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北原中学校吹奏楽部  作者: 星野 美織
挑む、関西大会へ
421/423

朝、京都へ

 翌日。早朝から集合し、トラックに前日に梱包した楽器を積み込む。それが終わった頃、凛奈は部員たちが全員揃っているかの点呼と朝のミーティングを茉莉花に頼まれた。

「え、私がするんですか?茉莉花先輩は……」

「練習練習! 部長の仕事、ちょっとずつ覚えてやっていこうね」

 名簿を茉莉花から受け取り、部員たちを見渡した。

「お、おはようございます」

「「おはようございます!」」

 いつもよりも張りのある気がする挨拶に、思わず後ずさってしまう。

「ミーティングを始めます。各パート、来ていない人いませんか? パートリーダーさん、各自確認お願いします」

「はい、ユーフォチューバ。壮太が仕事の関係で今日の夕方からの参加になります」

「わかりました」

 確かに積み込みには壮太の姿はなかった。もう芸能活動について部員たちに隠す必要もなくなったため、出席点呼の際にはこうやって名前が上がるようになって、部員たちもそれの徐々に慣れだした。

 部長の朝のミーティングでの仕事は、主に出席点呼と部員たちの健康チェック、そして1日の予定の確認だ。早朝とは言え今日は合宿だ。壮太は例外として、万が一1人でも遅刻すれば全員が合宿先の到着が遅れてしまう。遅刻はいないだろう、と予定のメモに目を移した。

「……トロンボーン、海内いてません」

 部員たちの中から1本、少し日焼けした腕が上がった。風馬の言葉に凛奈は耳を疑う。

「……蒼、先輩、ですか? 乃愛は?乃愛、来てますか?」

「はい! 乃愛ここにいます! お兄ちゃんなんか朝からしんどくて、お母さんが車で送るって言ってたけど出発の時間までには来ます! 風馬先輩にLINEしろってお母さんに言われてたんですけど、来てないですか?」

「なんも来てないけど」

 呆れたように風馬がスマホの画面をこちらに見せてくる。

「もしかしたら先生のところに連絡きてるかも。あたし先生に聞いてくる」

「あ、お願いします」

 ユリカが職員室へと駆け足で向かう。もちろん昨日の一件から話せていない。いまは仲直りというか、しっかりと蒼と話したいのに、心配ともどかしい気持ちでどうしようもなくなる。

「あ……えっと、他に来てない人、いませんか?全員揃ってますか?」

「はい」

「大丈夫です」

 各パートのリーダーたちが応え、壮太と蒼以外は全員揃っていることを確認する。

「じゃあ、15分後にバス出発です。……茉莉花先輩、あとは……」

「あと?いや、1日の初めの意気込みも、部長の仕事だよ?」

「いやだから、部長が……」

「ううん、いま私は凛奈ちゃんに部長の仕事をお願いしてるよ。ほら、みんな待ってるから」

 きょとんとあざとく首を傾げる茉莉花には、凛奈の考えはお見通しだったようだ。

 凛奈が渋っているのは茉莉花がいつも朝のミーティングの最後の今日1日を気持ちよく迎えるための意気込みの一言だ。なんだか自分がその役割を果たすのは少し気恥ずかしく、何を言えばいいのかわからない。

 3年生が不在の時の部活開始のミーティングも何度か凛奈が前に立つことは経験してきたが、この最後の一言だけがどうすればいいのか、部長しかしてはいけないのかわからずに今まで割愛していたのだ。

「えっ、……と」

「頑張れ!」

 困惑して助け舟を求めるが、茉莉花はにこにこと慌てる凛奈を眺めて、奈津は小声で応援するくらいしかしない。頼むから早くユリカが戻ってきてくれないかと思うが、この2人が何もしないならユリカが助けるわけがなかった。

 とにかく部員たちは不思議そうに凛奈のことを待っている。もうどうにでもなれと口を開いた。

「えっと、すごく急な合宿で、ほんとは今日は学校で練習だったところを県外の強豪と合同で、しかも実際の関西大会の会場でホール練習できるようになって、本来ならありえないというか……滅多にないことです。万葉のみなさんと、稲崎先生のご好意で譲っていただきました。それだけ、……なんというか、万葉のぶんまで?って言ったらおかしいかもですけど、関西に行けなかった他校の人たちの分まで、この2日間代表の自覚を持って真剣に頑張りましょう。ミーティング終わります」

「「はい!」」

 なんとかミーティングを終えてため息を着く。

「ちゃんとできてたじゃん」

「すんごいおどおどしてたね」

 茉莉花たちの元へ駆け寄ると、にやりと笑って2人はそう言った。

「なんでそんな意地悪するんですか……!」

「えー? そんなことないよ」

 いたずらっぽくにやける2人に、もう、と冗談めいて肩を叩く。そんなことをしていると、職員室から誰かのキャリーケースを引いたユリカが戻ってきた。

「あ、ユリカ! 蒼くんどうだった?てか、そのキャリーケースどうしたの?」

「それがさ……」

「……?」

「だから、大丈夫だってば。みんなとバス乗るから」

「でも途中でしんどくなってもバスだと止まれないから……」

「それに騒がしいと思うぞ」

「そんなのいつもだし……大丈夫だから」

 幹部4人でそっと職員室を覗く。そこには椅子に座る蒼、そしてそれを取り囲むように小林、紀穂、そして蒼の母がいた。

「蒼、調子悪いから小林先生の車に乗って行くって話になったんだけど、めちゃくちゃ拒否ってんの。絶対先生の車の方がゆっくりできるのに……」

 3人の大人をここまで困らせるなんて、蒼にしては滅多にないほど珍しい。

『蒼くんのお母さん、久しぶりに見た……』

「ごめんなさい先生、夏バテが今年は特に酷いみたいで。そろそろ仕事行かないといけないので、あとはお願いしますね。また何かあれば電話……は仕事中だと出られないので、ショートメッセージでも。蒼、ちゃんと先生たちの言うこと聞きなさいよ」

「うるさい」

 蒼の母は、呆れたようにため息をついて、失礼します、とこちらの扉に向かって歩いてきた。慌てて覗くのを辞めたと同時に扉が開く。

「あら。あらあらあら、部長さんたちじゃない。あ、凛奈ちゃんも! 」

「お、おはようございます……」

「ごめんねぇ〜蒼ちょっと調子悪くて。ついでに機嫌も。わがまま言ったり八つ当たりとかしないように言い聞かせてるけど、ほんとなんかあったら全然怒ってね! じゃあ、私仕事があるので。凛奈ちゃん、またうち遊びにおいでね!」

 早口でそう言って手を振りながら忙しなく早歩きで去っていった。

「蒼ママって看護師さんだっけ」

「はい。うちの父と職場が一緒なんです。病棟は違うんですけどね」

「凛奈パパも看護師さん?」

「いえ、医者です」

「え、すっごいね……」

 そんな会話をしながら4人はもう一度そっと扉を少しだけ開けて中の様子を伺った。

「朝ごはん食べれてないんでしょう? 調子悪い時にバス乗ったら車酔いしちゃうから」

「それなら車でも酔うし」

「昨日の晩は?食ったのか?」

「……」

 母が退室したにも関わらず、未だに論争を続ける蒼。何故頑なにバスに乗らずに小林の車で移動することを拒否するのだろう。

「どうする、入ってみる?」

「いや、私たちが行ったところでなんか変わるわけじゃないし」

「失礼します」

「え、茉莉花!?」

 戸惑って入るか入らないかを相談していた副部長2人を横目に、茉莉花は突如堂々とその扉を開けた。

「小林先生。壮太と蒼くん以外全員揃ってます。いまトイレ並んでるので、あと10分ぐらいで出発できます。蒼くんのキャリーケース、トランクに積んじゃってよかったですか?」

「ああ、大丈夫。ありがとう」

 幹部4人、と言うより凛奈を見た蒼は、ばつが悪いようで顔を背けた。

「……あの、蒼くん、」

「……」

 何故いま自分と蒼との間にこんなにも気まずい空気が流れているのかを他の5人は知る由もない。

「ごめん、あの……大丈夫?心配で。バス、たぶん酔っちゃうと思うし、えっと、だから……小林先生の車に、乗せてもらったほうが……私が、心配だから、えっと、」

「……ごめん」

 蒼がぽつりとそう言葉を零すと、小林は区切りを付けるように小さくため息をついた。

「蒼。車に乗りなさい。何かあった時バスだとどうしようもできないから」

 先程までごねていた蒼は、了承したのかしぶしぶと荷物を持って立ち上がった。

「凛奈パワー、すご」

 ぽそりと囁いたユリカの言葉にも反応できず、重い足取りで小林よりも先に歩き出した蒼を目で追った。

「水買ってから駐車場行く」

 1度立ち止まって振り向かずにそう言った蒼は納得はしていないが小林の車に乗車するのだろう。

「他は全員揃ってるな? 発車前にもう1回全員いるか確認するように。特に1年生のバス。凛奈、頼んだぞ」

「う、はい……」

 思い出すのは前回の合宿の騒がしい車内。フレッシュな1年生ばかりが詰められた箱に放り込まれる2年生4人と小林。正直耳を塞ぎたいくらいだった。しかも今回は小林は自分の車でバスの後ろを移動をする。代わりに紀穂が同伴するが正直お世辞にも頼りになるとは言い難い。それは紀穂が教師としての振る舞いがなっていないだとか、そういったものではなく。北原中学校で生徒たちと1番年が近く、同時に湧いてくる親近感で友達感覚の距離になってしまうなんてことはよくあった。

『大丈夫かなあ……』

 蒼を追いかけるように早歩きで去っていく小林と紀穂を見送りながら、ため息をつく。

「凛奈、ほんと羽目外しすぎてたら叱っていいんだからね」

「そこまで言うなら代わってください……」

「それはちょっと、……ねえ?」

 苦笑いで顔を見合わせる部長たち。つまるところは絶対に嫌だという事だろう。

「……全然、いいですよ。先輩方は2、3年のバスでゆっくりしてください」

「あはは、ごめんね……」

 思いのほか自分の発言が嫌味を含んだ言葉になってしまい気まずくなる。

「もしほんとに酷かったら帰りは考えよう。ね?」

「……はい」

 行こう、と先程の蒼たちとは反対方向の昇降口に向かって歩き出した3年生の後ろを、重い足取りで歩く。

 1度足を止めて、振り向いてみる。もちろんそこにはなにもない。朝は慌ただしい事もあり、結局蒼とは話せていない。この2日の間できちんと話すことはできるのだろうか。

 そもそも、今回のホール練合宿で技術面だけでないことも含め解決することはできるのだろうか。たった2日で変わることはあるのか。蝉の鳴き声が聞こえ出す。まだ静かだった朝が、ついに本格的に日が照り始める。

 からりと乾いた日差しには合わないほど、凛奈の胸の中は不安でたまらなかった。

「じゃあ、よろしくね」

「はい。何かあればLINEして下さい」

 3年生3人と言葉を交わして、3人とは違うバスに乗り込む。既に騒がしい車内で、機嫌が悪そうな2年生3人が凛奈の方を見上げる。

「あはは……だよね」

 苦笑いをしながらマイの隣に座る。

「1年生ほんっとうるさい……」

「凛奈、出発する前に注意してよ。リーダーなんだから。さすがに京都までこのテンションは無理」

 口々に文句を言う2年生を横目に辺りを見渡す。よく見れば、騒がしいのは全員というわけではなさそうだ。

 璃星や茜、夢花は背もたれに身を預けてぐったりとしているし、逆にきゃっきゃとはしゃいでいる声を辿ればそこには春と花純が中心となってサポートメンバーが騒いでいる。他にも騒がしいポイントはサポートメンバーが中心だ。

 なるほど、コンクールメンバーとサポートメンバーの差が明確に出始めている。

 あの元気が取り柄な修斗や乃愛ですら日々の疲れが募っているのかうとうとと首を折り曲げる。しかし、ぎゃあ、と叫び声が上がる度にせっかく閉じた目が開かれてしまう。

 これではコンクールメンバーだけでなく、他の部員もおちおち眠れないだろう。ここは愛菜の言う通り、自分が注意するしかなさそうだ。

「お、」

 仕方なく立ち上がると、巫愛が驚いたような顔をする。

「みんな、聞いて〜」

 怒っている、とかそんな風にはしたくはないが話を聞いて欲しいので前に立って手を振ってみる。しかしもちろんそんな静かな合図では気付く部員はほとんど居ない。

 痺れを切らしたように、マイがパンパン、と手を叩く音が車内に響いた。騒々しい車内に一瞬にして沈黙が訪れる。

「ごめん、ありがと……。はい、そろそろ出発なんだけど……。こないだから思ってたんだけどね、1年生、もうちょっと車内は落ち着きましょう。中にはゆっくり休みたい人もいてます。バスの運転手にも迷惑です。合宿は遊びに行くわけじゃありません。もうちょっと自覚しよう。コンクールメンバーサポートメンバー関係ないよ」

 しん、と静まり返った車内。自分の声は、地声で先程のミーティングより低い声が出ている気がする。

「話すのは別にいいよ。でも、度を超えてたらバス走ってる時でも私もほかの2年生も注意するからね」

 数人、怯えたような目をする1年生がこちらを見る。なんだかその視線が嫌で、話を丸めて言い切って、そのまますぐに前を向いて座った。

「はぁ〜……」

 ズルズルと背もたれを辿って力が抜けていく。

「凛奈ナイス!」

 小声で通路を挟んだ隣からそう言う愛菜。首を振って気にするなと返答をする。

「マイ、ごめんね。ありがと」

「……いいよ、別に。リーダーなんだからもっとしゃきっとしていいと思うよ、今みたいに」

 不満そうに目を合わせずにそう言うマイに、正直に苛ついたが、何も言い返せずに笑うしかなかった。

「あんまり暗い雰囲気にしたくなかったから。ごめんね」 

 最近のマイの自分に対する態度が少し雑になってきた気がする。しかし、こんな時期でもある、いや、こんな時期だからこそぎくしゃくしたくない。関西大会を終えたらマイと話がしたい。しかし、受け入れてくれるとは限らない。というか、否定されて終わりそうな気がする。

 関西大会が迫っていると言うのに、相変わらず自分はコンクール1本に集中できず常に何かについて考え迷って悩んでいる。いつまでこの状況が続くのか、と小さくため息が出てしまう。

「……寝ようかな」

 そう言ってパーカーを肩に掛け、窓に(もた)れたマイをみて、うん、と返すしかできなかった。

 自分も今は何も考えずに眠りたい。そう思い、よく冷房の聞いた車内で目を瞑った。

「……なんなの、凛奈先輩。さっきまであんなおどおどしてたくせに、先輩いなくなった瞬間めっちゃリーダーぶってくんじゃん。そんな怒ることでもなくない?ね、桃」

 足をぶらつかせながら不満げに文句を言う花純。

「……」

 しかし、桃は不貞腐れた顔で黙っているだけだ。

「え、桃?聞いてる?」

「……聞いてるけど」

 なんだか不機嫌な桃が面倒になって、その手の話をやめる。そんな2人を斜め後ろの席から春が見つめていた。

「春、どうかした?」

「あ……ううん。なんでもないよ、都」

 あれから春と桃はまともに会話出来ていない。こんなにも長い喧嘩は初めてだ。花純にも敵対視され、今は都と行動を共にしている。

「楽しみだな、合宿」

「……そうだね」

 後ろめたい気持ちがあるのは事実だ。しかし、都と過ごす方が気持ちが楽なことに薄々気付いてきていた。渡された片方のイヤホンを左耳につけると、県大会の北原中の演奏が流れていた。

成宮壮太『夕方の合奏から必ず参加します』

 真緒は、早朝の5時に来ていた弟からのLINEを眺め、そして返信をせずに電源を落とす。

「……最悪」

 真緒の隣の席には誰も座っていない。通路を挟んで隣の修斗と圭介もぐっすりと休んでいる。

 一方その頃───

「少しでも具合悪くなったりしたらすぐ言いなさい」

「……」

 バスが発車の準備を終えたらしく、ようやく後部座席に座った蒼は無言を貫く。

「冷房つけてるけど寒くないか?ほら、膝掛け」

 そう言って手渡したブランケットは、今ではもう見ない少し昔のアニメのキャラクターのデザインだった。

 蒼は受け取った後にそのブランケットを見つめて、顔を歪ませた。

「……子供扱いしないでください」

 そう言って、少し泣きそうな顔で顔を逸らした。気遣いの仕方を誤ってしまったと感じた小林は、ふ、と小さく息を吐いて、出発するから、と声をかけて運転席に座ってシートベルトをした。

 不穏な思いや不安なこと、各々の部員が何かしらを抱えたまま、北原中学校吹奏楽部は京都の諸星学園へと出発した。

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