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北原中学校吹奏楽部  作者: 星野 美織
挑む、関西大会へ
420/423

青い悩みは

 ホール練合宿の前日。入浴を済ませ、寝る前に部屋でだらだらと合宿の荷物を詰めていると、凛奈の携帯に1本の電話がかかってきた。

「……蒼くん?」

 画面には"アオイ"の文字。慌てて手に取りもう一度きちんと確認すると、蒼ではなく琉叶だった。

「なんだ、琉叶くんか……」

 ためらいもせずに、すぐに電話をとった。

「もしもし、琉叶く……逢生くん? どうしたの?」

 パッキングを中断してベッドに飛び込んだ。

《ごめん、急に。あのさ、宿題のことで聞きたいことあるんだけど》

「宿題?」

《そ。作文系のこと聞きたくてさ。宿題載ってる紙なくしちゃって。ほら、学校から作文用紙配られただろ? 指定の。あれって人権作文?税の作文?あ、読書感想文だっけ?》

 夏休みの課題が記載された紙を紛失するのはよくあることだ。昨年失くした凛奈は、今年は失くすまいとあらかじめ壁に貼り付けていたのだ。

「人権作文だよ。読書感想文の作文用紙は各自で準備。あと、人権と読書感想文は強制だけど税の作文はやりたい人だけでいいよ」

《そうだっけ。でもあれだろ? 書いたら社会の成績に反映される》

「そうそう。まあ、私は書く余裕ないからやらないけど……」

《そっか。吹部忙しそうだもんな》

「……うん。って言っても男バレも毎日練習してるよね」

 忙しいのはお互いだとは思うが、発した言葉通り凛奈には必要最低限の宿題以外をする余裕も気力もない。無意識に溜息をついた。

《あ、もしかしてなんかしてた? ごめん急に電話かけてきて》

「えっ、あ、いや、ごめん。今の溜息めっちゃ無意識。電話かかってくる前はぼーっとしてた」

 電話をスピーカーにして、宿題の一覧をカメラにおさめてまたベッドに沈み込む。

《あはは、こんな時間に?》

「んー、ちょっとね。……いま宿題中なの?」

《ん?そうだよ》

「え、ごめん。集中できないよね。切った方がいい?」

《なんでだよ、俺からかけたんだからいいじゃん》

「ちなみになんの宿題?」

《税の作文》

 琉叶の真面目な返答に思わず吹き出した。

「えっ、あははは! おかしいでしょ。税の作文は自由課題なんだから普通読書感想文か人権作文からでしょ。てか、電話しながらほんとに書けてるの?それ」

 笑いのツボにはまって腹を抱えて笑った。

《……やっと笑った》

「え? 何言ってんの、さっきから……」

《無理して笑ってんじゃん、ずっと。この電話も、仲直りした日も愛想笑いだったじゃん》

「……そんなことない」

《んー、じゃあ、あれだ。疲れてる?それか……悩んでる?》

「……」

 2年生になってから、限られた人物の前でしか弱音を吐かなかった。疲れは確かに取れないが、これと言った悩みがあるわけではない。と言うより何に悩んでいるのか未だによく分からない。

 良く考えれば、話し相手は電話の先で、自分の表情なんて見えやしないのだから口角を上げる必要なんてないではないか。

「……無理してないよ。でも、本音を言えばね、疲れた」

《うん、そんな気してた。俺、初めて喋った時からずっと疲れてるイメージしかない》

「……嘘でしょ」

《嘘じゃねえよ》

「……」

 返す言葉が見つからずに黙り込んでしまう。何か言わないと不審がられてしまうのは分かっているがなんと言えばいいのかわからない。

《泣くなよ》

「えっ、別に泣いてない」

 思わず起き上がって慌てて否定する。少し笑ったような声が聞こえて、琉叶はこう言った。

《嘘だろ》

「嘘じゃないよ」

《じゃあ、無理すんなよ》

 ずっと胸の中で沈んでいたなにかが少しだけ軽くなっていく気がする。琉叶相手に話していると、気を使わずに話せている気がして、そういえば吹奏楽部以外の誰かと話すこと自体が久しぶりであることに気付いた。

「……ありがと。なんか、大丈夫な気がしてきた」

 無駄な疲労感もなく、力を抜いて話せる。じわりと温かくなった心に、少しだけ笑えたような気がした。

《大丈夫なら、いいよ。困ったり辛くなったらいつでも俺に言えばいいし》

「……優しいね。ありがとう」

 優しい彼の言葉に、言葉が素直に出た。

「そうだ、数学。わかんないとこあるから教えてよ。二次関数わかる?」

《え、なんで俺に聞くの》

「困ったらいつでも言えって今言ったとこじゃん」

《勉強は無理だよ》

「えぇ〜?」

 中身のない会話を繰り返し、久しぶりにゆったりとした時間を過ごせている。そのうち電話を繋いだままパッキングを再開した。物音に勘づいて尋ねられて明日から1泊2日の合宿があると伝えると、琉叶は慌てて声を上げた。

《おまっ、馬鹿! 早く言えよそれ。長電話しちゃったじゃん》

「えー? いいじゃん電話してても」

《合宿とかめちゃくちゃしんどいんだから、休める時に休んどけ》

 楽しくて、ほっとして、どこか嬉しくて。本音を言えば新しいこの友人ともう少しだけ話をしたかった。

《早く寝ろ。自分はそうは思わなくてもいつの間にか疲れは溜まってるもんだから》

「……うん、そうだよね。わかった。荷物まとめ終わったし寝るね」

《それでいいよ。俺は凛奈がいいならいつでもかけてきていいから》

「うん。じゃあ、おやすみ」

《おやすみ》

「《……》」

 お互い電話を切るのを遠慮し合って、沈黙が数秒続く。思わず吹き出して、じゃあね、と言って、また遠慮し合う気がしたから今度は自分から電話を切った。

「……はあ。なんかすっきりした……」

 別に何かが解決した訳でも、進展した訳でもない。それでもなんだか力を抜くことができたのは、琉叶との何気ない会話だった。

 悩んでいたけれど、これ以上悩んでも仕方がない気がして、なんとかなるだろうとベッドに倒れ込み、携帯を放り出してしばらく目を瞑った。

 ふと携帯を再び手に取ると、数件のLINEの通知が目に入った。名前を見ると、また"アオイ"。琉叶は電話中になにか送信したのか。その通知に触れて、トーク画面を開いた。

「……え?あ、……」

 アイコンはまた琉叶とは別の、見慣れたものだった。

 琉叶ではなく蒼だった。

『夜にごめん』

『いま電話できる?』

 丁度琉叶と電話を始めた1時間前に来ていた、2件のLINE。そしてその後、2件の不在着信。

「え、うわ、既読つけちゃった……」

 不在着信から20分。トーク画面を開いている状態で、たった今ひとつだけ短いメッセージが届いた。

『ごめん』

 本当に短い、たった3文字。彼が一体どんな気持ちでこの3文字を自分に送ったのだろう。それでも不在着信からのこの20分の間に、悩んでいたのだろう。そんな気がして、それでも何に対して謝っているかもわからず、返信に困ってしまう。一昨日の昼の出来事になのか、2回も電話をかけたことに対してなのか。

『ごめん、友達と電話してた』

『どうしたの?』

 出来るだけ平然を装って、この3文字の意味を尋ねようとした。すぐに既読はついて、それでも返信はすぐに来ない。アプリを閉じ、適当にTwitterを開いてみる。しばらく経って、ようやく返信が帰ってきた。

『一昨日酷いこと言った。ごめん。』

『また明日話すからおやすみ』

『返事しなくていいよ』

 夜遅いため気をつかっているかの最後の一言。返信はなくていいとは言われたものの、既読をつけておきながらなにも言わない自分に気が引けて、わかった、おやすみとだけ送って電源を落とした。なんだか自分の話す隙を与えてくれないようでもやもやとしてしまう。一見仲直りをしたように思えたが、違和感が消えることなく凛奈は部屋の明かりを消して、ベッドに沈みこんで目を瞑った。

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