三個目
昔話は聞いていて楽しい。
勧善懲悪というのは多少の道徳心には底知れぬ快感がある。
しかしふと考えることがある。悪とされている連中は別の視点から見たら善なんじゃあないか。そう考えると急に悪に同情が入る。それまた一興なわけだが。何しろ小難しい本も好きだが、昔話は無気力でいてパワフルな文学だと思える。
学校では僕は自分に対して矛盾した存在になる。
青春時代の副作用とでも名付けようか……黙っていたいのに喋ってしまい余計なことまでベラベラと話してはゲタゲタ笑う。
何をやっているんだという自己嫌悪ばかりが帰り道を襲う。車窓から流れる景色は大して変わっていないのに。気の持ちようで酷く風景が変わって見えてしまうものだ。帰ってきた時の疲労感と憂鬱感は前々回話したアレよりも酷いものだ。こんなメンタルでよく今の今まで生きてこれたもんだ、感心する。
ある歌詞に『青春時代が夢なんて後からほのぼの思うもの』なんて一節があった……。確かに真っ只中ではほのぼの思う余裕すらない。これからもそんな余裕があるのかさえ不安だ。
こうしてただ何も得も内容もないような事を垂れ流しにしているだけでも少しは心が癒されるものだ。
生活の数パーセントを晒すだけでスッキリするなんて如何に自分が単純で阿呆かを露呈しているようで何だか消したくなるが……
いつか『ほのぼの思う』時が来るまで取っておこうかな、なんて思ったりしてしまうものだ。
不意にテンションが上がることがある。
その後数日の沈み様ったら半端ないが。妙に楽しくなる。
『今なら何でもできる』……とまでは感じないが、根拠の無い自信が湧いてくる。そういう時に限って、調子に乗って、大失敗する。本当につくづく自分の学習能力の無さを知る。
しかし、大失敗だけは恥辱として記憶にしっかりと刻まれる。
そこらへんはちゃんとしている(ちゃんとしているのか)。
ああ、もう春だな。
今から暑い夏が憂鬱だ。