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北原中学校吹奏楽部  作者: 星野 美織
挑む、関西大会へ
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煩悶の中の覚悟

 昼休みが終わり、午後の練習はコンクール練習になる。練習が始まる前に小林と茉莉花を捕まえ、先程の愛菜と巫愛との話を全て説明した。

「「……」」

「……どうしましょう。愛菜たちが、昨日同じ番組を見てた子が他にもいたら鋭い子なら気付いたかもって。昨日の騒ぎもあるし……」

「SNSで広まってしまえば収集つかないし……かと言ってこれ以上ネットの使い方に部員たちに規制かけたら余計怪しまれるよね」

 凛奈と茉莉花が頭を抱える中、平然とした様子の小林を2人は不思議がった。

「広めてはいけない内容はドラマのキャストを含めた情報だろう。壮太が俳優業をすることを黙っておく必要はないはずだ。……まあ、壮太が嫌がらなければ、の話だがな」

「でも……」

「大丈夫。また騒ぎにならないように職員側も対処している。昨日の会議はそのための会議だったんだから」

 その小林の言葉に、茉莉花は少しだけ安心したのか肩の力が抜けた。踵を返して、音楽室へと足を向けた。

「……壮太呼んできます」

 職員室前の階段を登っていった茉莉花を横目に、小林は考え事をするように目を伏せた。

「騒ぎにはならなくても、黙っている時間が長ければ長いほど、信頼が薄くなる」

「え?」

「壮太がドラマの撮影で練習を抜け出して、十分に参加出来ていないのは事実だ。お前は今その参加出来ていない理由を知っているからいいかもしれないけど、それこそなにも知らない部員からすれば疑問でしかない。それで今まで黙っていたけど実は陰でこんなことをしていました、って大会の直前に知っても、何故もっと早く言わなかった?って思うだろ。……しかも、それだけじゃない。想像してみろ。おそらく、例えば花野は練習にあまり顔を出さない壮太をよく思わないだろう? ……それが理由を知っていたとしても、あいつならきっとそれを許さない。そう言う奴がいてもおかしくないんだ」

 凛奈の不安がじわじわと確信に変わっていく。

「……でも、そうなったとしても、これは壮太の自己責任ですか?」

「いや。俺の責任でもあるな」

「え?」

 思っていた返答とは違っていた。何故小林が責任に関与しているのか。

「1年生のコンクールメンバーオーディションをする時に、真っ先に壮太は俺のところに来たから」

「コンクールのオーディション、辞退させてください」

「……どうして」

 3ヶ月前、1年生の間でコンクールメンバーを決めるオーディションを行なうと発表した直後に職員室に乗り込んだ壮太。デスクでコーヒーを飲んでいた小林の手が止まる。

「……」

 口を開けて声を出そうとするが、きっと上手くまとまらずいるのだろう。

「……ドラマのレギュラー出演のオーディションを受けます」

「……は?」

 普段は冷静沈着な小林も、この言葉には自分の耳を疑った。成宮姉弟は揃って言葉を出すのに時間がかかる印象だった。だからコーヒーを飲んでその辺にある授業資料を確認する素振りを見せていた。しかし、唐突な壮太の言葉に意味がわからないまま、壁にかけられた相談室の鍵をかっさらって壮太の背中を軽く押して職員室を出た。

 ドラマ?レギュラー出演?オーディション? 今自分の後ろを歩く少年は物静かなただの男子生徒のはずだ。聞き間違いにしては多すぎるにも程がある。

 訳もわからないまま相談室に入り、ソファに壮太と向き合って座った。

「え、待て、なんて言った?」

「小6の*マー(きょう)の全国大会が終わったくらいから芸能事務所に所属していて。基本的に学校にも部活にも影響が出にくい声優を少しだけ仕事貰ってたんですけど、そろそろ本格的にドラマのオーディションを受けないかって」

「それはつまり俳優として……ってこと、だよな? エキストラとか声優じゃなくて。って、ドラマは声優ではないか……」

 本当に困惑している小林を見て、壮太は申し訳なさそうに俯く。

「え、ちょっと待って。芸能事務所に所属しているって言うのは、学校に言ってるのか?」

「……」

 都合が悪そうに、目をそらす壮太に、今度はため息が出てきた。

「はぁ……。あのな、こういう事は担任の先生とか、学校にはちゃんと言わないとだぞ。何かあったらどうするつもりだったんだ。芸能関係の仕事で学校を休まざるを得ない時に急に言うつもりだったのか? もし体育大会だとか行事と被ったら? 定期テストを受けられなかったら? なにも言わずに休めば補習にだってなりかねない。なんでそんな大事なこと黙ってたんだ」

 呆れたように天を仰ぐ。壮太はと言うと、俯いていて長い前髪で目元が隠れていた。

 目の前の"成宮壮太"という生徒と"俳優"という職業が小林の頭の中で上手く結びつかなかった。───しかし、大前提として教師は時に生徒に夢を与え、時に将来を支えるもだ。意外だなんて思考はどうでもいいのだ。

「で、事務所に所属してるって言うのはちゃんと言うつもりだったのか?」

「……真緒に、」

「真緒?」

「まだ言えてないんです」

 ついに小林は両手で頭を抱えた。成宮家は一体どうなっているのだ。

「どうするつもりだったんだ」

「真緒に言えないまま半年が経ってしまって。怖くて、言えなくて」

「怖いって……。姉だろ。怖いもなにもないだろう」

「……先生、……」

 どうやら壮太にはまだ隠していることがあるようだ。こちらを向いた彼の長い前髪のすぐ真下にちらつく瞳は、ゆらゆらと不安げに揺れていた。

「どうした」

「……僕が芸能活動をすれば、真緒に影響ありますか?」

 なんとも言えない質問に、眉間に皺がよった。

「どういうことだ? そもそも真緒は芸能活動しないってことか。……いきなりはないとは思うけど、いずれかは出てくるんじゃないか。……俺も教員をしてきた中で芸能関係についている生徒はいなかったからわからない」

 壮太は震える手にもう片方の手で重ねた。壮太の恐れる原因はないはずだ。ふと、彼の左頬に散りばめられたようないくつかの黒子(ほくろ)が気になった。男子中学生にしては白すぎる肌に、その4つの黒子はとても印象的だった。

「……壮太、お前、……もともとなんかテレビとか出てたか?」

「えっ、……」

 どうやら図星のようだ。壮太が動揺して顔を上げた隙に、壮太と小林の間に置かれた机に身を乗り出して、壮太の前髪を思い切り生え際まであげた。

「せ、せんせ……」

「ああ、そうか。そういうことか。ははっ。なるほどな。思い出した。お前子役してただろ」

 何故今まで気付かなかったのだろう。子役の名前は思い出せないが、ドラマで見たこの特徴的な黒子には覚えがあった。

「"スイレン園の子供たち"に出てただろ」

「っ!……なんで、わかったんですか」

 小林が思い出したのは、7年ほど前の深夜帯の30分ほどのドラマだった。児童養護施設で新たに保護をすることになった子供を演じていた。当時、教育研究も兼ねてこのドラマを録画し、何度も何度も見返していたのだ。

 その時、目に止まったのが兄弟と一緒に保護された幼い男の子だった。他の子役とは違い、あまり演技とは思えず、かと言って入り込んでいるわけでもない自然すぎる演技を見せていたのだ。やれと言われたからやっているわけでも、飛び抜けた演技力がある訳でもない。子供なんて所詮そう言ったものだと思っていた。

「名前は忘れたけど、今でもそのビデオテープ、探せば出てくると思う。はは、そうか。あの時の……おっきくなったんだな」

 子役をしていた時に出会ったことはもちろんない。一方的に知っているだけだ。何故か懐かしい気持ちに、前髪をあげた手を離して優しく壮太の頭を撫でた。

「なんで、っ、僕のこと、覚えてるんですか……。誰も、知らないと、思ってたのに」

 頬を赤く染めながら、静かに涙を流す彼は、確かに美しいと感じた。

「俺も今思い出したから。あの時の子だって」

「……"野咲"、……"壮真"です。子役の時の、名前」

「そっか」

「それで、……真緒も、子役、してて……」

「……そうか」

 そこから少し落ち着いてから壮太はコンクールメンバーのオーディションを受けないつもりでいる理由を一から説明した。

 自分は子役をしていたが、小学生になった頃に芸能界を引退したこと。子役時代に仕事はそこまでたくさん貰えていなかったが、自分よりも人気知名度もあり、仕事も多く与えられていた双子の姉の"鳴宮 真子"に対して、幼いながらに劣等感を抱いていたこと。自身の両親のこと。当時、鳴宮真子と双子であることや、両親が鳴宮壮亮、野咲耀子であることは公表してはいなかったものの、世間には勘づかれてネットにも書き込みが残っていること。去年のマーチングの中でのダンスやパフォーマンスでの表現力が関係者の目に止まったのがきっかけで、事務所にスカウトされたこと。芸能界に未練があり、両親との話し合いの末、俳優を本気で目指すようになったこと。本当は吹奏楽部には入らずに、俳優業に集中するはずだったがどうしても真緒を1人にするのが心配で一緒に入部したこと。そして……もし次にドラマのオーディションに受かり、部活でもコンクールメンバーになり、関西大会に進出することになったら、関西大会での練習に大幅に影響が出てしまうこと。

「お前が俳優業に対して本気なのはよく伝わった。……ドラマのキャストに、合格する前提で話を進める、ってことでいいんだな?」

 その言葉に、壮太は顔をあげた。

「はい。絶対に僕は受かります。それだけは、自信があるから」

 壮太の言葉には決意が示されていた。彼の手は、既に震えてなどいない。

「……そうか。それで、コンクールメンバーのオーディションは辞退する、という事なんだな」

「はい」

「本当にいいのか?」

「……はい」

「後悔しないんだな?」

「……」

 きっと壮太は両立をさせたいはずだ。彼の中できっと優先順位は決まっている。しかし、最優先以外のものへの扱いに困惑している。そんな印象を受けたのだ。

「───お前のやりたいことを、好きなようにやれ。それで批判するやつがいれば、お前が実力で返したらいいから。困難になった時は、なった時に考えろ。人生の選択肢を勝手に減らすな」

「……でも、」

「あくまで、お前がドラマのオーディションもコンクールメンバーオーディション、両方受かった場合の話だ。……例えばの話だから自信があるならあまり言いたくないが、ドラマが不合格でコンクールメンバーにもなれなかったら」

「……」

「まあ、まだコンクールメンバーになれるとも決まったわけてもないがな」

「でも、……迷惑かけるじゃないですか」

「大丈夫、お前が本気なら。お前は本気になれば、何事にも精一杯になれるはずだろ。俺は知ってるから。もちろん、部活と学業以外のことをするなら条件がある。勉強をおざなりにするな。妥協するな。部活も俳優業も、学業を優先することを忘れたら、俺は容赦なく落とすからな。もちろん、演奏の実力が追いついていなくても、だ」

 コンクールメンバーも役者も、経験者だからと言って絶対に合格するものではない。それはきっと、壮太も理解はしているだろう。

「……わかってます。僕は、絶対に手を抜きません。部活も、勉強も、俳優も。頑張ります」

 コンクールメンバーオーディションも、俳優業も。どちらも挑戦することに決めて、少年は覚悟して、立ち上がった。

「……関西も、ドラマも、どっちも叶いました」

「おう」

 小林と凛奈の元に戻ってきた茉莉花と、その後ろをつけて曇った表情で歩く壮太。どちらも壮太の本望だったはずが、予想だにしなかった騒動で疲れきっているようだった。

「壮太、どうしたい。お前が望むならコンクールメンバーから外すこともできる」

「外すんですか」

 小林の言葉に動揺したように反応する茉莉花を見て、壮太の表情が歪むのがわかった。

「そうなってから考えようと言ったのは俺だ。だから壮太が、自分のしたいように決めればいい」

「僕は……」

 凛奈、茉莉花、そして小林の3人の視線は壮太に集まる。判断に困惑しているのか、彼の腰の辺りで組まれた両手に1粒、2粒と汗が滴り落ちる。落ち着きなく指を動かし、ただただ数秒が流れる。

「……茉莉花先輩は、僕が降りた方がいいと思いますか」

「えっ、」

 急な問いかけに茉莉花は勢いよく顔を上げる。

「わ、私は……みんなで出たいよ、コンクール。せっかくオーディション受かったんだし、関西進んだんだし……次こそは全員で演奏したい」

 壮太の指の力がぐっと強くなる。

「これは私のわがままかもだけど……。こんな先輩でごめんね、困らせちゃって。でも、壮太が仕事に集中したいなら、私は応援するよ」

「 僕は、……たくさん、迷惑かけちゃうんですけど、……出たい、です。関西に、僕もコンクールメンバーとして出たい。迷惑かけるし、コンクールメンバーにも1年生のサポートメンバーにも失礼になるかもしれないけど、頑張りたい」

 壮太は本音を恐る恐る口に出した。言い切ったあとに、壮太の肩の力が抜けて、彼の頬の黒子の上を涙が一筋流れた。

「……そっか。そっかぁ、よかった。ありがとう、壮太」

「いえ、こっちこそ……。小林先生、僕はどっちも頑張りたいです。……よろしくお願いします」

「先生、私からも、お願いします」

「お、お願いします」

 壮太と茉莉花が小林に頭を下げ、凛奈も慌てて下げる。

「……」

 しかし彼はすぐに返事をしない。たったの数秒間が長く、ごくりと誰かの喉が鳴る。

「……わかった。顔を上げなさい。壮太。教員には、生徒の将来を支える義務がある。同時に生徒のしたいことを応援することも。……だから、あの時のそのままの約束だ。お前のことは俺たち教員が守る。だから人生の選択肢を勝手に減らすな」

「じゃあ……!」

「仕事も部活も、無理しすぎないように」

「ありがとう、ございます……!」

 勢いよくまた頭を下げる。長い前髪が垂れて、顔と前髪の間からいくつもの水滴が落ちる。きっと汗なんかじゃなくて、涙だろう。

「……その代わり、条件、というか、壮太がドラマの撮影も部活もどちらもするなら、やらなければいけないことがある」

「やらないといけないこと、ですか」

 顔を上げた壮太と、茉莉花と凛奈が顔を見合せた。

「部員たちへの、説明だ」

*マー協…日本マーチングバンド協会の略称。毎年夏から年末にかけてマーチングのコンテストを開催している。

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