今を悔いなく
男子バレー部員に囲まれた後、マネージャーが持っていた緊急用の携帯で助けを呼びバレー部顧問の車で学校の保健室に連れられた。
「起きた?」
「ずっと起きてます。横になって目瞑ったらましになりました」
「それを寝てたって言うんじゃないの」
「意識はあったので……」
「起きなくていいよ、そのまま横になってて」
様子を確認しに来た茉莉花は、苦笑いしながら凛奈の横たわるベッドの隣の椅子に座った。起き上がろうとする凛奈の肩に触れながらそれを制止する。
「山本先生がやっぱり熱中症だって。なんであんなとこにいたの? 凛奈ちゃんち逆方向なのに」
「小学校の先生に送ろうか?って聞かれたけど断っちゃって。バスのタイミングが悪くて、反対方向のバスに乗って穂澄神社から歩いていました」
「日傘も差さずに? それは熱中症になるよ……たまにはご好意に甘えてもいいんだから。小林先生もすごい気にしてたんだよ」
「……日傘、うちの学校ありだったんですね」
「はぐらかさないで」
呆れたように茉莉花は凛奈を見つめた。
「……ほんとに大したことないんです、みんな大袈裟なだけで。ちょっと目眩がしたぐらいなので……熱中症って言っても軽症ですし。ほんとに。迷惑かけてしまったのはごめんなさい」
こんな大事にされるとは思っておらず、部活に行きたくないだなんて一瞬でも思ってしまった罰だと思った。
「……今日の部活、みんなどんな感じでしたか」
「どんなかんじ、って……普通だよ、いつも通り」
「真緒、来てましたか」
「うん、もう元気だよ。今日は欠席はいなかったと思うよ」
「……そう、ですか」
「真緒がどうかしたの?」
「……私なんかよりももっとしんどい思いしたんだろうなって。こんなちょっとしたぐらいで保健室で寝てる自分が情けなくて。……だから、練習に参加させてください」
部活に行きたくないとは思ってはいても参加はしないといけない義務感が凛奈の心に潜んでいた。真緒はあの時、自分よりも何倍も辛い思いをした。コンクールに出場したいのにできない。誰も自分の味方をしてくれずに結局出場できなかった。だからこそ、彼女ほど症状が重くない自分が早退してしまうのは彼女に失礼な気がした。
「凛奈ちゃん……」
「いや、無理だろ。帰れよ」
茉莉花と話していたはずが、突然低い声が聞こえて、茉莉花の背後に誰かがいるのがわかった。
「あ、バレー部の」
「どうも。吹部の部長さん、ですよね。テープ取りに来るついでに様子見ようと思ったんですけど、すいません、話割り込んで。でも、そいつ無理だと思いますよ。熱中症って軽度でも結構体力とられますから。家に帰ってゆっくり休んだ方がいいと思いますけど」
はっきりとした二重のまぶたに、切れ長の目元。目の形に沿うように平行な整った眉。細くて白い腕をズボンのポケットに突っ込む彼は、ルカちゃんと呼ばれていた男子バレー部のマネージャーだった。先程は視界が悪くあまりはっきりと顔を見てはいなかったが、国木田とはまったくの別のタイプではあるがこうして見ると彼も俗に言うイケメンなのだろう。
「……ほら、マネージャーくんもそう言ってるし。重症とか軽症とか関係ないよ。練習参加したい気持ちもわかるけど、また倒れたら困るし」
「本当に大丈夫だから、参加します。お願いします。大事な練習再開の日なのに、休む訳にはいかないんです。私が、トップだから……」
「じゃあ家でしっかり寝て明日から頑張りゃいいじゃん。中途半端に調子悪いまま練習しても意味ないと思うけど」
このマネージャーは何なのだ。男子バレー部は先程から自分のことを大事にしすぎだ。
「君には関係ないでしょ。部活も違うのに。ほっといてよ、口出ししないで」
「凛奈ちゃん!」
いきなり茉莉花の怒声が響き、びくりと肩を揺らした。
「……心配してくれてる人にその言い方はだめでしょ。そんなのだったら参加させられない」
「……俺は忠告したから。もうなんも口出ししねえよ。じゃあな」
マネージャーの彼はそう言って気まずそうに保健室を去っていった。
「焦る気持ちもわかるけど、周りに攻撃的にならないで」
「……ごめんなさい」
「今日はもう帰ろうよ。あの子が言った通り、また明日から切り替えて頑張ろう?」
「……」
マネージャーと入れ替わるように、小林が静かに入ってきた。
「凛奈、すまなかったな。俺が頼んだばっかりに……」
「いや、そんな……とんでもないです」
「……前の合宿の時も言ったがな、頑張ることと無理をすることは違う。家まで送るから、ほら、帰るぞ」
「……」
自分の情けなさと悔しさに涙が浮かび上がってくる。差し伸べられた手を取ることはせずに、唇をきゅっとつぐんだ。
「明日から、出来ますかね、私」
「……何も心配しなくても大丈夫だよ。頑張れるよ、みんなで。だから泣かなくていいんだよ」
「泣いてないです」
そう言って、小林の手を取って立ち上がる。少しだけくらりと目眩を感じて、完全に回復していないことがわかる。
「バレー部の元木先生にまたお礼言いに行ってね。あっ、あと、あの子……今のバレー部のマネージャーの、名前わかんないんだけど……」
「ああ、"アオイ"だな」
"アオイ"。そういえば、ルカちゃんと言う呼び声に紛れて誰かがアオイと呼んでいた気がする。
「小林先生、知ってるんですか?」
「もちろん。1年の時の担任のクラスだったからな。今はマネージャーやってるんだったな」
「そうなんですね……。凛奈ちゃん、ちゃんと今度謝りなよ」
「……はい、……」
小林の車の後部座席に乗り込んで、茉莉花から荷物を受け取る。
「茉莉花先輩、ごめんなさい」
「……ううん。今日はしっかり休んで、また明日から頑張ろう」
ドアを閉めて、発車する。
「……ほんと、ごめん。会議が早めに終わったから迎えに行けばよかった」
「いや、先生のせいではないので……むしろなにも考えず30分も歩こうなんて……自分の考えが浅はかでした」
一筋だけ落とした涙を、小林にばれないようにそっと拭う。調子を崩して小林の運転する車に乗るのは何度目だろう。
「バレー部が通っていてよかったよ、マネージャーもいたし」
きっと小林は凛奈が涙を流していることなんてお見通しなのだろう。その上で何も触れずにそう言った。
「……あの子、同い年ですか? ルカ、ちゃん? アオイくん?」
「知らないのか?2年だけど」
「クラス一緒になったことないので……。私、吹部以外にあんまり友達いなくて」
「……"逢生琉叶"。2年の男子バレー部で、選手じゃなくてマネージャー」
「逢生、琉叶……ややこしい名前……」
なんだか頭が回っていないうちとんでもない勘違いをしていたようだ。普通に考えれば、あの場面で蒼が来るはずがなかった。
「ああ、"アオイ"だから? ふはっ」
「……また今度、ちゃんと話して謝っておきます」
「それでいいよ。あいつは優しいからさ、気にしすぎるなよ。謝ればいい」
ほぼ初対面な人物に、あんなに噛み付いたのは凛奈自身も初めてだった。
「ここどっちだっけ、左?」
「あ、真っ直ぐ行って次の横断歩道で左です」
気付けば自分の住まう家の周辺に来ていた。こうして車に乗っていると10分程度でたどり着く家も、歩けば50分、バスでも30分弱はかかるのだ。
実は少しだけ遠い中学校を何故わざわざ選んだのか。当時の自分を振り返る。
弱い自分を変えたくて。そういえばそんな理由だった。
自分が思ったことを口にすれば誰かが傷ついてしまう。いつしかそんな思考が頭から離れなくなり、意見を言うのが怖くなってしまった。空気を読んで、空気に馴染んで。そんな自分はこの1年と数ヶ月で変わったのだろうか。
小学生の頃の後悔は、少しでもはらすことはできているのだろうか。気付けば中学生になって1年、何故北原中学校を選んだかなんてどうでもよくなっていた。
先程の琉叶に向けて喧嘩腰になってしまったことも、謝ればなんとかなる。どうしよう、どうしようと何度も迷う凛奈は、小林の車に乗ればなんとかなるような気がしてきてしまう。それがいけないことだという気がするのに、何故か安堵してしまう。
「ここだよな」
「はい。すみません。ありがとうございました」
「……凛奈」
窓の外が自宅であることを確認して、リュックの紐を肩に通す。呼ばれて再び振り返ると、小林はじっと凛奈を見つめていた。
「後悔しないようにいこう、関西」
「……頑張り、ます」
うん、と満足そうに体勢をなおし、凛奈もそれを見計らって車を降りた。
「お大事に」
「あはは、もうほとんど元気なので……ありがとうございました。明日からまた頑張ります」
扉を閉めると、小林はひらりと手を挙げて、元の道を走っていった。




