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北原中学校吹奏楽部  作者: 星野 美織
番外編②
393/423

4.青春グラデーション

 小林 雅哉(まさや)、15歳の、夏。少年の通う北原中学校からすぐ近くの北原山の第1公園。カラスが夕暮れを知らせ、足元のホルンのケースと荷物にははっきりとしたオレンジが映り込んでいた。

「まさ、やっぱりここにいた」

「めぐ、」

 セーラー服の少女。雅哉の幼馴染の辻上(つじかみ)(めぐみ)は、雅哉の座るベンチの隣に腰掛けた。

 関西大会、北原中学校の結果はまさかの金賞止まり。真っ赤なあの旗を、例年通り普門館へと掲げることはもう叶わない。

「なんだよ」

「ゆうちゃんが心配してたよ。めぐはもう家に着いたのに、まだ帰ってきてないって」

「帰りたいわけないじゃないか」

 こんな顔して戻りたくない。そう言って、雅哉は顔を伏せた。

「……うん、めぐも悔しい」

「悔しいなんて一言も言ってないだろ。お前は優哉(ゆうや)にでも慰めてもらえば」

 雅哉の5歳年上の兄、優哉は、名前の通り穏やかな性格の大学生だった。中学では3年間トロンボーンのトップとして全国出場を貫き、そんな才能の持ち主は高校ではまさかの写真部に転向し、そして現在教育大学に通っている。

「まさも、悔しいよね」

「だから俺は、そんなこと一言も、……」

 言っていない。言ってはいないが、変わりなかった。兄にどんな顔をして会えばいいのかわからない。

「正直、もう無理だと思った。そうでしょ?まさ」

 心臓が跳ねて、彼女の方を見る。部長であった雅哉の心を幼馴染の副部長は見透かしていたのだ。

「……そうだよ。何回言っても変わらないし、毎日同じ練習の繰り返し。時間も随分無駄にしたし、曲の選曲ミスも正直あった。ネームバリューで関西には行けたとしても、もう、黒い床は見れないと思った。それに、後輩にイライラし始めた時点で、もうだめだって、思った」

「だってまさ、先生の前で鉛筆折ってたじゃん。大会の前日に準くんと大喧嘩してたのも、それででしょ」

 前日の練習で、雅哉は部員たちと新しい顧問の前であまりにも募った苛立ちを堪え切れずに鉛筆を折ったのだ。そして刃物のように鋭い指示を叫び飛ばし、最終的には1つ年下の2年生、国木田の癪に触ったようで胸ぐらを掴まれる事態になった。

「あいつは……確かに上手いし、部長(おれ)よりもずっと諦めずに最後までやろうとしてた。俺が壊したようなもんだよ、本当。……でもな、遅いんだよ」

「みんな、もっと早くから気付いて欲しかったね。そうでしょ、言いたかったのは。───悔しいなあ」

 愛に目をやると、彼女は硝子のような目から雫を落としていた。

「もっと吹きたかったなあ、まさと、準くんと、みんなと」

 そんな彼女の涙を、大人や周りの人間は"青春だ"と思うのだろう。

「きっとそう思ってるのはめぐちゃんだけじゃないと思うよ」

 ざり、と砂を踏む音が聞こえる。

「───優哉」

 現れた兄はカメラを持っていた。

「ゆうちゃん!」

 顔は自分と瓜二つのはずなのに、愛はいつも優哉を見て目を輝かせ、頬を染める。

 好きなのだろう、たぶん。急いで涙を拭いて、無理やり笑う幼なじみの姿を見ると、ばかばかしく思ってしまう。

「2人とも遅いよ。ご飯できたから、ほら、帰ろう」

「帰ろうって……じゃあそのカメラはなんだよ」

 優哉は笑いながらカメラを持っていた。

「綺麗な空だったから、つい。あと、引退したての部長副部長をカメラにおさめたくて。大事な弟妹が引退した記念に、1枚いいでしょ?」

 妹、とその言葉に愛はわかりやすく落ち込んだ。

「おれとめぐは兄弟じゃねえよ」

「まさはめぐの弟みたいなもんだよ」

 先程まで泣いていたくせに、兄が現れたらころりと笑いだした幼馴染に腹が立ってきた。

「逆だろ。第1お前の誕生日は俺よりあとで……」

「はいはい。今日はじいちゃんの唐揚げだよ。おじさん今日は遅くなるから、うちで食べていきな」

「ほんと!? わ、うれしい!めぐ、2人のじいちゃんの唐揚げ大好き!」

 話を遮られた上に話題を変えられる。雅哉はそれすらも気に食わずむすりと眉を寄せ、立ち上がって2人を放って歩き出す。

 雅哉と優哉の両親は離婚し、さらに母は既に亡くなって2人は母方の実家で祖父母と暮らしていた。一方愛の家は愛が物心着いた頃から父子家庭。小林兄弟の祖父は大工で、さらに祖母は自宅でそろばん教室を開いており、片親で1人でご飯を食べる幼い愛を可哀想に思った祖母が、そろばん教室の終わった後に共に食事をするように誘い、互いに似た環境のため次第に家族ぐるみの仲となった。

「優哉に言われなくても帰る。めぐもいるんだったら、じいちゃんの唐揚げ全部とられる」

「なにそれ! めぐそんなに食い意地張ってないし〜」

 そう言いながら、愛は立ち上がり、優哉の手を引きながら雅哉を追いかけた。

「……あざといやつ」

 ぼそりとそういう声は愛と優哉には聞こえない。いつもこうだ。優哉と愛と3人になると、優しい兄は幼馴染にとられてしまうし、幼馴染は兄の事しか見ない。

「よーし、帰ろう!唐揚げ早く食べたい!」

「あ、待って。めぐちゃん、まさの隣に立ってこっちに背中向けてくれる?」

 言われた通り、優哉の手を離して素直に雅哉の隣に立った。雅哉はその事をよく分からないまま歩き続けた。

「まさ!めぐ!」

 呼ばれて振り向いた瞬間、カメラを構えた優哉と共にシャッターが鳴り響いた。

「うん、いい感じ」

 ほら見て、とカメラの画面を見せてくる。確認しないことよりも自分が変な顔をしながら写っていることの方が嫌だ。仕方なしに画面を覗いた。

 眩しいほどの夕焼けは、夜と夕暮れのグラデーションで1枚の写真におさめられていた。愛のさらりとした黒髪が、振り向くと同時になびいている。自分の顔を確認するはずが、雅哉の頭には空の美しさと、それを背景とした愛に目がいってしまい、写真に写る自分なんか見てなどいなかった。

「すごい空。いつの間にかもう暗くなってたんだ」

「すごいなあ。空のグラデーションがとっても綺麗。青春の1枚だ。気に入ったから印刷してじいちゃんたちとおじさんにもあげようか」

 優哉は優しく微笑み、持っているカメラを撫でた。

「な、やめろよ!」

 思わず写真に見惚れていたことに恥ずかしくなり、声を荒らげて、2人を置いて早歩きで家路を辿った。

「もう、まさ! 置いてかないでよ」

 愛の言葉を聞き入れずに、ずんずんと雅哉は歩いていった。

「……」

「まーさー!」

 カシャ。愛の声に紛れさせながら、優哉はまたシャッターを切った。それに気付いた愛に、しい、と人差し指を立てる。

「雅哉。愛。2人はいま、まさに青春そのものだ」

 そう笑う優哉の持つカメラの画面に写る雅哉は、瞑色の空の方へと歩き出していた。

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