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北原中学校吹奏楽部  作者: 星野 美織
挑む、関西大会へ
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足枷

 盆休みが明け、今日から練習が再開する。節目である練習再開の日の昼、凛奈は中学校ではなく、母校である西野小学校にいた。

「先生、ありがとう」

「本当に車で送らなくていいの? 暑いでしょう」

「大丈夫! 夏休み前の最後の練習なんですよね、ほんとにお構いなく」

「そう? まさか卒業生が関西大会に行くとはね。応援するしかないじゃない。夢花にもよろしくね」

「うん。また夢花と顔出しに来ます」

 関西大会に向けて、小学校からコルネットを借りることにしたのだ。 もともと乃愛が使っていたコルネットは年季の入ったもので、乃愛本人が苦戦していた原因の1つがコントロールが効かないことだった。実際、聖菜のコルネットで早いパッセージが少しだけ吹きやすくなったと言っていた。そこで小林は、市内の小学校を何件も巡り、余っているコルネットを借りる事にした。聖菜の使っているコルネットと同じメーカーで、比較的新しい楽器を探した結果、西野小学校が県大会が終わってからであれば貸出ができると言うことだった。本来であれば小林が直接出向くはずだったが、どうやら急に会議が入ってしまい、代わりに卒業生である凛奈が借りにやってきた。

「……よし、行くか……」

 西野小学校と北原中学校は自宅から正反対の方向にある。西野小学校から北原中学校はかなりの距離で、バス1本ではたどり着けない。1度自宅近くのバス停で降りて、運が良ければ乗り換えていつものバスに乗ることができる。猛暑の続く毎日にいい加減にして欲しいと思いつつ、コルネットを片手にリュックを背負って歩き出した。

「うーわ、あっつ……」

 ためらいなく独り言が出てしまうほどの茹だる暑さに汗が止まらなくなる。自分のトランペットを学校に持っていくのを莉々奈に任せていてよかった。バス停に着いたものの、時刻表と携帯の時間を照らし合わせてまたため息を着く。平日の昼間は思ったよりも本数が少なく、30分に1本程度になっていた。しかも、たったの5分前にバスが通過していた。

「最悪……。あ、」

 時刻表を指でなぞっていると、とある事に気付く。凛奈の予定していたルートは、家の最寄りを通る東野方面。しかし、不便ではあるものの西野方面を経由して1番近いバス停から30分ほど歩くと北原中学校にたどり着ける。急いで調べると、バスはあと3分ほどで反対側のバス停に到着する。迷っている暇はなく、車が来ていないことを確認して慌てて道路を横断した。

「貰った交通費……足りる、よかった……」

 スマホというものは便利だ。小学生の頃はバスの運転手に聞かなければわからなかった運賃も、今や端末で検索をするだけでわかってしまうのだ。

 スマホで検索をかけているうちにバスが到着する。ドアが開いて、運転手がにこやかにどうぞ、と声をかけてくる。

穂澄(ほずみ)神社前、って通りますよね」

「はい、通りますよ。290円です」

 覚えている限り、小学6年生の頃に西野小学校から北原中学校の体験入学で使っただけでたった1回しか使ったことがない。間違っていたらという不安が顔に浮かんでいたのか、運転手が笑った。

「どちらに行かれますか?」

「あ……北原中学校に」

「この時間はここからだとこのバスしかないからねぇ、神社から少し歩くことになるけど、ちゃんと通りますよ」

「ありがとうございます」

 安心して、小林から事前に貰った交通費を運賃箱に入れてそのまま座席に座った。コルネットを床に置いて、リュックからタオルを取り出して汗を拭う。

 冷房が丁度いいほどに効いていて、やっと一息を着く。車内には2、3人程しかおらず、窓の外を見ると、田園風景が広がっている。

 一息着いたところで、端末にイヤホンを繋いだ。再生ボタンを押すと、音源はアナウンスと拍手から始まった。あらかじめ予約をしていた県大会の演奏CDを、父のパソコンを使ってスマホに移したのだ。

 凛奈はこの4日間の盆休みの間に1度も県大会の音源を聴かなかったのだ。県代表になったという結果に囚われすぎて、ミスを終わったことで終わらせてしまいそうだから。

『改めて聴くと……』

 思わず眉間に皺が寄ってしまう。確かに前半は順調に進んでいる。しかし、綺麗な塗装も1度剥がれてしまうと徐々にゆっくりと落ちてしまう。凛奈のソロが終わり、暫くすると完全に疲れが見えてくる。───そのうち、自分のソロがきっかけとなって崩れて行ったような気持ちになる。ほんの少しだけの一瞬のミスだが、凛奈にとっては許せなかった。

 高校生の部で、紗江のソロを聴いてから余計にその気持ちが強まった。2歳年上である事も理解している。それでも自分のソロが中途半端であることを認識してしまって、彼女の一発勝負を聴いて恥ずかしくなってしまった。

『紗江先輩は確かにすごいけど……』

 演奏が終盤に差し掛かる頃、窓の外を見ると緑に囲まれた石造りの鳥居が見えてくる。一旦学校に着くまではこの事は考えないでおこう、とイヤホンを外した。

「ありがとうございました」

 バスを降りると、一気に温度が変わって忘れていた暑さを思い出す。気分はどん底でさらには炎天下。ため息がこぼれてしまう。バス停を少し歩いて、鳥居の前で立ち止まる。面倒になってしまって、汗を拭っていたタオルはイヤホンと共にリュックに閉まってしまった。

"俺が、まだ凛奈に言えてない事があるとしても?"

 昨日の花火大会での蒼の言葉を思い出す。そういえば、あの時も神社だった。この言葉がずっと引っかかって、深夜になっても眠れずにいた。

 言えていないことと言うのは、部活のことなのか、あるいは凛奈に関係のあることなのか。もしかしたら想像しているよりも大したことないかもしれないし、逆に重大なことかもしれない。

 聞こえはまだ良いのかもしれないが、裏を返せば隠していることがあると言うこと。あの時はどう返答するのが正解かわからずいたが、本音を言えば何を隠しているのかが気になる。───なんて、彼に言ってしまえば、もしかしたらお互い傷付いてしまうかもしれない。それが怖くて、結局なにも聞けなかった。そのままずっと引っかかっているが、いつの間にか昨日のあの時間のあの話はなかったことになるだろう。

「……わっ、……」

 なんだか浮かない気分でため息をつくと、躓いて転びそうになってしまった。驚いて足元を見ると、靴紐が解けてしまっていた。

「解けにくいように結んでたのに。……はぁ、」

 周りに人1人いないから、大きな独り言やため息が出ても気にしない。

「部活、行きたくないな」

 もやもやと頭の中を駆け巡る色々な不安や思いが、今朝までとは全く違う気分にさせてしまった。今朝までは久しぶりの部活で、早く練習を始めたくてもどかしかったが、靴紐を結び終えた途端に立ち上がることすら億劫になってしまった。

『県大会のソロは中途半端に上手くいかなかったし、それなのに関西に進んじゃうし、蒼くんのことばっかり気になるし意味わかんないぐらい暑いし、靴紐解けるし……なんなの今日』

 ちょっとした小さなことにも苛ついて、部活に行く気力すら失ってしまった。

「サボっちゃおうかな……」

 どうせ1日くらい自分が居なくてもなんとかなるし、むしろなんともないのではないか。そんな考えに至って、地面に置いた借り物のコルネットから手を離した。別に泣きたいわけではない。それでもなんだか周りを見たくなくて、腕を組んで顔を(うず)めた。

 どうせ誰も見てないだろう。そう思いながら、静かにたった少しだけ時間が経った。

「おーい、どうしたの?」

「大丈夫? しんどい?」

「えっ?」

 顔を上げると、目の前に知らない男子がいた。

「大丈夫? くらくらってしちゃった?」

「あ、えっと……」

 暑さにやられたと勘違いされてしまったようだが、ただ部活に行きたくなくてごねていただけだ。かと言って部活に行きたくないだけです、とは恥ずかしくて言えずに黙ってしまった。

 目の前の2人は指定のジャージのハーフパンツを履いて足を折り曲げ、見覚えのあるTシャツを着ていた。

「男バレの……」

 そう、北原中の男子バレー部のTシャツだ。排球部、と描かれた文字が黄色という事は1つ上の3年生だ。

「そうそう。男バレの3年の織山と江田」

 よく見てみると、制服姿で廊下でじゃれ合う彼らを見たことがある気がしてきた。確か、バレー部の3年生のキャプテンの江田と副キャプテンの織山だ。同級生がかっこいいと騒いでいた気がする。

「あ、吹部の子じゃん。2年の」

「おおあ〜ほんとだ。家この辺なの?」

「いや、そこのバス停から歩いてて」

 本当にどう切り出したら良いかわからないし、傍から見れば中学生3人が道端にしゃがみこんでたむろしているようだ。───まあ、見られることは無いような人気のなさだが。

「え、そんな大荷物で学校まで歩くつもりだったの?」

「こんな暑い中無理っしょ。おぶってやるよ」

『いや、そっちの方が無理……。てかそもそも熱中症とかじゃないしその誤解を解きたい』

「靴紐結んでいただけで熱中症とかじゃないですから……」

「いや、熱中症でしょ。こんなに暑いのに汗かいてねえじゃん。てか、腕に顔突っ込むぐらい気持ち悪いんじゃないの?」

『そんなジロジロ見ないで……!』

「そうだよ、1個上だからってほんとに気ぃ使わないで」

 こうなったら、正直に話す他ない。

「あ、あの! ほんとにそう言うのじゃ、なく、……わっ、」

「うおっ!?急に立ったらだめだろ! あーこれやばいやつだ、」

 立ち上がった瞬間に、視界にもやが掛かった。ざあっと血の気が引いて、ぐにゃぐにゃと目の前の空間が歪んだ。視界は徐々に薄暗くなっていく。

 冗談じゃない。江田と織山の言う通り、本当に熱中症だったのかもしれない。どちらかはわからないが肩を支えられ、一緒にゆっくりと地面に座り込んだ。

「気持ち悪い……」

「ちょ、大丈夫? おーい吹部ちゃん! 吐きそ? あー江田どうする?」

「先輩!大丈夫っすか?」

「あ、香坂じゃん。熱中症ですか?」

「もうちょいしたら"アオイ"来るだろ」

「おーい吹部ちゃん。もうちょいで俺らのマネージャー来るから」

『蒼くん……?なんで』

 彼らの会話は、立ちくらみと耳鳴りを起こしている凛奈には部分部分にしか声が届いていない。少しだけ目を開いて見れば、視界が霞んでいるが江田たちだけでなく他にも誰か集まってきているようだ。

『男子ばっかりだ……どうしよう』

 出来れば女子が助けて欲しい。気付けばあまりよく知らない男子たちに囲まれていて混乱している。

「あ、来た。"ルカちゃん"! 早く来て!体調不良ー!」

『ルカちゃん……、よかった、マネージャーってことは女の子だ、』

「大丈夫ですか? とりあえず織山先輩、日陰に移動させてもらっていいっすか。江田先輩、緊急用の携帯カバンに入ってるから、学校に電話してください……おい1年2年!お前らはさっさと走れ!」

「ルカちゃんひっどーい!」

「ルカちゃん怖ぇよ〜」

「うるさい!その呼び方辞めろ! 早く行け」

『マネージャーの"ルカちゃん"って、もしかして……』

 織山に肩を支えられて日陰にタオルの上で横になって団扇で仰がれてされるがままな凛奈は、少しだけ落ち着いてから目を少しだけ開いて、"ルカちゃん"と呼ばれる人物を見上げた。

「はい、これ飲める?ゆっくりでいいから」

 そう言ってストローのついたペットボトルを口元に寄せたのは、また指定のジャージにTシャツを着た男子生徒だった。

『男かい……』


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