壮太のせかい
「じゃあ、明日は午前にコンクール練習で。イレギュラーな形になるけど、今日も帰ったらしっかり休むように。もちろんサポートメンバーも体調管理しっかりすること。今日はちょっと早いけど練習これで終わりにします」
「ありがとうございました」
「「ありがとうございました」」
練習終わり。凛奈の心臓がばくばくと飛び跳ねていた。ちらりと左側を見ると、同じく緊張した様子の壮太が立ち上がり、茉莉花たちは心配そうにそれを見守っていた。
「はい。片付けの前に───もう1つ。みんな座って。壮太、こっちこい」
部員たちの視線は壮太へと集中する。それもそうだろう。何故1年生が呼ばれて前に立つのか。巫愛と愛菜は驚いたように目を合わせ、真緒は相変わらず納得がいっていないのか壮太を睨みつける。何人か勘づいてざわつく部員たちに、前に立つ彼はどんどん萎縮する。
気付けば端に部長と副部長が集まっている。スタンドに楽器を刺して凛奈もそこへ向かう。
「……頑張れ、壮太……」
ユリカは無意識に手を組む。今からなにを話すかを知っている人間としては、思わず力んでしまう。
言葉が出てこずに続く沈黙に、目をぎゅっと瞑って拳を握り、充分に冷房の効いた部屋で冷や汗を流す。遠くからもわかるほど顔色の悪い壮太が心配になる。
口を開くが全身が震え、声が上手く出ない。そんな壮太の背中を軽く押したのは、小林だった。
「はい、私語はやめる。前に立ってる人の話を聞く姿勢」
「せんせ、」
肩で呼吸する壮太は小林を凝視した。
「待つから。ちゃんと話せ。まったく……前髪が長いからこんな事になるんだよ、切りなさい」
汗で張り付いた前髪を小林がわける。整った眉毛まで見える壮太の素顔は、なんだか新鮮だった。
壮太は少し落ち着いたのか深呼吸して、それでもまた時間をおいた。
「……僕は、」
ようやくか細い声を出した。壮太は正面の誰かの目を見るわけでもなく、目を伏せて、その瞳は泳いでいた。そしてついに、話す覚悟が出来たのか、ふ、と息をついて、真っ直ぐ前を見つめる。
「僕には、……"成宮壮太"と言う名前と、小学校6年生の、秋から、もう1つ───"穂澄 陽真"と言う名前が、あります」
「……穂澄、」
「陽真……?」
聞き覚えのない名前に当然のようにざわつく周りに、不穏な空気が流れる。きっと、"穂澄陽真"は、彼の俳優としての名前だ。
「どういうこと?」
「もう1つの名前って……」
「……ごめんなさい、急にこんなこと、言われても、ですよね、えっと、……。この名前は、その……───あの、ごめんなさい。ぐちゃぐちゃになってしまうかもしれないんですけど、僕の言葉で聞いてください。すみません」
いきなり言葉を仕切らせたような壮太に、騒然としていた場は静まり返る。
「……すみません。えっと……僕は小さい頃、子役をしていました。あんまりお仕事は貰えなかったけど、お芝居が大好きで。もともと、芸能活動は小学生までって言う期限付きで始めたから、小学校低学年の頃に引退して、葉月市に引っ越してきました。そこで出会ったのが、マーチングでした」
口調が変わった。話し方だけではない。目つきも変わる。あの朝、凛奈と会話した時と同じ口調だった。他の部員たちもそれは感じ取っていたようで、いつもと様子も雰囲気も違う壮太に圧倒されていた。
「僕は子役時代、僕の演技が認められることは無かった。でも、マーチングの先生はプレーヤーとして、パフォーマーとして僕のことを使ってくれて。きっと僕に演技は向いてなかったんだ、本当の居場所はこっちなんだって思わせてくれました。小学5年生になってから、マーチングリーダーっていう立場になって、葉月第二が"奏"という吹奏楽のドキュメンタリー番組で密着を受けることになりました。そこでちょっとだけインタビューを受けたり、自分のパフォーマンスが放送されたり……そしたら、その放送をたまたま見ていた芸能関係の方から声をかけていただいて。芸能界に興味ないかって。それが、6年生の夏……マーチング県大会が終わった頃でした」
いまこの場になって聞こえるのは、壮太の凛とした声と、真夏の鳴き止まない蝉の声。少しざわついていた音楽室も、今は衝撃的な壮太の話に釘付けだ。
「本当に悩んで……これだけ悩んでいたら事務所の人も呆れてなかったことにすると思ってたのに、何ヶ月も返事を待ってくれて。真緒にも言ってなかった話です。僕は悩んで、時には両親と真剣に話し合って、喧嘩もして……。自分の未練を自覚しました。それから、マーチングの全国大会が終わった翌日に、アキハラエンターテインメントに所属することになりました」
「アキハラって……うららちゃんと同じところだよね?」
「元Jr.のハラケンが就職したよね確か」
また音楽室がざわめく。あまり芸能界に詳しくないため凛奈にはよくわからないが、元天才子役であり、現役女子高生女優である"うららちゃん"が所属しているということは、おそらく大手の芸能事務所だろう。
「……すみません。話が長くなってしまいました。結論は、僕、成宮壮太は吹奏楽部に所属しながら"穂澄陽真"と言う俳優の活動をします。それから、これはまだあまり人には言わないでほしいんですけど……10月からの月9にレギュラー出演するために、お盆休みから撮影が始まっています。コンクールメンバーであり、こうすることで色んな人に迷惑をかけて、部員のみんなにとても失礼な事だとはわかっています。これから練習に参加出来ない日も増えてきます。それでも、どっちも頑張りたい。関西大会でみんなと吹きたいし、僕のわがままなことはわかっています。でも、どうしても、音楽がしたい。ごめんなさい。こんな僕ですが、許してくださったら嬉しいです。俳優も部活も、精一杯頑張ります。よろしくお願いします」
頭を下げた壮太の手は震えていた。誰か1人が拍手をし始め、それに合わすように沢山の拍手が鳴った。
顔を上げた壮太は安堵したように目に涙を溜めていて、表情は"壮太"そのものに戻っていた。
壮太の生きようとしている世界は、凛奈や他の部員たちとは少し違う。自分には程遠い世界に、部員たちは頷くしかできなかった。
「はい、じゃあ壮太は席に戻って。いまから少しだけ、SNSの使い方について幹部からお話があります。凛奈ちゃん、これ、配ってくれる?」
「あ、はい!」
壮太が席を戻ったところで幹部たちは、SNSやネットについての規則をもう一度部員たちに説明した。
今の壮太の情報は絶対に吹奏楽部内でとめておくこと、SNSに北原中学校に芸能関係の仕事をする生徒がいることなどを発信しないこと、それらを一からみっちり説明した。
「……くだらない」
席に戻ろうとした壮太と真緒が対立する。冷ややかな目で壮太を見る真緒は、ぼそりとつぶやいて立ち上がった。
「真緒、どこいくの」
「帰る」
修斗の声に見向きもせず、真緒は楽器をケースに入れて、かばんに荷物を詰め込んだ。
「まだミーティング終わってないって! 真緒!」
小声で呼び戻そうとする修斗。しかしその声も虚しく、真緒は音楽室を去ってしまった。
「修斗、ごめん」
「壮太……」
「僕が、悪いから」
その様子を前から見ていた凛奈は、どうするべきかを悩んでいた。




