始動
「これから定期会議を始めます」
「「よろしくお願いします」」
いよいよ関西大会に向けての練習が始まる。朝、練習開始の出欠点呼を終えた後にすぐに教室に集められた3年生は、揃って挨拶をした。
「まずは皆、県大会お疲れ様でした。それぞれ反省はあると思うけど、先生も言ってたとおり、まずは素直に喜ばないとね」
ぱちぱち、と拍手が起こる。
「今回の議題は、関西大会に向けて、……それと、文化祭に向けて。あまり時間が無いからたくさん話すことは出来ないから、今回は練習時間の使い方と予定だけ決めていきましょう」
ユリカが黒板にチョークで簡潔に議題を2つ提示する。
「さて、関西に向けて練習が始まるわけだけど……もう1つ大事な本番、私たちの現役としての最後の本番が残っています。例年通りなら県大会が終わったこのタイミングで始めるけど、私たちには今回はありがたいことに関西大会があるわけで。もちろん今まで通りにはできません」
「あたしたち3人で話していたけど、例年通りであればここから3年生は受験に向けて塾の夏期講習だとか模試だとか……オープンスクールも参加しないといけないし、今まで通りの練習は少なくとも出来ないと思う」
周りの部員を見渡すと半数が頷いていたり、不安げな表情を見せている。
「それで先生と私たちが話し合った案なんだけど……これからの練習、1日の午前中を文化祭に向けての準備、午後を関西大会に向けての練習にしたいと思います。そうなったら関西に向けての練習時間が少なくなってしまうと思います。なので、1日の練習を朝の8時半から18時、特別に学校からの許可を貰って19時まで個人練習可能にします。……ここで何か意見のある人いませんか?」
この状況で、手を挙げたのは蒼だった。
「蒼くん。どうぞ」
「ごめん、やる気がないとかそういう風に思わないで欲しいんだけど……去年まではさ、県大会が終わって文化祭に向けての練習が始まったら、午前中は3年生は受験勉強とか準備、っていう名目で休みになってたよな。実際練習日程もコンクール前に比べて減ってたし。3年生の受験勉強もそうだけど、1、2年生の課題とか勉強の時間もなくなる気がして」
少しだけ言いにくそうにそう言った蒼に、黒板と向き合うユリカのチョークを持つ指がピクリと動いた。
「それに関してなんだけど。今年の文化祭はコンクールメンバーで自由曲、2、3年生だけで演奏する曲、1年生だけで演奏する曲……みたいな感じで、全員でする曲はラストの2曲ぐらいにしぼって、グループ分けしようと思っていて。だから、そのグループごとに練習日程を組めばみんな勉強時間が確保できる。もとろん3年生の午前休みを多めに用意するつもりです。部長副部長と先生たちからの案はこんな感じなんだけど、意見とかいい案ある人いませんか?」
ありがとう、と蒼が着席した後、しばらく静寂が続く。
「……ないなら、私からいい?」
「ユリカ、いいよ」
沈黙の中、手を挙げたのは珍しくもユリカだった。
「えっ……と。その、受験に向けてのことなんだけど。これはあたしの考えでもあるんだけど、みんなにも聞いて欲しくて」
茉莉花も奈津もなにも聞かされておらず、目を泳がせるユリカを見て目を丸くする。そのうち、伝えたいことがまとまったようでゆっくり息を吸った。
「……えっと。夏休みは、受験生にとって貴重な時間であり、どう過ごすかで今後の志望校だったり成績が変動することもあるぐらい大切な期間で、その中で他の部活の子たちが既に夏休みの序盤から引退しだしている中私たちの引退は9月。でも、みんな受験の日程は変わらないよね。吹部が受験に不利になるとかそう言う話ではないんだけど、部活ばっかりを優先するのはやめて欲しい。例えばオープンスクールとか、夏期講習とか模試とか、ずらせない日程のものを大会が近いからって理由で行かないのはあんまりよくないと思う。……この中の殆どが音楽とか部活だけで進路を決めるわけじゃないし、中にはもう既に将来やりたい事が決まってる子もいると思う。それを、中学3年生の夏休みの部活のせいで、人生の選択肢が減ってしまうのはよくないから。1日部活を休むだけですごい不安になるし、パートが心配になる気持ちもわかる。でも、部活のために将来やりたい事を諦めないで欲しい、っていう話。部活を進路のことで休んだって誰もなにも思わないし、思ったとしたらそれは違うってあたしが伝えるから。がむしゃらに部活のことだけ考えて頑張るのは1年生だと思うし、周りのことを考えながら部活をするのが2年生。3年生は、さらに周りを見ながら自分のことを真剣に見つめながら部活をする。だから、自分の将来のために考えて動いてね。……伝わった?」
「「……」」
スッキリしたような表情のユリカを見て、なんだか茉莉花はひっそりと涙が浮かんだ。1年生の頃は自分に自信なさげに背を丸めてキョロキョロとしていたユリカ。学年が上がって後輩ができてからは少しだけ背伸びしたように振舞っていた。だんだん辛くなったように壊れかけた数ヶ月前とは違って、なんだか吹っ切れたような表情だ。きっと少し前ならこんな事は大勢の部員たちの前で発言出来なかっただろう。
塾のために部活を休んでいたり、それを何度も謝られたこともあった。もともと勉強のできるユリカは、昔からの夢があるからこそ、専門的に学べる高校のために勉強しているのだ。これは、夏休みの部活のちょっとした空き時間も教材を解いていたユリカだからこそ部員たちに伝えられることなのかもしれない。
「茉莉花」
ポン、と右肩を叩いたのは茉莉花を挟んでユリカと反対に座っていた奈津だった。奈津も同じことを考えていたようで、少しだけ泣きそうになっていた。
「あっ、ごめん。うん、進路のために部活を休むのは悪いことじゃない。ユリカが言った通り1日休むだけで不安だったり心配なこともあると思う。そう言う時こそ周りにいるみんなで、きちんと今日あったことだとか、こういう風に練習したとか……。休んだ子のパートの様子だったり伝えたりして話そう。進路に向かって進んでいく中で部活もする、っていう両立のこの状況でみんなで助け合おう。その為にみんな、しっかりコミュニケーションとっていこう。どうしたらいいかわかんなかったりしたら私たちでも、もちろん先生でも誰でもいいから相談して欲しい」
「「はい」」
「じゃあ、今後の練習内容と予定の組み方はこれで大丈夫ですか? 大丈夫なら一旦解散にします」
はい、だとか大丈夫です、とぱらぱらと声が聞こえて安心する。
「それじゃあ解散します。ありがとうございました」
「「ありがとうございました」」
今までとは違う形で、関西大会に向けて、引退に向けての準備が始まる。
机の列を整えて、ほかの部員たちが退室した頃、幹部の3人だけになった。
「ユリカ、ありがと。みんな不安だったと思うから、そう言ってくれて助かった」
「いやいや……実際あたしが塾とかで抜けてばっかだからさ」
「気にしなくていいんだからね。……でも、ユリカなんだか成長したよね、私びっくりして泣きそうになっちゃった」
「あはは、なにそれ!」
笑いながら電気を消して、鍵が全て閉まっていることを確認する。
「よし、じゃあ戻ろうか。頑張ろうね、関西も、文化祭も」
「うん、そうだね」
最後に鍵をかけようとガラッとドアを開けた時、目の前には自分よりも身長の高い男子がいた。
「わっ、壮太?どうしたの」
「誰かに用事? ずっと外で待ってたの?暑かったのに……」
汗ばんだ様子で、タオルを右肩に掛ける壮太は何か困ったように顔を下げながら3人を見つめた。なんだかいつもと様子の違う壮太に茉莉花は首を傾げた。
「……3人に、お話が、あります。聞いてください」




