか言ったー?」

「いいえなにも」


 帰ったら本人の言うように真面目にやるのかも知れないが。彼を見ているともしかして自分は人生を損しているのではないかと勘違いしそうになるのだ。




「あー、鈴木さん聞いてくださいよぉ」


 白いトレイを持って透たちの椅子の後ろを通ったのは、商品管理課の鈴木公紀(スズキ キミノリ)だった。

 透は言われてから気づいた位だが、彼は特に女子社員からの評価が非常に低い。百五十八センチという身長で下から見上げられるのがムカつくとか、会話がすべて嫌みったらしくて許せないだとかさんざん聞いた。

 その評価がそのまま今の彼の地位にあるようだ。この会社で四十代半ばで主任はかなり遅れをとっている。

 この会社は年に一度同じブロック者の同士がクローズで評定をし合うシステムがある。アンケート用紙が回ってきて、誰それについて仕事の出来はどうかとか、そのフロアに向いているのかなどと聞かれる項目がある。因みにこれは役職がついていないもののみの仕事だ。それを部長だけが見て移動や昇格などの材料にする。

 言ってしまえばその人のその後の人生まで左右するものだから、皆、滅多なことは書かない。のだが、あそこまで嫌われているとどうやら書きたい放題らしいのだ。

 しかし、部長だってそんなにバカではない。当然まるごと信じてなどいないから、鈴木は支店に行くこともなければ首になったりもしていない。ただ、それ以上の出世の見通しがないというもっぱらの噂だ。

 


 しかし透にとっては、支店にいたときから何かと声をかけてくれて、相談に乗ってくれるいい先輩であったから、彼女たちの言うことがまるで理解できなかった。

 彼を弁護するつもりでその事を話せば今度は『鈴木主任ホモ疑惑』が持ち上がってしまい、それどころではなくなった。

 どうして自分に理解できないことを、人は自分の知ってる型にはめようとするのだろう。女の子に人気がなくて、それを気にせず同性の同僚に親切だったらみんな同性愛者か? 例え百歩譲ってそうだったとして、赤の他人である彼女たちに何か迷惑が掛かるのだろうか。

 彼の秘密を、ほんの一部知っている透としては洗いざらいぶちまけて、本当のところを知ってもらいたい気持ちもある。でも、当の鈴木がそれを望んでいない。

 だから女子社員が暴言の限りを尽くしている現場に出くわしたとき、透は少し笑うのだ。

 かわいそうな人たち

 上部だけをさらっと見て自分の思いたいようにしか思えないからこの人がどんなに素敵かわからない。本当に尊敬できる人が目に前にいるのに、きっと一生それを知らないで生きていく。

 もったいないなー。そんな風に思う。


「なんだよ、また小澤は二日酔いか?」

「ですって」

「懲りねぇなぁ」



 ニヤリと笑いながら鈴木は透の横にトレイを置いた。近くにいた女子社員が席を移動している。それに気がついた透は少し苦い思いをしたが、小澤はこれ幸いと声を押さえることなく話し出した。


「だって、運命の人にぃー、出会っちゃったかも知れなくてぇー。そしたら、嬉しくなっちゃうじゃないですかー」

「運命じゃねえよ。寝言は寝てから言え」

「いいぞー、もっとやれー」

「そういう酒井は、画用紙娘と話したって?」


 なんのことやらと一瞬呆けるが思い当たる。


「ああ! 彼女そんな風に呼ばれてたんですか?」


 すると、とても優しい顔で鈴木が笑う。いつもそうしていればいいのに。まるで動物の子供でも見守るような柔らかい。


「ああいうことはじめてで驚きましたけど。宮脇の学生さんなんですってね。筆談してたけど、本当は聞こえるんじゃないかと思うんですけど。俺、からかわれたのかなー……」

「ああ、ゆっくりで相手の顔見ながらだとわかることもあるらしい。友達が言ってた。全く聞こえない訳じゃなくて補聴器のお陰で少しは感じられるんだと。それと、口の形で会話が成り立つこともあるって」

「口の形」



 読唇術、などというスパイの世界にしかないと思っていたことが、現実に使われていると知ったのはいつ頃だろう。テレビでもベンチにいる野球選手を読唇術で読んで何を言っているか見てみよう的な企画を見たことはあるが。

 彼女たちはそれを使って話していたというのか。


「ほら、画用紙広げられない場所もあるだろ。簡単な会話はそうやってゆっくり話すんだとさ」


 そうか、つまりあれは相互の思いやりがあって初めてできる会話だったのか。

 読み取ってもらえるようにゆっくり話す配慮。相手の言葉をわかってあげたいという思いやり。

 からかわれたなんて下らないことを思った自分が、少し恥ずかしい。


 まだ酔いから抜けられない様子の小澤を食事を始めたばかりの鈴木に任せ、透は三階フロアに足を運ぶ。

 相模屋本店は8階建てのビルである。

 例えば一階は筆記具。これは透の持ち場、画材とは違い筆記のための鉛筆やサインペン、筆ペンなどの売り場だ。始めて見るとその種類の多さに圧倒される。

 そんな風に各階ごとに様々な美術芸術に関わる商品を扱っている。七階には展示スペース、ここは近所の学生たちもよく利用している。いい加減疲れてしまうので五階にはカフェも入っている。

 透が目指した三階はスケッチブック、画用紙、模造紙、イラストボードなどとにかく絵を描くための台紙の売り場だ。

 商品の性質のせいか他の売り場より静かな気がする。だからつい、息を潜めてしまうのだ。

 足音を忍ばせるようにして目的のものを探す。



「これ、いいかな」


 手にしたのはポケットサイズのスケッチブック。スマートフォンサイズなのに一丁前にリングで端が閉じてあり大判と同じデザインの表紙がついている。先程の彼女が持っていたもののミニサイズだ。

 相模屋オリジナルの商品には皆、このパレットマークがついている。スケッチブック、道具いれ、トートバッグ、鉛筆などなど。

 品質のよさ、国産であること、何より安価であることは言わずもがな。片隅におしとやかについているパレットマークも人気の秘密だ。

 今度彼女にあったらこれで話しかけよう。彼女と言わず必要になる日が来るかもしれない。普段持っているメモ帳は、業務内容を覚えておくのに一ヶ月半すでに真っ黒だ。

 このスケッチブックは会話用。大切な会話をするためのもの。

 小さい持ち物ひとつで楽しみが増えたような気がして、透は足取りも軽く午後の業務に戻っていった。



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