これからのこと
茉莉花の話したかった内容は、今後についてだった。
「ちょっとね、凛奈ちゃんが小学校に楽器借りに行ってる間に3年生でミーティングしてたの。ミーティングの内容としては、関西大会と文化祭───つまり、私たち3年生の引退に向けて。この2つ」
ミーティングの内容は想定していたよりも多かった。これからは文化祭の練習と関西大会に向けての練習を同時進行で行っていくこと。学校からの許可を得て練習時間が延びたこと。文化祭は例年とは違い、メンバーを入れ替えて演奏をすること。そして、3年生の受験に向けて、3年生が不在の日が続くこと。どれも今までのような練習環境ではなくなることを意味していた。
「それで、3年生全員がいない練習とかこれからたくさん出てくると思うの。模試とかオープンスクールとか。……わかってるとは思うし、心配はしていないんだけど、その時みんなが頼りに出来るのは凛奈ちゃんだけだから」
そう言いながらも、茉莉花の目には心配の色が浮かんでいる。
「1日中1、2年生だけの練習の日も出てくるかもしれない。まだオープンスクールとか模試とかの状況を把握してないからわかんないけど。もしそうなったら、出席点呼も、朝のミーティングも、練習予定を組むのも、部屋割を決めるのも、全部凛奈ちゃんが1人でやらないといけなくなっちゃう。……私が2年生の頃はそんなことまで1人でしていなかったから、申し訳なくて」
「茉莉花先輩……」
「本当はこういうのは部長副部長が分担したりしてすることなの。でもほら、この時期は凛奈ちゃんはあまり考えてないかもだけど、他の2年生たちは誰がどの役職になるかでそわそわしたりすると思うから、例えば誰かに合奏の指揮を頼むと次の合奏リーダーはあの子かなとかそういう話になっちゃうから……敏感になりやすいこの時期にそういうことしちゃうのはよくないって先生に言われて。だから、凛奈ちゃんにまかせたい……まかせる。それでもいい?」
不安なのは恐らく凛奈だけではなくきっと茉莉花を始め、奈津もユリカもそうだ。それでもまかせると決断された以上、こちらも覚悟を持って挑む必要があるだろう。
「はい。頑張ります。……でも、茉莉花先輩がいない日でわからないこととかあったら、聞いてもいいですか?」
「もちろん。ありがとう、凛奈ちゃん」
ごめんね、と凛奈の右手をとった彼女の両手は手入れが行き届いていてさらさらとしていた。
今までと違う結果として関西大会へと進むということは、今までとは違う形の活動をしなくてはいけない。
「みんな不安だと思うけど、私も頑張るから。よろしくね」
不安だとか心配だとか、そういうものがあるのは茉莉花だって同じはずだ。
はい、と返事をすると茉莉花はまたありがとう、としおらしく微笑んだ。
「あとね、……もう1つあるの。これは他の子には話さないで欲しいんだけど」
話は終わりだと思って立ち上がろうとしたが、その一言でまたストンと座り直す。
「凛奈ちゃん、Twitterやってるっけ」
「あ、はい。一応親に投稿するのは止められてるんですけど、見るだけでやってて」
「けっこうね、北原のこと書かれていたんだけど。あ、もちろん誹謗中傷とかじゃなくてね。その中で、いくつかデマというか……関係なさそうな書き込みあったと思うんだけど、見た?」
「あ、はい。うちの部に元子役がいたってやつですよね。どう言うデマなのかいまいち……」
その言葉になんだか微妙な反応を見せる茉莉花に、なんだか変な予感がしてしまった。
「その……まさにその事なんだけど。───壮太がね、今日私たちのところに来たの」
「壮太? え、どういうことですか」
「驚かないで聞いて欲しいんだけど。実は……壮太、子役をやってたらしくて」
「えっ!?」
しっ、と人差し指を立てられて思わず口を手で塞ぐ。
「小学生になってからは学業に専念するために芸能界引退してたみたいなんだけど、今度のドラマあるでしょ? 岡元涼主演の。それに出ることになって……というか、俳優として再デビューするって。それで、もうオーディションにも合格していて、若手俳優の番組のレギュラー出演も決まってるらしくて」
いろいろ情報が追いつかずに口が開いたままになる。壮太、あの壮太が? 凛奈の知っている成宮壮太は大人しくて、口数が少なくて、文庫本をいつも持ち歩いている物静かな少年だ。たしかに鼻筋は通っており、長い前髪が勿体ないほどの綺麗な平行二重のまぶたで誰もが認める美形だ。成長期が早いのか、入部したての頃よりも身長が伸びていつのまにか3年生の男子と同じくらいの背丈になっていた。しかし、"俳優"という職業と、"成宮壮太"という少年が凛奈の頭の中で全く結びつかない。身近に芸能人がいないから尚更だ。
「えっ……それ、私が知っちゃって大丈夫なんですか」
「あ、これを知ってるのは今のところ先生と幹部と、ユーフォチューバだけだって。ほんとはまだ番組とかドラマの解禁されてない情報だから言ったらだめみたいなんだけど、これから撮影で半日か1日中休むことが増えるから、ってことで本人から聞いて。コンクールの期間だけじゃなくなると思うから、凛奈ちゃんにも伝えておかないとって思って」
「あ、そっか……いまから撮影始まるなら、練習とかなかなか参加できなくなりますよね。しかもドラマ撮影とか東京のほうじゃないですか……?」
「番組は関西限定の放送だし、撮影も基本的には関西の方なんだって。神戸って言ってたかな……?」
「そうなんだ……」
なんだか現実離れしたような話に、驚きの表情を隠せない。
「でもなんで突然……しかもこの時期に」
「ほんとはね、ずっと決まってたんだって。6年生の終わりには事務所も正式に入っていて。でも、真緒が部活がしたいって。吹奏楽がしたくて、今はおじいちゃんおばあちゃんの家で暮らしてるんだって。壮太自身も演技の勉強とかしたくて、そういう準備もしてたんだけど、真緒のことが心配で一緒に入ったみたい。……これはたぶんだけどね。たぶん、真緒は小学校の頃のバンドでいろいろあったんじゃないかな。それで心配だったんだと思う。壮太自身も凄く迷ってて、ほんとに悩んで悩んだ結果がこの両立なんだと思う。部活も仕事も、どっちも頑張りたいって言ってたから。これから大変だろうけど応援してあげたい」
「すごいですね、なんだか。……部員にはこの事言わないんですか?」
「うん……もしかしたらあんまりよく思わない人も出てくるかもしれないし、なにより今は情報社会だからね。これから壮太も私たち吹部も、世間からどんな印象になるかはわかんないから、SNSの流出がないようにするだけ。ただでさえみんな不安定なのにあまりネットとかに左右されたくないから。そのためにね、今日の部活で、SNSについて話をしたの。自分たちとか吹部に関してのエゴサはしないこと、部内の状況について投稿とか発信しないこと、集合写真の扱い方とか……Twitterとインスタやってる子はうちではあまり聞かないけど、みんな凛奈ちゃんと同じように見てる子もいるからね。しばらくはこうして規制かけていこうっていう話になった」
オーディションを行ってコンクールメンバーに選ばれたからにはきちんとコンクールに向き合っていくべきだ。しかし、仕事で練習に参加出来ない、となると凛奈はもちろん、他の部員たちも何も言えないだろう。しかし嫌な予感はしている。それが当たらなければいいのだが、きっとそう上手くは行かないだろう。
1つ年下の後輩は、ずっと悩んでいたのだろうか。合宿の帰りのバス、彼は何を思ってあんな表情をしていたのだろうか。1人でどれだけ考えたのだろう。
壮太とよく話す他パートの先輩は、自分くらいだろう。彼も彼の姉もあまり年相応に話す方ではないから。それでも、身近な後輩が急に遠い存在になってしまったようで、寂しく思ってしまった。
「───私も、壮太のこと応援したいです」
それでも自分のしたいこと、なりたいものに向かって進む彼を、突き放さずに見守りたいと思った。
「ありがとうね。お邪魔しました」
「いえ、とんでもないです」
「カレー美味しかった。弟くんにもありがとうって言っといて」
時刻は20時、すっかり当たりは暗くなっていた。帰宅する茉莉花を、凛奈と莉々奈で見送るために玄関を出た。
「長居しちゃってごめんね」
「そんなことないです! よかったらまた来てください」
結局あれからリビングで莉々奈を交えて様々な話をしていた。莉々奈は憧れの部長と話せて満足げだ。
「暗いので、お気をつけて」
「ありがとう。じゃあね」
「「さよなら!」」
茉莉花は手を振って、去っていく。そして少し離れたところで振り向いて、まだいる自分たちに向かってにこりと笑いながらもう一度手を振った。
「中入ろっか」
「うん」
「私そのままお風呂入ってくるね」
そう言って、凛奈は1度部屋に戻って着替えと携帯を持って、脱衣所に向かった。
扉を閉めて、ふ、と息を吐く。
『……茉莉花先輩、ごめんなさい』
心の中でそう呟きながら、水色のアイコンを押して、検索欄に文字を打ち込んだ。
《北原 吹奏楽 子役》




