6.高等学校の部 ①
県大会、中学校の部の2日後。今日は県大会最終日、醍醐味とも言える高校Aの部が開催される。
「おはよ」
「ん、おはよ」
「なんか変な感じ。マイがあとから乗るの」
「私も」
いつもはマイが先に乗り、後から凛奈が合流するバスに、今日はマイが後から乗り込む。学校とは反対側に走るバスは、最寄り駅である桜橋駅へと向かっていた。
「このワンピース可愛いね」
「これね、おばあちゃんに買ってもらった」
何気ない会話をしているが、県大会が終わった翌日はベッドから起き上がることが出来なかった。解散した後にフラフラとしながら家までたどり着き、なんとかシャワーを浴びてベッドに潜り込み、昼頃まで1度も目を覚まさず、ずっと眠り続けていた。
県大会の翌日は本来はマイと映画を見に行くことを約束していたが、寝坊どころでは済まないこの事態に慌てて携帯を手に取りマイに連絡したところ、彼女も同じような寝過ごした状況でそのまま中止になった。
「凛奈からの電話で起きた時さ、ほんとに焦った。そしたら凛奈も今起きた〜なんて言うから、ほんとよかったあ、凛奈も寝坊してて」
「寝坊しててよかったって、ほんと意味わかんない」
「凛奈も私が寝坊してて安心したでしょ?」
「それはそうだけど」
お互い顔を見合わせ、思わず笑みをこぼした。バスを降り、携帯で確認しながら電車に乗り込む。
「海の王者するとこあるよね」
「うん、高山台と伏岡」
「今年は代表どこだろねー、」
「なんとなく予想ついてるけどね、たぶん皇城と桜橋でしょ」
「でもほら、皇城は去年全国で金だったからシードでしょ?」
入学当初、吹奏楽コンクールについて何も知らなかった凛奈に、マイが呆れつつも知識を埋め込んだ。前年度に全国大会で金賞を受賞した団体は、翌年度のコンクールはシード制度により県大会は出場せず、関西大会からの参加となる。よって、関西大会への代表枠が1つ開くのだ。
「あ、そっか、じゃあ、高山台?」
「たぶんそんな感じするよね」
「でも去年に稲城にいた崎先生、渚和に転勤したよね?それちょっと気になるな」
「うーん、さすがに上手い高校から転勤してきて急にいい成績残すのは難しいんじゃない?どのバンドも大体指揮者が代わって2年目から関西に進出したりするし」
マイはいつも考えが深い。なんというか、単純な思考をしないのだ。その頭に凛奈はいつも感心してしまう。マイが小学校の吹奏楽部に入る前からソロで楽器をしていたにも関わらず、ここまでの知識や考えを持っているのは相当勉強をしたのだろう。
「どこの演奏も楽しみだけど、皇城、桜橋、高山台。ここの3つは絶対に部員みんなで聞いた方がいいと思うんだけどな」
「仕方ないよ、超混雑するからそれこそ客席が埋まるほどなんでしょ? うちももう去年までと違って大所帯だし、疲れてる子もいるだろうし。たぶん、て言うか絶対小林先生がDVD買ってるだろうから、また関西大会の前にみんなで見ようよ」
「んー、まあ、そうだね」
苦笑いするマイは、たぶん納得が言っていない。彼女は音楽のためならなにも惜しまない。お金も時間も。それが彼女の中の無意識的な常識であり、彼女自身なのだと思う。
これはいつかはマイ本人に面と向かって伝えなければならないと凛奈は思っていた。朝緋が、凛奈自身の謙遜が人を傷つけると発言された後に、いつかはそのマイの無意識が誰かを傷つけるかもしれないと言うことを感じていた。ただ、いまこのタイミングで伝えるのはなんだか違う気がして、その場しのぎでやんわりと他の提案をした。
*
「やっぱり……人多いね、中学校の時より」
「うん、なんか全体的にがちゃがちゃしてる。出場校は中学校の部の方が多いはずなのに」
駅からたったの10分ほど歩いただけで汗が止まらない。2日前とは少し違った賑わいを見せる会場は、自動ドアで中に入った途端に急に空気が冷たくなって、なんだか身体に悪い気がした。
「始まるまで時間余裕だね。席だけ先にとっておいて外にいようか」
ロビーにでると、見覚えのある影があった。小林だ。シャツの左腕には吹奏楽連盟の腕章を付けている。県の吹奏楽連盟の役員である小林は、表情こそ落ち着いているが移動が忙しなく、余裕があるとは言えない様子だった。
「忙しそうだね」
「そうだね。挨拶はまた後でにしよう」
そう言っていると、凛奈たちを見つけた小林の方からこちらに向かってきた。
「おはよう。来てたんだな」
「おはようございます。高校の部はやっぱり興味あるので。……なんだか随分慌ただしそうですよね」
マイは思わず小林に尋ねた。それに対し、小林は、ああ、と困ったように眉を下げた。
「体調不良……と言うか熱中症が続出していてな」
「「えっ、」」
揃えて声を上げた2人の脳裏によぎったのは、熱中症で結局参加できなくなってしまった真緒のことだった。
「それって役員の人がってことですか」
「いや、今日の出場者が殆どだ。真緒の事があってから連盟側から注意を呼びかけていたから今のところはみんな軽症者だよ。……あ、」
何かを思い出したように声を落とした彼の眉間に皺がよる。
「違うな。そういえば高山台のトランペットのトップが救急車で搬送された」
思わず絶句した。真緒の時と同じように、運搬の待機の時にトランペットの2年生が倒れたのだと言う。
「それより、高山台の自由曲って……」
そのマイの言葉と同時に、小林のいる向こう側が、急に騒然とした。そして、パラパラと起こる拍手。小林も凛奈もマイも、話の途中で思わずその場を覗き込んだ。そこには十数人の少女たちの姿。
そこには、真っ黒なトランペットケースを背負いながら泣き崩れる女子高生。そして、その隣で立ちすくむ、オレンジのトランペットケースの女子高生。
「高山台、トップの子熱中症で出られなくなって代わりにあのオレンジの1年生の子がトップなんだって」
そんな声を拾い聞いて、彼女たちが高山台のトランペットパートであることを悟った。
「1年生……、って紗江先輩じゃん……」
その場を去ろうと振り向いたオレンジのトランペットケースの女子高生は、昨年卒業した米田紗江だった。泣いているのは恐らく、と言うかほぼ確定で年上だ。そんな修羅場にすかさず、毎年強豪校に密着している地方のテレビカメラが双方を映し出す。まるで地獄絵図だ。
「カメラは都合がいいな」
マイと小林も感じとったのか、顔を顰めていた。つかつかと1人───カメラマンと2人で歩き出した紗江。
1年前まで一緒にいたはずの人物には、新たなストーリーが始まっていた。それも尋常ではない物語。
とにかく今日、海の王者のソロを担当するのは紗江なのだ。なんだか関係ないはずの凛奈まで緊張して、平然と去っていった紗江を目で追いかけていた。




